マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

「天タマ」第10号

2018年11月29日 | カ行
「天タマ」第10号(1998年12月4日発行)

           浜松市立看護専門学校 哲学の教科通信

 1996年6月11日の朝日新聞に66歳の無職氏の投書がある。「職場の不正」というテーマに寄せられたものである。

──最近、私は公立高校の講師を務めましたが、教員の生活に慣れると判断が一方的になり善悪感もマヒするんだ、と思いました。

 ある日、他県から引っ越してきた生徒の編入試験の合否判定会議に出ました。事前の学年会で不合格が決まっていたから追認の会議でしたが、教師の利益に合わないというのが不合格の理由でした。家庭に問題があり、本人も指導歴があるから教育しにくい。こうい
う生徒を受け入れるのは、教員の労働条件の面からも問題、というのです。

 私はパートですから、組織を怖がる理由がなく、一般社会の常識を述べました。(1) 手続き通り受験し、学力に支障なく定員も空きがある、(2) 教員の労働条件は受験生と無関係、(3) 悪い生徒を直すのが教師の仕事~。

どうせ教職経験のない人の言うことと思っていましたが、決をとると、若い女教師の手があがり、賛成が半数を少し超え、合格が決まりました。入学後は遅刻指導などあったらしいが、成績は上の方。あわや私は少女の一生を狂わせ、老いて悔いを残すところでした。(引用終わり)

 これを読んで意見を書いてもらいました。そのレポートを読んで、「授業の成果が出てきたな」と思いました。「校長は何をしていたのだ」という発想があったこと、看護婦と患者の関係で捉え直してみる発想があったこと、この2点がその理由です。代表的なものを拾います。

──看護婦の仕事も利益に合わないくらい大変な仕事だと思うが、それを行っている看護婦は、人の死と直面しているから、手を抜くことができないというか、無責任なことができないのではないかと思う。教師も生徒の人生を今回の事だけでなく、左右することがあるので、無責任な事だけはしないでほしいと思う。

──このことを言ったことについては「えらいなあ」と思うけど、パートだから言えたというあたりが、今の現状を見た気がする。こういうのを見ると、この前の授業で考えた「トップで決まる」っていうのに通じていると思う。本当なら校長とかが言うことじゃないのかな。それなのに、パートの人しか言えないなんて、何か間違っていると思う。

──私が看護婦になって、もし同じような事があったら、病気以外で問題を抱えた患者が入院してきたら、快く受け入れられるのかは、今はまだ自分に自信もないし、分からないが、自分が嫌だと思った事は他人にしてはいけないと思うので、その場限りの感情に流さ
れないで、一度立ち止まって考えてから結論を出したいと思う。

──違う意味かもしれないが、看護婦になると「人の死に慣れる」というのと同じなのかなあと思ってしまいました。(もちろん学生だから、人の死についてもまだ理解できないけど)。「教員の生活に慣れると善悪感がマヒする」。職業病なのでしょうか。

 ★ 「教師の労働条件は生徒と無関係」などというのは「一般社会の常識」ではないと思います。反対です。1人の看護婦が夜勤をして、50人の患者を受け持つのと、60人の患者を受け持つのとでは、患者にとって無関係でしょうか。

 私も「天タマ」とレポートへの感想との両立が難しいと分かりましたが、1クラスの人数が今のように32~33人でなく、国際標準の20人だったならば、もっと感想を沢山書けると思います。

 この無職氏は、労働条件は生徒と関係があるという一般論ないし総論と、この個別的な事例で専任教師たちの挙げた理由が不合格の理由として正しいかという各論とを区別することができなかったために、間違ってしまったのだと思います。

      「悪い生徒は直すのが教師の仕事」?

 まあ、労働条件の問題は考えやすいと思います。それ以上の根本的な大問題が「教師の仕事は何かという問題」です。これは、毎年、講師と生徒の皆さんとの間でもっとも鋭く対立する問題ですので、冷静に細かく考えたいと思います。

 Eさんは皆さんの反発を代表して次のように言っています。

──先生は何の為にいるのか。それはただ生徒に授業を教えるだけのためにいるのではないと思う。この子は問題児だから嫌だ、ではなく、この子は良い生徒・悪い生徒と区別することなく、人間対人間として対等に接していくことが必要になってくる。自分の利益に
合わないから不合格にする、この子は問題ないから合格にする、そのような事で合否をつけるなら、自分からこういう学校は願い下げである。

 自分の学校に傷が付く、変なうわさをたてられると困る、という考えではなく、「よし、この子を良い生徒に更生させよう」という気持ちで、生徒と関わっていく事も大事であると思う。まだ十代である少年少女の一生を狂わす事をしてはいけないのである。暖かく見守ることが大人・先生の義務であると思う。(引用終わり)

 匿名希望の方からはこういう抗議もありました。

──問題のある生徒だから入学させたくないと言っているが、誰でも問題は抱えている。私だって友だちだって、教師には言わなかったが、家庭に問題のあった一人です。(引用終わり)

 不合格も必ずしも不当とは言えない、という意見はFさん一人です。

──転入生でも何でも、何か行う時、この学校では2段階に分けて会議がなされているのか。それはともかく2回行うというのは良いと思った。より多くの人の意見を取り入れられるし、違った見方ができることで充実すると思う。裁判でもそうなっている。

 でも、学年会で「不合格」と決めた事の理由は間違っていないと思う。この場合は転入生だったから個人のみの会議になってしまっているけれど、ふつうの高校入試の時は皆が同じような会議にかけられているはず。入試の時、中学での素行とかもチェックされてい
る。

 全体をふるいにかける時はそういう「不合格」者が出てもよくて、個人を判定する時はダメなのだろうか? あやうく不合格になりそうだったこの少女が、その後問題を起こさなかったからといって、〔この考え方で〕よかったということにはならないと思う。(引用終わり)

 現実的な対案を出しているのはGさんさんです。

──私も無職氏の考えに賛成である。試験で一定のレベルに達していれば、合格は当然だろう。そして、彼女の過去に問題があるなら,入学してから、退学をさせても良いと思う(高校なのだから)。不合格で彼女の可能性を無にする権利は誰にもないのではなかろうか。

 実際に彼女と接し、教育をした上でだめであったなら、それはそれで仕方ないと思う。教員は生徒を教育する職種なのだから、最初から彼女を不合格で投げ出したら、教員とは言えないだろう。彼女の過去で不合格にするのは公正とは言えない。

 ★ 今回は、私の意見は直ぐには言わないようにします。まず、私として、この問題を考えるにはこういったことを考慮する必要があるのではないかという観点を出したいと思います。

 (1) 未成年者の教育機関には家庭、地域社会、学校の3つがあるが、その役割分担は、今の日本ではどうなっているか。これからはどうあるべきか(最近言われている「学校のスリム化」とは何か。それをどう考えるか)。

  参考

 Eさんは「教師はただ勉強を教えるだけではない」と言うけれど、その「勉強だけ教える」という言葉で皆さんはどういう事を考えていますか?

 第1問・学校教師は勉強だけ教えればよい、という考えに賛成か?
 第2問・牧野の哲学の授業は勉強だけ教えている、という判断に賛成か?

 (2) 更生施設(鑑別所、児童自立支援施設、少年院)が存在するという事実があるが、これの存在を認めるか(どんな悪い生徒でも学校と教師が直すべきか)。どういう人はこれらの更生施設に送られるべきか。

   参考

 戻るべき家庭のない児童(非行者ではない)のための「自立ホーム」もある。

 (3) 問題生徒(悪い生徒)と一口に言うけれど、問題の性質を分類する必要がある。

 A・自分の人生を傷つける行為
  A-1 ・法律で禁じられている事 ……飲酒、喫煙、麻薬、援助交際など
  A-2 ・学校(教師)が規制している事 ……服装、頭髪、化粧、ゲームセンタ ーなど
 B・他人の人権を侵害する行為
    いじめ、暴力、盗み、ストーカーなど
 C・成績不良

これらについて考えるべき問題
 ・今の学校ではそれぞれはどう扱われているか。
 ・本当はどう扱ったらよいか。

 (4) 神戸小学生連続殺傷事件で犯人が中学3年生と分かった時、教師がその犯人生徒に「学校に来なくていい」と言ったか否かが、大問題になった。これは何を意味するか。

 これは最後の殺人の前に、同級生を殴り、殴られた生徒は転校した時についてである。

 (5) 文部省は教員養成課程に「問題生徒の指導技術を学ぶこと」を含ませ始めた。これをどう考えるか。


        その他

──私は、昨年一年間地元にあるホテルでフロントのアルバイトをしていました。VTR「秘書検定」を見て、アルバイトをしていた時の事が思い出され、とてもなつかしかったです。

 私はウェイトレスを希望して面接に向かいましたが、面接の際に「君はフロントに向いているから、フロントへ行って下さい。君なら大丈夫だよ」と言われてフロントへ~。フロントの仕事はとても楽しかった。自分に向いていると思いました。私が笑顔で応対し、お客様も笑顔で接していると、嬉しくなりました。

 毎月1度は会議で見えるお客様に「君の笑顔があるとホッとするね」と言われ、その日一日きげんが最高潮だったこともしばしばありました。本当に勉強になりました。