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STAP事件の必然

2015年06月09日 | サ行

             小熊 英二

 小保方晴子氏の性格や人間関係ばかりが注目されがちなSTAP細胞事件だが、この事件からは、現代日本と科学界の問題が集約的に見えてくる。

 19世紀前半までは、科学は収入を得られる職業としては成立しておらず、いわば「金持ちの道楽」だった。20世紀初めまでは、実験設備もそれほど必要ではなかった。浮世離れした天才という科学者の通俗的イメージは、この時期に作られたものである。

 19世紀後半から科学の応用が進み、さらに二度の世界大戦を経て巨大サイエンスが発達した。これによって、科学は「儲かる職業」「巨大投資の対象」になった。研究はプロジェクトチームの共同作業になり、論文も数人から数十人、はては数百人の共著が普通になった。代表の教授は資金調達に忙しく、論文には筆頭著者として署名するだけという例も出てくる。研究現場は中堅研究者に指導され、大量の大学院生が動員される。こうなると、論文の署名責任は不明確になりやすい。

 そして1980年代以降は、格差拡大の波が科学界にもおしよせた。政府は予算を削減し、大学は余裕を失う。大きな研究プロジェクトは、選抜に勝ち抜いて政府予算を得るか、企業と提携することでしか実施できない。前者の道を選べば、政府の方針に左右され、特定分野に研究が集中しがちとなる。後者の道を選べば、特許の獲得で一獲千金の可能性もあるが、特許のために守秘問題が発生し、近代科学の原則だった公開性は二の次となる。

 またこの状況からは、若手研究者たちの「使い捨て」と、研究機関の「ブラック企業化」が発生する(野家啓一「既視感の行方」現代思想8月号)。安定したポストが削減されるなか、研究現場を担うのは、任期付き研究員や、博士課程を修了した研究者の卵である。彼らは一定期間に業績を上げないと、次の臨時職の保証さえない。変化が先に進んだアメリカでは、まだしも研究者市場が形成されているが、日本ではそれも不十分だ。

 もう一つ発生するのは、研究指導の不足である。政府予算にせよ企業提携にせよ、教授は研究費獲得に奔走せざるを得ず、現場の指導と責任は手薄になる。こうして、おざなりな指導しか受けられず、将来が不安定な若手研究者たちが、あせって業績を上げようとする傾向が強まる。

 こうした状況があるにもかかわらず、一般的な科学イメージは、20世紀初頭で止まっている。現代の研究者は研究費獲得のために、政治家やマスコミ、企業幹部、そして民衆の支持を得ることに懸命だ。ところがマスコミや民衆の側は、古い科学イメージしか持っていない。うまく研究内容を誇張すれば、一躍注目のチャンスもありうる。そこに若手研究者たちの窮状と、研究費獲得をめざす組織的思惑がからめば、何が起こるかは想像がつこう。

 日本分子生物学会が、大学院生を含めた1022人の会員にアンケートをしたところ、所属する研究室内で研究不正を「目撃、経験したことがある」が10%、研究室内外で「噂を聞いた」が38%だったという(榎木英介「『小保方』事件を超えて」現代展想8月号)。しかし研究不正の多発は、日本だけの現象ではなく、現代の科学界の必然だ。今回の事件に特徴があるとすれば、日本の職場で女性が生き残ろうとするとき、「かわいい女性」をアピールしがちになることが、再度示されたことくらいだろうか。

 格差拡大、雇用不安、若者の使い捨て。そして何よりも、30年前とは状況が全く変わってしまったことへの無理解。この事件は決して特異なものではなく、日本社会のどこにでもある状況が、集約的に顕在化したものだ。そのことへの理解と適切な対策なくして、問題の再発は防げまい。
     (朝日、2014年09月09日。コラム「思想の地層」。筆者は歴史社会学者)