『古事記』に登場する神々について(その7)スサノオ・アマテラス神話③
当『古事記』シリーズの最新アップから二週間あまりが経ちました。その間に『古事記』関連の著書を新たに二冊読みました。三浦佑之氏の『古事記講義』(文春文庫)と『口語訳 古事記[神代篇]』(同文庫)です。そこには、説得力のある議論がいくつかありました。ド素人なりに書き進めていくうちに、『古事記』解釈をめぐる、それなりの方向性がおのずと生じてきたような気がしていたのですけれど、三浦氏の著書を読み進めるうちに、それにかなり影響されてしまいまして、なんというか、かなりの軌道修正が必要かもしれないと思い始めています。
私のような『古事記』の若葉マーク・ホルダーにとって、同書を読み進めることには、未知の大洋を航海するときのような茫洋としたものがつきまとわざるをえません。だから、より性能の高い羅針盤を見つけたと思ったならば、ためらわずに、それまでの羅針盤を捨て去るべきなのでしょう(万巻の書を読み抜いてから書き始めることなど、浅学非才の私には到底不可能ですし)。ただしその場合、それまでの(あるかなきかの)航路を、なぜ、どのように変更するのかを、なるべく明瞭に述べることが必要となるでしょう。でなければ、自分の愚かしい迷走に、読み手のみなさまを付き合わせるというはた迷惑な振る舞いをしているだけのことになるでしょうから。そのマナーをしっかりと守ることができれば、いささかなりとも、未知の世界を探求する冒険のような楽しさを、みなさまと分かち合うことができるのかもしれない、などと思っております。
今回は、アマテラスとスサノオがウケヒ(宇気比)をする場面です。イザナキによって豊葦原の中つ国からの追放を申し渡されたスサノオは次のように言います。
「分かりました。そういうことであれば、姉の天照大御神にご挨拶にうかがうことにしましょう」。
そう言って、スサノオは高天原に昇っていきました。そのとき、国土が激しく振動したというのですから、すさまじいエネルギーです。そこでアマテラスは、こうつぶやきます。「弟が昇ってくるのは、絶対に良い心からではあるまい。私の国を奪おうと思っているにちがにない」と。そこでアマテラスは、スサノオに対する戦闘姿勢を誇示するかのように、女らしく結っていた髪を解き、みずらに編み上げて男の姿になり、その左のみずらにも右のみずらにも、あたまにかぶったかずらにも、左の手にも右の手にも、それぞれに大きな勾玉(まがたま)をたくさん緒につないだものを巻きつけて、肩には千本もの矢が入る武具である靫(ゆき)を背負い、脇腹から腹部にかけては五百本の矢が入る靫を付け、また、弓を射るとき相手を威圧する音を立てる竹鞆(たかとも)を左の臂(ひじ)に巻きつけ、弓の中ほどを握りしめて振り立て、固い地面を両股で踏みつけ続け、土を淡雪のように蹴散らして、おそろしい雄叫びをあげるのでした。
みずら結
ここで気になるのは、アマテラスのスサノオに対する過剰なまでの警戒心です。どうしてこうまでもアマテラスがスサノオを疑うのか、私を含むふつうの読み手には分かり兼ねるところがありますね。とりあえずは、それを指摘するにとどめて、本文に戻りましょう。
アマテラスは、スサノオに問いかけます。「お前は、どうして私が治めている高天原に昇ってきたのだ」と。するとスサノオは、「自分には邪な心などありません」と言って、高天原に昇ってくるまでの経緯を述べます。そうして重ねて「異(け)しき心無し」と謀反心などないことを強調します。すると、アマテラスは「だったら、お前の心が清くて晴れ晴れとしていることを、どうやって証し立てしようというのだ」と言います。それに対してスサノオは、「あなたと私とふたりともにウケヒをして子どもを生み成そうではありませんか」と答えます。
ここから有名なウケヒの場面に入っていくのではありますが、ここでちょっと不思議なことに気づきます。
ウケヒをすると言っているのに、どちらからも、「男の子を産んだら、あるいは、女の子を産んだら、スサノオには謀反心がない」という条件提示がなされていないのです。条件提示がないままに占ってみても、事態が混乱するだけなのは火を見るより明らかです。事態を混乱させるために、同書の編者・執筆者は、まるでワザと条件提示を省いたかのようであります。これでは、この占いはウケヒにはなりえません。
ウケヒというのは、まず前提となる条件を定めておいて、ある行為をすることによって神の判断を仰ぐことです。だから、前提条件を定めておかないことには、ウケヒのしようがないのです。こんな簡単な理屈は、ちょっとかしこい小学生でも分かることでしょう。
のんびり屋の太安万侶さんは、そのことをうっかり忘れてしまったのでしょうか。残念ながらというかなんというか、その可能性は、限りなくゼロに近いと言わざるをえません。
『古事記』のちょっと後のところになりますが、葦原中国平定のために遣わされたアメノワカヒコに与えられた矢が、高天原に飛んで来たのを見て、それが蘆原中国を平定するために射られた矢なのかどうかを判断するために、高木神は、「もしそうならアメノワカヒコに当たるな、そうでないならアメノワカヒコに当たれ」と宣言しているのです。そのうえで、矢を下界に投げ返しました。ちなみに、矢はアメノワカヒコの胸に当たり、その濁った心が災いして死んでしまいました。
ここから察するに、太安万侶は、ウケヒがいかなるものであるのかをよく分かっていたのです。にもかかわらず、アマテラスとスサノオのウケヒの場面には、ウケヒを成り立たせるための前提条件がない。ということは、太安万侶は、意図的に前提条件を設定しなかった、となります。この話は、後ほど再び取り上げることにして、とりあえず本文に戻りましょう。
天(あま)の安河(やすのかわ)を間にはさんで、まずアマテラスが、スサノオの刷(は)いていた十拳(とつか)の釼(つるぎ)を受け取って、これを三つに折り、それに神聖な井戸の水をふりかけて、噛みに噛みます。そうして、吐き出す息の霧から生まれた神は、次の三柱です。
・多紀理毘売命(タキリビメノミコト) 別名・奥津島比売命(おきつしまひめのみこと) 霧にちなんだ女神だそうです。福岡県宗像市大島沖ノ島に鎮座の由。沖ノ島は、海の正倉院と呼ばれています。
・市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト) 別名・狭依毘売命(さよりびめのみこと)「いちき島」は「斎き島」の意で、神を祀った神聖な島のこと。同宗像市大島に鎮座の由。
・多岐都比売命(タキツヒメノミコト) 「たきつ」は、水が激しく流れること。水神であると思われます。同宗像市田島に鎮座の由。
『古事記』によれば、三柱いずれも宗像氏の祭祀する宗像神社の祭神です。宗像氏は、福岡県宗像郡を本拠とした海人(あま)系の豪族で、宗像神社の神主を務めました。九州北部の沿岸部と玄界灘の島々に勢力を持っていて、航海や漁労などにとどまらず、荒々しい外洋を乗り越えることのできる操船術や航海術に長けていたようです。
次はスサノオの番です。彼は、アマテラスが身体のいろいろな部分に巻いていた玉の緒を受け取って、アマテラスと同じような所作によって、それらから次の五柱の男の神々を生み出しました。
・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト) 左のみずらに巻いていた玉の緒から生まれた神。「正勝吾勝」は、正しく吾勝ちぬの意。「勝速日」は、速やかに勝つ神霊の意。「忍穂」は、多くの稲穂の意。この神は、皇室の祖神として天孫降臨の段にも現れます。「勝」の字が三つもあることに注意したいものです。このことには、後にふたたび触れましょう。
・天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)右のみずらに巻いていた玉の緒から生まれた神。「天穂日命」とも記す。稲穂の神霊の意。出雲系諸氏族の祖神。後に、地上平定に差し向けられるが失敗します。
・天津日子根命(アマツヒコネノミコト)かずらに巻かれていた玉の緒から生まれた神。「日子根」は、日神の子の意。アマテラスの子どもということでしょう。
・活津日子根命(イクツヒコネノミコト)左手に巻かれていた玉の緒から生まれた神。所伝未詳とされています。
・熊野久須毘命(クマノクスビコノミコト)右手に巻かれていた玉の緒から生まれた神。同じく所伝未詳とされています。
ウケイで生まれた神が出揃ったところで、アマテラスが言います。「後に生まれた五柱の男の子は私の玉を物実(ものざね・種あるいは因子)として生まれて来た神であるから、当然私の子ですよ。先に生まれた三柱の女の子は、お前の釼を物実として生まれて来たのだから、お前の子です。」と。
これ、いかがでしょうか。ちょっと唐突というか、取って付けた感じというか、なんだか変な印象ですね。私たちがそういう印象を抱いてしまう根本の原因は、ウケヒ成立のための前提条件の提示抜きに、事が進行してしまったことであります。言いかえれば、あらかじめ提示されるべきものが、後付で提示されてしまったので、私たちは、それを素直に受け入れることができないのです。
その後の展開は、ハチャメチャといえばハチャメチャです。というのは、スサノオは、一方的に自分が勝ったと言い張って、乱暴狼藉を働きはじめるのですから。そうなると、アマテラスの言葉がますます奇妙なものに思えてきます。事態を収拾するために発した言葉が、かえって、事態を混乱させてしまったように感じられるからですね。神様に向かって礼を失した言い方になってしまいますが、アマテラスは、頭の弱い神様なのでしょうか。読み手にそんな印象を抱かせるために、安万侶さんは、わざわざ、前提条件の提示を提示しないウケイを描写したのでしょうか。
こうやってつらつら考えてくると、次のことが浮びあがってくるように思われます。すなわち、スサノオとアマテラスとでは、この「ウケヒ」をする上での思惑が異なっているのではなかろうか、あるいは、ふたりの思惑はすれ違ってしまっているのではなかろうか、ということが、です。
スサノオの考えはいたって単純です。自分には「きたなき心」や「異なる心」などまったくないことを証し立てしたい思いでいっぱいなのです。
それに対して、アマテラスの思いはけっこう複雑です。アマテラスがいちばん気にしているのは、自分が治めている高天原をスサノオから奪われることでは、実はありません。それはかりそめの話であって、豊葦原の中つ国がスサノオのものになってしまうことをこそ、アマテラスは心底恐れているのです。
豊葦原の中つ国を治めるためにこそ、アマテラスは、高天原を治めていなければなりません。というのは、アマテラスが高天原を治めているからこそ、後の天孫降臨神話が威光を放ちえるのであり、天孫降臨神話が威光を放ちえているからこそ、オオクニヌシの国譲り神話が説得力を持ち得るからです。
ざっくりと言ってしまえば、要するに『古事記』の神代篇全体は、天皇家が豊葦原の中つ国を治めることのオーソドキシィ(正統性)をゆるぎなく確立するという大和朝廷のミッションを遂行するための壮大なフィクションなのです。
ところが、もともと豊葦原の中つ国がスサノオのシロシめすべき国であることがはっきりしてしまえば、せっかくの壮大な神話の体系が無駄になることを超えて、その存在自体が崩壊してしまいかねないことになるでしょう。そうなれば、一巻の終わりです。
スサノオに対する、アマテラスの、過剰なまでの警戒心と武装には、そういう不安やさらには怯えのようなものが影を落としているように、私には感じられてならないのです。
そのこととの関連で、生々しく思い出されるのは、当論考シリーズ「その5」で、次田真幸氏の『古事記(上)全訳注』(講談社学術文庫)から引いた次のふたつの文章です。
建速須佐之男命 「建速」は勇猛迅速の意で、この神の荒々しい性格を表わす称辞。「須佐」は、元来出雲国(島根県)飯石郡の地名で、この神は本来、出雲地方で祖神として信仰されていた神である。
スサノオノ命が天照大御神と姉弟の関係で結ばれているのは、注目すべき点である。日神と月神が、天父神の左右の目から生まれたとする神話は、日本神話以外にも例があるが、鼻からスサオノ命が生まれたとするのは異例である。スサオノ命は、元来出雲神話の祖神であって、皇室神話の祖神である天照大御神との間には、血縁的関係はなかったはずである。それが共にイザナキノ命の子として結合されたのは、皇室神話と出雲系神話とを統合するために採られた方法であったと思われる。
編者にして執筆者の太安万侶にとって、豊葦原の中つ国の中心的な存在は、出雲です。それは、『古事記』をふつうに読めば、だれでも分かることです。そうして、スサノオは、出雲地方で祖神として信仰されていた神であるというのですから、スサノオの末裔こそは、豊葦原の中つ国を治めるにふさわしい存在である、となるでしょう。むろん、太安万侶にとって、ということです。
その当然の理をふまえながら、なおもアマテラスの末裔こそが、豊葦原の中つ国を治めるにふさわしい存在であるとするには、アマテラスとスサノオとの間に血のつながりがある、つまり、両者は姉と弟の関係である、とするフィクションを設定する必要が生じます。また、ウケイは、子産みをめぐっての両者のつながりを暗示しつつも(ウケイの場面には神話の話型としての姉弟婚の痕跡があります)、アマテラスが優位に立つことが絶対条件となるはずです。
大和朝廷の正統性を確立するための、そういうさまざまな要請やその圧力が、ウケヒの場面をめぐってのさきほど指摘したいくつかの不自然さをもたらしている、という印象を、私は抱かざるをえないのです。
この問題を、ちょっと違った角度から考えてみましょう。取り上げたいのは、オシホミミの名前です。彼は、スサノオがウケヒで生み出した一番目の神で、その名前の冒頭が「正勝吾勝勝速」となっていて、勝の字が三つもあります。ここを素直に読めば、男の子が生まれて、スサノオが心の中で放った「オレは勝った」という躍りだしたいような喜びの快哉がおのずから反映されていると感じられます。アマテラスの勝利の喜びの声が反映されていると解するのは、不自然に過ぎると思われます。
ここで、スサノオが勝ったと思ったと解すれば、その後の展開がすとんと腑に落ちるのです。つまり、スサノオのウケヒが終わったところで、アマテラスが取って付けたように、男の神は自分の物実(ものざね)から生まれたので自分のものだと宣言したことの収まりの悪さ・不自然さは、スサノオがオシホミミを生み出したことに彼女が狼狽したがゆえに生じていると考えればごくすんなりと分かることになります。
また、ウケヒが終わった後に、スサノオが一方的に勝ちを宣言したことも、その直後に、勝ったと言いながら突然乱暴狼藉を働き始めたことも、アマテラスの、自然なことの成り行きを捻じ曲げるかのような不自然な言動によって、スサノオが、どこかはぐらかされたような腑に落ちない思いを抱いて憤懣やるかたない烈しい情動が惹起してきたのだと考えれば、これまたすんなりと分かるようになるのです。
ここまで論を進めてくれば、太安万侶がウケヒの前提条件をあえて提示しなかった理由が、おぼろげながらも浮かんでくるのではないでしょうか。安万侶は、スサノオの神としての出自と、そのことの重さとを知悉していたからこそ、それを提示しようにも提示しえなかったのではないか。私には、そういうふうに感じられます。とりあえずの答えは、これくらいにしておいて、これからさらに『古事記』を読み進めるうちに、その理由がおのずとより鮮明になるのを待ちましょう。
以上述べてきた、ウケヒをめぐる一筋縄ではいかない機微を、当論の冒頭でその名前を出した三浦佑之氏は、次のような口語訳で上手にすくい取っているように感じられます。三浦氏の『口語訳 古事記』は、村の古老の語りという設定で訳されていて、ときおり、述懐という形で、三浦氏の見解が織り込まれています。以下に引くのは、述懐の部分です。
それにしてものう、スサノヲの心はいかばかりじゃったろうの。オシホミミを吹き出したのはスサノヲじゃったのに、アマテラスはおのれの子じゃと言うて、詔(の)り別けてしもうたでのう。それに、ウケヒの答えをいかに取ればいいものか。マサカツアカツという名をもつ神は(お)の子のオシホミミじゃて、男の子を生んだ神が正しいというのは間違いなかろうがのう。それにしても、男の子を生み成したのはどちらじゃろうのう。やはり、物実を持っておったアマテラスなのかのう。なにせ、遠い遠い神の振る舞いじゃで、この老いぼれにも、しかとわからぬのじゃ。それでものう、この老いぼれは、スサノヲがいとしうてのう、いくたびも異(け)しき心は持たぬと言うてござったじゃろうが・・・・・。あの言葉にいつわりはなかったと思いたいのじゃ。そもそも、ウケヒ生みの前に、なんの取り決めもなさらなかったというのは、なぜじゃろうのう。それがないとウケヒは成りたたんのじゃが・・・・・。いや、どうにも、この老いぼれにはわからんわい。神の代のことじゃでのう。
いかがでしょうか。なかなか味わい深い口語訳であるとは思われませんか。
当『古事記』シリーズの最新アップから二週間あまりが経ちました。その間に『古事記』関連の著書を新たに二冊読みました。三浦佑之氏の『古事記講義』(文春文庫)と『口語訳 古事記[神代篇]』(同文庫)です。そこには、説得力のある議論がいくつかありました。ド素人なりに書き進めていくうちに、『古事記』解釈をめぐる、それなりの方向性がおのずと生じてきたような気がしていたのですけれど、三浦氏の著書を読み進めるうちに、それにかなり影響されてしまいまして、なんというか、かなりの軌道修正が必要かもしれないと思い始めています。
私のような『古事記』の若葉マーク・ホルダーにとって、同書を読み進めることには、未知の大洋を航海するときのような茫洋としたものがつきまとわざるをえません。だから、より性能の高い羅針盤を見つけたと思ったならば、ためらわずに、それまでの羅針盤を捨て去るべきなのでしょう(万巻の書を読み抜いてから書き始めることなど、浅学非才の私には到底不可能ですし)。ただしその場合、それまでの(あるかなきかの)航路を、なぜ、どのように変更するのかを、なるべく明瞭に述べることが必要となるでしょう。でなければ、自分の愚かしい迷走に、読み手のみなさまを付き合わせるというはた迷惑な振る舞いをしているだけのことになるでしょうから。そのマナーをしっかりと守ることができれば、いささかなりとも、未知の世界を探求する冒険のような楽しさを、みなさまと分かち合うことができるのかもしれない、などと思っております。
今回は、アマテラスとスサノオがウケヒ(宇気比)をする場面です。イザナキによって豊葦原の中つ国からの追放を申し渡されたスサノオは次のように言います。
「分かりました。そういうことであれば、姉の天照大御神にご挨拶にうかがうことにしましょう」。
そう言って、スサノオは高天原に昇っていきました。そのとき、国土が激しく振動したというのですから、すさまじいエネルギーです。そこでアマテラスは、こうつぶやきます。「弟が昇ってくるのは、絶対に良い心からではあるまい。私の国を奪おうと思っているにちがにない」と。そこでアマテラスは、スサノオに対する戦闘姿勢を誇示するかのように、女らしく結っていた髪を解き、みずらに編み上げて男の姿になり、その左のみずらにも右のみずらにも、あたまにかぶったかずらにも、左の手にも右の手にも、それぞれに大きな勾玉(まがたま)をたくさん緒につないだものを巻きつけて、肩には千本もの矢が入る武具である靫(ゆき)を背負い、脇腹から腹部にかけては五百本の矢が入る靫を付け、また、弓を射るとき相手を威圧する音を立てる竹鞆(たかとも)を左の臂(ひじ)に巻きつけ、弓の中ほどを握りしめて振り立て、固い地面を両股で踏みつけ続け、土を淡雪のように蹴散らして、おそろしい雄叫びをあげるのでした。
みずら結
ここで気になるのは、アマテラスのスサノオに対する過剰なまでの警戒心です。どうしてこうまでもアマテラスがスサノオを疑うのか、私を含むふつうの読み手には分かり兼ねるところがありますね。とりあえずは、それを指摘するにとどめて、本文に戻りましょう。
アマテラスは、スサノオに問いかけます。「お前は、どうして私が治めている高天原に昇ってきたのだ」と。するとスサノオは、「自分には邪な心などありません」と言って、高天原に昇ってくるまでの経緯を述べます。そうして重ねて「異(け)しき心無し」と謀反心などないことを強調します。すると、アマテラスは「だったら、お前の心が清くて晴れ晴れとしていることを、どうやって証し立てしようというのだ」と言います。それに対してスサノオは、「あなたと私とふたりともにウケヒをして子どもを生み成そうではありませんか」と答えます。
ここから有名なウケヒの場面に入っていくのではありますが、ここでちょっと不思議なことに気づきます。
ウケヒをすると言っているのに、どちらからも、「男の子を産んだら、あるいは、女の子を産んだら、スサノオには謀反心がない」という条件提示がなされていないのです。条件提示がないままに占ってみても、事態が混乱するだけなのは火を見るより明らかです。事態を混乱させるために、同書の編者・執筆者は、まるでワザと条件提示を省いたかのようであります。これでは、この占いはウケヒにはなりえません。
ウケヒというのは、まず前提となる条件を定めておいて、ある行為をすることによって神の判断を仰ぐことです。だから、前提条件を定めておかないことには、ウケヒのしようがないのです。こんな簡単な理屈は、ちょっとかしこい小学生でも分かることでしょう。
のんびり屋の太安万侶さんは、そのことをうっかり忘れてしまったのでしょうか。残念ながらというかなんというか、その可能性は、限りなくゼロに近いと言わざるをえません。
『古事記』のちょっと後のところになりますが、葦原中国平定のために遣わされたアメノワカヒコに与えられた矢が、高天原に飛んで来たのを見て、それが蘆原中国を平定するために射られた矢なのかどうかを判断するために、高木神は、「もしそうならアメノワカヒコに当たるな、そうでないならアメノワカヒコに当たれ」と宣言しているのです。そのうえで、矢を下界に投げ返しました。ちなみに、矢はアメノワカヒコの胸に当たり、その濁った心が災いして死んでしまいました。
ここから察するに、太安万侶は、ウケヒがいかなるものであるのかをよく分かっていたのです。にもかかわらず、アマテラスとスサノオのウケヒの場面には、ウケヒを成り立たせるための前提条件がない。ということは、太安万侶は、意図的に前提条件を設定しなかった、となります。この話は、後ほど再び取り上げることにして、とりあえず本文に戻りましょう。
天(あま)の安河(やすのかわ)を間にはさんで、まずアマテラスが、スサノオの刷(は)いていた十拳(とつか)の釼(つるぎ)を受け取って、これを三つに折り、それに神聖な井戸の水をふりかけて、噛みに噛みます。そうして、吐き出す息の霧から生まれた神は、次の三柱です。
・多紀理毘売命(タキリビメノミコト) 別名・奥津島比売命(おきつしまひめのみこと) 霧にちなんだ女神だそうです。福岡県宗像市大島沖ノ島に鎮座の由。沖ノ島は、海の正倉院と呼ばれています。
・市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト) 別名・狭依毘売命(さよりびめのみこと)「いちき島」は「斎き島」の意で、神を祀った神聖な島のこと。同宗像市大島に鎮座の由。
・多岐都比売命(タキツヒメノミコト) 「たきつ」は、水が激しく流れること。水神であると思われます。同宗像市田島に鎮座の由。
『古事記』によれば、三柱いずれも宗像氏の祭祀する宗像神社の祭神です。宗像氏は、福岡県宗像郡を本拠とした海人(あま)系の豪族で、宗像神社の神主を務めました。九州北部の沿岸部と玄界灘の島々に勢力を持っていて、航海や漁労などにとどまらず、荒々しい外洋を乗り越えることのできる操船術や航海術に長けていたようです。
次はスサノオの番です。彼は、アマテラスが身体のいろいろな部分に巻いていた玉の緒を受け取って、アマテラスと同じような所作によって、それらから次の五柱の男の神々を生み出しました。
・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト) 左のみずらに巻いていた玉の緒から生まれた神。「正勝吾勝」は、正しく吾勝ちぬの意。「勝速日」は、速やかに勝つ神霊の意。「忍穂」は、多くの稲穂の意。この神は、皇室の祖神として天孫降臨の段にも現れます。「勝」の字が三つもあることに注意したいものです。このことには、後にふたたび触れましょう。
・天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)右のみずらに巻いていた玉の緒から生まれた神。「天穂日命」とも記す。稲穂の神霊の意。出雲系諸氏族の祖神。後に、地上平定に差し向けられるが失敗します。
・天津日子根命(アマツヒコネノミコト)かずらに巻かれていた玉の緒から生まれた神。「日子根」は、日神の子の意。アマテラスの子どもということでしょう。
・活津日子根命(イクツヒコネノミコト)左手に巻かれていた玉の緒から生まれた神。所伝未詳とされています。
・熊野久須毘命(クマノクスビコノミコト)右手に巻かれていた玉の緒から生まれた神。同じく所伝未詳とされています。
ウケイで生まれた神が出揃ったところで、アマテラスが言います。「後に生まれた五柱の男の子は私の玉を物実(ものざね・種あるいは因子)として生まれて来た神であるから、当然私の子ですよ。先に生まれた三柱の女の子は、お前の釼を物実として生まれて来たのだから、お前の子です。」と。
これ、いかがでしょうか。ちょっと唐突というか、取って付けた感じというか、なんだか変な印象ですね。私たちがそういう印象を抱いてしまう根本の原因は、ウケヒ成立のための前提条件の提示抜きに、事が進行してしまったことであります。言いかえれば、あらかじめ提示されるべきものが、後付で提示されてしまったので、私たちは、それを素直に受け入れることができないのです。
その後の展開は、ハチャメチャといえばハチャメチャです。というのは、スサノオは、一方的に自分が勝ったと言い張って、乱暴狼藉を働きはじめるのですから。そうなると、アマテラスの言葉がますます奇妙なものに思えてきます。事態を収拾するために発した言葉が、かえって、事態を混乱させてしまったように感じられるからですね。神様に向かって礼を失した言い方になってしまいますが、アマテラスは、頭の弱い神様なのでしょうか。読み手にそんな印象を抱かせるために、安万侶さんは、わざわざ、前提条件の提示を提示しないウケイを描写したのでしょうか。
こうやってつらつら考えてくると、次のことが浮びあがってくるように思われます。すなわち、スサノオとアマテラスとでは、この「ウケヒ」をする上での思惑が異なっているのではなかろうか、あるいは、ふたりの思惑はすれ違ってしまっているのではなかろうか、ということが、です。
スサノオの考えはいたって単純です。自分には「きたなき心」や「異なる心」などまったくないことを証し立てしたい思いでいっぱいなのです。
それに対して、アマテラスの思いはけっこう複雑です。アマテラスがいちばん気にしているのは、自分が治めている高天原をスサノオから奪われることでは、実はありません。それはかりそめの話であって、豊葦原の中つ国がスサノオのものになってしまうことをこそ、アマテラスは心底恐れているのです。
豊葦原の中つ国を治めるためにこそ、アマテラスは、高天原を治めていなければなりません。というのは、アマテラスが高天原を治めているからこそ、後の天孫降臨神話が威光を放ちえるのであり、天孫降臨神話が威光を放ちえているからこそ、オオクニヌシの国譲り神話が説得力を持ち得るからです。
ざっくりと言ってしまえば、要するに『古事記』の神代篇全体は、天皇家が豊葦原の中つ国を治めることのオーソドキシィ(正統性)をゆるぎなく確立するという大和朝廷のミッションを遂行するための壮大なフィクションなのです。
ところが、もともと豊葦原の中つ国がスサノオのシロシめすべき国であることがはっきりしてしまえば、せっかくの壮大な神話の体系が無駄になることを超えて、その存在自体が崩壊してしまいかねないことになるでしょう。そうなれば、一巻の終わりです。
スサノオに対する、アマテラスの、過剰なまでの警戒心と武装には、そういう不安やさらには怯えのようなものが影を落としているように、私には感じられてならないのです。
そのこととの関連で、生々しく思い出されるのは、当論考シリーズ「その5」で、次田真幸氏の『古事記(上)全訳注』(講談社学術文庫)から引いた次のふたつの文章です。
建速須佐之男命 「建速」は勇猛迅速の意で、この神の荒々しい性格を表わす称辞。「須佐」は、元来出雲国(島根県)飯石郡の地名で、この神は本来、出雲地方で祖神として信仰されていた神である。
スサノオノ命が天照大御神と姉弟の関係で結ばれているのは、注目すべき点である。日神と月神が、天父神の左右の目から生まれたとする神話は、日本神話以外にも例があるが、鼻からスサオノ命が生まれたとするのは異例である。スサオノ命は、元来出雲神話の祖神であって、皇室神話の祖神である天照大御神との間には、血縁的関係はなかったはずである。それが共にイザナキノ命の子として結合されたのは、皇室神話と出雲系神話とを統合するために採られた方法であったと思われる。
編者にして執筆者の太安万侶にとって、豊葦原の中つ国の中心的な存在は、出雲です。それは、『古事記』をふつうに読めば、だれでも分かることです。そうして、スサノオは、出雲地方で祖神として信仰されていた神であるというのですから、スサノオの末裔こそは、豊葦原の中つ国を治めるにふさわしい存在である、となるでしょう。むろん、太安万侶にとって、ということです。
その当然の理をふまえながら、なおもアマテラスの末裔こそが、豊葦原の中つ国を治めるにふさわしい存在であるとするには、アマテラスとスサノオとの間に血のつながりがある、つまり、両者は姉と弟の関係である、とするフィクションを設定する必要が生じます。また、ウケイは、子産みをめぐっての両者のつながりを暗示しつつも(ウケイの場面には神話の話型としての姉弟婚の痕跡があります)、アマテラスが優位に立つことが絶対条件となるはずです。
大和朝廷の正統性を確立するための、そういうさまざまな要請やその圧力が、ウケヒの場面をめぐってのさきほど指摘したいくつかの不自然さをもたらしている、という印象を、私は抱かざるをえないのです。
この問題を、ちょっと違った角度から考えてみましょう。取り上げたいのは、オシホミミの名前です。彼は、スサノオがウケヒで生み出した一番目の神で、その名前の冒頭が「正勝吾勝勝速」となっていて、勝の字が三つもあります。ここを素直に読めば、男の子が生まれて、スサノオが心の中で放った「オレは勝った」という躍りだしたいような喜びの快哉がおのずから反映されていると感じられます。アマテラスの勝利の喜びの声が反映されていると解するのは、不自然に過ぎると思われます。
ここで、スサノオが勝ったと思ったと解すれば、その後の展開がすとんと腑に落ちるのです。つまり、スサノオのウケヒが終わったところで、アマテラスが取って付けたように、男の神は自分の物実(ものざね)から生まれたので自分のものだと宣言したことの収まりの悪さ・不自然さは、スサノオがオシホミミを生み出したことに彼女が狼狽したがゆえに生じていると考えればごくすんなりと分かることになります。
また、ウケヒが終わった後に、スサノオが一方的に勝ちを宣言したことも、その直後に、勝ったと言いながら突然乱暴狼藉を働き始めたことも、アマテラスの、自然なことの成り行きを捻じ曲げるかのような不自然な言動によって、スサノオが、どこかはぐらかされたような腑に落ちない思いを抱いて憤懣やるかたない烈しい情動が惹起してきたのだと考えれば、これまたすんなりと分かるようになるのです。
ここまで論を進めてくれば、太安万侶がウケヒの前提条件をあえて提示しなかった理由が、おぼろげながらも浮かんでくるのではないでしょうか。安万侶は、スサノオの神としての出自と、そのことの重さとを知悉していたからこそ、それを提示しようにも提示しえなかったのではないか。私には、そういうふうに感じられます。とりあえずの答えは、これくらいにしておいて、これからさらに『古事記』を読み進めるうちに、その理由がおのずとより鮮明になるのを待ちましょう。
以上述べてきた、ウケヒをめぐる一筋縄ではいかない機微を、当論の冒頭でその名前を出した三浦佑之氏は、次のような口語訳で上手にすくい取っているように感じられます。三浦氏の『口語訳 古事記』は、村の古老の語りという設定で訳されていて、ときおり、述懐という形で、三浦氏の見解が織り込まれています。以下に引くのは、述懐の部分です。
それにしてものう、スサノヲの心はいかばかりじゃったろうの。オシホミミを吹き出したのはスサノヲじゃったのに、アマテラスはおのれの子じゃと言うて、詔(の)り別けてしもうたでのう。それに、ウケヒの答えをいかに取ればいいものか。マサカツアカツという名をもつ神は(お)の子のオシホミミじゃて、男の子を生んだ神が正しいというのは間違いなかろうがのう。それにしても、男の子を生み成したのはどちらじゃろうのう。やはり、物実を持っておったアマテラスなのかのう。なにせ、遠い遠い神の振る舞いじゃで、この老いぼれにも、しかとわからぬのじゃ。それでものう、この老いぼれは、スサノヲがいとしうてのう、いくたびも異(け)しき心は持たぬと言うてござったじゃろうが・・・・・。あの言葉にいつわりはなかったと思いたいのじゃ。そもそも、ウケヒ生みの前に、なんの取り決めもなさらなかったというのは、なぜじゃろうのう。それがないとウケヒは成りたたんのじゃが・・・・・。いや、どうにも、この老いぼれにはわからんわい。神の代のことじゃでのう。
いかがでしょうか。なかなか味わい深い口語訳であるとは思われませんか。