美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

秘密情報保護法成立は、ドラマの幕開けに過ぎない (イザ!ブログ 2013・12・8 掲載)

2013年12月28日 02時23分41秒 | 政治
秘密情報保護法成立は、ドラマの幕開けに過ぎない

小浜ブログ「特定秘密保護法案について」の当ブログへの転載をめぐって、昨日私は、小浜氏に次のメールを送りました。

私自身、参考になりそうな論考を集めて、当法案について書こうかどうか検討していた段階でした。小浜さんの論考の登場で、肩の荷が軽くなったような気がします。おっしゃりたいこと、ごもっともとうけたまわりました。当法案の必要性に関しては、まともな頭脳の持ち主ならば首肯せざるをえないものと思われます。それを受け入れたうえで、はじめて当法案の不備や危険性の防止をめぐっての踏み込んだ真摯な議論ができるのではないかと思われます。だから、当法案の不備や危険性を観念的に言挙げして、頑なに反対するという朝日新聞などの姿勢は、この法案の不備や危険性を、我が事として真剣に考えているとは到底思えません。その無責任さには、腹を据えかねています。もともと、経済政策や消費増税やTPPの議論に関して、朝日新聞などは、いつも日銀・財務省・経産省べったりのドレイ言説を垂れ流しているのですから、当法案にまつわって言論の自由をことさらに主張するなどチャンチャラおかしい。ヘソが茶を沸かします。国会を取り巻く「法案反対、ドン・ドン・ドン」の連中に至っては、バカバカしすぎて、批判の言葉さえ見つかりません。

小浜氏は、当論考のなかで「この人たち(特定秘密保護法案に反対する民主主義者たち――引用者注)は、いつもそうですが、外交・国防にかかわる政治問題を、その趣旨もわきまえずに国内問題としてしかとらえません」と言っています。私は、その言葉が脳裏にこびりついてしまいました。

では、特定秘密保護法の趣旨と何でしょうか。それをきちんと理解するには、視野を広くしなければなりません。法の枠内で判断するだけでは、当該法の真の立法趣旨は見えてこないのです。

国の安全や外交にからむ機密情報の漏洩(ろうえい)を防ぐため、というのが差し当たりの答えとなるでしょう。より具体的には、米国などから機密情報の提供を受けるために、秘密保護法制を強化するのが真の狙いなのでしょう。また、「スパイ天国」という汚名をそそぐことも、おそらく考えられていることでしょう。

ではなにゆえ、米国などから機密情報の提供を受けるために、秘密保護法制を強化する必要があるのでしょうか。

ここで私たちは、中共の覇権主義の脅威の問題に行き着きます。尖閣問題や、最近の防空識別圏問題に見られるように、中国による、わが国の領土・領空・領海に対する執拗な、手を変え品を変えての攻撃は、おさまるどころかますますはなはだしくなっています。これが短期間で止むことは差し当たり期待しない方がいいでしょう。言いかえれば、対中共においては、いわゆる非常時の常態化を、日本は覚悟しなければならないのです。

中共が執拗に仕掛けてくる軍事戦、情報戦に対処し、わが国の安全保障体制をゆるぎないものとして再構築しそれを維持するためには、現状では、アメリカの情報収集能力に多くを頼らざるをえません。日本の情報管理能力に対する、アメリカの信頼を高めて、アメリカから、より機密度の高い情報を入手する必要があるのです。そこに私は、秘密情報保護法の必要性の根拠を見ます(より機密性の高い情報を着実に積み上げていくことが、実は他日の軍事的独立の確かな礎にもなります)。

要するに、特定秘密保護法案問題の核心は、国内の法律問題・憲法問題ではなくて、外交問題なのです。

特定秘密保護法案に反対する民主主義者たちは、ことごとくそこを、意図的に、あるいは単に馬鹿であるがゆえにスルーして、やれ民主主義の危機だとか、知る権利の侵害だとか、言論の自由に対する脅威だとか、果ては憲法違反だとか、美しいけれどいつかどこかで聞いたことのあるお題目を唱えてお祭り騒ぎをするばかりです。そんな皮相的で視界狭窄の理屈が説得力を持たないのは当たり前のことです。

私は、朝日新聞の論調に関して、別に極端なことをあえて言おうとしているわけではありません。次の社説をお読みいただければ、上記の批判が妥当であることをお分かりいただけるのではないかと思われます。全文引きましょう。

(社説)秘密保護法成立 憲法を骨抜きにする愚挙
2013年12月7日

特定秘密保護法が成立した。その意味を、政治の仕組みや憲法とのかかわりという観点から、考えてみたい。

この法律では、何を秘密に指定するか、秘密を国会審議や裁判のために示すか否かを、行政機関の長が決める。行政の活動のなかに、国民と国会、裁判所の目が届かないブラックボックスをつくる。その対象と広さを行政が自在に設定できる。都合のいい道具を、行政が手に入れたということである。領域は、おのずと広がっていくだろう。憲法の根幹である国民主権と三権分立を揺るがす事態だと言わざるをえない。近代の民主主義の原則を骨抜きにし、古い政治に引き戻すことにつながる。

安倍政権がめざす集団的自衛権行使の容認と同様、手続きを省いた「実質改憲」のひとこまなのである。

■外される歯止め
これまでの第2次安倍政権の歩みと重ね合わせると、性格はさらにくっきりと浮かび上がってくる。

安倍政権はまず、集団的自衛権に反対する内閣法制局長官を容認派にすげ替え、行政府内部の異論を封じようとした。次に、NHK会長の任命権をもつ経営委員に、首相に近い顔ぶれをそろえた。メディアの異論を封じようとしたと批判されて当然のふるまいだ。そのうえ秘密保護法である。

耳障りな声を黙らせ、権力の暴走を抑えるブレーキを一つひとつ外そうとしているとしかみえない。

これでもし、来年定年を迎える最高裁長官の後任に、行政の判断に異議を唱えないだろう人物をあてれば、「行政府独裁国家」への道をひた走ることになりかねない。

衆参ねじれのもとでの「決められない政治」が批判を集めた。だが、ねじれが解消したとたん、今度は一気に歯止めを外しにかかる。はるかに危険な道である。急ぎ足でどこへ行こうとしているのだろう。

安倍政権は、憲法の精神や民主主義の原則よりも、米国とともに戦える体制づくりを優先しているのではないか。


中国が力を増していく。対抗するには、米国とがっちり手を組まなければならない。そのために、米国が攻撃されたら、ともに戦うと約束したい。米国の国家安全保障会議と緊密に情報交換できる同じ名の組織や、米国に「情報は漏れない」と胸を張れる制度も要る……。

安倍首相は党首討論で、「国民を守る」ための秘密保護法だと述べた。その言葉じたい、うそではあるまい。

■権力集中の危うさ
しかし、それは本当に「国民を守る」ことになるのか。

政府からみれば、説明や合意形成に手間をかけるより、権力を集中したほうが早く決められる、うまく国民を守れると感じるのかもしれない。けれども情報を囲い込み、歯止めを外した権力は、その意図はどうあれ、容易に道を誤る。

情報を公開し、広く議論を喚起し、その声に耳を傾ける。行政の誤りを立法府や司法がただす。その、あるべき回路を閉ざした権力者が判断を誤るのは当然の帰結なのだ。

何より歴史が証明している。戦前の日本やドイツが、その典型だ。ともに情報を統制し、異論を封じこめた。議会などの手続き抜きで、なんでも決められる仕組みをつくった。政府が立法権を持ち憲法さえ無視できるナチスの全権委任法や、幅広い権限を勅令にゆだねた日本の国家総動員法である。それがどんな結末をもたらしたか。忘れてはならない。

■国会と国民の決意を
憲法は、歴史を踏まえて三権分立を徹底し、国会に「唯一の立法機関」「国権の最高機関」という位置づけを与えた。その国会が使命を忘れ、「行政府独裁」に手を貸すのは、愚挙というほかない。

秘密保護法はいらない。国会が成立させた以上、責任をもって法の廃止をめざすべきだ。それがすぐには難しいとしても、弊害を減らす手立てを急いで講じなければならない。

国会に、秘密をチェックする機関をつくる。行政府にあらゆる記録を残すよう義務づける。情報公開を徹底する。それらは、国会がその気になれば、すぐ実現できる。

国民も問われている。こんな事態が起きたのは、政治が私たちを見くびっているからだ。国民主権だ、知る権利だといったところで、みずから声を上げ、政治に参加する有権者がどれほどいるのか。反発が強まっても、次の選挙のころには忘れているに違いない――。そんなふうに足元をみられている限り、事態は変わらない。国民みずから決意と覚悟を固め、声を上げ続けるしかない。


朝日新聞を擁護したい方は、「上記の赤字の箇所でちゃんと安全保障問題に触れているではないか」と言いたくなるのではないでしょうか。しかし、それらの言葉は、当法律の必要性を著しく矮小化していると断じざるをえません。その理由を列挙しましょう。

①誰も「中国の力が増していく」ことそれ自体を問題にしていません。中共の覇権主義的な言動や他国の主権を侵害する行動がその強度を増していることを問題にしているのです。

②「対抗」というのは、穏当ではありませんね。中共の一方的な攻撃に、日本側はやむをえず冷静に対処しようとしているだけです。

③「米国が攻撃されたら、ともに戦う」とは、ちょっとズレていませんか。私は、中共による日本の主権侵害の言動を問題にし、それを脅威として認識すべきだと言っているだけです。ここで集団的自衛権の議論を持ち出すのは、いわゆる「まぜっかえし」というやつで、ものごとの本質を考察する邪魔になるだけです。「夫婦喧嘩論法」を差し挟むなよって。

日本政府の姿勢を矮小化・危険視するための、これだけの印象操作を施したならば、これを読んだ者はだれでも「特定秘密保護法は、過剰で不当な措置だ」と思うに決まっていますね。それは、当法案の必要性にまともに触れていないのと同じことです。だから私は、″特定秘密保護法案に反対する民主主義者たちは、ことごとく当法案の必要性の直視をスルーしている″と言っているのです。芸能関係者の反対声明なんて、雰囲気だけでものを言っているだけ。ひどすぎて、読んだ者の目が潰れそうです。よせばいいのに。

それに付け加えてちょっとだけ原理的なお話をすれば、国家主権という現実と、国民主権という憲法の理念とは、元来、あっち立てばこっち立たずの拮抗関係にある、という側面があります。国民主権を貫き通せばそれで万事オーケーというほどに政治は簡単なものではないのです。特に、安全保障という国民主権の現実的土台を揺るがす事態が生じた場合、国民主権原理主義は明らかに無効であります。

私見はこれくらいにしておいて、以下に、主に安全保障との関連から特定秘密保護法を論じた鍛冶俊樹氏の論考を引いておきます。今のところ私は、中国情勢に関しては、石平氏と鍛冶氏の論考をすりあわせれば、おおよそ妥当な見解を得られるのではないかと思っています。

軍事ジャーナル【12月3日号】特定秘密保護法案
鍛冶俊樹

現在、審議中の特定秘密保護法案について、国連人権高等弁務官のピレイ女史が反対の意向を示したという。国会で審議中の法案について、国会議員でも日本国民でもない国際機関の職員が、国会に招致されたわけでもないのに反対するのは、日本国民の権利と民主主義を蹂躙する暴挙であろう。

ピレイ女史は日本の人権状況を批判しても中国や北朝鮮の人権状況は批判しないという奇妙な人権高等弁務官である。国連人権高等弁務官は国連人権理事会の事実上の事務局長であるが、この人権理事会は発足当初から中国が理事国入りしており、ロビー活動を繰り広げている。今回のピレイ発言の背後にも中国ロビイストがいると見て間違いあるまい。

中国が水面下で特定秘密保護法阻止に動いているのは確実で、その証左が11月24日に在日中国大使館が在日中国人に緊急連絡先を呼び掛けた件であろう。マスコミなどでは前日に中国が防空識別圏の設定を宣言した事との関連が云々されているが、むしろ翌日に衆院特別委員会を通過した同法案を意識したものと見た方がいい。

つまりこの呼び掛けは「もしこの法案が成立したら、在日中国人もいつ何どきスパイとして逮捕されるかもしれない。そうした危険がある場合、大使館から直ちに連絡をするから、連絡先を登録せよ」という趣旨であろう。

もちろん同法案はスパイ防止法ではないので、実はその可能性はないのだが、中国ではスパイと疑われた段階で逮捕されるのが普通だから、「日本でもそんな法律が成立するに違いない」と信じてしまう。「ならば同法案の成立を何とか阻止しなくてはならない」とスパイでもない普通の在日中国人が一層阻止活動に力を入れる訳である。
                *
さてこの法案の本当の狙いは大臣からの情報流出を防ぐことである。一般の公務員は情報を漏らせば罰せられるのだが、現在の法制では大臣や国会議員はほとんど罰せられない。「大臣や国会議員のような立派な人は国家機密を外国に売るような真似をする筈がない」との性善説に基づいている。

だが実際の国会議員の中には、「日本の国家機密を中国に積極的に知らせた方が日中友好上、いい」と信じて疑わない親中派が少なくない。また大臣になるような大物政治家には「何でも腹蔵なく話すのが人徳だ」と勘違いしている人もままいる。

スノーデン事件は米国が通信傍受をしていることを改めて世界に知らしめたが、インターネットでは通信傍受は容易なので、米国に限らずサイバー軍を持つ国は大抵やっている。当然、在日中国大使館と中国本土との通信を米国は傍受している。

通信内容は暗号化されているが、米国は優秀な暗号技術をもっているから、解読してみると何とそこには、昨日米国政府が日本政府に伝えた極秘情報が記されているではないか。これで「日米共同して尖閣を守りましょう」などと日本政府が提案しても米国にしてみれば危なっかしくて乗れたものではない。

かくして大臣の情報漏洩の特権を制限するために同法案が提出されたわけだが、永田町周辺では反対運動が過熱しているらしい。大臣の特権を擁護する市民運動というのも奇妙なものである。


今回の秘密情報保護法成立は、中共との安全保障をめぐる長い長い過酷なドラマの幕開けに過ぎないのです。 「気分は反権力」をやっていられるような余裕はないのです。

*念のために申し上げておきます。私は、当法の成立を是認する立場で発言しておりますが、そこには、安倍政権擁護のモチベーションはまったくありません。いまの私は、安倍政権に対して是々非々のスタンスで臨んでいます。政治の世界に関して、いまいちばん望んでいるのは、骨太の現実認識に立脚し、経世済民のハートにあふれた健全野党の登場です。

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