言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

長期投資優遇税制

2009-11-28 | 日記
リチャード・クー&村山昇作 『世界同時バランスシート不況』 ( p.246 )

村山  本来、株式というのは配当金で考えなければいけないものだと思います。株に投資するのはいいですが、リターンはあくまで配当金だけに限定すべきで、それを転売してはいけないという案はどうでしょうか。

クー  株式を売らせないというのは難しいですね。また株式が売買されて動く株価が経済の資源の配分に対して重要なシグナルになっているところもある。また株式を所有している人が高い価格のオファーをもらって現金が必要だと思ったら、何らかの形で売ることになるでしょう。ただ投資先の企業のことをしっかり勉強している人たちに株式の売買を限定する方法はあると思います。例えば株式を購入したら最低一年は持っていなければいけない。一年以内に売ろうとしたら、南米のチリが海外からの資本流入のときにつけたような税金を導入して、高い税率をかける。しかし一年以上持てば、税金が少しずつ減っていって、三年以上持てばいつ売ってもいいというようにする。そういう仕組みを入れるということを考えてもいいのではないでしょうか。そうなると投資家のみなさんは、真面目に投資先の宿題しなければ、怖くて投資できないことになります。そうなれば株式本来の形に近づいてくるのではないでしょうか。

村山  そうなれば少なくともデイトレーダーはいなくなります。

クー  私は一九九七年のアジア通貨危機のときに、このチリの税制を導入したマレーシアのマハティール首相のやり方をずっと支持していました。あのときは欧米から短期資金が大量にアジアに流入して、その資金がまた一気に逃げ出したことで、マレーシアを始めアジア各国の通貨が危機にさらされました。これらの外資はアジアのことを何も知らずに投資して、後で大失敗して逃げ出して、大きな混乱を起こしたわけですが、こういうことを防ぐためには、投資家もしっかり宿題をしてもらわなければならないのです。実は、宿題をしない投資家が入ったときにバブルが起きるというのが、私のバブルの定義です。宿題をしてリスクを把握している投資家が入っているときはバブルではないと考えていいと思います。
 あのとき、マハティール首相はもう人でなしと言われるぐらい欧米のマスコミや金融関係者に叩かれましたが、マレーシアの経済は一年で回復しました。あの通貨危機の後、アジア諸国のなかでいちばん早く回復したのはマレーシアだったのです。あの税制のおかげでマレーシア経済は海外短期資本の動揺から解放されいち早く安定を取り戻すことができたからです。ですから自分たちがどのような投資対象に投資をしていて、どのようなリスクをとっているかが分かっている人たちに限定すべきです。そこに投資の基本があるように思います。

村山  全部の経済制度をそこへ追い込むような形にしていけば、いまの制度とかなり両立できる仕組みができそうです。


 金融資本の暴走を止める方法 ( 規制 ) について、論じられています。



 上記引用部分に限らないのですが、村山さんの意見は、理念的すぎるというか、どこか、現実性に欠けているのではないかと思います。株式を売らせないなどというのは、論外だと思います。

 また村山さんは、デイトレーダーは 「いないほうがいい」 とお考えなのだと思います。しかし、デイトレーダーのような人々は、株価を暴走させる存在ではなく、株価の行きすぎを防止する存在、と考えるのが、適切なのではないかと思います。すなわち、デイトレーダーがいなければ、株価はますます暴走して、バブルが発生しやすくなるのではないかと思います。それはともかく、



 ここでは、チリやマレーシアの税制が紹介されています。要は、短期投資に対しては、高い税率を適用し、( たとえば 3 年以上といった ) 長期投資に対しては、無税にする ( または低い税率を適用する ) 、という制度です。

 この制度は、逃げ足の速い金融資本の動きを規制する、という観点からは、好ましい制度ではないかと思います。リチャード・クーが述べているように、投資とは本来、投資先について、じっくり調べたうえで、行うべきものだと考えられるからです。

 しかし、株式の短期保有に制裁を科し、長期保有を優遇する制度というのは、株式市場にはなじまないのではないかと思います。もともと、株式市場で売買される株式、すなわち株式公開会社の株式とは、「大衆の資金を集める」 ところに、その趣旨があるはずです。大口投資家の資金のみを集めたいのであれば、株式を公開する必要はないのであり、株式を公開しているのは、大衆の小口資金を集めて、さらに巨額の資金を調達したいからこそ、のはずです。とすれば、「大衆に、じっくり調べることを要求する」 制度 ( 税制 ) というのは、制度本来の趣旨に、沿わないのではないかと思います。



 とすれば、すくなくとも公開会社の株式については、チリやマレーシアのような税制は好ましくないのではないか、とも考えられ、金融資本の動きを規制するために、この種の制度に変更してよいのか、という疑問が、浮上してきます。

 これについては、さらに考えたいと思います。

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