『徒然草』第三十一段の真実 (美津島明)
雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべきことありて文をやるとて、雪のこと何も言はざりし返り事に、「『この雪いかが見る。』と、一筆のたまわせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるること、聞き入るべきかは。かへすがへす口惜しき御心なり。」と言いたりしこそ、をかしかりしか。
今は亡(な)き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
〈語釈〉
*「人のがり」:ある人のもとへ
*「文」:手紙
*「返り事」:返事の手紙
*「一筆のたまわせぬ」:一言も書いていらっしゃらない
*「ひがひがしからん人」:風流を解さない無粋者
*「聞き入るべきかは」:聞き入れることができましょうか。いや、できません。
*「かばかりのこと」:これくらいのちょっとしたこと。
これは、吉田兼好『徒然草』の第三十一段です。あるいは、みなさまの記憶のかたすみに残っているのかもしれません。私は、高校二年生のときに習った記憶があります。そのときは、特段の感興もわきませんでした。
実は、今日これを塾の生徒に教えました。で、教えているうちに、湧きあがってきた思いがあったので、こうして書き記すことにいたしました。
最終行の「今は亡(な)き人なれば、かばかりのことも忘れがたし」を説明していたときのことです。この妙な如実感はなんなのだろうか、という思いをいだいたのです。なんというか、ここを玩味していると、他人事ながら、そこはかとない悲哀の情が湧いてくるのですね。どうしようもなく切なくなってくるのです。
で、私なりの結論を申し上げます。文中の「亡き人」は、かつての兼好の「思ひびと」であった、ということです。こまかい話は、すれば、いろいろとございますが、やめておきましょう。
以下、この段を小説仕立てで現代語訳してみましょう。ご笑納いただければさいわいです。
わが侘び住まいの窓から外を見ている。雪が降っている。まわりに物音はまったくない。あの日も、今日と同じように、音もなく雪が降っていた。夢にあの方が現れ、切ない思いは秘めるにはもはや耐えがたいほどになっていた。だから私は、目覚めるとほどなく使いの者に手紙を託したのだった。私が、出家する前のことだった。
私も歌人のはしくれ。感興をもよおす雪のことを意識しなかったわけではない。しかしながら、その趣(おもむき)深さをつづるには、私のあの方への思いがあまりにも切迫しすぎていたのだ。
ほどなく使いの者が、返事を持ち帰ってきた。その手紙には、次のように書かれていた。
「あなたは、『この雪をどのような思いでごらんになっていらっしゃるのか』と手紙の中で一言もおっしゃってくださいませんでした。そんなふうに風流を解さないような無粋なお方が、いくら私への思いのたけを吐露しようとも、それを受け入れることができましょうか。いいえ、受け入れられるはずがありません。私は人妻です。あなたの思いを受け入れるにはどれほどの思い切りが必要なのかお分かりのはずです。今日の雪を見ながら、憂いに満ちた自分の気持ちを慰めていた私の心をまったく思いやらないあなたの文面をみて、『ああ、この方にわが身をお任せするのはむずかしいのだろう』と思ってしまったのです。かえすがえすも残念なことです。」
その文面を思い返してみると、むろん切ない思いはいまもなお湧いてはくるが、それにしても、わが思いびとの心根の率直さとちょっとした行き違いがふたりをわけ隔ててしまったこととを思うと、言い知れぬ思いに浸るほかはない。
その方はいまではもはやこの世にいない。でも私は、いまでもその方を恋い慕っている。だから、そんな手紙のちょっとした言い回しをも、いまだに忘れがたく思っているのだ。
私は、この解釈にけっこう自信があります。それゆえ、この書き物に「『徒然草』第三十一段の真実」というタイトルを冠したのであります。かりにはずれているとしても、それほど悪くないでしょう?
雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべきことありて文をやるとて、雪のこと何も言はざりし返り事に、「『この雪いかが見る。』と、一筆のたまわせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるること、聞き入るべきかは。かへすがへす口惜しき御心なり。」と言いたりしこそ、をかしかりしか。
今は亡(な)き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
〈語釈〉
*「人のがり」:ある人のもとへ
*「文」:手紙
*「返り事」:返事の手紙
*「一筆のたまわせぬ」:一言も書いていらっしゃらない
*「ひがひがしからん人」:風流を解さない無粋者
*「聞き入るべきかは」:聞き入れることができましょうか。いや、できません。
*「かばかりのこと」:これくらいのちょっとしたこと。
これは、吉田兼好『徒然草』の第三十一段です。あるいは、みなさまの記憶のかたすみに残っているのかもしれません。私は、高校二年生のときに習った記憶があります。そのときは、特段の感興もわきませんでした。
実は、今日これを塾の生徒に教えました。で、教えているうちに、湧きあがってきた思いがあったので、こうして書き記すことにいたしました。
最終行の「今は亡(な)き人なれば、かばかりのことも忘れがたし」を説明していたときのことです。この妙な如実感はなんなのだろうか、という思いをいだいたのです。なんというか、ここを玩味していると、他人事ながら、そこはかとない悲哀の情が湧いてくるのですね。どうしようもなく切なくなってくるのです。
で、私なりの結論を申し上げます。文中の「亡き人」は、かつての兼好の「思ひびと」であった、ということです。こまかい話は、すれば、いろいろとございますが、やめておきましょう。
以下、この段を小説仕立てで現代語訳してみましょう。ご笑納いただければさいわいです。
わが侘び住まいの窓から外を見ている。雪が降っている。まわりに物音はまったくない。あの日も、今日と同じように、音もなく雪が降っていた。夢にあの方が現れ、切ない思いは秘めるにはもはや耐えがたいほどになっていた。だから私は、目覚めるとほどなく使いの者に手紙を託したのだった。私が、出家する前のことだった。
私も歌人のはしくれ。感興をもよおす雪のことを意識しなかったわけではない。しかしながら、その趣(おもむき)深さをつづるには、私のあの方への思いがあまりにも切迫しすぎていたのだ。
ほどなく使いの者が、返事を持ち帰ってきた。その手紙には、次のように書かれていた。
「あなたは、『この雪をどのような思いでごらんになっていらっしゃるのか』と手紙の中で一言もおっしゃってくださいませんでした。そんなふうに風流を解さないような無粋なお方が、いくら私への思いのたけを吐露しようとも、それを受け入れることができましょうか。いいえ、受け入れられるはずがありません。私は人妻です。あなたの思いを受け入れるにはどれほどの思い切りが必要なのかお分かりのはずです。今日の雪を見ながら、憂いに満ちた自分の気持ちを慰めていた私の心をまったく思いやらないあなたの文面をみて、『ああ、この方にわが身をお任せするのはむずかしいのだろう』と思ってしまったのです。かえすがえすも残念なことです。」
その文面を思い返してみると、むろん切ない思いはいまもなお湧いてはくるが、それにしても、わが思いびとの心根の率直さとちょっとした行き違いがふたりをわけ隔ててしまったこととを思うと、言い知れぬ思いに浸るほかはない。
その方はいまではもはやこの世にいない。でも私は、いまでもその方を恋い慕っている。だから、そんな手紙のちょっとした言い回しをも、いまだに忘れがたく思っているのだ。
私は、この解釈にけっこう自信があります。それゆえ、この書き物に「『徒然草』第三十一段の真実」というタイトルを冠したのであります。かりにはずれているとしても、それほど悪くないでしょう?
ときおり、古典が生々しく迫ってくることがあります。そういう歳になったのでしょう。
しかしこの返事を書いた女性(であることはほぼ間違いないと思いますが)が、兼好自身の「思ひびと」であったとすれば、俄然そこに、深い男女の情の交流の場面がありありと浮き上がってきますね。そうして、現在の兼好自身の追憶と亡き人への哀惜のリアリティも。
「人のがり言ふべきことありて」と、兼好は意識的にぼかしていますが、じつはここが曲者だったのですね。三十一段あたりだと、おそらくまだ出家するかしないかくらいの若い時期で、世俗(男女のかかわりの世界)への未練を断ち切れずに迷っていたころでしょうから、この追憶に浸りながら兼好はさぞ「あやしうこそものぐるおし」い心情を抑制しながらこれを書いたことでしょう。
いや、古典と現代の間をこんな風につないでみせてくれた美津島さんの感性の豊かさに敬服します。これってやっぱり太宰流、と評したら失礼に当たるかな?
小浜さんのコメント中の「太宰」の名を目にして、私は反射的に『御伽草子』の「カチカチ山」を思い出しました。つまり、第三十一段の兼好さんの心のなかにも「惚れたが悪いか」の捨て台詞と、そこに込められた男の悲哀があったのではなかろうかと思うのですね。兼好さんは、それを文面からそっと隠した。そんな気がするのです。むろん、その振る舞いを促しているのは、強い羞恥心であると思います。
その振る舞いによって、兼好さんは、「思ひびと」の残酷さを、裏側から表現しているとも思います。その残酷さは、(下品になりますが)ヤラせて「あげる」主導権を握る側の能動性やさらには攻撃性からおのずと湧き上がってくるものではないでしょうか。
そう考えを進めてみると、兼好さんは、さりげない書きっぷりの小品によって、男女間のエロスの普遍性に達している、ということになりましょう。それも、すべてを秘すことによって。たいしたものですね。