01、機械的な関係とは、その表面的な形式一般において「部分が互いに、又全体に対して自律的なこと」である。(小論理学第136節への注釈)
02、力学は、広義のそれも狭義のそれも、量を知るだけであり、速度と質量と、せいぜい体積を扱うだけである。(マルエン全集第20巻517頁、「自然の弁証法」)
03、力学的な見方というのは、しかし結局こういうものになる。それは、全ての変化を場所の移動から説明し、全ての質的区別を量的区別から説明し、質と量との関係は相互的であり、質が量に転化するのは量が質に転化するのと同じであり、ただ相互作用があるだけだということを見落とすのである。(マルエン全集第20巻517-8頁、「自然の弁証法」)
04、ここではヘーゲルは「機械的」ということを「盲目的・無意識的に作用する」という事に等置している。(マルエン全集第20巻518頁、「自然の弁証法」)
05、ヘーゲルは人間の実践を可能にする自然の法則を機械的と化学的とに区別した。レーニンはこの区別が重要であることを認めた。機械的と化学的とは言葉をかえれば、ある意味において、巨視的変化と微視的変化であり、特に現在の意味においては化学的といえば原子の結合についてである。巨視的と微視的とを形式的に区別するのは正しくないけれども、まことにこの区別は重要である。ここにおける機械的変化とは分子の構成の変化を受けないような変化をいい、化学的とは分子の構成が変化することであって、こうして異った質を有する新たな物質を得ることである。(武谷三男『続弁証法の諸問題』理論社、50~1頁)