植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

起雲閣に赴き目の保養 心を洗ってきました

2021年10月23日 | 書道
 篆刻用品と書道具の整理に丸二日かかりましたが、道半ばであります。生来の片付け下手に加えて、いろいろな用事や誘惑が重なり埒があきません。二日間一字の書も書かず、摸刻も出来ませんでした。

 それでも、印材を整理し身の回りの整頓によって今後の書道・篆刻が円滑に無駄なく進行すると思えばよしとししょう。更に、昨日はわが書道の師である「藤原先生」が書作品を表装し、熱海で他の展示会などと合同の「熱海博覧会」なる催しに出品するというので、久しぶりに書道の弟子たち7人が揃って熱海に向かうことになったのです。コロナのせいで断続的に休止しついにこの1年間書道塾は開かれておりませんでした。昨日から3日間展示されるので、初日に集まったのです。

 場所は熱海の邸宅「起雲閣」であります。創始者は、三大船成金 と言われ、農林大臣などを歴任した実業家・政治家の内田信也氏で、母親の静養所として大正時代に建てたのだそうです。熱海ゆえに温泉が庭から湧出したこともあり、洋風大浴場が庭園に面して作られ、和洋折衷の豪邸にしたのです。  
  その後昭和になって同じく鉄道王と呼ばれた政商根津嘉一郎氏の所有になり建て増し、 太平洋戦争直後に国会議員で旅館ホテル業で財を成した桜井兵五郎さんが譲り受け、1999年に廃業するまで非常に高級な旅館として使われました。

 3千坪もある敷地内は、コの字に風雅の趣のある2階屋数棟が回廊で繋がっていて、真ん中に見事な日本庭園が広がっておりました。 かつて昭和の時代に活躍した山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、武田泰淳 さんなど多士済々の粋人・文人などが宿泊した日本有数の老舗旅館であったのです。先生の展示室はともかく、順路をずっと回るだけで小一時間、なかなかに充実し有意義なひと時でありました。

 競売にかかっていたこの大別荘・旅館を落札して所有したのがほかならぬ熱海市であります。熱海三大別荘と言われ、贅を尽くした建造物であるだけでなく、文人たちが残した書簡や条幅、拓本など数々の書画が保管展示されていて、目の保養、書道の研究に資するに十分な施設で600円の入場料は安いものでした。通常この手の展示施設は「写真撮影お断り」が多いのですが、こちらは太っ腹、お好きにどうぞ、展示物や部屋の備品には触らないでとの注意だけでした。手入れの行き届いた美しい庭園が、どの部屋からも見渡せる設計が心憎いのです。

「テルマエ・ロマエ」の浴場みたいです。

金色夜叉を書いた尾崎紅葉さんの書。惚れ惚れする筆致・字姿でありました。


 肝心の先生の展示物は、藤原ひさ子先生が2年前に出した書・歌集「冬の衣袴」に収められた書の公開です。戦地に赴いた息子を慈しみ、心配する母の心情、戦から戻ってこなかった息子からの書簡や、その親族の残した資料をもとに、歌人原谷洋美さんが詠み、先生が書いてハードカバーで出版しました。今回は、これを表装して作品として公開したのです。



「死ぬるなよ生きて帰れと
 冬深く 聲もろともに
 干し柿は生る」

 戦争によって引き裂かれた縁、戦が生む残酷な不条理さ、母を思う若者の心などを紡いだ、先生入魂の作品集であります。
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