美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

由紀草一の、これ基本でしょ? その1 北朝鮮による拉致問題

2016年03月26日 15時05分36秒 | 由紀草一
由紀草一の、これ基本でしょ? その1 北朝鮮による拉致問題

〔編集人より〕由紀草一氏による時事問題シリーズの第一回です。まっとうかつユニークな切り口にハッとさせられます。読後、拉致問題解決のはなはだしい難しさを痛感させられます。



最初に御断り。私は、新聞や雑誌、ネット記事や書籍に書いてある基本的なことしか知りません。新情報なんて、あるべくもない。それでも、私から見て決して逃すことができないポイントだと思えることを、知らないような顔をして、展開されている議論をけっこう見かけます。浅学非才の身も顧みず、警鐘を鳴らしたくなるような。

従って、そんなことはとっくにわかっているよ、という人には、以下は全くの無駄口にしかなりません。それ以上に、私こそとんでもない思い違いをしているかも知れない。その場合には諸賢の御叱正を願いたい、という思いも込めて、今後いくつか時局談義をこちらに寄せたいと思っております。

今回は朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)関連。この国は、今年に入ってから水爆実験や長距離弾道ミサイル発射を強行し、3月2日には国連安保理の五つ目になる対北朝鮮制裁決議「2270号」が採択されました。先行きが注目されるのは当然ですが、日本政府は現在「拉致・核・ミサイルの包括的解決」を目標として掲げています。そのことの是非・巧拙はしばらく措くとして、ここでは、やや影が薄くなった感じのする、拉致被害問題を採り上げます。

近年の動きは以下です。平成26年5月の日朝政府間協議の結果、同月29日に出た、協議の場所から「ストックホルム合意」と呼ばれている文書があります。北朝鮮が「日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施する」ことと引き換えに、日本が独自に取っていた(国連安保理決議に基づくものは別)北朝鮮に対する経済制裁などの措置の解除を約束したものです。

そして北朝鮮が調査のための特別委員会を設置したと言った時点で、日本の制裁措置は一部解除されましたが、先方からの報告のほうはいっこうに来なかった。いや、一応報告書は作成されたが、一番肝心の拉致被害に関する部分が、北朝鮮の従来の主張を繰り返すばかりで、全く進展が見られなかったので、日本側が受け取りを拒否したのだ、とも言われています。

そして本年2月7日の長距離弾道ミサイルの打ち上げに対して、日本政府は10日、独自の追加経済制裁措置を決定。すると12日、北朝鮮は拉致被害者などの調査を全面中止する、と通告。ストックホルム合意の事実上の破棄宣告で、日本側は認めない、と言っていますが、これで拉致をめぐる日朝間交渉は、平成26年5月以前にもどってしまった、と考えられます。つまり、全くの手詰まり状態に。

日本側の対応には何か手抜かりがあったのでしょうか。いやそれより、この問題を今後前進させるには、どのような方策が考えられるのでしょうか。拉致被害者蓮池薫氏の実兄で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(以下、家族会)元事務局長・蓮池透氏が昨年の12月に上梓した著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(以下、『冷血』)を手掛かりにして考えてみましょう。

『冷血』は、家族会から厳重に抗議されています。それより先、国会でも。1月12日、衆議院予算委員会で民社党の緒方林太郎が安倍総理に向かって、「あなたは、この本に書いてあるように、拉致を使ってのしあがった男でしょうか」と質問、安倍は、「そういうことは議論する気すら起こらない。私が嘘を言っているなら、国会議員をやめる」と答弁。

17日には参議院予算委員会で日本の心を大切にする党代表の中山恭子が、質問の形で、「蓮池透さんは自分では気がついていないかも知れないが、北朝鮮の工作関係者に利用されている」と発言しています。それに対する安倍総理の答弁の中には、「北朝鮮は常に国論を二分しようと、様々な工作を行う。それに乗ってはならない」というのもありました。

蓮池氏自身は最初のうち、家族会の中でも対北朝鮮強硬派として知られていたのに、その後反省した、と言います。その心境の変化については、「いつまでも北朝鮮はケシカランばかり言っててもラチが明かんだろ。向こうも一応国家なんだから、対話路線でいくしかないんじゃないか」と、誰かに説得されたのかも知れませんが、北朝鮮の工作員に洗脳されたとは思いません。また、世論を二分するのが北朝鮮の狙いだというのが正しいとしても、日本に言論の自由がある以上、二分でも三分でもするのが自然であり、国論を無理に統一しようなどというほうが危険です。それなら、北朝鮮の体制のほうがすぐれている、なんてことになりかねない。

ただ、『冷血』には、矛盾があるのは事実で、それは蓮池氏個人の問題と言うより、この事案全体の困難を象徴しているもののようです。

まずタイトル。政府が平成14年に帰国した拉致被害者やその家族に対して冷たかったというのは、初耳で、確かにちょっとひどい。北朝鮮に二十年以上いて日本での生活の基盤もない人に、月に十三万円の手当、収入を得た場合にはそれも減額、というのはいかにも安すぎる。それでも、「拉致被害者たちを見殺しにした」とまで言うのは、やや羊頭狗肉に思えます。

安倍や中山が、拉致問題解決に尽力して、それで政治家としての声明を得たなら、何も問題はありません。蓮池氏が言いたいのは、「彼らは拉致被害者五人とその家族の帰還を含め、この問題では実際は何もしていないのに、手柄顔をして政治家としての地位を築いた。けしからん奴らだ」ということです。

一方で、小泉純一郎への評価はとても高い。「いまも昔も、小泉首相は唯一無二の『行動する政治家』だった」(P.116)と。彼はとりあえず、二度にわたって訪朝し、拉致被害者とその家族合計八人を奪還した。安倍らは、何をしたと言おうと、なんの成果も挙げていないではないか、ということです。マックス・ウェーバーも言うように、政治家には結果責任が問われてしかるべきなのだから、それも宜なるかな、とは思います。しかし、小泉の成果そのものが、独特のアイロニーに基づいたものであったことは見逃し得ないでしょう。

平成14年9月17日のことについて、蓮池氏自身がこう書いています。

金総書記の口から発せられた、「拉致被害者五人生存、八人死亡、その他の人は入国が確認されていない」という言葉を日本側は鵜呑みにして、小泉首相は日朝平壌宣言に署名した。もしこのとき、日本政府が必死に拉致被害者を探していたのならば、生存者を速やかに連れて帰ることは当たり前、死亡というのであれば、いつ、どこで、なぜ、ということを追求し、その証拠が出てきた場合、信憑性を確認するとともに、犯人の処罰や損害賠償を請求して然るべきであった。 (P.97)

全くその通り。すべての被害者についてこういうことがなされて初めて、拉致事件は「完全解決」したと言えるのです。しかし、日本側がそう要求したら、そこで話がこじれて、平壌宣言はなかったでしょう。五人の帰国だって、どうなったか、危うい。

これらを逆に見ると、この時、拉致被害問題は、日朝双方にとってさほどの重要事だとは考えられていなかったようなのです。

『冷血』にもあるように、これ以前、日本のこの問題への関心はとても低かった。拉致が事実かどうかさえ、疑われていた。また、韓国では、朝鮮戦争時を含めると三万人以上が拉致されていると言われていますが、今に至るまでそんなに騒がれてはいない。

そこで国防委員会委員長・金正日の思惑。日本から、戦時賠償金でも援助でも、名目はなんでもいいから金を取りたい。向こうから言ってきている国交回復に乗るべし。交渉がスムースに運ぶための手土産として、日本からさらってきた人間がいるのを認めてやろう。少々高い買い物になるかも知れないが、将来まで考えたら損はないはずだ……。

と、いうのはあくまで私の推測ですが、それほど大きく外れてはいないでしょう。いや、少しでも当たっていたら、驚くべき話ですね。考えてみてください。あなたのお子さんがさらわれた。誘拐犯が二十数年後にその子を返した。だからと言って、犯人に感謝しますか? 冗談ではない、でしょう?

たぶん他人の命なんて屁ぐらいに思っている金委員長に、こういう感覚が薄いのはしかたないとしても、日本側も五十歩百歩だったようです。上の引用文のような要求はしなかったばかりか、被害者五人は「一時帰国」として、つまり一週間程度でまた誘拐犯のところへもどす約束をして、帰国させたんですから。彼らの人生より、日朝友好のほうが大事だと思っていたのだろうと言われてもしかたない。権力の座にいると、ついそんな気持ちになってしまいがちなんでしょうかね?

その後、御存じの通り、北朝鮮への非難が囂々と巻き起こり、帰国者五人は日本に留まることになった。そう勧めたのは巷間言われているような安倍や中山ではなく、自分だ、と蓮池氏は主張するのですが、どちらにしろ輿論の後押しがあって実現したことに違いはない。

そして、機を見るに敏なることにかけては天才的な小泉は、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」に豹変し、それを安倍も引き継いでいるわけです。しかしこれは、日朝国交正常化を果てしなく遠ざけることになった。だって、北朝鮮の現体制では、拉致問題の満足な解決なんて、望むべくもないんですから。

伝えられるところによると、金委員長は、小泉に向かって、「拉致は私の知らないところで実行された。その時の責任者はもう処罰した」と言った、と。しかし安明進の証言http://www.sukuukai.jp/report/item_1949.htmlなどからすると、拉致指令は金正日その人から出ている。いや、安明進なんて怪しい男の証言をまつまでもなく、独裁国で、独裁者が知らないうちにこんなことが行われると信じるほうがずっと難しい。で、果たしてそうなら、「犯人の処罰」は、最高責任者である金正日から真先に行われなければならない。そんなことを、彼自身や彼の後継者が認めるか。それこそ、口が裂けても言わないでしょう。
 
でも、これからが本当にやっかいなんですが、拉致被害者の救出をあきらめるわけにはいかない。ならば、無理は承知で「対話」を続けるしかない。何が無理かって、「対話」であるからには向こうの言い分も少しは認めなければならないところです。何を認めればいいんですか?

私は不明にして知らなかったのですが、前出安明進証言によると、北朝鮮は公式にこんなことも言っているそうです。「日本が北朝鮮に対して植民地支配をしたせいで大きな被害を受けた。従って、わが民族の統一のために日本の被害は当然だ」。

よく言うよ、ですけど、日本の中にも、「日本が過去の罪にきちんと向き合い、清算してこなかったことがこの場合も」云々、などと言う人がいるんで、驚き呆れるより脱力してしまいます。まさか、だから北朝鮮による朝鮮半島統一(普通、南に対する侵略、と言うのですよね)に協力しろとまで唱えるわけではないでしょうが。じゃあ、なんなんですかね、いったい。

日本がかつてかの国に何をしたにもせよ、それを、その当時は生まれてもいなかった一国民が背負わなければならない責務などない、と良識のある人ならクドクド言うまでもなくわかるでしょう。が、それ以上に。

北朝鮮が拉致したのは日本人だけではありません。脱北者や帰国できた被害者の証言などから、前述の韓国人を始め、中国人・フランス人・ギニア人・イタリア人・ヨルダン人・レバノン人・オランダ人・ルーマニア人・マレーシア人・シンガポール人・タイ人も被害にあっていることが明らかになっており、最近ではアメリカ人も一人、拉致された疑いが濃いとのこと(チャック・ダウンズ編『ワシントン北朝鮮人権委員会拉致報告書』)。

これらの国の大半が、歴史上一度も、大韓帝国とも北朝鮮とも紛争の経験はなく、現在も北朝鮮とは国交があります。即ち、両国間の過去がどうあろうと、また現状がどうだろうと、拉致問題とはなんの関係もない。そこで「過去の清算」を言い出すのは、日本が大東亜戦争中にやったことを反省しようとする気など本当はなく、政治的に何かの為にする議論か、反射的に出てくるクリシェ(決まり文句)と化していることの、何よりの証拠に他なりません

「いやあ、あんまり固いこと、言うなよ」とも言われそうですね。保守派の論客として知られている人が次のように書いているのを、ついこの間読みました。

国民の安寧秩序を守るのが国家の第一の仕事なのだから、今も北朝鮮にいる拉致被害者を放っておくことはできない。しかし日本には憲法九条があって、軍事力に訴えるのは禁じ手になっている。いつかはこんなの、改正するのが望ましいにせよ、ともかく今はできない。ならば、「金をやるから、さらった人を返せ」しかない。誘拐犯に身代金を払うということで、もちろん正規のやり方とは言えないが、現に世界中で行われていることだし。

なんか、昭和52年の、日航機ハイジャック事件を思い出しますが。いや、考え方としてはそれもアリかな、とは思います。でも、前述の本質的倫理的な問題には目を瞑って、実際的にのみ考えても、まだ問題がありそうです。第一に、ミサイル開発の一部に使われそうな金を拠出すれば、きっと国際的に非難されますが、他にも。

ダッカの事件の時には、誰が人質か、はっきりしていましたが、拉致された日本人は誰で何人いるのかがそもそも特定できていません。そのための、ストックホルム合意での、調査だったわけです。現在日本政府が認定しているのは十七人、「救う会」から独立した民間団体・特定失踪者問題調査会の推計では約百人、警察庁が本年2月に発表した「北朝鮮に拉致された可能性が排除できない行方不明者」の人数は883人。一方の北朝鮮は、公式には、最初に認めた十三人以外は知らない、と言い続けています。

それでも、「一人につきいくらで、金をやるよ」と言えば、金額によっては出す可能性はあります。でも、一遍にではなく、少しづつ値段を吊り上げたり、他の条件を付けながら、じゃないですか? そんな、文字通り人をバカにした、厭らしい「交渉」に耐える心の準備をまずしないといけない。
だけではなく、これは結局、日本が相手なら拉致は商売になる、と教えてやることです。だったら今後も……とは考えられませんか? あの国がこれからはもうやらないとか、やっても日本の警察力が必ず防ぐ、とか、誰か保証してくれますか?

一応の結論としては、金一族の独裁体制を打倒しない限り拉致問題の完全解決はないし、妥協点も見つからない。でも、日本だけではそんなことはとてもできないし、他国の拉致問題への関心は低いようですから、ミサイル問題などとリンクさせて、国際的な協力体制で追いつめていくしかない。

つまり、現在の政府の政策支持、ということになるので、我ながら面白くないんですが。なんでもかんでもお上に反対して、それだけで一廉の人物になったような気分に浸っていればいいという歳でもないですし、まあ仕方ないです。それとも、他に妙案はありますか?
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