美津島明編集「直言の宴」

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松尾一郎氏の動画を通じて「南京事件」を考える(その4)松井石根 (美津島明

2016年01月16日 22時33分51秒 | 歴史
松尾一郎氏の動画を通じて「南京事件」を考える(その4)松井石根 (美津島明)


東京裁判での松井石根

今回は、南京攻略戦の最高責任者・上海派遣軍総司令官松井石根(いわね)陸軍大将についてのお話しです。松尾氏のお話しを聞けば、日中の提携によって欧米列強の侵略に対抗することを長らく心の底から希求していた松井大将が、中国人の虐殺=計画的・組織的大量殺戮を命じることなどありえないことがよくお分かりになるでしょう。もしも本当にそういうことがあったならば、松井大将は、身を挺してでもそれを阻止しようとしたはずです。松井大将はそういう人物である。私が抱いている松井大将の人物像はそういうものです。

私が今回の動画に付け加えようと思うのは、松井軍司令官付・岡田尚(たかし)氏の証言です。以下、阿羅健一著『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫)に依ります。

岡田氏の父・有民氏は、国民党による中国革命を、松井大将とともに援助した人です。有民氏は、松井大将とは同志の間柄だったのです。だから尚氏は、子どものころから松井大将を知っていまいた。

昭和十二年八月、松井大将が上海派遣軍軍司令官に親補されると、岡田氏は、松井大将の自宅に呼ばれ、軍司令部嘱託、軍司令官付として同行することを命じられます。岡田氏が中国語に堪能であることと、中国人要人との豊富な人脈があることを買われての抜擢でした。中国との早期和平工作を実現するのが岡田氏の主要任務でした。いくつか『~証言』から引いてみましょう。南京陥落の十二月十三日に入城したときの様子を、氏は次のように語っています。氏が入城したのは、東側の中山門からです。

市内じゅう軍服、ゲートル、帽子が散乱していました。これは凄い数で一番目につきました。中国兵が軍服を脱いで市民に紛れこんだのです。中国兵にしてみれば、軍服を着てると日本兵にやられますから当然だと思います。中山門の城壁にもたくさんのゲートルがたれさがっていまして、中国兵はゲートルを使って城壁から逃げていったのだと思います。(中略)城内の店は空家になってまして、中国兵が逃げる時略奪したのか、日本兵が入城してから略奪したのか、ともかく略奪の跡がありました。

次は、国民党軍が、日本軍の降伏勧告を無視し拒否したことは返す返すも残念であり、また腑に落ちないことでもあったと言っているところを引きます。

ただね、なぜ、降伏勧告した時、中国兵はそれを受け入れなかったかです。もう敗けたのははっきりしています。あとは降伏するだけです。国家全体の降伏ではありませんし、南京だけ降伏してもいい訳です。日露戦争の時の旅順攻略でステッセルが乃木大将に降伏していますね、あれと同じです。旅順陥落で日露戦争は終わった訳ではなく、その後も続きます。南京の場合も、南京の一局面だけ降伏していい訳ですよ。

私は正直言って、中国びいきです。満州国をつくったのも賛成じゃない、日支事変も日本がやりすぎたところがあると思っています。しかし、南京の降伏拒否は中国が悪い。しかも、結局、最高司令官の唐生智は逃げてますからね。(中略)降伏拒否がなければ捕虜の問題も起きなかったと思います。国際法上、とよく言いますが、国際法上からいえば中国のやり方はまずいと思います。


岡田氏の言い分が十分に理のあるものであることは、前々回、ハーグ陸戦条約などを引き合いに出して「南京攻略戦における国民軍兵士たちの惨状の責任は、日本軍にはなくて、蒋介石と司令長官の唐生智にある」という結論を導き出したことからお分かりいただけるのではないかと思われます。

松井大将の人柄がよく分かるところを引きましょう。十二月十八日の慰霊祭のあと、軍紀に乱れがあることについて松井大将が朝香宮軍司令官以下を叱ったことに関連しての発言です。

(松井大将は――引用者補)何件か軍紀の乱れがあったのを知っていたと思います。参謀から話を聞いていますから。ただ、その頃虐殺があったということは誰も聞いてませんから、松井大将も聞いてません。軍紀一般のことを怒ったのだと思います。

松井大将は潔癖な人で、ひょうひょうとしていますが、芯は強い人です。ものをはきはき言うし、ロボットになる人ではありません。長さんが手も足もでませんでしたから。荒木(貞夫)大将とは同期で、親しくしていまして、お嬢さんの仲人をやったくらいですが、荒木さんは若い人のおだてに乗ると言って、そういうことははっきり言っていました。松井大将はそういう人ですから、ちょっとしたことでもはっきり言ったのだと思います。


上で「長さん」とあるのは、長勇参謀のことです。参謀は暴れ馬のような破天荒な性格で、暴言が多かったそうです。そういう人物が「手も足もで」なかったというのですから、松井大将は、ビシッと正論を言う人だったのでしょうね。

最後に、東京裁判について。松井大将は、東京裁判において、死刑に処されています。しかし彼の場合、「a項:平和に対する罪」では無罪です。つまり彼はいわゆる「A級戦犯」ではないのです。「訴因第55項戦時国際法又は慣習法に対する違反罪」、すなわち、防げるはずの南京大虐殺を防がなかった不作為の罪で処刑されているのです。

(東京裁判で南京事件が持ちだされたことには――引用者補)本当にびっくりしました。私は松井大将のそばにいましたので、すぐ、伊藤清弁護士と上代琢禅弁護士のお手伝いをすることにしましたが、死刑なんて想像もしませんでした。(中略)南京で何があったからということでなく、シンボルとして首都をもちだしてきて、その時の司令官が松井大将だったということなのです。たまたまその時の中国の政策で松井大将が犠牲になったのです。

では、第5回の動画をご覧ください。


南京大虐殺 研究について(その4) 松尾一郎  (第5回)

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