船橋洋一が中心となってシンクタンク「日本再建イニシアティブ」を設立したようです。2011年9月のことだそうです。最初の仕事(調査研究)は「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)だったようです。次に「民主党政権検証プロジェクト」を2013年2月から6月までやったようです。その結果が同年9月に『民主党政権、失敗の検証』(中公新書)として出版されました。それを読んだ感想を書きます。今までにも書いてきた事ですので、箇条書き的にします。
01、この本の概略
目次は次の通りです。
はじめに 船橋洋一
序章、民主党の歩みと三年三ヶ月の政権 中野晃一
第1章、マニフェスト──なぜ実現できなかったのか 中北浩爾
第2章、政治主導──頓挫した「五策」 塩崎彰久
第3章、経済と財政──変革への挑戦と挫折 田中秀明
第4章、外交・安保──理念追求から現実路線へ 神保謙
第5章、子ども手当──チルドレン・ファーストの蹉跌 萩原久美子
第6章、政権・党運営──小沢一郎だけが原因か 中野晃一
第7章、選挙戦略──大勝と惨敗を生んだジレンマ フィリップ・リブシー
終章、改革政党であれ、政権担当能力を磨け 船橋洋一
02、船橋の考え(はじめに)
根本の考えは船橋に代表されているようですので、「はじめに」と「終章」を少し略しながら引用して、それを批評する事にします。引用した段落に番号を振ります。改行していない所もあります。
①そもそも、民主党は政党の理念と基盤とガバナンスを確立できなかった。だから、政権を担当したとき、政策課題の優先順位を明確に設定できなかった。そこでは何よりも政治というアートが不足していた。民主党は、負けるべくして負けたのである。(略)
②私もまた多くの日本人と同じように、政権交代に期待しすぎた一人だったに違いない。私は民主党員ではないし、何が何でも民主党と思ったことは一度もない。 / しかし、2009年の総選挙では、自民党にキッいお灸を据えなければ、と思っていた。既得権益にどっぷりつかった自民党政権では身を切る改革はできない。このままでは日本の経済も財政も破綻する。自民党はそれを放置し、ツケを将来世代に回している。 / それに、小泉純一郎政権以来、自民党は国民のナショナリズムをかき立てて、近隣諸国との関係をギクシャクさせてしまい、その結果、日本が戦後、世界で勝ち得てきた敬意と評判と地位を突き崩してしまうのではないか、と私は懸念していた。長期政権にあぐらをかき、まともな競争相手がいないからいけないのだ。 / 民主党は自民党の代案(オルターナティブ)になってくれるのではないかと私は期待した。その期待が大きかっただけに、民主党政権の不甲斐なさには心底、失望した。民主党は2012年12月の衆議院選挙、そして、2013年7月の参議院選挙、といずれも惨敗した。もう後がないところまで追い込まれた形である。
③民主党政権はどこで間違ったのか。 / それは、誰の、どういう責任によるものなのか。 / そこから何を教訓として導き出すべきか。
④この報告書は、そのような問題関心に正面から応えることを目的としている。 / 報告書はあくまで「民主党政権の失敗」の検証に照準を合わせており、どういう政党として出直すべきかといった再建の道筋について直接、具体的な提案はしていない。 / 私たちは政権党のどの時点で、どのような可能性──人間社会に息づく、そしてそれなしには人間社会が成り立ちえない政治という可能性──がありえたのかを探究し、それを阻んだ制約要因を解明することを心掛けた。再建に向けてのどのような提案も、ここでの教訓を踏まえることが前提となるだろう。(略)
⑤2009年と2012年の2つの選挙における民主党の成功と失敗は、見方を変えれば、野党第一党が総選挙で勝利し政権につく本格的な政権交代時代が幕開けたことを告げてもいる。政権交代が普通になる時代が訪れようとしている。 / 日本に複数の政権交代能力のある政党があるのが望ましい。それでこそ、日本に政党デモクラシーをしっかりと根づかせることができる。 / 野党第一党の民主党はとりわけ大きな責任を負っている。 / その責任を放棄することは、3年3カ月の政権党としての失敗以上に大きな罪を犯すことになるだろう。
03、船橋の考え(終章の一部)
「終章の小見出し」は以下の通りです。──求む!「中間管理職」、「実務と細部」の欠如、綱領は「政権交代。」、政治の厳粛性、権力を使えず、6つの面に見る失敗、何もかも準備不足、リーダーシップと国家経営意識、未来への責任、たくましい政党・たくましい民主主義
⑥(前略)民主党政権はマニフェストにない案件でつぶれた、と福山哲郎は言う。普天間、消費税、尖閣、TPP(環太平洋経済連携協定)の「四つはマニフェストに書いてない」ことだった。 / 民主党のリーダーたちは、定款に記載されていない、そして、事業計画も練ったことのないビジネスに飛び込んでいってしまった経営者のようなものだった。 / 民主党議員のなかにも経営の重要性に気づいている人々はいた。そのうちの一人は、政権につく前に、「企業の再建や経営に行って成功した方々から、どうやってマネジメントとして結果をあげるのか」について聞くことに意義があると考え、党の会議などでその機会をもったという。しかし、そのような意識をもつ者は少数だったし、そうした付け焼き刃の特訓がさほど役だったとも思われない。
⑦民主党の国会議員たちは、政策を論じることにはことのほか熱心だった。政策オタクを自認する議員も多かった。(略)しかし、政策をどう実現するのか、その優先順位をどうつけるのか、財源をどう手当するのか、それらの間のトレード・オフをどう解決するのか、その意思決定プロセスをどう作るのか、という肝心の点は詰めないまま政権に入った。 / 野党のときは、政権党の政策を批判していればよかった。しかし与党となれば、物事を決めなければならない。その合意を作るには、先手・布石・根回し・交渉・妥協、そして経営が必要である。政党政治にとって何よりも必要なのは、「妥協の政治文化」にほかならない。政権党としてまさにそれが求められていた。ところが、トロイカ(鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎)も「中間管理職」もチルドレンも、上から下までそれが苦手だった。なかでもひどかったのが、政党ガバナンスだった。
⑧民主党は政権にはついたものの、権力を効果的に使うことができなかった。戦略・予算・経済政策・法案・人事・危機管理のいずれの面でも、それは共通していた。 / 法案については、「与党側は国会上程のカレンダーを示さなきゃいけないのに、最初の段階で、カレンダーをきちっと書ける人がいなかった」ことが痛かった。「昔でいえば鉄道のダイヤを書くような職人を、自民党は育てている。うちにはそれがいなかった」と松本剛明は述懐した。「役所の国会対策をやってきた人とか、そういう人を何人か引き抜いて官邸に連れて行くことも考えられたようだが、実現しなかった」という。
⑨鳩山政権が誕生したのは、鳩山が民主党代表選挙で代表に選ばれて四カ月しかたっていないときだった。何もかも準備不足だった。なかでも最大の準備不足は、新たな政策を実現するための政権担当能力と担当期間についての、それぞれのイメージだったのではないか。自民党政権のもと、難しい政策の判断と決断は先送りに次ぐ先送りをされ、短期間の取り組みで成果をあげられる重要課題はほとんどなかった。それだけに、民主党政権は長期政権をめざすべきであったし、「政権維持」にもっと心を砕くべきであった。
⑩三人の首相に共通した課題は、「それぞれに違った意味で、国家経営意識が弱かったこと」だった、と仙谷由人は指摘した。外交政策と安全保障政策、そして危機管理は、まさに国家経営能力そのものが問われるテーマであり、国家のリーダーの仕事そのものである。このすべてで立ち往生した。 / 野党が政権党になるとき、細心の注意を払わなくてはならない分野は外交、安保、危機管理である。これらの分野は、与党と野党との間の情報ギャップと経験ギャップが、どの分野よりも大きい。
⑪〔結論〕民主党は改革政党として出直す以外、将来はない。なぜなら、日本の政治はこれまで以上に改革を必要とするからである。 / そして、民主党は、政権担当能力をもつ政党に生まれ変わらなければならない。 / これから国民は、選挙の際に政党を選ぶにあたって、政策だけでなく、政権担当能力の有無をも重要な判断材料とするようになるに違いない。民主党は教訓を学び、政権担当能力を磨くべきである。そのことが、国民に政党政治と政党デモクラシーへの関心と期待を抱かせる契機ともなる。
04、牧野の感想
第1点。⑪には「なければならない」という言葉と「べきである」という言葉が出てきます。これはヘーゲルの言う「ゾルレン(Sollen、当為)の無力」を思い出させます。ヘーゲルは好く知られていますように、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という言葉を残しました。これは「自己実現能力を持ったものにして初めて理性的なものと言える」という意味です。逆に言うならば、船橋の考えのように、ただ「何々しなければならない」「するべきである」というだけの考えは「自己実現能力のないもの」であり、従って本当の意味では「理性的な考え」とは言えない、ということです。
ではなぜ船橋の考えはこのような「無力」なものになったのでしょうか。それは②にありますように、「私は民主党員ではないし、何が何でも民主党と思ったことは一度もない」からだと思います。日本の自称知識人は政党支持を表明する勇気がなく、「いざという時には政治家に成っても構わない」という決意がありません。アメリカの事情に詳しい船橋なら、アメリカでは政権が交代するとワシントンの役人が8000人くらい入れ替わり、在野の支持者も政権に入る事を知っているでしょうに、なぜこの点での日米の違いを論じないのでしょうか。日本でも竹中平蔵などは自民党の議員になりましたが、こういうのは例外です。私は竹中の仕事を評価はしませんが、「いざとなったら政治家になる」覚悟は評価します。
第2点。⑦⑧⑨⑩で指摘されている欠陥はどうしたら是正できるのでしょうか。私は「本当のシンクタンク」の成長だと思います。それなのに、「本当のシンクタンク」のこの使命を知らない、あるいは知ろうとしない船橋は自分たちのシンクタンクさえ有名になれば好いと言わんばかりにこう書いています。
──私たちのシンクタンク「日本再建イニシアティブ」は2011年9月に設立された。最初の仕事として福島原発事故独立検証委員会(北澤宏委員長=いわゆる民間事故調)をプロデュースした。「真実、独立、世界(truth, independence, humanity)」を標語に、30人近いワーキング・グループの研究者たちが当事者たちへのヒアリングを重ね、議論を重ね、真実に迫った。 / 2012年2月に出版された報告書(『福島原発事故独立検証委員会、調査・検証報告書』)は内外で高い評価を受け、その後の原子力安全規制と安全文化の見直しと改革論議に影響を与えることができたと自負している。 / また、その次に刊行した報告書『日本最悪のシナリオ・9つの死角』(新潮社、2013年)は、日本の危機管理のあり方に一石を投じ、そこでの知見や提案を官邸中枢にブリーフするなど、実務家の方々から強い関心をもっていただいている。
この両報告書はともに、完全英語版が近く出版される運びである。 / 私たちは、世界と共有する課題の研究成果を世界に発信し、世界とともに解決策を探究していく姿勢をとっている。これまでの報告書はいずれも内外で大きく取り上げられ、そのテーマに関する政策提言など、さまざまな発信と交流をグローバルに展開してきた。 / そのような試みが認められ、2011-12年の世界シンクタンクランキング(米ペンシルベニア大学、シンクタンク・市民社会プログラム(TTCSP〕)では、一気に世界24位となった(日本第1位、アジア第2位)。(引用終わり)
政治が好く成らなくても自分たちのシンクタンクだけ有名に成ればよいという考えなのでしょうか。本末転倒も甚だしいです。
第3点。日頃から行政を調査研究し、選挙に立つだけでなく、落選しても政治家が続けられるように、シンクタンクの研究員として迎え入れる、そういうシンクタンクが必要だと思います。それでなければ、公金で長年行政に携わっている官僚を動かして、本当の政治主導を実行できる人は育たないと思います。こういう観点を欠いているのが、松下政経塾の欠陥だと思います。いずれにせよ、松下政経塾の検証がないと思います。有名なライバルに対しては「触らぬ神に祟りなし」というのでしょうか。
第4点。政治改革のための本当のシンクタンクについては鈴木崇弘の意見が適当だと思います。→鈴木崇弘の意見(シンクタンクの意義と支え方)
第5点。日本の政治経済体制の問題点については境屋太一と野口悠紀雄の対談(『文芸春秋』2005年10月号)から私は多くを学びました。→その対談の主要点のまとめ
01、この本の概略
目次は次の通りです。
はじめに 船橋洋一
序章、民主党の歩みと三年三ヶ月の政権 中野晃一
第1章、マニフェスト──なぜ実現できなかったのか 中北浩爾
第2章、政治主導──頓挫した「五策」 塩崎彰久
第3章、経済と財政──変革への挑戦と挫折 田中秀明
第4章、外交・安保──理念追求から現実路線へ 神保謙
第5章、子ども手当──チルドレン・ファーストの蹉跌 萩原久美子
第6章、政権・党運営──小沢一郎だけが原因か 中野晃一
第7章、選挙戦略──大勝と惨敗を生んだジレンマ フィリップ・リブシー
終章、改革政党であれ、政権担当能力を磨け 船橋洋一
02、船橋の考え(はじめに)
根本の考えは船橋に代表されているようですので、「はじめに」と「終章」を少し略しながら引用して、それを批評する事にします。引用した段落に番号を振ります。改行していない所もあります。
①そもそも、民主党は政党の理念と基盤とガバナンスを確立できなかった。だから、政権を担当したとき、政策課題の優先順位を明確に設定できなかった。そこでは何よりも政治というアートが不足していた。民主党は、負けるべくして負けたのである。(略)
②私もまた多くの日本人と同じように、政権交代に期待しすぎた一人だったに違いない。私は民主党員ではないし、何が何でも民主党と思ったことは一度もない。 / しかし、2009年の総選挙では、自民党にキッいお灸を据えなければ、と思っていた。既得権益にどっぷりつかった自民党政権では身を切る改革はできない。このままでは日本の経済も財政も破綻する。自民党はそれを放置し、ツケを将来世代に回している。 / それに、小泉純一郎政権以来、自民党は国民のナショナリズムをかき立てて、近隣諸国との関係をギクシャクさせてしまい、その結果、日本が戦後、世界で勝ち得てきた敬意と評判と地位を突き崩してしまうのではないか、と私は懸念していた。長期政権にあぐらをかき、まともな競争相手がいないからいけないのだ。 / 民主党は自民党の代案(オルターナティブ)になってくれるのではないかと私は期待した。その期待が大きかっただけに、民主党政権の不甲斐なさには心底、失望した。民主党は2012年12月の衆議院選挙、そして、2013年7月の参議院選挙、といずれも惨敗した。もう後がないところまで追い込まれた形である。
③民主党政権はどこで間違ったのか。 / それは、誰の、どういう責任によるものなのか。 / そこから何を教訓として導き出すべきか。
④この報告書は、そのような問題関心に正面から応えることを目的としている。 / 報告書はあくまで「民主党政権の失敗」の検証に照準を合わせており、どういう政党として出直すべきかといった再建の道筋について直接、具体的な提案はしていない。 / 私たちは政権党のどの時点で、どのような可能性──人間社会に息づく、そしてそれなしには人間社会が成り立ちえない政治という可能性──がありえたのかを探究し、それを阻んだ制約要因を解明することを心掛けた。再建に向けてのどのような提案も、ここでの教訓を踏まえることが前提となるだろう。(略)
⑤2009年と2012年の2つの選挙における民主党の成功と失敗は、見方を変えれば、野党第一党が総選挙で勝利し政権につく本格的な政権交代時代が幕開けたことを告げてもいる。政権交代が普通になる時代が訪れようとしている。 / 日本に複数の政権交代能力のある政党があるのが望ましい。それでこそ、日本に政党デモクラシーをしっかりと根づかせることができる。 / 野党第一党の民主党はとりわけ大きな責任を負っている。 / その責任を放棄することは、3年3カ月の政権党としての失敗以上に大きな罪を犯すことになるだろう。
03、船橋の考え(終章の一部)
「終章の小見出し」は以下の通りです。──求む!「中間管理職」、「実務と細部」の欠如、綱領は「政権交代。」、政治の厳粛性、権力を使えず、6つの面に見る失敗、何もかも準備不足、リーダーシップと国家経営意識、未来への責任、たくましい政党・たくましい民主主義
⑥(前略)民主党政権はマニフェストにない案件でつぶれた、と福山哲郎は言う。普天間、消費税、尖閣、TPP(環太平洋経済連携協定)の「四つはマニフェストに書いてない」ことだった。 / 民主党のリーダーたちは、定款に記載されていない、そして、事業計画も練ったことのないビジネスに飛び込んでいってしまった経営者のようなものだった。 / 民主党議員のなかにも経営の重要性に気づいている人々はいた。そのうちの一人は、政権につく前に、「企業の再建や経営に行って成功した方々から、どうやってマネジメントとして結果をあげるのか」について聞くことに意義があると考え、党の会議などでその機会をもったという。しかし、そのような意識をもつ者は少数だったし、そうした付け焼き刃の特訓がさほど役だったとも思われない。
⑦民主党の国会議員たちは、政策を論じることにはことのほか熱心だった。政策オタクを自認する議員も多かった。(略)しかし、政策をどう実現するのか、その優先順位をどうつけるのか、財源をどう手当するのか、それらの間のトレード・オフをどう解決するのか、その意思決定プロセスをどう作るのか、という肝心の点は詰めないまま政権に入った。 / 野党のときは、政権党の政策を批判していればよかった。しかし与党となれば、物事を決めなければならない。その合意を作るには、先手・布石・根回し・交渉・妥協、そして経営が必要である。政党政治にとって何よりも必要なのは、「妥協の政治文化」にほかならない。政権党としてまさにそれが求められていた。ところが、トロイカ(鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎)も「中間管理職」もチルドレンも、上から下までそれが苦手だった。なかでもひどかったのが、政党ガバナンスだった。
⑧民主党は政権にはついたものの、権力を効果的に使うことができなかった。戦略・予算・経済政策・法案・人事・危機管理のいずれの面でも、それは共通していた。 / 法案については、「与党側は国会上程のカレンダーを示さなきゃいけないのに、最初の段階で、カレンダーをきちっと書ける人がいなかった」ことが痛かった。「昔でいえば鉄道のダイヤを書くような職人を、自民党は育てている。うちにはそれがいなかった」と松本剛明は述懐した。「役所の国会対策をやってきた人とか、そういう人を何人か引き抜いて官邸に連れて行くことも考えられたようだが、実現しなかった」という。
⑨鳩山政権が誕生したのは、鳩山が民主党代表選挙で代表に選ばれて四カ月しかたっていないときだった。何もかも準備不足だった。なかでも最大の準備不足は、新たな政策を実現するための政権担当能力と担当期間についての、それぞれのイメージだったのではないか。自民党政権のもと、難しい政策の判断と決断は先送りに次ぐ先送りをされ、短期間の取り組みで成果をあげられる重要課題はほとんどなかった。それだけに、民主党政権は長期政権をめざすべきであったし、「政権維持」にもっと心を砕くべきであった。
⑩三人の首相に共通した課題は、「それぞれに違った意味で、国家経営意識が弱かったこと」だった、と仙谷由人は指摘した。外交政策と安全保障政策、そして危機管理は、まさに国家経営能力そのものが問われるテーマであり、国家のリーダーの仕事そのものである。このすべてで立ち往生した。 / 野党が政権党になるとき、細心の注意を払わなくてはならない分野は外交、安保、危機管理である。これらの分野は、与党と野党との間の情報ギャップと経験ギャップが、どの分野よりも大きい。
⑪〔結論〕民主党は改革政党として出直す以外、将来はない。なぜなら、日本の政治はこれまで以上に改革を必要とするからである。 / そして、民主党は、政権担当能力をもつ政党に生まれ変わらなければならない。 / これから国民は、選挙の際に政党を選ぶにあたって、政策だけでなく、政権担当能力の有無をも重要な判断材料とするようになるに違いない。民主党は教訓を学び、政権担当能力を磨くべきである。そのことが、国民に政党政治と政党デモクラシーへの関心と期待を抱かせる契機ともなる。
04、牧野の感想
第1点。⑪には「なければならない」という言葉と「べきである」という言葉が出てきます。これはヘーゲルの言う「ゾルレン(Sollen、当為)の無力」を思い出させます。ヘーゲルは好く知られていますように、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という言葉を残しました。これは「自己実現能力を持ったものにして初めて理性的なものと言える」という意味です。逆に言うならば、船橋の考えのように、ただ「何々しなければならない」「するべきである」というだけの考えは「自己実現能力のないもの」であり、従って本当の意味では「理性的な考え」とは言えない、ということです。
ではなぜ船橋の考えはこのような「無力」なものになったのでしょうか。それは②にありますように、「私は民主党員ではないし、何が何でも民主党と思ったことは一度もない」からだと思います。日本の自称知識人は政党支持を表明する勇気がなく、「いざという時には政治家に成っても構わない」という決意がありません。アメリカの事情に詳しい船橋なら、アメリカでは政権が交代するとワシントンの役人が8000人くらい入れ替わり、在野の支持者も政権に入る事を知っているでしょうに、なぜこの点での日米の違いを論じないのでしょうか。日本でも竹中平蔵などは自民党の議員になりましたが、こういうのは例外です。私は竹中の仕事を評価はしませんが、「いざとなったら政治家になる」覚悟は評価します。
第2点。⑦⑧⑨⑩で指摘されている欠陥はどうしたら是正できるのでしょうか。私は「本当のシンクタンク」の成長だと思います。それなのに、「本当のシンクタンク」のこの使命を知らない、あるいは知ろうとしない船橋は自分たちのシンクタンクさえ有名になれば好いと言わんばかりにこう書いています。
──私たちのシンクタンク「日本再建イニシアティブ」は2011年9月に設立された。最初の仕事として福島原発事故独立検証委員会(北澤宏委員長=いわゆる民間事故調)をプロデュースした。「真実、独立、世界(truth, independence, humanity)」を標語に、30人近いワーキング・グループの研究者たちが当事者たちへのヒアリングを重ね、議論を重ね、真実に迫った。 / 2012年2月に出版された報告書(『福島原発事故独立検証委員会、調査・検証報告書』)は内外で高い評価を受け、その後の原子力安全規制と安全文化の見直しと改革論議に影響を与えることができたと自負している。 / また、その次に刊行した報告書『日本最悪のシナリオ・9つの死角』(新潮社、2013年)は、日本の危機管理のあり方に一石を投じ、そこでの知見や提案を官邸中枢にブリーフするなど、実務家の方々から強い関心をもっていただいている。
この両報告書はともに、完全英語版が近く出版される運びである。 / 私たちは、世界と共有する課題の研究成果を世界に発信し、世界とともに解決策を探究していく姿勢をとっている。これまでの報告書はいずれも内外で大きく取り上げられ、そのテーマに関する政策提言など、さまざまな発信と交流をグローバルに展開してきた。 / そのような試みが認められ、2011-12年の世界シンクタンクランキング(米ペンシルベニア大学、シンクタンク・市民社会プログラム(TTCSP〕)では、一気に世界24位となった(日本第1位、アジア第2位)。(引用終わり)
政治が好く成らなくても自分たちのシンクタンクだけ有名に成ればよいという考えなのでしょうか。本末転倒も甚だしいです。
第3点。日頃から行政を調査研究し、選挙に立つだけでなく、落選しても政治家が続けられるように、シンクタンクの研究員として迎え入れる、そういうシンクタンクが必要だと思います。それでなければ、公金で長年行政に携わっている官僚を動かして、本当の政治主導を実行できる人は育たないと思います。こういう観点を欠いているのが、松下政経塾の欠陥だと思います。いずれにせよ、松下政経塾の検証がないと思います。有名なライバルに対しては「触らぬ神に祟りなし」というのでしょうか。
第4点。政治改革のための本当のシンクタンクについては鈴木崇弘の意見が適当だと思います。→鈴木崇弘の意見(シンクタンクの意義と支え方)
第5点。日本の政治経済体制の問題点については境屋太一と野口悠紀雄の対談(『文芸春秋』2005年10月号)から私は多くを学びました。→その対談の主要点のまとめ