当ブログの「日弁連会長選挙と、弁護士にとっての「改革」」のコメント欄
弁護士増員反対論の根拠がいくつか挙げられています。
これらの根拠について、私の意見を述べます。
(1)弁護士が増えすぎると訴訟が乱発する、について。
(2)合格者が増えて法律事務所に就職できなかった場合、オンザジョブトレーニング(OJT)を受けることができず、そのようなOJTを受けていない弁護士を利用する市民に不利益が及ぶ、について
(3)合格者が増えて就職できないと、その人たちはワーキングプアになり、社会問題化する。
(4)弁護士が増えるとモラルハザード(一般的な意味の)が生じる。不祥事が増える。
(5)弁護士が増えて競争が激しくなると、弱者救済や人権擁護活動などのお金にならない仕事ができなくなる。
私の意見は上記のとおりです。
私は増員政策を支持していますが、反論の内容によっては、( 当然 ) 増員反対論に鞍替えすることもありえます。批判などありましたら、よろしくお願いいたします。
あと、今まで見聞きした増員反対論の理由として、
(1)弁護士が増えすぎると訴訟が乱発する。
(2)合格者が増えて法律事務所に就職できなかった場合、オンザジョブトレーニング(OJT)を受けることができず、そのようなOJTを受けていない弁護士を利用する市民に不利益が及ぶ
(3)合格者が増えて就職できないと、その人たちはワーキングプアになり、社会問題化する。
(4)弁護士が増えるとモラルハザード(一般的な意味の)が生じる。不祥事が増える。
(5)弁護士が増えて競争が激しくなると、弱者救済や人権擁護活動などのお金にならない仕事ができなくなる。
というものがありました。
これらの理由は、そういわれればそういうことも起きるかもしれないし、そんなことは絶対ないとはいいきれないし、逆に絶対に起きるとも言えないし、正直言って、どうなのか私はわからないです。
弁護士増員反対論の根拠がいくつか挙げられています。
これらの根拠について、私の意見を述べます。
(1)弁護士が増えすぎると訴訟が乱発する、について。
この主張は、結論を「先取り」しています。なぜ、「増える」ではなく、「増えすぎる」・「乱発する」と表現されているのか、それが気になります。
「乱発する」と言われると、いかにも、「訴訟が増えること」が「よくないこと」であるかのような印象を与えます。
しかし、訴訟が増えるということは、「これまで弁護士に依頼する機会に恵まれなかった人々に、弁護士に依頼する機会が与えられる、ということ」にほかなりません。「訴訟が増えることそのものは、悪いことではなく、よいことである」と考える余地があります。
それでは、訴訟が増えることは、よいことなのでしょうか。悪いことなのでしょうか。この点について考えれば、
実際問題として、費用などの点で、「やむなく」「泣き寝入りしている」人々も多いと思われます。したがって、訴訟が増えることそのものは、悪いことではなく、( むしろ ) よいことである、と考えてよいと思います。
次に、上記を前提として、
「弁護士が増えると訴訟が増える」( よいこと )
「弁護士が増えすぎると訴訟が乱発する」( 悪いこと )
の相違を考えます。これは程度問題であり、「どの程度が好ましいか」は、判断が難しいと思います。私は、「この程度が好ましい」と「上から」決めてしまうのではなく、当事者 ( 市民ひとりひとり ) の選択に委ねるべきではないかと思います。そして、それこそが、「市場原理の導入」であり、「改革」ではないかと思います。
なお、弁護士が事件を受任するために「強引な」営業活動を行って、当事者が「不本意に」委任する ( 訴訟を提起する ) 羽目に陥ったりするのであればともかく、そうでないかぎりは、訴訟が増えることを、とくに問題視する必要はないと思います。
たしかに、弁護士の「強引な」営業活動によって市民が「不本意に」訴訟を提起させられることもあり得るとは思います。しかし、この弊害については、弁護士懲戒制度によって対応・抑制すれば足ります。そしてそのためにも、弁護士懲戒制度の改善が望まれます。弁護士懲戒制度の問題点については、最高裁も指摘しているところであり、早急な改善が必要だと思われます ( 「弁護士懲戒制度は不公平である」・「弁護士自治を弱めてもよいかもしれない」 参照 ) 。
(2)合格者が増えて法律事務所に就職できなかった場合、オンザジョブトレーニング(OJT)を受けることができず、そのようなOJTを受けていない弁護士を利用する市民に不利益が及ぶ、について
そもそも、法科大学院での教育は、まったく役に立たないのでしょうか。また、OJTに代わるものとして、弁護士会で ( 有料または無料の ) 講習を行ってもよいとよいと思います。
なお、どうしても旧来のOJTが必要である、ということであれば、( 私がそういう立場の弁護士なら ) 知り合いの弁護士に頼み込んで、( 無報酬、または少額の報酬で ) 「OJTとして必要な事件に」参加させていただく、などの対応をとると思います。就職せずとも、OJTは可能だと思います。
次に、利用者 ( 市民 ) の立場に立って考えてみます。市民は、依頼する弁護士の雰囲気、事務所の雰囲気などから、「事前に」ある程度のことはわかると思います。とすれば、市民にとって、とくに不利益になることはないと思います。
なお、この観点から、弁護士についての情報発信は、広く許容されるべきだと思います。「特定の方 ( 特定の弁護士 )」について言及するのは非常識である ( 実名をあげて、実体験を書いてはいけない )、という批判を「こぐま弁護士」さんからされたことがありますが、市民に情報を発信してはいけない、市民は弁護士についての情報を知る必要はない、といわんばかりの「こぐま弁護士」さんの主張は、いかがなものかと思います ( 「日弁連会長選挙と、弁護士にとっての「改革」」・「実名表記の是非と納得」・「弁護士自治を弱めてもよいかもしれない」 など参照 ) 。
(3)合格者が増えて就職できないと、その人たちはワーキングプアになり、社会問題化する。
これは ( 批判としては ) 論外だと思います。
「弁護士として」就職できなければ、「普通の労働者として」就職すればよいだけの話です。そんなことを言っていたら、「すべての業界で」参入規制を行わなければならなくなります。これは計画経済の発想であり、( 共産主義国のように ) この道を選べば、市民へのサービスの質は低下するのではないかと思います。
また、弁護士の場合、就職せず、「即」座に自分の事務所を開設して「独」立する道 ( 即独 ) もあります。
そもそも、「合格者を減らせば、合格しなかった人たちはワーキングプアになり、社会問題化する」という論理も成り立ちます ( むしろ、こちらのケースのほうが深刻だと考えるのが自然でしょう。弁護士資格を持っていないのですから ) 。司法試験を行うこと自体は、増員反対論者も肯定しているはずです。司法試験を行えば、必然的に不合格者が現れ、ワーキングプアになる可能性が生じます。したがって、
不合格者がワーキングプアになるのは「かまわない」が、
合格者がワーキングプアになることは「絶対に許されない」、
とでも考えないかぎりは、このような反論は成り立たないでしょう。スレスレの成績で合格した人の立場に立って考えれば、
不合格になるよりも、合格して弁護士になるほうがよい
のではないでしょうか。資格があれば、( 即独であっても ) 実務で能力を発揮するチャンスがあります。ワーキングプアになるとは限りません。資格がなければ、実務で能力を発揮するチャンスもありません ( 「新司法試験合格者数に関する嘆願書」 参照 ) 。
この批判は論理が破綻していると思います。したがって、これは増員反対論の根拠としては、論外だと思います。
(4)弁護士が増えるとモラルハザード(一般的な意味の)が生じる。不祥事が増える。
これについては、「弁護士業務広告について」に、私の意見を記載しています。
(5)弁護士が増えて競争が激しくなると、弱者救済や人権擁護活動などのお金にならない仕事ができなくなる。
弱者救済との関連では、「弱者にも法的救済が必要」に、私の意見を述べています。当該記事のコメント欄には、増員反対派・賛成派双方の意見が書かれています。( 私の意見よりも ) コメント欄のほうが重要だと思います。
私としては、弁護士が増えれば、弱者に有利になると思います。
現に、ブログで、法律知識を社会に発信する弁護士は増えています。これらは、弁護士の社会貢献であると同時に、( 事件の受任に向けた ) 営業活動としての側面もあるのではないでしょうか。弁護士が増えたことで、弱者が救済されやすくなっていると思います。
また、法律知識の発信そのものが、弱者保護になっていると思います。社会に法律知識が発信されることによって、( 弁護士に依頼しない場合であっても ) 対策を立てやすくなります。
次に、「弱者救済や人権擁護活動などのお金にならない仕事」に割ける時間についてですが、
たしかに、「弁護士一人あたり」でみれば減るかもしれません。しかし、弁護士の人数が増えるのですから、「弁護士一人あたり」の時間は減っても、「社会全体でみれば」減るとは限りません。つまり、
「弁護士一人あたりの活動時間」×「弁護士の人数」でみた場合には、
「弱者救済や人権擁護活動などのお金にならない仕事」に割ける時間が増える、
( したがって、社会全体では有益な結果になる )
という可能性が考慮されていません。
この可能性をも考慮したうえで反論しなければ、これは、増員反対論の根拠とはなり得ません。
私の意見は上記のとおりです。
私は増員政策を支持していますが、反論の内容によっては、( 当然 ) 増員反対論に鞍替えすることもありえます。批判などありましたら、よろしくお願いいたします。