マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

映画「追憶」を見て

2008年05月15日 | タ行

     主義を糧とする人々
       ──映画『追憶』を見て──(牧野 紀之)

 NHKのラジオ深夜便でアメリカ映画「追憶」のテーマ音楽を流しました。その時、映画の粗筋も話してくれました。曰く。「政治にかかわらざるをえない妻と脚本家を目指す夫とがどうしても一緒にやっていけず、愛し合っているのに別れなければならない。マッカーシズムの吹き荒れる1950年頃の時代を背景にして」と。

 「へえ、そんな映画があったんだ」と、俄然興味を持ちました。幸い、地元の図書館にビデオがありました。借りてきて見ました。自分の考えをまとめようと思って、2回目は大事なセリフのメモを取りました。

 まず、私が理解した限りでストーリーをまとめます(少し誤解があるらしい)。

 主役の女性の名はケィティ、その相手たる男性の名はハベルです。場所はニューヨークですが、時はスペイン内戦の1937年ころです。2人は同じ大学の学生でした。ハベルはスポーツ万能で有名な学生で、ケィティはアルバイトをしながら勉強している貧乏学生ですが共産党系の活動家としてこれ又有名でした。

 2人が一緒になるのは短編小説を書く授業でです。ハベルの作品が先生から褒められます。猛勉強して書いたのに評価されなかったケィティはがっかりして自分の作品をごみ箱に投げ捨てて帰る途中、ハベルがビールを飲んでいる所を通り掛かるというわけです。

 さて、そうして知り合ったのですが、ハベルは卒業後海軍に入ります。

 時は過ぎで第2次大戦末期の1944年、ニューヨークで情報局に勤めているケィティは仕事の後、レストラン(バー?)に行きます。するとそこにハベルが休暇か何かで来ていたのです(映画はここから始まっていて、学生時代のことは回想として描かれたことでした)。

 酔っぱらったハベルを自分のアパートに連れて行ったケィティ。2人の間には当然の事が起きます。その後、戦争が終わってからでしょう、一緒になるのですが、政治狂いのケィティとは一緒にやっていけないとして、いったんは別れるのですが、ケィティの方が頼んでハベルは戻り、2人してハリウッドに行きます。ハベルが小説を映画の世界に売って生きていくためです。

 これは成功して、そこで楽しくやっていくのですが、1950年頃、マッカーシズムの嵐がハリウッドにも及んできます。ハベルはケィティと一緒にワシントンまで抗議に行ったりはするのですが、やはり結局は2人は合いません。

 ハベルは元の恋人(金持ちの娘)と一緒になってニューヨークに行ってテレビの脚本家になろうとします。ケィティはハベルとの間に生まれた女の子と共に又別の男性と結婚し、原爆反対の運動を続けています。駅頭で出会った2人は別れを惜しみます。

 下手な説明でしたが、こんな所です。さて、私が考えた事を箇条書きにまとめます。

 最初に私の観点を申し上げておきますと、私はケィティを私の言うところの「青二才左翼」の典型と見て、ハベルは自由主義的な市民の典型と見ます。もちろんこの「青二才左翼」というものの本性について、その純粋な心情と幼稚な言動を考えるのが本稿の目的です。私自身もその一人でしたから。

 第1に問題にしたい事はスペイン内戦とソ連の評価についてです。

 ケィティは1937年の学生の頃共産青年同盟の委員長で、もちろんソ連かぶれです。スペイン内戦における共和派支持の学生集会で「スペイン内乱で市民を援助しているのはソ連だけだ」とか「ソ連は人民を救おうとしている」などと演説します。

 当時のアメリカやヨーロッパの知識人や青年にとってスペイン内戦がいかに大きな問題だったかは、日本人の我々には想像できないほどのようです。多分、ベトナム戦争が当時の日本人にとって持った意味と同じ程度だったのでしょう。

 しかし、今でははっきりしていることは、ソ連は必ずしも十分に共和派を応援したわけではないことです。そして、共和派の中にも義勇軍に馳せ参じて戦った人々と共産党系の人々との間には大きな溝があったということです。この問題に焦点を当てて描いた作品がオーウェルの「カタロニア讃歌」(1938年)であり、ケン・ローチ監督のイギリス映画「大地と自由」(制作年は知りませんが、日本で公開されたのは1997年だと思います)のようです。

 当時のケィティにこういった判断を要求するのは無理でしょうが、しかし、アメリカでは既にスターリンの暴政は伝えられていたのです。学生たちがジョークで「スターリンの粛清」などという言葉を口にする場面が出てきます。

  つまり青二才左翼はレーニンの言う「左翼小児病患者」であるだけでなく、左翼信仰者なのです。ですから大人にもそういう人は沢山いるのです。問題は、「科学的」社会主義を自称する運動なり人々がなぜ信仰的になったのかということです。

 第2のそして最大の問題は、その青二才左翼というものはどう考えたらよいのか、です。

 ハベルはケィティを批評してまず「君は何でもそう確信があるのか」と批評しています。つまり、青二才左翼の特徴の1つは、自分の、あるいは自分たちの考えを事実上「絶対的真理」と思い込んでいることです。これは弁証法的唯物論の立場からはもちろん、どんな哲学上の立場に立っても間違いなのですが、人間誰しも一つの事を信じると、とかくこういう信念を持ちがちです。

 それと一緒になっている傾向は「君は美しい。だがムキになりすぎる」、「革命家にもユーモアが必要だ。〔君達は〕まるで清教徒だ」、「努力しすぎる奴も困ったもんだ。いつも本ばかり抱え込んで」と批評されています。

 それは更に話題の乏しいことと結びついています。ハベル曰く。「話題はいつも政治か?」。ハベル達は「最高のバーボンは?」とか「最高のアイスクリームは?」とか「最高の美女は?」といった「下らない」ことを言い合っては笑い転げています。もう少し高尚だとしても、せいぜいファッションの話とかクルマの話とかでしょう。

 更に言い換えるならば、「君はひたむきすぎる。生活を楽しむゆとりがない。遊びが無さすぎる」という批評になります。これに対してケィティは答えます。「世の中をよくしたいからよ。私もあなたも好くなるのよ。戦いよ、そして理想に向かって進んでいくのよ。」

 そうなのです。この「世の中をよくしたい」という気持ち、理想に向かって進む人生にしか意義はないという考え、ここにこそ青二才左翼の本性がよく出ていると思います。その時、「世の中をよくする」とはどういうことか、現在の生活は零点なのか、自分たちと違うやり方で「世の中をよく」している人はいないのか、「理想に向かう」にも世の中の仕組みを知らなければならないし、個人個人でやり方は違っていいといった反省は全然ないのです。

 ワシントンへ行って抗議行動をして傷ついた後、ハベルは「民衆は臆病なのだ」といった事を言います。そして、更に「〔こんな事をしても〕自分たちが傷つくだけだ。〔世の中は〕何も変わりやしない」と言います。

 それに対してケィティは「虐げられている人々を見殺しにする気? 仕事ほしさに」と反問します。ここにも青二才左翼の特徴が好く出ていると思います。

 「大切なのは人間だ。主義主張が何だ」と言うハベルに対して、ケィティは「主義こそ人間の糧よ」と答えます。

 これらの問答は言葉こそ違え、多くの青年の間で、特に戦後の学生運動の華やかりし頃、交わされたのではないでしょうか。

 最後に取り上げたい特徴は、「敵」ないし支配階級の人々より、それと戦わない中間の人々を敵視する態度です。ケィティ曰く。「恐ろしいのは平和のために立ち上がらない人々」だ、と。

 或る事柄で対立しているとすると、世の中には「悪」を押し進める人々とそれに反対する人々の中間に「中立的な人々」がいるものです。その時、悪を押し進める人ないし勢力より、この中間派が悪を助けているから悪いのだと考える、これも青二才左翼の特徴の1つだと思います。

 スターリンはかつて「〔帝国主義ではなく、帝国主義に対して軟弱な〕社会民主主義に主要な打撃を集中する」という間違った「理論」を展開しましたが、スターリンはまさに青二才左翼の権化だったのです。

 こうしてまとめてみて気づいた事には、ハベルからのケィティ批評の言葉は沢山あるのに、ケィティのハベル批評は少ないということです。この事も特徴的なことです。つまり、青二才左翼は自分の主観の中に閉じこもっていて、外を見る余裕がないということです。

 しかし、少しは感想を述べています。ケィティはなぜか分かりませんが、ハベルの小説が好きなのです。最初の先生にほめられた作品については「あなたの小説が大好き」と言っていますし、第2作については「小説、最高よ」と褒めています。しかし、具体的な理由は述べていません。

 ハベルから悪い所は言ってくれよ、と要求されて、「突き放している」、「人間を遠くから見ている」と批評しています。その具体的な根拠を求められて、ただ「全体として」と答えています。

 これはやはりケィティの低さではないでしょうか。そして、こういうのが青二才左翼の特徴ではないでしょうか。

 外を見る余裕がないということは、自分の事を反省する力も乏しいのだと思います。逆に、ハベルは最初の小説の主人公の口を借りて、自分の事をこう言っています。

 「彼〔登場人物〕は自分の育った国と似ていた」、「万事が安易、彼自身それをよく知っていた」、「自分をいいかげんな人間だと思うことがある」。

 「何事にも確信を持っている」ケィティとの対照は鮮やかです。

 これだけの事を考えさせてくれただけでもこの映画には感謝しています。しかし、私の哲学的な観点からは、ケィティの共産党の仲間たちの集まりの様子を少し描いてほしかったな、と思います。それがどの程度本当に民主的な話し合いになっていたか、ということです。

 最後に、2人はその後どうなったのでしょうか。この映画の主題ではありませんからもちろん描かれていませんが、私は勝手に創作しました。

 ケィティは戦いを続けるが、1953年のスターリンの死、特に1956年のスターリン批判とそれに続くハンガリー事件で共産主義に疑念を持つようになる。1959年のキューバ革命の成功は喜ぶが、戦後のヨーロッパの社会民主主義の発展を知り、社会主義国の内情が分かるようになって、スペイン内戦でのソ連の役割も考え直すようになる。1960年前後の公民権運動に参加し、60年代末の学生騒動には共感し、ベトナム反戦に加わる。

 ハベルはテレビの世界で脚本家として成功するが、「これだけでいいのか」と反省するようになり、やはり公民権運動に参加し、学生騒動には共感し、ベトナム反戦に加わる。この過程のどこかで2人は3度出会って、又結ばれる。

 1951年頃に生まれたことになっている娘のレイチェル(これはケィティの母の名をもらったもの)は自分の名が『沈黙の春』の著者であるレイチェル・カーソンと同じであることに気づき、その偶然を単なる偶然と思わず、環境保護運動の活動家となる。

 1937年頃に学生生活の最後を送ったことになっているから、2人の生まれたのは1915年頃であり、2004年の現在、2人は生きているとすれば89歳であり、レイチェルは53歳である。

 2人はアメリカのイラク侵略に反対しただろう。レイチェルは環境保護運動の先頭に立っているだろう。
  (2004年04月01日発行)

     関連項目

歴史の審判(「人間の壁」)
日教組と三理塚
雪解け道

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