9月21日 NHK[おはよう日本」
1964CURRY。
このカレーにはオリンピックへの思いが込められている。
1964年に開かれた東京五輪。
石川県加賀市の横山保さん(84)は東京五輪の選手村の食堂で料理人を務めた。
選手村にある3つの食堂には全国各地から精鋭の料理人300人が集められた。
アジアで開かれた初めての五輪。
大会を成功させるために横山さんたちは“食事の提供”という重要な役割を担った。
(横山保さん)
「不安だった。
何事も全部いちからでしょ。
これは大変な事を推薦されて
選ばれたんだから責任を全うしないといけないと。」
横山さんが働いたのがアジアや中東の選手などが利用した東京代々木の富士食堂。
午前7時~午後9時まで働き通し
1日6,000色を作ったという。
(横山保さん)
「寝る間もないんだから
点滴打って休んで
オリンピックだからできた。」
横山さんが作ったのはカレーやビーフシチュー
それにステーキなど
レシピは約2,000種類に及ぶ。
目標は世界中から訪れる選手たちの口に合った料理を提供すること。
当初は料理を食べ残している選手が多かったという。
横山さんたちはなぜなのか分からなかった。
そんなとき富士食堂の総料理長をしていた村上信夫さんがあることに気づいた。
(横山保さん)
「村上先生は毎日選手の食べる具合を自分の目で見て
選手に聞いたらしい。
そしたら塩が薄い。」
スポーツ選手は汗をかくため塩分が足りず
味が薄いと感じていたのである。
その後は塩を加えるようにした。
(横山保さん)
「帰りにやっぱ美味しかったって人は“Good”って言いに来てくれる。
コックさん並んでて言いに来てくれる。
口に合った
美味しかったんだ。
そういう喜びはやっぱり
ああいうところじゃないと味わえない。」
選手村の食堂では働いた経験はその後の礎となった。
五輪から3年後に独立し
選手村の味を伝えていくことに。
(横山保さん)
「オリンピックを経験して
この料理なら自信の持てるものを2品かそこら揃えたい。」
今も店で提供しているのが「1964CURRY]。
現在は息子の修さんが厨房に立っている。
修さんに味付けや作り方を教えた。
(横山修さん)
「味はしっかりずっと一律にしなきゃいけない
ということは守っております。
味だけは変わったと言われないよう心掛けて作ってます。
最後にひとつまみの塩を入れるっていうのもポイントですけど。」
村上さんから教わったひとつまみの塩も加える。
横山さんが大切に守り続けているカレーの味。
(客)
「普通のカレーに見えるんですけど
奥が深いというか
すごく飽きもこないし
変わらない味がすごい好きです。」
55年前に開かれた東京五輪。
おもてなしの精神は今もカレーの味に受け継がれている。
(横山保さん)
「いい経験をした。
コックに生まれて良かったなと思った。」