植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

フェイジョアが落ちると秋を感じる

2021年10月26日 | 植物
ここのところ、季節を1,2か月先取りしたかのようにぐっと寒くなりました。屋上のメダカたちも食欲が落ち、水底からすぐに上がって来なくなりました。ラニーニャ現象という世界的な気候の変化のせいか、単純に秋雨前線のせいか知りませんが。
 行楽のシーズン馬肥える秋だというのに、寒いし雨も降るし、朝晩暗くなるのが早いのでなんとも気勢が上がりません。こう寒いと果実や作物にも影響が出てきます。

 屋上では熱帯性のパッションフルーツが10個ほど実をつけていますが、沖縄などで自生する植物で、この寒さではちゃんと熟すかが心配なのです。ユニークな花をつけ、トケイソウを授粉樹にします。単独では受粉しにくいのです。

パッションフルーツの花

トケイソウの花


 写真奥の丸いのがそうです。手前はルリマツリであります。これは、うっすらと赤みがついてきて熟すと自然に落ちます。常温で、表面がしわしわになるのを待ってからスプーンですくって食べます。甘さが強く特有な風味が致しますが、種が多く一個当たりの果肉はほんとに一さじ程度であります。
 

 一方、1週間ほど前から「フェイジョア」の落果も始まりました。例年と比べ、ちょっと早い気がするのも寒さのせいかもしれません。この果樹も、熟すと自然に落ちるので収穫時期の判断が簡単です。これを数日から1週間ほど追熟させ、冷蔵庫に入れて冷やしたものをすくって頂きます。皮をむいて食べてもいいでしょう。

 春に、赤い蕊とぽってりとした白い花弁のきれいな花を咲かせます。雌蕊に蜜が無いのでミツバチが寄ってこないことと、自家不飽和性の品種が多いので単独では結実しにくいのです。花びらは水気があってトロピカルな甘さもあるエディブルフラワーです。ワタシは、花粉が多い「クーリッジ」を授粉樹に「アポロ」という大玉種を育てております。もっと大きい実がなる「マンモス」という品種もありますが、欲張っても仕方ないですね。
このままでは受粉出来ないので、二つの品種が揃って咲き始めると毎朝花を摘み取っては人工授粉を行います。

 そして、今年はクーリーッジアポロ共に実が沢山なりました、といっても合わせて40個ほどですが。最近では木の周りを見回って落ちたフェイジョアを探すのが日課です。何しろ数が少ない貴重な木の実ですから。
 すでにいくつか味見しました。落下したのが病気や事故(ワタシがうっかり落とす)なら未熟なので苦みやえぐみがあります。ちゃんと充実した果実はパイナップルのような風味、さっくりとした歯触り、甘みも強く美味しいものです。こんなに美味しいのに、この果物をあまり店頭で見かないのはなぜか?、謎であります。

 ちなみにフェイジョアは「フトモモ科」グアバ、ブラシツリー、ユーカリ、ギョリューバイ、ギンバイカなど耐寒性があり、日本でもなじみのある植物が多くあります。硬い常緑葉が特徴で、病害虫も少なく園芸用植物としては大変おすすめであります。
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戦争は起こしてはならない では、貧乏くじ(ガチャ)を引いたら???

2021年10月25日 | 時事
 ワタシはS31年生まれで、終戦から10年経っております。「戦争を知らない子供たち」なので、戦争の悲惨さや恐怖、死の恐れなどを体験するはずも無いのです。普段は、戦争になんの関係も興味も感じていないワタシ達ではありますが、その過去の事実を知っておくことと、それを後世に伝えていく責務は有ろうと思います。先日このブログに掲載した師の書本「冬の衣袴」の衣袴は、兵隊が身に付けた軍服の別称であります。


 家内によると、最近はネットや2チャンネルで「親ガチャ」とよぶそうです。子供が大好きなガチャは、ほとんどが欲しくないものが出て来るのに、たまにいいものが入っているので欲しがるのだそうです。親ガチャは、ポンと生れ落ちた時の、親の状態に左右されます。子供は親を選べず、誕生した時に、授かった遺伝子や親の職業・地位、財産で自ずとそれからの不公平不平等が生じているのです。

 家内が言うには「国ガチャ」もあるのだそうです。映画を撮影する小道具に実弾入りの拳銃を使う国、半島全体が北朝鮮の領土で韓国が記載されない地図を発行する国、テロ集団とテロ国家同士で殺し合う国、そんな国に生まれた国民は国ガチャがはずれだったのでしょう。今の日本国民は、なんだかんだ言っても、徴兵もなく、76年間戦争を起こさず攻められず、平和という当たりガチャを引き当てたと言えます。

 昨日は、地元の神社で「戦没者慰霊祭」が催行されました。境内には東郷平八郎揮毫の書が刻まれた、大きな慰霊碑が建てられていましたが、不信心なワタシはそんなことも知らなかったのです。自治会長になったおかげでこうした式典に呼ばれることになりました。ワタシの住む「須賀地区」では、246柱の英霊が、国の為に戦い命を捧げたのだと知りました。
 
 朗々とした降霊や昇霊の声が社中に響く中、秋の凛とした風が吹き渡ってきました。戦没者とは、赤紙一枚の召集が来ると、お国の為という命令で戦地へ赴き、実際に敵と対峙して戦死した若い人たちのこと。その尊い命と引き換えに、今の日本人が平和に暮らせているということであります。そのことを感謝し慰霊し、不戦の誓いを思い起こすという式典に参列するのは、まことに得難い経験でありました。

 ただ、その背景や史実を考えると、軍部・軍人政治家が、国政を恣にして天皇の名前の元に無謀な戦争に突入した、その「犠牲者」であることを忘れてならないと思います。日清・日露戦争から、第一次世界大戦まで、「大日本帝国」は戦勝国として成功体験を重ねてきました。帝国主義的な領土拡張に戦争を利用して、北方領土や台湾、満州、朝鮮などを一時的にせよ実効支配、領土獲得したのでした。

 第一次世界大戦では、戦争ガチャで「日英同盟」があったために、結果的に漁夫の利を得ました。ところが太平洋戦争では、世界の勢力図を見間違えてドイツと手を結び、物量や軍備・情報力などの圧倒的な劣後に対して、精神論で戦うという 一部政治家と軍部の狂気によって敗北必至の戦争に突入したのです。

 230万人と言われる太平洋戦争の戦死者の多くは病死と餓死で、実際に敵の弾に当たったり爆弾で吹き飛ばされたのは少数なのです。一説ではその60%が餓死だそうです。兵站の重要性を軽視して供給や連絡体制が崩壊したため、食料などの補給路を断たれて、戦わずして死んでいったのです。のみならずマラリアなどの熱帯病や感染症にかかり栄養失調となり病気でも亡くなりました。輸送船が攻撃されて溺死した将兵が、20万人もいたと言われます。

 感傷的いえばこの人たちの「御霊」は永久に浮かばれないとさえ思います。陸海軍で反目し、職業軍人たちの無知と軍益・私利私欲のために、無謀で大義の無い戦争に駆り出され、食うものも銃弾も尽きて「犬死」、無駄死にしたのですから。

 後世の評論家などは、戦争に負けたおかげで今の日本が有るのだとか、原子爆弾投下で終戦が早まり、日本の領土が侵略され民間人に犠牲者が増えずに済んだのだ、とか無責任なことを言います。これは結果論であります。近代の日本で、天皇制という国の基盤となるシステムのどこかで誰かが、幾度か「軍国ガチャ」を引いたのです。軍部が国政を掌握し、軍を優先させるようになると誤った方向へ暴走し始めます。ミャンマー・北朝鮮、アフガニスタンなどがその典型であります。その圧政・暴虐の後に待っているのは累々と横たわる国民の亡骸でありましょう。

 憲法第九条で「戦争を永久に放棄したはず」なのです。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と定められた条文を安倍総理は「自衛隊」の存在を正当化し盛り込もうとしました。世界有数の実質的な軍事力を有した自衛隊であります。実際に軍隊があるのだから、それを明確に憲法でオーソライズしようというのです。これは、軍政に向かう第一歩ではなかろうか、と思います。

 先日、中国とロシアの合同の艦隊が堂々と津軽海峡を航行して太平洋に抜けたと報じられました。外務省や防衛庁は、なんの抗議も排除活動もしていません。いいんですか? 日本の海上自衛隊の艦隊が、中国領海に入っていったら中国は笑って見過ごすのでしょうか? 国際法上の領土侵犯や領海・領空侵犯がどういう定めなのかは知りませんが、こんな弱腰では、国際社会で日本が舐められているのは当然ですね。
 無防備なまま、敵性国家の軍艦や戦闘機が領土を侵害して侵入しても排除できない現状を容認するのか。実に悩ましいのであります。

 大当たりの「親ガチャ」のおかげで労せずして国政のトップで安穏としていられる麻生さん、安倍さんや、岸田さん、タローさん(河野さん)などの所業を天上にいる英霊たちが、どんな思いで見ているのか聞けるものなら聞いてみたいと思う一日でありました。


 

 
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コロナ退治の大チャンスなんだが 選挙による無策・空白は致命的だなぁ

2021年10月24日 | コロナ
 総選挙が中盤にさしかかり、各党ともに「ばら撒き合戦」との批判が出ております。財源が確保できるかもアヤシイのに票稼ぎのために、出します配りますと連呼するのですが、こんなことは出来っこない、公約など絵に描いた餅で、破るためにあることは先刻承知です。

 国民が真っ先に思っているのは「金をくれ」ではなく、「このコロナをどうにかせい」でありましょう。経済の回復や困窮家庭、飲食業・観光のダメージの補填より、コロナを終わらせるのはどうするの?という一点にあるのだと思います。もし、マスクもせずにどこでも自由に行けるならば、金をばら撒く必要はありません。

 折しも、この1年で最低レベルの新規感染者数が毎日報告され、一時的にせよ第5波のグラフが底についております。そのせいもあってか、街行く人が増え、車の渋滞も目立ちます。しかし、その変化(収束)理由や奏功した手段について誰も納得がいく説明が出来ていません。コロナの性格が周期的に波を起こし、それには人間や政策がなすことはほとんど無意味なのか、人心によって左右されるのか、人流はどのくらい影響するのか・・・・

 今何をおいても判断して対策すべきことは「イギリスのように全面解除して、国民の不満不安を解消し一気に経済回復を目指す」ということでしょうか? 日本で言えば、飲食店の営業制限を撤廃し、各種のイベント・興行も無制限にし、Go-toを再開するの?

 あるいは、自民党が繰り返してきた「お願いベース」で中途半端に飲食を抑え、現状維持で「様子を見ながら」次の波で医療崩壊しないような施設の新設・拡充やらスタッフの確保を図り、困っていそうな人に給付金を払いましょう、とするのか。

 いずれも「否」と考えます。イギリスでは、デルタ株の変異種が見つかり再び猛威を振るっております。選挙などでわぁわぁ騒いでいる中、日本中コロナの火が収まっているように見えても、いたるところにまだ燻っている火の気があるのです。これを余燼といいます。火事ならばこれを見過ごすと強風に煽られて、また次なる火事に発展するのです。 これが日本のコロナ騒動が一向に解決の手段が見いだせず、いつまでもコロナに束縛された経済活動の停滞が解消できない理由です。

 今なすべきは①現在感染が確認された人々(自宅療養、その家族)を完全に隔離すること ②隔離施設や入院病棟はこれまで以上の完ぺきな防疫体制をとり、従事者が感染して屋外にうつすことを封じる ③ここで数が減ったので、暇になって来るはずの保健所は、得意の感染源探しでクラスター潰しを講じる(感染先・出回り先の秘匿を禁じる法を定める)場合によっては、感染先が分かる情報を教えてくれたら報奨金を出してもいい ④空港や貿易港での外国人渡航者、海外からの旅行者帰国者の検疫と一定期間の隔離措置を例外なく徹底する本来の「水際作戦」を実施するのです。

 集中豪雨の中であちこちの防波堤が切れ、そこらに水があふれている時にバケツやポンプで水をかいだしても無意味です、方々で穴が開いたところに土嚢をつんでも水は引きません。一旦雨がやんで水量が減ったときこそ土嚢を積み、穴をふさぎ、次に越水して洪水にならない様対策するのが賢い人間がとるべき行動です。

 感染者が激減した今、クラスターを丹念に一つ一つ潰していくことが可能になっています。コロナ病棟は、一気に入院患者が減り暇になったそうです。二次感染を防ぎ、感染者の基本再生産数(他の人に感染させる人数)が0になればコロナ患者はいなくなります。コロナの連鎖は2週間程度で断ち切れるはずなのです。理論的には、これに海外からの侵入さえ防げば、コロナ無き日本、コロナ以前の生活が戻るのです。

 早々と「ウイズコロナ」を言い出し、とコロナに敗れましたと「白旗」をあげた日本と、徹底的に抗戦しコロナを遠ざけ正常な生活や経済を取り戻した中国・韓国との差は歴然であります。ワクチン接種はいまだ道半ば、すでにワクチン接種者の感染もあり、一年以内での抗体の無効化が懸念されています。

 今度の選挙で「Noコロナ」を掲げ、こうやってコロナ無き社会を実現します、という政党や候補者はいましたかな?
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起雲閣に赴き目の保養 心を洗ってきました

2021年10月23日 | 書道
 篆刻用品と書道具の整理に丸二日かかりましたが、道半ばであります。生来の片付け下手に加えて、いろいろな用事や誘惑が重なり埒があきません。二日間一字の書も書かず、摸刻も出来ませんでした。

 それでも、印材を整理し身の回りの整頓によって今後の書道・篆刻が円滑に無駄なく進行すると思えばよしとししょう。更に、昨日はわが書道の師である「藤原先生」が書作品を表装し、熱海で他の展示会などと合同の「熱海博覧会」なる催しに出品するというので、久しぶりに書道の弟子たち7人が揃って熱海に向かうことになったのです。コロナのせいで断続的に休止しついにこの1年間書道塾は開かれておりませんでした。昨日から3日間展示されるので、初日に集まったのです。

 場所は熱海の邸宅「起雲閣」であります。創始者は、三大船成金 と言われ、農林大臣などを歴任した実業家・政治家の内田信也氏で、母親の静養所として大正時代に建てたのだそうです。熱海ゆえに温泉が庭から湧出したこともあり、洋風大浴場が庭園に面して作られ、和洋折衷の豪邸にしたのです。  
  その後昭和になって同じく鉄道王と呼ばれた政商根津嘉一郎氏の所有になり建て増し、 太平洋戦争直後に国会議員で旅館ホテル業で財を成した桜井兵五郎さんが譲り受け、1999年に廃業するまで非常に高級な旅館として使われました。

 3千坪もある敷地内は、コの字に風雅の趣のある2階屋数棟が回廊で繋がっていて、真ん中に見事な日本庭園が広がっておりました。 かつて昭和の時代に活躍した山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、武田泰淳 さんなど多士済々の粋人・文人などが宿泊した日本有数の老舗旅館であったのです。先生の展示室はともかく、順路をずっと回るだけで小一時間、なかなかに充実し有意義なひと時でありました。

 競売にかかっていたこの大別荘・旅館を落札して所有したのがほかならぬ熱海市であります。熱海三大別荘と言われ、贅を尽くした建造物であるだけでなく、文人たちが残した書簡や条幅、拓本など数々の書画が保管展示されていて、目の保養、書道の研究に資するに十分な施設で600円の入場料は安いものでした。通常この手の展示施設は「写真撮影お断り」が多いのですが、こちらは太っ腹、お好きにどうぞ、展示物や部屋の備品には触らないでとの注意だけでした。手入れの行き届いた美しい庭園が、どの部屋からも見渡せる設計が心憎いのです。

「テルマエ・ロマエ」の浴場みたいです。

金色夜叉を書いた尾崎紅葉さんの書。惚れ惚れする筆致・字姿でありました。


 肝心の先生の展示物は、藤原ひさ子先生が2年前に出した書・歌集「冬の衣袴」に収められた書の公開です。戦地に赴いた息子を慈しみ、心配する母の心情、戦から戻ってこなかった息子からの書簡や、その親族の残した資料をもとに、歌人原谷洋美さんが詠み、先生が書いてハードカバーで出版しました。今回は、これを表装して作品として公開したのです。



「死ぬるなよ生きて帰れと
 冬深く 聲もろともに
 干し柿は生る」

 戦争によって引き裂かれた縁、戦が生む残酷な不条理さ、母を思う若者の心などを紡いだ、先生入魂の作品集であります。
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3万円は安いか 生まれて初めて日本画を買うの図

2021年10月22日 | 篆刻
 二日続けて整理仕事を致しましたが「坊主の引っ越し」で、「はかはいかない(はかどらない=墓は行かない)」のであります。書道と篆刻関連用品であふれかえった隠れ家には、印材を書棚に積み上げるだけでなく、大小さまざまな容器・箱や引き出しに入った1000個以上の印を分類し、その品質や大きさ、価値に応じて移し替えすると言う膨大な作業が待っているのです。
 のみならず、印泥の整理も合わせて行います。これも「北京一得閣」など高価で上質な印泥から、銘柄不明のうす汚れた印泥まで30個ばかりあり、ちゃんと品質や種類で仕分けしてしまう場所を決めたりしなければならないのです。

 昨日のうちに買ってきた整理用スタックボックスを2個組み立てし、そこにあちこちに置いてあるピンからキリまでの印を仕分けして収納します。どこの家のお片付けでもそうであるように、やっているうちに、停滞・脱線し始めますね。落札したのを忘れていた珍しい印をじっと眺め、印材の種類(名前)を調べたり、篆刻済みの側款を見つけては篆刻家名をチェックとちっとも片付きません。早い話が、右から左に動かしまた元に戻すと言った按配なのです。

 そうこうしているうちに、先だってヤフオクで落札したお宝2つが届きました。原則として1件1万円以内しか投下しないというヤフオクですが、今回ばかりは特例扱いで3万円と9千円で落札しました。一つはこのブログで紹介した、日本画家、高橋史光画伯の「鹿寿老図」であります。箱書きの署名印にワタシの所蔵する印が合致しているので、本物で何かの縁であろうと考えて入札したのです。
 そもそも高橋さんの篆刻印は「雪山人」という人が彫っているのですが、印材が上質であったのでたしか3個数千円で落札しました。この印の価値を補完する意味で、その10倍近いお金で日本画を購入すると言う、本末転倒の所業です。(笑)

 落札出来たとたんに、他でも少なくとも3か所35千円で売り出されていたメルカリ・フリマなどの商品「鹿寿老図」がパッと「売り切れ」「取り消されました」と表示されたのです。つまりこの絵がネット上で色々な媒体で同時に売り出されていてワタシが落札した瞬間に「これにて売約済み」となったのです。当たり前と言えばその通りですが。この時点で5千円が浮いた勘定になります。ちょっと得した気分❤。

 ワタシの唯一の関心がその絵が「本物」であるか否かの一点にありました。3万円の出費が水の泡になるかもしれないという不安、おそらく骨董やオークションの世界で最も共通した普通の感情・懸念であります。実際、日本画を買うのは今回が生まれて初めて、目利きでもなければ、どのあたりが相場なのかなど知る由もありません。

 よく考えてみると3万円というのは中途半端な値段、博物館にも収蔵されている画伯の絵が本物ならば、数十万円してもおかしくない。かかった材料費、人件費(恐らく何日もかけて描いています)に表装代を乗せたら利益や仲介料などを入れなくても10万円以上が実費です。
 なので、もしこれが贋作や模造品で高く売りつけようと思ったら、10万円以上の最低価格を設定するのではないかと思います。ワタシが贋作で一儲けをたくらむならば、若冲とか大観さん、黒田清輝さんなど名高い人気の画家さんの偽物を作ります。その方が圧倒的に需要が多く、値段も数百万円になりますから。

 届いた品物は、古びた桐箱に収まりご本人の箱書きには印が押されていて、ワタシの持つ印と大きさもピッタリ一致しました。少しかびた臭いがいたしますが、表装は金糸がベースになった絹布を使っていて、仕立ても完ぺきな本表装でした。絵そのものにはシミもしわ一つない状態なのが、S38年7月に描かれたものとすると非常に大切に保管されていたのかとも思いますし、実は新しいもの(贋作)かもしれないとの疑念もわきます。お宝鑑定団では、掛軸で「これはプリントですね。」と残念なお品だったという場面によく出くわしますね。子細に目を凝らしましたが、表面にはどう見ても細密で丁寧に顔料(絵具)を塗ったとしか見えません。印刷ではないことが一目でわかります。

 表装代だけで2万円は下りません。もし贋作ならばこんな手の込んだ細工・表装をして3万円は割に合わない、従って本物であろうと言うのがワタシの結論であります。情報が正しければ、この絵が描かれた年から7年後に亡くなっています。画業では最晩年に描いたものになりましょう。箱書きにある「寿老」の文字を見ると、この絵に描かれた翁は、気負いがなく晩年の高橋さん自らをモチーフにしたのではと思ったりします。

 それからもう一つ、9千円で落札したお品は「耘萍石泉印泥」です。その等級は「超級珍品」2両装(60g)であります。
 ワタシがかねてより、印泥のことを調べ研究するうえで貴重な知識を得た人が「龍尾山人」さんです。ネットでも数少ない墨・印泥に高度な知識を有している専門家の方で、断箋残墨記という専門的で格調が高いHP(ブログ)を運営していて、硯など書道に関する古玩を扱っているようです。

 この断箋残墨記には、100年以上前からの中国の印泥製造にまつわる記述などが随所に出てきます。いろいろな事情によって「最近の印泥は品質が落ちた」と語る中で、入手可能なもので最高の品質としては 博印堂特注の李耘萍(リウンビン)印泥 が一押しのようです。印泥製造の世界では、作る個人が研究し製法は門外不出の秘法とされ「高式熊」さん「李耘萍女史」が名人として最も名高いのです。
 
 その中でも「超級珍品」というのは非常に珍しく、高価で滅多にヤフオクでも出品されません。以前から欲しくてやっと探して落札したのが「美麗朱硃」です。箭簇、上品、珍品ときますのでこれより3,4ランク上の逸品です。届いた濃紺の布箱に収められた印泥はおそらく近年のもの(せいぜい10~20年前くらいか)で、汚れもないほぼ新品でした。箱の裏には値札「24,200円」!、ワタシの手元にある印泥の中では最も高価で上質の部類であります。
 
 現在市販されている耘萍印泥で最も高い「貢品」(2両定価45,210円) は流石に求めますまい。恐らく本職の書道家や篆刻家でもそうは使いません。知り合いの篆刻家杉山先生も高くて買えないと仰っていました。

 3万9千円という金額はバブルの頃、土日でプレーしたゴルフ料金程度のもの。あぁ、これでこんな素敵な絵や印泥が手元に届くなら安いものであります。

 今朝はグッと冷え込みます。懐は少し寒くなりましたが、かかった値段よりもはるかに良質でリッチなお品を手にしてワタシの気持ちはシアワセでとても暖かくなっております。
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