goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

戦後民主主義・左翼性・主権者意識   (イザ!ブログ 2012・10・21 掲載)

2013年12月01日 18時26分40秒 | 戦後思想
由紀草一様

ご返事(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/38fdad7329a8d39c38eed6394553059e)をいただいてから、2ヶ月弱の月日が経ちました。由紀さんの「今後どれくらい時間はかかってもかまいませんから、できたら、対応してください」というお言葉が脳裏を去ることはありませんでした。私も、いわゆる言論人の端くれと自認していますので、相手の真摯な問いかけを無視することなど思いもよりません。折に触れ、考えたことがありますので、どこまで由紀さんの問いかけに応えることができるのかはなはだおぼつかないのですが、やれるだけはやってみましょう。

「戦後民主主義」についての由紀さんの、私に対するご注文・ご忠告は、要するに「美津島よ、戦後民主主義を敵視し過ぎないように。その構えは戦前の軍国主義を敵視し過ぎた戦後民主主義者と結局は同じ思想的な構え・図式に陥ることになってしまうのだよ。そういう危惧を自分は美津島に対して抱かざるをえない」ということではないかと受けとめました。少なくとも、由紀さんのお言葉にそういう含意があることは間違いないでしょう。

とするならば、由紀さんのご忠告に年長の言論人としての温かいまなざしを、私は感じざるをえません。ありがとうございます。

また、由紀さんにそういう危惧を抱かせる思想的な体質が自分にあることも承知しています。単純に好き嫌いで言えば、私は戦後民主主義的な言辞を弄したがる手合いを骨の髄から嫌い抜いています。軽蔑しています。馬鹿じゃなかろうかと思っています。他方、戦前の日本を感じさせる気風には、なにやら懐かしさを覚えますし、好ましく思ってもいます。私が映画監督の成瀬巳喜男や小津安二郎を酷愛するのは、彼らが本質的に戦前の人たちだからです。そんな彼らが戦後をどういうふうに見ていたのかということに、私はとても興味があります。書けるものならそういうことをテーマに一冊書いてみたいくらいです。

しかし他方、言論人としての責任ある言説を展開しようと思うのならば、そういう好悪の次元にとどまるべきではない、ということも私は知っているつもりです。つまり、好悪の次元を一度はカッコに入れて、諸思想の対立関係の総体を見晴らせる場所に立たなければ、本当に思想を論じたことにはならない、という問題意識を、及ばずながら自分に課しているつもりなのです。

由紀さんとのやり取りにおいて、私はできるだけそういう姿勢で臨もうとしています。むろん、それがうまくいっていない、というご批判は甘受しますよ。

で、私なりのそういう見地からの、大げさに言えば言語戦略は、戦後民主主義批判を通じて民主主義の鍛え上げをすることなのです。それは、舌っ足らずながらも、ずっと言い続けてきたつもりです。

そういう風に考えている私にしてみれば、戦後民主主義を批判しさらには否定したからと言って、民主主義まで否定する気はまったくありません。むしろ、戦後民主主義から民主主義の可能性を救い出したいと思っているくらいなのです

だから、由紀さんの

戦前の日本はすべて悪、愛国心も悪、とするところから生まれてくる極端な、というよりは常軌を逸した反日感情は、例えば美津島さんの心に逆の情念を植え付けてしまったではないですか。情念といっしょに言葉のイメージが反転して、民主主義は、少なくとも日教組など左翼勢力が看板にした「戦後の民主主義」は悪なんだ、ということになりました。

これでは民主主義が可哀そう過ぎます。


という言葉に、私は正直なところ面食らってしまったのです。由紀さんからすれば、私の言い方には、民主主義そのものに対してまでもどこかしら否定的であるかのように受けとめられてしまう側面があるのでしょう。

私なりの言説戦略について、言葉を変えて言ってみましょう。

私は、戦後思想の著しい特徴としての「民主主義の意匠によって偽装された左翼性」をできうる限り対象化し批判し否定したいと思っています。それが、私にとっての戦後民主主義批判の核心であります。

いわゆる人権擁護法案を例にとってみましょう。

これは、人権侵害によって発生する被害を迅速適正に救済し、人権侵害を実効的に予防するため、人権擁護に関する事務を総合的に取り扱う機関の設置を定めた法案です。人権擁護は民主主義の核心を成していますから、法案の内容・趣旨を素直に受けとめれば、民主主義の社会的な深化を目指す極めて素晴らしい法案というよりほかありません。で、人権擁護を単なるお題目にせずにその実効性を担保するために人権擁護委員会という極めて独立性の高い委員会(これを第三委員会といいます)を作り、そこに持ち込まれた案件を委員たちがきちんと取り上げて、悪質な事案については過料を課す(この点は閣議決定時や法案作成時に引っ込められる場合もあります)ことも辞さない、という徹底ぶりです。なお、人権擁護委員会は、人権侵害の事案を細かくすくい上げるために、市町村レベルにまでその下部組織が張り巡らされます。報道機関も当然人権侵害の訴えの対象になります。少なくとも同法案作成者たちはそうしたがっています。そんなふうにして民主主義が現実的な形で日本の隅々にまで行き渡るのですから、万々歳です。

しかし、ここに大きな問題がいくつかあります。まず、この法案では「人権侵害」の内容があいまいなのです。とにかく当事者が人権侵害を被ったと認識したなら、その人はその案件を人権擁護委員会に無条件で持ち込むことができるのです。人権を侵害したとみなされた側は異議申し立てをする間もなく、審議は粛粛と進められます。密告社会の息苦しさ・空恐ろしさがこの法律によって醸成される危険性があるのです。

もっと大きな問題は、この法案をこれまで強力に推進してきたのが解放同盟とその同伴議員たちである、ということです。彼らが弱者利権の暴力的な守護者であることはマスコミではタブーとされていますが、社会的には周知されています。解放同盟は、日本に健全な民主主義を広めるために人権擁護法案の成立に邁進しているのでしょうか。それは、まずありえないでしょう。閣僚からの独立性の高い人権擁護委員会の委員長や委員として自分たちの息の吹きかかった人物を送り込もうとしていると考えるのが自然でしょう。そうして、当然のことながら、国家権力の中枢に独立性の高い状態で巣食うことによって、日本の言論状況を自分たちのコントロール下に置く、あるいはそこまでいかなくても少なくともそれを自分たちに有利な形に変えることを目論んでいると考えるのが普通ではないでしょうか。

権力の中枢に潜り込むのが得意なラディカル・フェミニストグループや民団・朝鮮総連などの反日勢力が、それを指をくわえ黙って見ている姿は想像しにくいですね。彼らが、解放同盟に負けてはならじとばかりに、人権擁護委員会への人員送り込みを画策するのは目に見えていますね。また、それらのグループの同伴者としての日教組が彼らのそういう動きを陰に陽にサポートするのもおそらく間違いないでしょう。

つまり、人権擁護法案という表面的には極めて民主主義的な法律が成立してしまったなら、権力の中枢に極左反日勢力の強固な牙城が築かれる事態に至る危険性が現実のものになってしまうのです。

彼ら極左反日勢力は、戦後日本において、言説レベルで民主主義の用語に左翼的な情念を吹き込む術を熟達させていく内に、今度は公権力の内側に潜り込んで公の意匠をまといつつ偏向思想を流布する術をマスターするに至りました。ラディカル・フェミニズムが自分たちの信奉するジェンダー・フリー思想を公教育を利用して流布したことは、その分かりやすい一例です。また、少なからぬ極左勢力が、法務省や内閣府に法務官僚として潜り込んでいるとも聞いています。

彼らが目指しているのは一般国民の幸福追求に資する健全な民主主義社会とは似て非なるものです。言論の自由に即して言うならば、彼らに都合の良い言論の自由は頑として守ろうとしますが、それ以外の一般的な言論の自由はおそらく弾圧しようとするでしょう。それが彼らの言論体質ですから。一言でいえば、全体主義体質なんですね。人権委員会のシステム一つとってみても、旧ソ連の秘密警察組織にそっくりです。血は争えないとはこのことです。

戦後民主主義は、国家の存在そのものを悪とみなし、国家権力への異議申し立てをアプリオリに善・正義とみなしてきました。亡くなった小田実なんてそれを純粋に形象化したような存在でした。

そういう思想的な傾向は、極左反日勢力の権力中枢への潜入をどこかで許容してしまうところがあります。彼ら戦後民主主義者が絶対悪とみなす国家権力に対する左翼のシロアリ的な行動が相対善になってしまうのは物の道理でしょう。

そこで私の目は、おのずと戦後民主主義の根本的な欠陥に行きます。

日本国憲法に即すならば、戦後民主主義の柱は①憲法9条的な絶対平和主義と②基本的人権の尊重と③国民主権の三つです。

このうち、①の憲法9条的な絶対平和主義と民主主義とは論理的にはつながりません。政体としての民主制と国軍の存在はなんら矛盾しないからです。戦後において、憲法9条的な絶対平和主義が民主主義の代名詞のようになってしまった事態には、いわゆる東京裁判史観が時代のイデオロギーになってしまったことが深くからんでいます。

東京裁判史観は、日本国民にとって、敗戦がもたらした負の精神的な遺産です。日本人が国際的な意味でのcommon sense を取り戻すには、それを乗り超えることがどうしても必要であると私は考えています。その乗り越えの過程で、憲法9条的な絶対平和主義=民主主義という誤った偏頗な思想的等式は雪が溶けるように解消されるものと思われます。

②の基本的人権の尊重は近代憲法の本質を成しています。また、それに基づいた法体系も日本国は充実しています。不足があれば、それを個別に補充すればいいだけのことで、別個に「人権擁護法」などという空恐ろしい法律を作って全社会的に網をかける必要などまったくありません。また、国家を絶対悪とみなしてきた左翼連中は、呉智英氏のいわゆる人権真理教的な言辞を弄してきました。それは、憲法に定める基本的人権の尊重の精神とは似て非なるものであって、先ほどのべた「民主主義の意匠によって偽装された左翼性」のもう一つの例であるというべきでしょう。

憲法9条的な絶対平和主義=民主主義という等式に頭の中をなんとなく支配されてきたせいもあって、戦後の日本では、③の国民主権が実質的にはないがしろにされてきました。私が申し上げたいのは、対外的独立性・統治権という意味での主権を守ることについて、主権の存する国民が当事者としてあまり真剣に考えてこなかったということです。対外的に主権を守るのは主に外交と軍事の役割です。戦後の日本において、前者については基本的には配慮外交・土下座外交を国民はなんとなく甘受してきました。後者については、ひたすらアメリカ任せで来てしまいました。せいぜい、デモに参加することが主権者としての主体的な行動だくらいの浅はかな主権意識しかなかったのではないでしょうか。この、主権者としての意識の脆弱性に、私は戦後民主主義の、民主主義としての根本的な欠陥を見ます。

尖閣問題に直面することで、国民の少なからぬ部分が、それではにっちもさっちもいかないことにようやく気づきはじめたのではないかと私は考えています。つまり、日本国民が主権者として領土問題・外交・軍事について真剣に考えはじめているのです。それを主権者意識の目覚めと形容してもいいのではないでしょうか。それが安倍晋三自民党総裁誕生を後押したのではなかろうかとも考えています(中国の対日強硬路線の継続は、安倍自民党単独政権誕生の可能性を高めるのではないでしょうか)。この新しい事態が、鍛え直されたまっとうな民主主義が左翼性に蚕食された戦後民主主義に取って代わる社会的な背景をなすものと思われます。このことについての交通信号の喩えはあまりあてはまらないのではないかと思われます。尖閣問題を村上春樹がいうように実務問題として技術的にクールに解決するのは不可能ですから。大急ぎで申し上げますが、情念が解決するとも思っていませんよ。私は、国民の付託を背負った外交・軍事の担当者の現場での相手国とのせめぎ合いは厳粛な営為であると思うのです。貧弱な装備しか与えられないままに、命の危険と隣り合わせの状態で、尖閣海域で領土を守るために踏ん張っていらっしゃる海上保安庁の職員の皆さまに、私は頭の下がる思いを禁じえませんもの。

さらには、朝日新聞に掲載された村上春樹の(おそらくノーベル賞受賞実現に向けての計算ずくの)ふやけ切った文章を批判したり、大江健三郎らの反日知識人が絡んだ「『領土問題』の悪循環を止めよう!」アピールを徹底批判することも、私にとっては力の及ぶ限りの戦後民主主義批判です。コスモポリタン気取りは、主権問題からの当人の逃げを美化するにはとても便利です。そういう思想的な利便性への、言論人の相も変わらぬ依存の姿を、私は醜悪であり貧相でもあると感じています。そういう手合いとは「戦争」あるのみです。

以上を要して、私は「国家権力への異議申し立てと安易なコスモポリタニズムをアプリオリな正義とする戦後民主主義から、主権概念を梃子として鍛え直された民主主義へ」と申し上げてきたつもりだったのです(コスモポリタニズムへの言及は今回新たに付け加えてみました)。このことについては、由紀さんがおっしゃるような情念がどうのこうのというのはあまりありません。

教育問題については、私には由紀さんに対する異論はありません。由紀さんらによる、教育現場の試行錯誤の只中からの教育言説の力強い立ち上げを私は貴重なものであると思っています。できうることならば、それらがもう少しだけ広く世間に知られることを心から願っています。もしも私でもお役に立てるようなことがあるならば、なんなりとおっしゃってください。一度自塾を畳んでからは、教育言説に自分を差し向けるエネルギーがすっかり低下してしまっていますので、どこまでお役に立てるのか、心もとないのではありますが。

とりとめのない返事になってしまいました。では。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする