今月限りで使用期限が切れるとかで温泉へお誘いがありました。
チケットを見ると老人クラブ?
お仲間に入れて貰って行ってきましたよ。
送迎バスで「あま湯」に到着。
フロントの様子
あま湯歌謡ショー が終わったばかりで残念・・・
万葉 美佳さんとのツーショットで我慢です。
・・・時間を忘れお温泉三昧・・・
温泉上がりには勿論 ビール
ですよ~
約4時間も温泉に入ったり上がったりの繰り返し、
夕食を済まして帰路に付いたのが7時、
癒すどころか疲れました。
今月限りで使用期限が切れるとかで温泉へお誘いがありました。
チケットを見ると老人クラブ?
お仲間に入れて貰って行ってきましたよ。
送迎バスで「あま湯」に到着。
フロントの様子
あま湯歌謡ショー が終わったばかりで残念・・・
万葉 美佳さんとのツーショットで我慢です。
・・・時間を忘れお温泉三昧・・・
温泉上がりには勿論 ビール
ですよ~
約4時間も温泉に入ったり上がったりの繰り返し、
夕食を済まして帰路に付いたのが7時、
癒すどころか疲れました。
怪しげな小屋での飲み会の帰り、阪神野田駅へ
野田阪神本通商店街に「松下幸之助創業の地 記念碑」
の垂れ幕があり道標まであります。
現役の頃この辺りは彷徨いた所なんですが知らなかったです。
後で分かったことですが8年前に祈念碑が出来たそうです。良く通った立ち飲み屋も健在でした。
第二次本店・工場跡
(1929年~1953年)
大開公園、大開幼稚園となり、記念碑が建立されていました。
大阪市福島区大開は、経営の神様と呼ばれ、
その名を世界に知られるようになった松下幸之助氏が
松下電器産業㈱(現パナソニック㈱)の礎を築かれた創業の地です。
松下幸之助生誕110年にあたる2004(平成16)年
11月27日の誕生日に執り行いました。
石碑の反対側には・・・ ↑ 創業の家跡の筋向いに設置してある案内板
創業の家跡地
1918年3月7日、「松下電気器具製作所」設立。
松下幸之助氏は大正7(1918)年3月7日に、大阪市北区西野田大開844番地
(現在の大阪市福島区大開2丁目)で現在のパナソニックの前身である
松下電気器具製作所を創立しました。
第一次本店・工場の跡地が分からず、店に入って聞くもサァ~よく分かりません。
電話を掛けて聞いてあげますと「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会の
会員さんに聞いてくれました。
6時を過ぎているのに(自転車を押している人)出向いてきて教えて戴きました。
話しでは写真のこの辺りが第一次本店・工場で
第一次本店前の今でもある風呂屋さんは
実際に幸之助さんも当時、入っておられたそうです。
第一次本店・工場跡地
(1922年~1936年)
創業の家が手狭になったことから、大正11年(1922)年、
大阪市北区西野田大開町896番地(当時)の
この地100坪余りの新工場を建設しました。
この工場では回転式アタッチメントプラグ、二灯用クラスター(二股ソケット)、
砲弾型電池式ランプなど10数種の製品を生産し、
従業員も50名を超す企業に発展しました。
(説明文はパンフ参照)
前期は過去最悪となる7721億円の最終赤字に転落したパナソニック、
株価も低迷している中、大坪文雄社長は株主総会で、
まず「深くおわびしたい。誠に申し訳ありません」と謝罪したそうですね。
生駒山はコースを変えて何度か来ていますが、
この時期は「ぬかた園地」の「あじさい園」のアジサイが目当てだったんです。
生駒山上までは誰にも会わなかったですが、
昼前からは晴れ間も出だし、あじさい園は人人・・・
カタツムリもジッとして居れないようでした。
あじさい園を後に暗峠へ
貧乏神大社
草が覆い茂っています。
前を通って慈光寺へ
ここで背中の貧乏神は置いてきた~(笑)
慈光寺
創建は1300余年前、天智天皇の御宇、役行者の開基になる。
生駒山越えの最短ルートだった暗峠は、古来、伊勢参りに利用され、
旅籠や茶屋が立ち並ぶ賑やかな峠だった。
道沿いの石仏や道標にかつての趣が感じられる。
現在は国道308号及び大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線(重複)が通る。
標高は455m。
暗峠付近から「なるかわ園地」入り口望む
なるかわ園地にもアジサイが、軸が黒っぽいです。
展望台から
真ん中に白く見えるのが京セラドーム
なるかわ園地から客坊谷コースを瓢箪山稲荷神社へ
無事に瓢箪山稲荷神社に到着。
今回のリーダーは瓢箪山の地元の人で生駒山を知り尽くして居られました。
ホタルブクロ
オカトラノオ ミヤコアオイ
6/24
当日は午後からの降水確率50パーセントでしたが12名が集まりました。
生駒駅→(9時40分発ケーブル)→宝山寺→生駒山頂→暗峠→近鉄瓢箪山駅
日本最古のケーブル線
ケーブルで山頂までと考えた人も居られたようですが一駅だけでした。
宝山寺参道を行く
宝山寺は江戸時代前期(1678)湛海律師が建立。
「商売繁盛の聖天さん」として知られている。
拝殿の檜皮葺の屋根はなかなか立派です。
永代供養料 壱億圓もされるひとが・・・
奥の院で
奥の院からは元に引き返して山道へ
ケーブルの霞ケ丘駅を横切り
山道を行く
地道は少なく結構階段の登りの方が多い道です。
テイカカズラが未だ咲いていました。
生駒山上へ出ました。
ぬかた園地アジサイ園へ
15分 600mの距離です。
《続く》
池田の古い町並みで載せた「旧加島銀行池田支店」の池田本町通り商店街に
池田市立上方落語資料展示館『落語みゅーじあむ』がありました。
『落語みゅーじあむ』って珍しいですよね。
古くから交通の要衝として発展してきた池田は、
「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」など古典落語の舞台になっています。
伝統文化の伝承・発展のためここに日本初の池田市立
上方落語資料展示館『落語みゅーじあむ』が誕生しました。 (パンフより)
一階正面には座布団・見台・膝隠が置かれた高座があり、
実際にこの舞台で落語会も開催されるそうです。
平成19年10月1日より上方落語協会会長の桂三枝さんが、
名誉館長に就任致しました。
地元で名誉館長ということもあり、館内には桂三枝さんにちなむ展示が多いです。
桂三枝さんは来年7月に六代目桂文枝を襲名するとの事です。
一階・二階の壁面には、ポスターなどを中心に、
上方落語に関する貴重な資料を常時展示されています。
二階には大正時代から昭和初期をイメージして落語家の部屋を再現も再現されています。
上方落語に関する基本的な書籍が揃っています。
現在では聞くことが難しい廃盤になったレコードもあります。
受付で申し込めば
お好みの上方落語家のDVDやVTRを見ることができます。
*入館は無料で写真もOKでした。
「落語みゅーじあむ」を出て斜め向かい側に「呉服座」があります。
呉服座
池田市西本町に江戸時代からあった芝居小屋の呉服座が41年ぶりに復活!!
池田呉服座は江戸時代に建てられた呉服座の優れた建築様式を一部再現して、
以前あった池田中央シネマの場所に建てられています。
呉服座は、もと池田市西本町、呉服橋の南、
猪名川の堤に沿って位置した芝居小屋でした。
映画やテレビの台頭により、徐々に衰退の道を辿り、
昭和44年(1969年)5月の興行を最後に幕を閉じることになりました。
閉館後は解体され、昭和46年愛知県の明治村で
復元されました。
(ネットより)