美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

「ホモソーシャル」というヘンな概念にしがみつく人たち (兵頭新児)

2014年11月27日 17時17分55秒 | 兵頭新児
*兵頭新児氏は、(正真正銘の?)オタクの立場から、フェミニズム批判を展開し続けているユニークな論客です。また日々、ツイッターでフェミニズム勢力と丁々発止のやりとりをしていらっしゃいます。現場感覚にあふれた、その論の展開をお楽しみください。(編集者より)



 お久し振りです、以前も幾度か、こちらにお邪魔させていただきました兵頭新児です。
 一般的な教養というものが欠落しているため、いつもいつも話題がオタク関連ばかりで申し訳ないのですが、今回もまた、オタクネタです。
 と言っても……『仮面ライダー』なら子供の頃好きだった、という方も多いのではないでしょうか。
 目下、togetterで以下のようなまとめが話題になっています。

竹熊健太郎「女性が見る特撮は私にとって特撮ではない。特撮魂が曇る。」 (http://togetter.com/li/749752

 上のまとめは目下で六万view近くを達成し、「注目のまとめ」に挙げられています。
 さて、確かに『仮面ライダー』と言えば、藤岡弘の男らしい演技が印象的です。
 何しろスポ根ブームの折でしたから強敵に敗れても特訓で必殺技を身につけ、己の身体だけを頼りに悪と戦っていました。
 翻って今時の平成『ライダー』は軟弱なイケメンどもばかりが幅を利かせ、特訓一つせず、オモチャ会社の要望もあって重火器で敵を倒すヤツらばかり……全くもって、許せん!
 そう、実のところ現時点でも最新作『仮面ライダードライブ』が放映されており、『ライダー』は現行のコンテンツなのですが、しかし近年では変身前を演じるイケメン俳優に主婦を中心に女性ファンの目が集まる傾向にあり、男性ファンにとってはいささか複雑な心境であるのもまた、事実なのです。
 が、見ていくとこの意見は、むしろオタク勢から集中砲火を食らっているようです。
 このような狭量な見方は女性蔑視でありけしからぬ、というわけですね。
 いかが思われたでしょうか。

 1.いや、そうは言っても『ライダー』は男の子向けであり、竹熊氏は正論を言っているのでは。
 2.いや、そうは言っても平成『ライダー』は主婦向けのイケメン俳優を使っているし、男性向けとばかりも言えないのでは。
 3.いや、心の底からどうでもいいっス。


 いろんな意見が聞こえてきそうです。
 まあ、それぞれもっともな意見ではあるし、3.が一番多い気がしますが……。
 しかしオタク界ではどういうわけか、

 4.イケメン目当て以外の女性ファンも大勢いるのだ。

 という意見が多くを占めているように思われます。
 上のまとめでも、そうしたスタンスが目立っていますよね。
 これは一体、どういうことなのでしょうか?
 いや、心の底からどうでもいいとお思いかも知れませんが、もう少しおつきあいください。

 ――上に「最近のライダーは許せぬ」と書きました。
 しかし、これもぼくのホンネの部分もなくはありませんが、むしろ「政治的に正しくない特撮オタク」として仮想され、糾弾される「ロートル特撮オタク」像をやや大げさに演じみたものです。
 どこの世界にも「政治的な正義」というものがあり、意識の高い人たちが「それに反する者」を場合によっては勇み足で仮構して糾弾する、という傾向はありますよね。例えばですが「ネトウヨはどうせ○○なんだろ!?」「サヨどもはどうせ○○なんだろ!?」と決めつけての批判など。
 本件の竹熊氏は、確かに「仮構」というにはいささか自業自得、というよりは「ネットでつぶやけば炎上することは目に見えているのに、ガードが甘いな」との印象は拭えません(竹熊氏はオタク界では有名な編集者、ライターであり注目を集めている人ですから)。
 が、必死になって「ワルモノ」を探し出して叩いている人が正しいのかとなると、それも疑問です。
 竹熊氏は

>女性が見る特撮は、私にとっては特撮とは呼べないのですよ。若手イケメン俳優が出る特撮は、その時点でイケメンドラマであって、「似て非なる何か」なのです。特撮ドラマの「主役」はあくまでミニチュアであり着ぐるみであり、光線やメカ、破壊と爆発でなければならんのです。漢の世界なのです。

 とおっしゃっていて「いや、メカや爆発が好きな女性もいるぞ」との批判を浴びているのですが、それにしたってそうした女性は少数派であることは、間違いないでしょうから。
 さて、実はこれに類したことは、オタク界では定期的に起こっており、今までにも映画評論家の町山智浩氏、特撮映画監督の樋口真嗣氏、ゲームクリエイターの安田朗氏、そしてぼくなどもやり玉に挙がりました。
 意外なことに上のまとめでは「ホモソーシャル」という言葉を見つけ出すことはできませんでしたが、こうした場合、やり玉に挙がった人物は「ホモソーシャル」だからけしからぬ、と批判されることがお決まりであるように思います。
 これは、近年リベラル界隈で多用されるようになったフェミニズム用語です。ウィキペディアを見ると、

>ホモソーシャル (Homosocial) とは、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)を基本的な特徴とする、男性同士の強い連帯関係のこと。それ自体同性愛的なものでありながら、男性同性愛者を排除し、異性愛者同士で閉鎖的な関係を築く。

 とあり、何だかわかったようなわからないような概念ですが、とにかく「男ばかりで女を排除するのは差別的である」程度の意味として、理解しておけばいいように思います。
 しかし、上にもある「ミソジニー」という言葉が出てきた時もそうだったのですが、何というか、「言いも言ったり」との言葉が脳裏に浮かびます。
 ミソジニーも何も、フェミニストこそ男性嫌悪の塊だし、女性一般を考えても、男性一般よりも異性を嫌う傾向は強いでしょう。
 ホモソーシャルだってそうで、フェミニストこそ異性を排除しようとする心理の塊だし、女性一般を考えても、やはり男性一般よりその傾向は強いはずです。
 ある時、リベラル寄りと思しき男性がツイッターでケッサクなことを言っていました。

女性の方がホモソーシャリティが強いなどと主張する者がいるが、とんでもない。女性は男性に対してリソースを独占しているわけではないのだから(大意)」

 今度は「語るに落ちる」との言葉が脳裏に浮かんできます。
 果たして男性集団が女性集団に対して、リソースを独占しているかどうか、疑問です。殊に日本では大体、男性は稼ぎを妻に預けるのが普通なのですから。
 しかしそれを置くとしても、もし本当に男性がリソースを独占している事実があるなら、わざわざ「ホモソーシャル」などという造語をでっち上げる必要などなく、その事実を指摘してはっきりと「女性差別だ」と批判すればよいのです。
 これは、昨今のフェミニズムが「ジェンダーフリー」などを説き始めたことと、同根であるように思われます。
 均等法が施行されてかなり経つのに彼女らの思うように女性の社会進出が進まない。そこで彼女らは男社会には女性を阻む見えない壁が、「ガラスの天井」があるのだと強弁し始めました。
 いえ、どんな共同体でも新参者を阻む壁はあり、それはそれで批判されるべき点もあろうかとは思いますが、そこを「女性差別」であるとする短絡はやはり「強弁」と言っていいように思います。
 一方、このホモソーシャルという概念自体はイギリスの社会学者イヴ・K・セジウィック『男同士の絆』で唱えられたものですが、これはあくまでイギリス文学の分析であり、作者自身が世界的に普遍的かどうかについて留保をつけている概念なのです。
 いえ、そもそもこの『男同士の絆』は、恋愛小説に出て来る恋敵であるはずの男性同士にこそ絆があるように感じられると説く、何だか腐女子の同人誌みたいなものでした。セジウィックはそれをもって、「即ち女を男の共有財産と考えているのだ云々」といった苦しい論理を展開しているだけであり、それを企業社会批判に持ち出すのは後づけというヤツです。
 そして、その時点でも相当に疑問符がつくこの概念が、とうとうオタク社会での「異端尋問」のツールに使われるようになってしまったのです。

 とは言っても(他の人たちの件も多かれ少なかれそうなのですが)ぼくの場合は完全に、100%冤罪だったのですが……。
 問題は『機動戦士ガンダム』について、ぼくが何の気なしに「女性ファンが少ない」とつぶやいたことから起きました
『ガンダム』はロボットアニメに戦争映画的なドラマツルギーを持ち込んだ、言わば「アニメが子供向け文化から、青年文化へと成長しようとしていた」時期の作品でした。今まで正義のスーパーロボットが悪の秘密結社と戦う活劇であった「ロボットアニメ」は本作以降、二つの国家がロボットという兵器で武力衝突をする戦争ドラマとなったのです。
 オタクにとって『ガンダム』は聖書にも近しい存在であり、「ガンダムに女性ファンが少ない」との発言は、ある意味ではキリストの人種論争に近い、厄介さを孕んだものなのです。
 ――が、ここからが重要なのですが、実のところぼくは「ガンダムに女性ファンが少ない」などと言ってはいないのです。
 最初からご説明しますと、ぼくはあくまで「ガンダムの女性ファンは、ロマンロボに比べると少ない気がする」と言っただけだったのです。ところがこの「ロマンロボ」と「気がする」との言葉を削った表題でtogetterにまとめられ、そのために炎上してしまったわけです。

1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭新児氏とそれに対する反応(http://togetter.com/li/657745)」

 また、相手側のまとめだけではこちらが不利なので、ぼくがまとめたブログも挙げておきましょう。

「『ガンダム』ファンの女子は少ない気がすると言っただけで政治的論争に組み込まれちゃった件(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar516165)」

 まず、「気がする」と言っただけのことを断言したかのようにまとめるだけでも卑劣極まりないことですが、「ロマンロボ」との比較である点についてカットしたことは、それに輪をかけて何重にも下劣です。
 マニアックな話題になって恐縮ですが、この「ロマンロボ」とは『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『超電磁マシーン ボルテスV』などのシリーズを指す言葉なのです。いずれも敵役として人気声優の市川治氏が演ずる悲運の美形キャラが配され、多くの女性ファンを獲得していました。ぼくのつぶやきは『ガンダム』の敵役シャア・アズナブルが明らかに上の美形キャラの影響下にあるが、にしてはそれほど女性ファンが多いように思えない(いずれにせよ『ガンダム』は超メジャー作品ですから、数からすれば多いかも知れないが、比率的にそこまで多いとも思えない)との意味だったのですが、そこをねじ曲げて広められてしまったのです。
 ちなみに、上のまとめを作ったのは加野瀬未友
 オタク界ではかなり古株のライターであったように思うのですが、彼はまとめを作ると共にフォロワーたちに「兵頭は『ぼくたちの女災社会』という本の作者だから、上の発言も宜なるかな」などと触れ回っていました。聞くところによれば、このような愚劣なやり方は、彼の常套手段だと言うことです。徒党を組んで他人をバッシングするとは、さすがにホモソーシャルの批判者はやることが違いますね
 わけがわからないのは、加野瀬は上に挙げたぼくのつぶやきの直後、ぼくに対して

>その市川治氏が演じたハイネルに女性ファンがいっぱいいたという話はもちろんご存じですよね

 と質問をしてきたことです。ぼくはそれをまず前提にしているのだから、彼は最初っからぼくの発言をまともに読んでもいなかったのです。ここまでマヌケな発言をしてしまったら普通、尻尾を巻いて逃げ出し、相手に関わるのはやめそうなものですが、加野瀬は実に邪気なく上のやり取りをもまとめにも掲載しています。
 これはつまり、加野瀬は表題でミスリードを誘っているとは言え、まとめ自体はことさらにこちらの発言を恣意的に削ってはいないということでもあります。
 しかし、それでもそこをまともに読もうとする者は少なく、極めて多くの人間が兵頭を「ホモソーシャルなワルモノ」として罵ってきました。ぼくも、仮にどれだけ攻撃的であろうと話せそうな相手に対しては対話を持つよう努めたつもりなのですが、ついぞ話が通じることはありませんでした。
 その中にはオタク界では著名な人物もおり、いささか意気消沈させられました。 
 一例を挙げれば、上のまとめなどに直接関わってはいませんでしたが、原田実氏。彼がまとめを見て加野瀬に軍配を上げるつぶやきをしていたのがどうにも納得しがたく、事情を説明するメールを差し上げたのですが、反応はありませんでした。この方、「と学会」のメンバーで(またかよ!)いわゆる「偽史」を批判する本を何冊も出していらっしゃるのですが……ここまで読解力を欠いた方に、そうした研究ができるものなのでしょうか……?
 ちなみにこの件自体は半年ほど前のことだったのですが、実は数日前にも、蒸し返してきた者がいました。

兵頭新児 hyodoshinji さんに「チンポ騎士団」と言われて粘着されたのでまとめました(http://togetter.com/li/747135)」

 粘着も何も、一方的に蒸し返し、また上の「ロマンロボ」の件について「そんなものは後付けだ」と(こちらの反論を少しでも聞いていればあり得ない)思い込みでこちらを罵ってきたのは相手の方なのですが、こちらの反論に言い返せなくなるといきなり「チンポ騎士団*1とはどういう意味だ説明しろ説明しろ」と大騒ぎするというおよそ理解に苦しむメチャクチャさで、こうした人たちにとっては『朝日新聞』同様、「人工事実*2」を捏造してイデオロギーの異なる者を貶めることだけが正義であり、「客観的事実などケシ粒ほどの価値も持っていない」と信じているようです。

*1 ツイッターなどで「女性に下心があるため、女性の味方を演じる連中」を指す言葉です。彼らは当初から、この言葉で揶揄されておりました。
*2「ARTIFACT ―人工事実―」というのは加野瀬のブログ名です。

 さて、ここでもう一つ、根本的なことを説明しておかなければなりません。
 オタクという存在が、かつては世間ではあまり好ましいものとしては捉えられず、しかしここ十年ばかり、商業的な成功もあって比較的市民権を得だした――といったことは、何とはなしに皮膚感覚でおわかりいただけるかと思います。
 が、それは逆にぼくを含めた古株のオタクは、オタクが全く市民権を得ていない時期に青年期を過ごし、極めて強いルサンチマンを抱えている、ということでもあります(いえ、今の若い人たちも主観としてはさほど変わりはないとも思いますが……)。
 いい歳をして子供向けのアニメ(いかに『ガンダム』は違う、といったところでそれを補強してくれる論理やマスコミの援護射撃は、当時はありませんでした)を見ている、場合によっては女児向けアニメのキャラに「萌え」ているオタク少年は、クラスメートの少女にモテる存在では、どう考えてもありませんでした。
 それは本件で炎上してよりの、竹熊氏の発言が象徴しています。 

>本当は私、女性と特撮映画を見て、盛り上がりたいのです。世の女性と私では同じ特撮でも見てる部分が違いすぎるのです。「モスラ」の頭に乗っている紙粘土製のピーナツ人形や、『サンダ対ガイラ』でサンダが柿ピーのように人間を食べるシーンについて熱く語り合える女性に、私は会った事がないのです。

 これに対しても「お前がそんなだから女性にモテないのだ」とのツッコミが入っており、まあ、それはその通りなのですが、見ていて胸が苦しくなるようなツイートです。
 マニアに絶大な支持を受けている唐沢なをき氏という漫画家さんの、漫画界の舞台裏を描いた傑作、『まんが極道』(第一巻「センス オブ ワンダーくん)には「俺のことをわかってくれるSF好きの女性を彼女にしたいが、そんな女、いるはずがない!」と嘆くSF漫画家志望の青年が登場しますが、それを思い起こさせる話です。
 さて、上に書いた、ぼくを一斉に攻撃してきた人々は(これも印象論になってしまいますが)どうも男性が多いように感じられました*3。
 では、彼らは「オタク」でありながら「リア充」であった、つまり女性にモテる青春期を送り、ルサンチマンを抱いていないがために上のような主張をしているのでしょうか。
 いえ……ぼくにはそうではない気がしてなりません。彼らにも「非モテ」としてのルサンチマンがあり、しかしそれを発露することは彼らのグルに厳重に禁じられている。そこで、そうしたルサンチマンを露わにした(と、彼らが思い込んだ)者に対して一斉に正義の刃を向けることで、不満を逸らしている――そんな図式にぼくには見えます。
 それはまた、フェミニストたちの言いつけを守り「ジェンダーフリー」思想にひれ伏すリベラル男性よりも、どう考えても「男らしい男」の方が女性にモテるだろうになあ、という無常観とも、つながるように思います。
 魔女狩りにあって宗教裁判で処刑された者も、そして教会の覚えめでたくなるために密告をした者も結局はモテない……神も仏もないとは、このことです。
 これはまた、前回にお話しした、東浩紀氏がオタクに対し「ホモソーシャル」、「ミソジニー」、「マッチョ」、「ネトウヨ」といったレッテル貼りを実に熱心に、極めて薄弱な根拠で行っていた件をも連想させます。
 結局、彼らは

「女性を排除するホモソーシャリティという絶対悪が厳然と存在している、していなければならないのだ」→
「だから女性のファンを排除する者を見つけ出し、抹殺しなければならないのだ」


 という幼稚な政治性に取り憑かれているのです。
 しかしオタク界が全体として、女性に排他的かとなると、それは非常に考えにくい。
 現にアダルト物含め、「萌え」系の漫画家さん、イラストレーターさんに女性は大勢いるし、女性作家が(女性であるからとの理由で)叩かれる傾向がないとは言いませんが、同時に女性であることが売りになる局面だって多いのですから。
 繰り返しになりますが、(竹熊氏の件は彼にも非がなかったとは言えないとはいえ)本件は自らのルサンチマンを見透かされたくないが故に、隣人を密告して魔女裁判にかけるといった抑圧的な不健康さを感じる事例でした。
 しかしこうした抑圧的な「教義」を、事実を捏造してまで守ることに、どこまでの意義があるのか、それは極めて疑わしいと言わざるを得ません。
 ぼくたちは、「女性が男性性を身につけることは絶対的に好ましいこと」という、政治的正義をもう少し、疑ってみるべきではないでしょうか
 ぼくには、アファーマティブアクションなどによって女性の管理職を増やさねばならないのだとの感受性の主こそが、一面では主婦や女性性を差別しているように、そのような論者こそが、どこかで女性を見下しているように思えてなりません。

*3 一方、とある腐女子ライターさんが本件について言及していたので、上の「ロマンロボ」についてなど事情を説明したところ一発でご理解いただき、またこちらが恐縮するような丁寧な謝罪の返事をいただいた、との一幕もありました。
「女性の理解者」たらねばと必死の形相で勇み足を踏んでいる彼らに比べ、こと本件については女性の方が常識的であったように思われます。
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