言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

原発が「絶対に安全」だとすることの弊害

2011-04-18 | 日記
YOMIURI ONLINE」の「米国製ロボット、水素爆発の建屋内を調査」( 2011年4月18日01時28分 )

 東京電力は17日、遠隔操作できる米国製ロボット2台を使い、福島第一原子力発電所1、3号機の原子炉建屋内の調査を開始した。

 水素爆発が起きた両号機で、原子炉建屋内を調べるのは初めて。

 米アイロボット社から提供を受けたロボットは、放射線量などの測定器を備えている。作業員は建屋の外で、ロボットのカメラが撮影した映像を見ながら遠隔操作。ロボットはアームで建屋の扉のハンドルを回して内部に入った。

 前日、作業員が1号機原子炉建屋の扉のガラス越しに放射線量を測定したところ、毎時270ミリ・シーベルトだった。東電は、ロボットが計測した放射線量などのデータを精査中で、作業員が建屋内にどれくらいの時間、滞在できるかを判断する。


 東京電力がロボットを使い、原子炉建屋内の調査を開始した、と報じられています。



 「被災地での復興・救助活動にロボット投入」という方向性はすでに示されていましたが、ただちに調査が始まらなかったのは、

   「操作訓練」に時間がかかった

ということなのかもしれません。慣れない機械 (ロボット) ですから、やむを得ないと思います。



 しかし、ここで問題にすべきは、「なぜ、米国製なのか」です。



HONDA 本田技研工業株式会社」の「HUMANOID ROBOT SITE



 上記ホームページを見るまでもなく、

 日本にも、ホンダのASIMOがあることは (おそらく) 誰でも知っています。

 これは週刊誌で読んだのですが、本田のASIMOは「放射線対策」がなされていなかったらしいのです。つまり、放射線で「回路が正常に作動しない可能性がある」ということらしいです。

 だから日本のロボットは使えなかった。

 とすれば、なぜ、日本では「万一の場合」に備えて、ロボットに放射線対策を施していなかったのか (原発用ロボットを用意していなかったのか) 、が問題になります。



 これはおそらく、「需要がない」からでしょう。国なり、電力会社なりが、「万一の場合」に備えて「用意しておくべきだった」が、放射線対策を施したロボットの「需要=注文がなかった」ということだと思います。

 ここには、原発は「絶対に安全」です、とすることの弊害が現れています。

   いったん、「絶対に安全」だということになれば、
    「万一の場合」に備えた「対策」は取れなくなる

のです。「万一の場合」が「想定外」になってしまうのです。



 私が「「絶対に安全」はありえない」述べているように、原発は

   「絶対に安全」ではないが、
   「ほぼ確実に」安全です、

と言っていれば、「きわめて低い可能性だが、事故になる場合もありうる」ということになり、

   「万一の場合」に備えて、
   放射線対策を施したロボットを用意しておく

という道がひらけます。



 このように考えれば、「絶対に安全」です、などと言わずに、

   「絶対に安全」はありえない

と認めることが、(今後、原発を推進するなら) 重要なのではないかと思います。



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「絶対」を強調するときには、何か裏がある

2011-04-18 | 日記
 今日の記事、「「絶対に安全」はありえない」を書いていて思いましたが、

   世の中に「絶対」はありえない

ことを考えると、

   「絶対」を強調するときには、何か裏がある

と考えてよいのではないかと思います。



 原発の「絶対に安全です」の場合には、

   「本当は絶対に安全ではありません」が、
   「絶対に安全だと思わせたい」

という裏の意味 (本当の意味) が隠されているわけです。



 同様に考えれば、湯山弁護士による、「(私=memo26が) 絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」の場合には、

   許されないことは何もしていないが、
   許されないことをしたと思わせたい

という裏の意味 (本当の意味) が隠されているのではないか、と考えられます。

 このように考えれば、湯山弁護士の態度、すなわち、

   ( 私=memo26 は )
   「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」ので、

   「誰にも言わないほうがいいと思う」

と、私がアドバイスを求めていないにもかかわらず、アドバイス(?)をしたり、

   ( 私=memo26が )
   「それでは警察に行って自首しようと思いますが、
           かまいませんか?」と尋ねた際に、

   湯山弁護士が
   「警察に行く必要はない」の一点張り

だったことも、説明がつくと考えられます。

 要は、「黙らせたい」のではないか、ということです。

 もちろんこれは私の「推測」にすぎませんが、湯山弁護士が「教えてくれない」ので (私は)「推測」するほかありません。



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「絶対に安全」はありえない

2011-04-18 | 日記
武田邦彦 (中部大学)」の「原発深層流003 危険な原発・登場の瞬間

私はかつて原子力エネルギーに夢を持っていました。

日本は資源が少ない国でしたが、技術は世界一ですから、何とかして技術力で日本人が豊かな生活ができるようにと思ったのです.

(中略)

そんな私の夢が大きく崩れたのが平成18年でした。この年の9月、原子力安全委員会は次のような耐震設計の審査基準を出しました。

この指針は旧指針と呼ばれた昭和56年の指針を改定するのですから、全体としては優れたものだったのですが、一つ、大きな欠点がありました。

それは、それまで「原発は絶対に安全に作る」というのが基本だったのですが、どうも大きな地震が来ることもあって、「想定外」のことが起こる場合、それを「残余のリスク」という言葉で処理しようという事になりました。

「安全な原発を作る事ができるのに、不安全な原発を作れる言葉」を役人が発見したのです。

つまり、「残余のリスク」という聞き慣れない言葉の登場です。

それまでの考え方=「絶対に安全」、というのもやや矛盾するところがあるのですが、かといって、電力会社が「災害の想定」を行って、それより大きな場合は、「仕方が無い」ということで「大量の放射性物質が漏れ」、その結果「付近住民が著しい被ばくをする(説明書にある)」というのは到底、納得できません。

(中略)

こんな奇妙な指針ができたのは、推定ですが経産省が原発の安全性の責任を持ち、安全院なるものを作ったからと思います.

1)
原発は推進したい、

2)
でも事故が起こったときには責任はとりたくない、

3)
自分の任期の間には地震は起こらないだろう、

というのが役人の考えだからです.

(中略)

福島原発は「方針どうりの結果」で、「想定外だから、大量の放射線がでて何が悪い」というのが保安院の態度に出ています.また、知事さんも市長さんもこのことはご存じです.

もし、電力会社の社長さん、知事さんが自ら「自分のところの原発は不安全だ」と宣言して、情報を出し、地元に説明をしたら、これからの日本は繁栄し、安全な社会になるでしょう。

その点で、今は正念場です.


 原発は、「絶対に安全に作る」こととされ、「(原発は) 絶対に安全」とされていた。しかしその後、「残余のリスク」という言葉が「発見」され、「不安全な原発」を作れることになった。このことは役人も電力会社社長も知事も知っている、と書かれています。



 原文 (リンク先) には本や書類の「文字画像」があり、文書の重要な一部分となっています。私は、文字画像 (…の部分) は引用していませんので、リンク先を直接お読みになられることをお薦めします。



 そもそも、世の中に「絶対」ということはありえないと思います。もともと「絶対に安全」などということはありえないのであり、それにもかかわらず、なぜ、「絶対に」安全だと強調したのか、が問われなければなりません。

 その答えは、すでに上記引用のなかに書かれています。つまり、「不安全」だからです。

   原発は「安全ではない」ので、
     地域住民の反対運動が起こる。

   しかし、それでは「原発を作れなくなる」ので、
    「絶対に」安全です、と主張する。

こういう構図です。



 要は、リスク評価の問題だと思います。

 「絶対に」安全ではないが、「ほぼ確実に」安全である。「ほぼ確実」のレベルを高くすればするほど、安全度は高くなる。しかし、それにはコスト (費用) がかかる。「めったに起きない」状況に備えて「安全対策」をとることも可能だが、それにはコスト (費用) がかかる。そしてまた、どんなにコストをかけて「安全対策」を行ったところで、「絶対に安全」にはならない。たんに、「ほぼ確実」のレベルが高くなるだけである。

 上に述べたことを「もっとわかりやすく」書くと、

   安全度90%の原発に安全対策をすれば、
   安全度99%の原発になる。
   しかし、「絶対に安全」ではない。
      ( =安全度100%ではない )

   安全度99%の原発に安全対策をすれば、
   安全度99・99%の原発になる。
   しかし、「絶対に安全」ではない。
      ( =安全度100%ではない )

   安全度99・99%の原発に安全対策をすれば、
   安全度99・9999%の原発になる。
   しかし、「絶対に安全」ではない。
      ( =安全度100%ではない )

となります。



 どんなにがんばっても、「絶対に安全」にはならない。たんに「安全度」が上がるだけである。「安全度」を上げるに越したことはないが、それには「費用」がかかる。費用をかければかけるほど、電気料金が高くなる。したがって、「ある程度の安全度」で「妥協」せざるを得ない。

 こういったことを地域住民に言ったところで、おそらく「わかってくれない」。したがって、「絶対に」安全です、と言わざるを得ない。けれども、「万一の場合」は論理的にあり得るわけで、そのとき、つまり事故が起こったときには、「残余のリスク」つまり「想定外のリスク」として処理する。

 こういうことではないかと思います。



 武田先生は
電力会社が「災害の想定」を行って、それより大きな場合は、「仕方が無い」ということで「大量の放射性物質が漏れ」、その結果「付近住民が著しい被ばくをする(説明書にある)」というのは到底、納得できません。
と書かれていますので、おそらく、「絶対に安全」はありうる、とお考えなのでしょう。だからこそ、
福島原発は「方針どうりの結果」で、「想定外だから、大量の放射線がでて何が悪い」というのが保安院の態度に出ています.また、知事さんも市長さんもこのことはご存じです.

もし、電力会社の社長さん、知事さんが自ら「自分のところの原発は不安全だ」と宣言して、情報を出し、地元に説明をしたら、これからの日本は繁栄し、安全な社会になるでしょう。

その点で、今は正念場です.
と主張され、
知事さんが自ら「自分のところの原発は不安全だ」と宣言して、情報を出し、地元に説明
することを求めておられるのでしょう。



 しかし、「絶対に安全」はありえないと私は思いますし、電力会社社長・自治体首長(知事)が自ら「自分のところの原発は不安全だ」と宣言することも、

   現実問題として、難しい

でしょう。電力会社社長・自治体首長(知事)・原発推進派にしてみれば、「何を言っているんだ」といったところではないでしょうか。



 「絶対に安全」はありえない、と考える私の立場 (視点) でいえば、

 問題は、地域住民が「わかってくれるか」です。

 現実問題として、誰もが「難しい」「わかってくれない」と考えるからこそ、「絶対に」安全です、と言ってきたはずです。

 社会 (国民) のために、行政や電力会社を告発されている武田先生は立派だと思いますが、その主張は、「やや」偏っているのではないかと思われてなりません。



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