言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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軍事力を伴わない世界覇権はあり得ない

2011-10-31 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.93 )

萱野 空間支配という点で人類はもはや行き着くところまで行ってしまったとすれば、ポスト・アメリカのヘゲモニーの問題も、これまでのように別の国家へと移動するだろうとは単純にはいえなくなってきますよね。
 これまでは世界資本主義のヘゲモニーが移動するときは、より大きな軍事的支配力をもつ国家に移動してきました。海洋技術で先んじたオランダから、その後に世界の海を支配したイギリス、そして世界の空を支配したアメリカへ、というかたちです。いずれも、より強い軍事力のもとで有利な交易条件が維持されてきたわけです。だからこれまでのパターンからすれば、前の覇権国よりも軍事的に強大な国でなければヘゲモニーを確立できない、ということになるんですが。

水野 しかし、すでに議論したように、軍事的な空間支配は宇宙までいくと経済的なヘゲモニーとは一致しなくなりますよね。

萱野 そうなんです。だから今後、アメリカよりも軍事力のある国家がでてきて、アメリカのヘゲモニーがこれまでのようにその国家へと移動するとは単純には考えられません。それに、たとえ軍事力が依然として重要な要素でありつづけたとしても、アメリカよりも軍事的に強い国家は今後しばらくはあらわれそうにありませんし。

水野 基軸通貨という点ではドル対ユーロの戦いがくり広げられていますが、軍事力という点でみるとEUもまだ力不足ですしね。たしかにユーロ軍構想はすすんでいますが、まだまだアメリカ軍のほうが圧倒的です。
 EUのほかにヘゲモニーを握るとすれば中国だと思いますが、萱野さんはその可能性があるとお考えですか。

萱野 まったくないとは思いませんが、可能性は低いんじゃないでしょうか。
 実際、金融危機までのバブルでふくらんだ金融資産が現在中国に投資され、それによって中国はものすごい勢いで経済成長をしていますが、最終的にはその資本を自分でコントロールできなければ、中国はヘゲモニーを確立することができません。そのためにはアメリカに拮抗するだけの軍事力も必要となる。そうなると、アメリカと中国のあいだでヘゲモニーをめぐって場合によっては血みどろの戦争になるというシナリオもありえますが、そうなれば多分世界が終わってしまうでしょう。
 だからありうるシナリオは、ヘゲモニーと工場が分離するというものです。これまではヘゲモニーをもつ国は同時に世界の中心的な生産拠点でもありました。しかし今後はそれが分裂して、中国やインドが世界の工場になるけれども、資本をコントロールしたり、世界経済のルールを定めたりして、中国やインドの成長の余剰を吸い上げるのは別の地域になる可能性がある。経済成長をして高い利潤率をうみだす地域と、世界資本主義をマネージする地域が分離するということです。
 そうしたシナリオがありうるとすれば、今後はアメリカとヨーロッパの連合体が軍事と金融を牛耳って世界経済のルールを定め、中国の経済成長の果実を吸い上げるというシステムになるんじゃないでしょうか。個人的には中国がヘゲモニーをもつより、こちらの可能性のほうが高いんじゃないかと思います。水野さんはこの問題にかんしてどのようにお考えですか。

水野 たしかに中国はアメリカのヘゲモニーをそのまま奪い取るような力はまだありません。そういう意味では、実現性が高いのは後者のシナリオだと思います。おそらく中国がアメリカやEUから何らかの見返りをもらって、バランスを取る。それで満足するということになると、いよいよG3の時代がくるんですかね。


 今後の世界経済について考えると、覇権がアメリカから移動するとは考え難い。中国やインドなど、アジア地域が急速な経済成長を続け、アジアで生み出された利潤を欧米が吸い上げるシステムになるのではないか、と書かれています。



 まず、著者らの発想「軍事的な空間支配は宇宙までいくと経済的なヘゲモニーとは一致しなくな」る、は「おかしい」と思います。なぜこれが「おかしい」かは、すでに「宇宙は次の平滑空間たりうるか」で述べています。

 次に、萱野さんの「たとえ軍事力が依然として重要な要素でありつづけたとしても」という発想も、「おかしい」と思います。どう考えてみても、軍事力は重要な要素であり続けるはずです。これは、軍事力と経済力が分離している状況を考えてみればわかります。いま、圧倒的な軍事力をもつ国Aと、圧倒的な経済力をもつ国Bがあるとします。このとき、どうなるでしょうか? 軍事大国Aは、経済大国Bに「これまで借りた借金はなかったことにしろ」であるとか、「もっとカネを寄越せ」などと脅すことが可能になります。経済大国Bとしては、軍事大国Aの要求を拒否すれば、軍事的に侵略され、男は殺され、女は強姦されてしまうかもしれず、従う以外に方法がありません。つまり、軍事力を伴わない経済力は、本当の経済力とはいえないのです。

 とはいえ、萱野さんの「アメリカよりも軍事的に強い国家は今後しばらくはあらわれそうにありません」という現状理解は、正しいと思います。



 しかし、現在中国は猛烈な勢いで軍拡を続けています。中国は空母を持つために、着々と準備を進めています。「今後しばらくは」アメリカよりも軍事的に強い国家が現れないとはいえ、「長期的にみれば」どうなるかわかりません。

 また、中国の経済力についてみれば、
金融危機までのバブルでふくらんだ金融資産が現在中国に投資され、それによって中国はものすごい勢いで経済成長をしていますが、最終的にはその資本を自分でコントロールできなければ、中国はヘゲモニーを確立することができません。
とはいうものの、中国は少しずつ、利潤の一部を蓄積しています。したがって「長期的にみれば」中国は資本を自分でコントロールする能力をもつ、と考えられます。

 したがって中国がアメリカに対抗しうる軍事力・経済力をもつ日が来ないともかぎらない、と考えなければなりません。もちろんこれは、「超マクロ展望」のレベルでみれば、の話です (この本のタイトルは『超マクロ展望 世界経済の真実』です) 。

 短期的には、「いよいよG3の時代がくる」という可能性も十分に考えられると思います。



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司法修習生の給費制問題の解決策

2011-10-29 | 日記
 私は、司法修習生の給費制を維持することには反対です。なぜ、国が「民間業者」である弁護士を、国費で、しかも給与まで支払って養成しなければならないのか、と疑問を感じるからです。

 司法修習生のなかには、裁判官や検察官(すなわち公務員)になる人々もいますが、圧倒的大多数は弁護士になります。したがって、
「すべての」司法修習生に、すなわち司法修習生の「全員」に、給与を支給すべきだと主張する給費制維持論には、問題がある
と思います。実際、給費制維持の根拠とされるものを(私なりに)検討してみましたが、どれもこれも、説得力に欠けると思います。



 しかし、給費制維持論の根拠には、「多少の」合理性があることも否定しきれません。「すべての」司法修習生に対し、給与を支給すべきだという根拠としては説得力に欠けるものの、「多少は」給与を支給してもよいのではないか、とも考えられます。

 すなわち、「すべての」司法修習生に対し、「2、3万円程度は」支給してもよい、とも考えられるということです。



 ここで、「月に2、3万円程度」の支給では、支給の意味がないのではないか、とも考えられます。

 しかし、司法修習生のなかには、裁判官や検察官(すなわち公務員)になる人々もいます。もともと、給費支給に問題があるのは、「司法修習生のうち、弁護士になる人々」に対する支給です。

 そこで、この問題(司法修習生の給費制問題)の解決策として、次の方法を提案します。



★私の提案
 「司法修習生のうち、裁判官または検察官になる人々の割合」と、「弁護士になる人々の割合」に応じ、国と弁護士会とが、費用(給与)を分担して負担する


 この方法は、国の負担についても、弁護士会の負担についても、それぞれ合理的な理由があり、解決策として妥当だと思います。



 私の提案に対しては、(弁護士になったあとで)競争相手になる可能性のある司法修習生に、なぜ、弁護士は給与を支給しなければならないのか、といった批判がなされましたが、

 弁護士になる司法修習生にも「国が」給与を支給する場合には、弁護士は、国費で養成され、しかも国から給与までもらって勉強させてもらった新人(元司法修習生)を採用できる、ということになります。これは、他の民間事業者が新入社員に対し、「自己の負担で」養成費用を支払い、かつ、給与まで支払っていることに比べ、弁護士に有利である、といえます。

 これでは、他の民間事業者と、(自営業者である)弁護士とのバランスがとれません。



 また、私の提案に対しては、ライバルの法律事務所に就職するかもしれない司法修習生の給与を、なぜ、(既存の)弁護士は負担しなければならないのか、といった批判もなされましたが、

 逆に、ライバルの法律事務所の負担で養成された弁護士を、自分の法律事務所で採用できる、ということを忘れてはならないと思います。

 つまり、私の提案は、「弁護士全体」(弁護士会レベル)でみて、バランスがとれていると思います。



 すくなくとも司法修習生にとっては、「全額が」国から支給されようが、「一部が」国から「一部が」弁護士会から支給されようが、どちらであっても構わないはずです。もちろん自分が修習生である間は給与がほしいが、自分が弁護士になった暁(あかつき)には給与を負担したくない、といった主張はあり得ますが、それは論外です。

 また、弁護士(会)にとっては、新たな費用負担が発生することになりますが、他の民間事業者とのバランスを考えて、「負担してもよい」という判断も、あってしかるべきだと思います。「お金持ちしか法律家になれなくなる」と主張し、給費制維持論を展開なさっておられる弁護士の先生方には、ぜひとも、「お金持ちしか法律家になれなくなる」ことを避けるために、「自分達も一部を負担しよう」というご判断をしていただきたいと思います。すくなくとも、私の提案の是非について、検討はすべきだと思います。

 「国に」給与を支給しろ、と主張はするが、「(自分達)弁護士は」負担しない、という態度は、「おかしい」と思います。



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 「司法修習生の給費制維持論は根拠が弱すぎる
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司法修習生の給費制維持論は根拠が弱すぎる

2011-10-27 | 日記
 このブログは政治・経済全般をテーマとしています。司法制度改革、司法修習生に対する給費制の是非は、政治テーマのひとつ、という位置づけです。したがって司法修習生に対する給費制の是非(または貸与制の是非)ばかりを取り上げたくはないのですが、

 この際、給費制維持の根拠として主張されているもの(このブログのコメント欄等に出てきたもの)について、私の意見を簡潔にまとめておきます。

 なお、私は給費制に反対しています。私がなぜ給費制に反対しているのかについては、「私が司法修習生の給費制に反対する理由」をお読みください。



一、お金持ちしか法律家になれなくなる

 これは給費制維持の根拠にならないと思います。お金持ちしか医師になれなくなるのは、かまわないのですか? お金持ちしか研究者になれなくなるのは、かまわないのですか? と問いたくなります。
 そもそも、「お金持ちでなくとも法律家になれる」ルートが制度的に用意されています。したがって、「お金持ちしか法律家になれなくなる」というわけではありません。
 日弁連には国民全体でみてどうか、制度全体のバランスからみてどうか、という観点から主張していただきたいと思います。法律家(全体)の利益「のみ」を重視しているかのような主張は、いただけません。また、「お金持ちでなくとも法律家になれる」方法があることを(おそらく意図的に)言わず、「お金持ちしか法律家になれなくなる」などと主張するのも、どうかと思います。



二、司法修習生はどうやって暮らしていけばよいのか

 これは、いままで支給されていた給費(つまり給与)が廃止されると、司法修習生は暮らしていけなくなる。したがって司法修習生には給与を支給すべきだ、という主張なのですが、
 これも給費制維持の根拠にならないと思います。給費制を廃止する場合、相当額が「無利子」貸与されることになっており、司法修習生が暮らしていけなくなる、などといったことはありません。



三、司法修習生には、労働者としての側面もある

 これは司法修習生は「補助的な業務」を行っている、したがって修習生には給与を支給すべきだ、という主張なのですが、
 この主張をなさった方によれば、「補助的な業務」といえるのは司法修習のうち「検察修習の2か月間のみ」だとのことです。つまり司法修習の「ごく一部」については、「補助的な業務」であるといえるから「修習生には給与を支給すべきだ」という主張です。
 しかし、このような主張は「おかしい」と思います。全体の「ごく一部」が「補助的な業務」であるので、司法修習の「全期間」について給与を支給しろ、といった主張が「おかしい」ことは、あきらかだと思います。



四、研修医とのバランスがとれない

 これは研修医と同様、司法修習生にも給与を支給すべきである、という主張なのですが、
 研修医は医師資格をもった医師であるのに対し、司法修習生は法曹資格をもった法律専門家ではありません。医師資格をもっている研修医と、法曹資格をもっていない司法修習生とを比較し、両者を同様に扱わなければバランスがとれない、などといった主張が「おかしい」ことは、あきらかだと思います。司法修習生の修習は、研修医の研修ではなく、(医師資格をもたない)医学部学生の臨床実習に相当する、と考えるのが自然です。
 したがって、これも司法修習生に給費(給与)を支給する根拠になりません。



五、司法修習は民間企業のOJTに相当する

 これは司法修習生が一人前ではないことを認めたうえで、民間企業においては一人前でなくともOJTの際には給与が支給されているではないか。したがって司法修習生にも給与を支給すべきである、という主張なのですが、
 この主張に対しては、司法修習生の圧倒的大多数は弁護士になるにもかかわらず、なぜ、「国が」司法修習生に給与を支給すべきなのかという疑問が生じます。
 この主張の趣旨に即して(私なりに)考えれば、「裁判官または検察官になる修習生」と「弁護士になる修習生」の割合に応じ、前者については「国が」、後者については「弁護士会が」給与を支給すべきである、ということになると思います。
 このような「国」と「弁護士会」との給与分担制であれば、私は問題なく認められると思います。



六、司法修習生は「拘束」されている

 この主張は、「国が」司法修習生を「拘束」している以上、「国が」司法修習生に給費を支給すべきである、というものです。なお、この主張をされた方(おそらく司法修習生)によれば、「拘束」とは「指揮・命令・監督配下にある」ことを指す、とのことです。
 たしかに、修習にはそのような側面があることは否定しえないとは思いますが、これは「法曹資格をもたない」司法修習生が「現場」で修習するうえでの「当然の制約」だと思います。このような「当然の制約」をもって、制約の対価として給与を支給しろ、自由侵害の代償として対価を給付しろ、といった主張をすることは「おかしい」と思います。
 つまりこれも、司法修習生に対する給与支給の根拠にはならない、と私は思います。そもそも、「そんなに司法修習が嫌なのであれば、司法修習生は給与の支給ではなく、司法修習の廃止を主張すべき」だと思います。



 さて、上記のような「根拠にならない」または「根拠として弱い」理由をもって、司法修習生には給与を支給すべきだ、と主張されていることそれ自体が、給与の支給は「おかしい」のではないか、という印象を与えます。つまり、修習生に対する給与支給には「もともと合理的な根拠がない」ので、利害関係をもつ人々が「無理して根拠をさがしだそうとしている」といった感じがします。

 もしも、利害関係をもつ人々が「もともと合理的な根拠がない」にもかかわらず、利権(?)維持のために根拠をさがしだそうとしているのであれば、やめたほうがよいでしょう。また、そうではなく、(給費制維持を主張する人々が)本当に給与支給には「合理的な根拠がある」と考えているのであれば、上記に記載したような、「おかしな」根拠は主張しないほうがよい、と思います。「もともと合理的な根拠がない」ので、「無理して根拠をさがしだそうとしている」のではないか、といった疑いをまねくからです。



 なお、これまで(私なりに)検討してきた上記「給費制維持の根拠」とはやや異なった主張も、当ブログのコメント欄でなされました。

 以下では、その主張を(私なりに)要約しつつ紹介し、その是非を考えたいと思います。



七、総合得点方式で考えるべきである

 この主張の要点は、上記「給費制維持の根拠」はすべて、「単独では給費制維持の根拠にならない」ことを認めつつも、「それらを合計すれば根拠になる」というものです。
 わかりやすくいえば、「お金持ちしか法律家になれない」という要素で、40点獲得。「司法修習生には、労働者としての側面もある」という要素で、20点獲得。「研修医とのバランスがとれない」という要素で、10点獲得。「司法修習は民間企業のOJTに相当する」という要素で、40点獲得。このようにして、「合計で100点を超えれば、給費制維持の根拠として十分である」という主張です。

 たしかに、個々の要素を「総合的に」考えるべきだとは思います。この点には同意します。しかし、なぜ「足し算」をするのでしょうか? この論法の問題点は、この「足し算」にあります。

 なぜ「足し算」がおかしいのか。

 それは、問題を「給与を支給すべきか」(給費制を維持すべきか)ではなく、「給与を支給すべきでないか」(給費制を廃止すべきか)に置き換えればわかります。

 上記論法によって、「お金持ちしか法律家になれない」という要素で、40点獲得。「司法修習生には、労働者としての側面もある」という要素で、20点獲得。「研修医とのバランスがとれない」という要素で、10点獲得。「司法修習は民間企業のOJTに相当する」という要素で、40点獲得。このようにして、「合計で100点を超えた」としましょう。

 しかし、問題を「給与を支給すべきか」(給費制を維持すべきか)ではなく、「給与を支給すべきでないか」(給費制を廃止すべきか)に置き換えれば、

 「お金持ちしか法律家になれない『とはいえない』」という要素で、60点(100点-40点)獲得。「司法修習生には、労働者としての側面もある『とはいえない』」という要素で、80点(100点-20点)獲得。「研修医とのバランスがとれない『とはいえない』」という要素で、90点(100点-10点)獲得。「司法修習は民間企業のOJTに相当する『とはいえない』」という要素で、60点(100点-40点)獲得。したがって、「合計で100点を超えた」ので「給与を支給すべきではない、給与を支給してはならない」ということになります。

 さて、上記論法によって、「給与を支給すべきである」(=給費制を維持すべきである)という結論と、「給与を支給すべきではない、給与を支給してはならない」(=給費制を廃止すべきである)という結論、両方が導かれました。どちらの結論が正しいでしょうか? 答えは「あきらか」です。正しいのは「給与を支給すべきではない、給与を支給してはならない」です。

 もともと、「50点に満たない」要素を次々に「足し算」して100点を超えたところで、その主張(政策)が「正しい」とはいえないはずです。総合的に考えることは重要だと思いますが、「総合的に考える」イコール「足し算」ではないと思います。



 結論としては、司法修習生に対する給費制(給与支給制)を維持すべきだとする根拠は、すべて「根拠にならない」または「根拠というには弱すぎる」ということになります。



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私が司法修習生の給費制に反対する理由

2011-10-26 | 日記
 司法修習生に給費(給与)を支給すべきか否かについて、(私の)意見を明確にしろ、という指摘を受けました。いい機会だと思いますので、私の意見を簡潔に述べます。


 私が給費制(給与支給制)に反対する最大の理由は、なんといっても、やはり
なぜ、民間の事業者(自営業者)である弁護士を、国のお金で養成しなければならないのか
という疑問を感じていることです。

 司法修習生は「実質的には」学生ですが、修習生のうち、裁判官や検察官になる人々については、給与を支給することに問題はないと思います。これらの人々に対する支給は、たとえば防衛医大が授業料を徴収せず、給与を支給していることと同様に、「認められる」と思います。

 ここで私のいう「認められる」とは、給与支給等を行う必要はないが、給与支給を行ってもよい(認めてもよい) 、という意味です。



 しかしながら、弁護士になる人々については、給与を支給することに「どうしても疑問を感じてしまう」のです。

 弁護士の活動には公益性があり、(修習生に)給与を支給することに問題はない、といった考えかたも「あり得る」とは思います。実際に、「金儲け」ではなく、「公益」を第一に考えて活動している弁護士さんもいらっしゃることと思います。

 しかし、残念なことに、その逆の弁護士さんもいらっしゃるのです。「金儲け」または「自分の収入」に関心がいってしまう弁護士さんです。弁護士が金儲けしてはならない、であるとか、弁護士が自分の収入を気にしてはならない、とまでは言いません。けれども、たとえば「あそこの弁理士は~~億稼いでいる。俺ももっとがんばらなければ」といった考えかたをされる弁護士さんもいらっしゃるわけです。私に対して、このように言った弁護士さんが現にいるのです。

 「おかしい」と思いませんか? 国費で養成してもらっておきながら、しかも国から給与を受け取りつつ勉強させてもらっておきながら、上記のようなことを言った弁護士さんがいるのです。単位は「億」ですよ! 億!

 私の気持ちとしては、「こんなにたくさん収入はいらない。自分がゆとりをもって生活できるレベルの収入は得た。もう十分だ。これからは、国民のため、社会のために、お金にならない仕事をたくさんしよう」と思ってほしいわけです。



 弁護士も自営業である以上、「金儲け」をするな、とまでは言いません。しかし、自営業者である弁護士を、なぜ、国のお金で養成しなければならないのか、なぜ、弁護士になろうとしている司法修習生に、給与まで支払わなければならないのか、という疑問は、どうしても感じるのです。



 私は、司法修習生に対する給費制(給与支給制)維持を主張されている弁護士さんや、司法修習生の主張(根拠)を「私なりに」考えてみましたが、それらは「根拠にならない」というか「根拠として弱い」と(私は)思います。私がなぜ「根拠にならない」または「根拠として弱い」と考えるのかは、文末に記載している関連記事をお読みください。



 なお、私は最初、このブログで給費制維持を主張していました。いままで支給されていたものが「なくなる」と、修習生が「かわいそう」だと思ったからです。私は「なにがなんでも給費制反対・貸与制移行」だと考えているわけではありません。異論・反論も歓迎しています。なにかあれば、ぜひコメント欄に書き込んでください。もちろん批判も歓迎します。

 ただし、私の「意見を変えさせよう」であるとか、「意見を変えないならブログの読者にブログ主の意見は『おかしい』と思わせよう」といった意図にもとづくコメント、すなわち「「特殊な目的」を伴うコメント」はお断りします。これは利害関係をもつ人はコメントするな、ということではありません。あまりに執拗に、延々と「特殊な目的」でコメントを書き続けることはやめてください、ということです。

 なお、当ブログは「コメントの事後承認方式」を採用しています。「特殊な目的」を伴うコメントは削除します。



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宇宙は次の平滑空間たりうるか

2011-10-24 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.87 )

萱野 では、アメリカのヘゲモニーにおける空間支配の特徴はどのようなところにあるのでしょうか。今度はそれを考えていきたいと思います。
 「海の国」イギリスからアメリカに覇権が移ったときの新しさは、海ではなく空という空間が世界を制するための決定的なエレメントになったというところにあります。第二次世界大戦以降、空から爆弾を落とすことが軍事的勝利のためにはもっとも重要になりました。それはいまでも変わりません。湾岸戦争でもイラク戦争でも、最初にまず空爆をして、そのあとに地上戦にいくわけですよね。
 だから、世界的なヘゲモニーを確立するためには、空を軍事的に制することが不可欠となった。そこから生まれてきたのが無差別爆撃という戦略です。これはゲルニカ爆撃からはじまって重慶爆撃、東京大空襲、広島・長崎の原爆投下、というかたちで拡大してきました。
 そして第二次世界大戦が終わると、今度はさらに宇宙へと空間支配の範囲が広がっていく。まずソ連が一九五七年に大陸間弾道ミサイルの開発と人工衛星の打ち上げに成功します。その後、ソ連は世界初の有人宇宙飛行に成功し、アメリカはそれを追って一九六九年に人類初の月面着陸を成功させます。ライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功したのが一九〇三年ですから、人類ははじめて空を飛んでからわずか六六年で月までいってしまったんですね。それだけ空と宇宙の開発競争がすさまじかったということです。
 この意味でいうと、二〇世紀は空の時代です。アメリカのヘゲモニーはこの空という空間の制覇のうえに確立されました。海から空へ。これがアメリカのヘゲモニーにおける第一の特徴だと思います。

水野 海から空に、平滑空間がさらに外へと移動したんですね。

(中略)

萱野 ただ、空間支配の場所が空へと移ることで、これまでとは違う問題もでてきます。空がこれまでの海と違うのは、宇宙までいってしまうと有利な交易条件をもたらしてくれるようなものが何もないという点です。

水野 宇宙にいって陸地の獲得はできないわけですね。

萱野 そう。海だったら植民地の獲得ということにつながりますけれども、いくら宇宙にいっても……。

水野 火星人と貿易できるわけじゃないし(笑)。宇宙に資源がないかぎり、宇宙での軍事的ヘゲモニーと経済のヘゲモニーはむすびつかないでしょう。火星かどこかに利用可能な資源があれば、それを開拓して地球にもってくることで、宇宙の支配と経済の支配は一致するかもしれません。でも、仮に宇宙タンカーができたとしても運搬コストの面で採算があわないでしょう。

萱野 だから、アメリカは空を制することでヘゲモニーを確立してきたんですが、それが宇宙にまで拡大してきたときに、はたしてその支配が経済的なルール策定につながるかどうかは疑問がある。
 それに宇宙ということでいえば、そもそも宇宙を軍事的に支配できるのか、という点についても議論の余地があります。なぜかというと、宇宙ではさすがにもう戦争は起こせないでしょうから。たとえば中国はいまものすごい勢いで宇宙開発をやっていて、北朝鮮の核開発なんかよりもじつはよっぽど世界的にはインパクトがある。中国は衛星打ち落とし実験なんかもやっていますよね。

水野 やっていましたね。

萱野 あれはけっこう恐ろしいことですよね。宇宙空間を力ずくで支配するような行動がエスカレートすれば、宇宙から核爆弾がどんどん落っこちてくるような戦争になってしまい、それこそ人類は滅亡します。そんな戦争を起こせないのであれば、宇宙を軍事的に支配するようなことは結局できないのではないか。
 だからどちらにしても、いまの宇宙開発競争が経済的なルール策定へと転化することはむずかしい。イギリスが海でおこなったようにはいかないということです。

水野 ということは、宇宙支配をめぐっては、だんだんそのインセンティブがなくなってきているということなんですかね。それとも宇宙開発には経済的支配とは別のインセンティブが働いているのでしょうか。

萱野 かつてほどそのインセンティブはないんじゃないでしょうか。一九八〇年代にアメリカが計画した戦略防衛構想も、冷戦終結とともになしくずし的に中止されちゃいましたし、それ以降、宇宙開発への大きな構想は立ち上げられていませんから。


 宇宙が次の「平滑空間」(世界覇権を決定づける重要な新しい空間) になることは、経済的にみても、軍事的にみても、考え難い、と書かれています。



 「平滑空間」とは「世界覇権を決定づける重要な新しい空間」を指します。詳しい内容については、「「条里空間」と「平滑空間」」をご覧ください。



 さて、著者らは、イギリスが(当時の)平滑空間である海を支配することで世界覇権を握り、その後にはアメリカが(当時の)平滑空間である空を支配することで、イギリスから世界覇権を奪った、という歴史をもとに、

 次の平滑空間は宇宙であるか否か、について議論しています。

 著者らの結論は、宇宙までいってしまうと、
  1. (宇宙人との)貿易も、(宇宙に)植民地をつくることも考えられない。宇宙に資源でもないかぎり、経済的な意味はない。したがって経済的にみれば、宇宙が次の平滑空間であるとは考え難い。
  2. また、宇宙支配をめぐって戦争になれば人類が滅亡してしまうので、そのような戦争は起こせない。したがって、軍事的にみても、宇宙が次の平滑空間であるとは考え難い、
というものです。

 以下では、簡潔に、著者らの結論が「おかしい」ことを示します。



 まず、経済的側面についてですが、

 著者らは重要な事実を見落としています。それは「宇宙には資源がある」という事実です。
水野 火星人と貿易できるわけじゃないし(笑)。宇宙に資源がないかぎり、宇宙での軍事的ヘゲモニーと経済のヘゲモニーはむすびつかないでしょう。火星かどこかに利用可能な資源があれば、それを開拓して地球にもってくることで、宇宙の支配と経済の支配は一致するかもしれません。でも、仮に宇宙タンカーができたとしても運搬コストの面で採算があわないでしょう。
 水野さんは運搬コストの面でも宇宙支配は経済的利益に結びつかない、とお考えのようですが、

 この点も問題ありません。なぜなら、火星まで行かずとも、地球のすぐそばにある「月」に行けばよいからです。月には、地球では貴重な資源が大量に存在しているといわれています。

 したがって、宇宙開発と経済的支配とが結びつく可能性は、十分にあります。



 次に、軍事的側面についてですが、

 重要なのは「宇宙支配をめぐって戦争を起こせるか否か」ではありません。このことは、これと同種の問題「核兵器を実戦で使えるか」を考えてみればわかります。

 核兵器を使えば、(核兵器で)報復される恐れがあるから「核兵器は実際には使えない」。この議論には説得力があります。しかし、こちらが核武装していなければ、(相手にしてみれば)報復される恐れがないから「核兵器は実際に使える」ということになります。

 これと同様に、宇宙支配をめぐる戦争が考え難いからといって、宇宙の軍事的支配が重要になることはあり得ない、といった考えかたが成り立たないことは、あきらかです。

 軍事衛星を打ち上げていない国は、軍事衛星を打ち上げている国に比べ、圧倒的に不利であることからも、このことはあきらかだと思います。



 したがって、経済的にみても軍事的にみても、宇宙が次の平滑空間になりうる可能性は「かなり高い」と考えるのが自然だと思います。



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