ma_kunの徒然日記

日々の出来事を綴っていきます。

有岡城跡

2015年05月16日 | 建物



伊丹と言えば伊丹空港(大阪国際空港)を思い浮かべますが
JR伊丹駅前に有岡城跡あります。
駅前の公園って感じですが
このお城は黒田官兵衛が幽閉されていた場所でもありますから
そういったことを想像しながら散策するのも楽しいお城です。






写真に見える石段を上ると、本丸跡(西北隅)です。




入り口のあった案内板




南西の隅には、建物が建っていた礎石があります。
 天守閣があったのか、屋敷があったのか分かりません。
どちらにしても大きな建物では無いようです。




他にも、井戸の跡が2か所。
 埋め戻されていて、井戸の深さまでは分かりませんが、
籠城しても水の心配はなさそうです。




戦国時代(430年前)の石垣が残されています。




発掘された石垣の一部には、自然石の野面積みに混じって、
五輪塔などの台石が無造作に突っ込まれているのが、見えます。



JR伊丹駅前の歩道橋を挟んで反対側は
カリヨン広場と名付けられた小さな広場になっていて
 「フランドルの鐘」 と呼ばれている塔が目に着きます。



伊丹市の国際姉妹都市 ベルギー王国・ハッセルト市が
提携5周年と伊丹市制施行50周年を記念して
1990年(平成2年)に伊丹市へ寄贈されたそうです。



カリヨン広場の片隅に官兵衛ゆかりの藤




伊丹へは阪急電車で行っても約16分
城跡があることすら知らなかったです。


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出費がかさむ~

2013年08月30日 | 建物

 

25日に風呂の給湯器。
突然、使えなくなりました。

 まずお湯が出なくなり・・お風呂のお湯張りをしようとしたら出来ず・・

リモコンに E03 の表示が

E03は給湯側炎(燃焼)検出系統の不具合

28日に給湯器の取り替え。







配線が駄目のようです。
一昨年の今頃同じ様になって
今まで使えていたんですが寿命のようです。




給湯器だけの取り替えかと思っていたら
浴槽のアダプターが変われば
配管も変わり、壁に穴を開けて大掛かり・・・


風呂の中のリモコンも新しくなって、

リモコンの操作音が操作の内容を音声で知らせてくれます。

年寄りの入浴時などに、「お風呂のモニター」で入浴室の音を聞くことができる。
浴室にいるときに、何か必要な物があったり気分が悪くなって人をよびたいとき、
呼び出しスイッチで知らせることが出来る。

小さい家なのにそんな物要らない!
おぉ~いと一声掛ければ家中に聞こえますからね。(笑)


昨年末に冷蔵庫、今年は台所の給湯器の取り替え
ウォシュレットも一度出なくなりメーカーに点検して貰い何とか使えていますが?
洗濯機もソロソロ寿命が・・・

次から次へと出費が嵩みます。

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祈願してきましたよ。

2012年07月05日 | 建物

 


今年の阪神のタイガースの不甲斐なさ、タイガースファンを代表してma_kunが祈願してきましたよ。


愛染堂(勝鬘院)のすぐ隣の
大江神社の境内に入ると、緑が多く清々しい空気が漂っています。




神社の夏越の大祓「茅の輪くぐり」神事が斎行されていますが、
当日は雨で愛染さんの賑わいがうそのようです。




拝殿を正面に少し左側に回り込むと、そこには狛犬ならぬ狛虎さんがお出迎え?!




宮司さんに聞くと以前は300年以上前の作られた阿形の狛虎だけだったそうです。




それを変えたのが2003年。
有志が阪神タイガースの優勝を祈願して狛虎を一対にしようと「吽形」を作ることになり、
そして、みごとその年、阪神タイガースは18年ぶりの優勝を果たしました。

江戸時代の阿形の狛虎は蔵に保管されているそうです。




虎という事もあって阪神タイガースファンの参拝も多いらしく、
メガホンなどが供えられていましたよ。
タイガースファンの参拝が後を絶たないらしいです。







境内にある「夕陽丘」の碑。
その左側に天王寺七坂の1つ「愛染坂」がある。



今では高層ビルが林立していますからどうでしょうかね。

 

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創業の地「大開」

2012年06月29日 | 建物



怪しげな小屋での飲み会の帰り、阪神野田駅へ
 野田阪神本通商店街に「松下幸之助創業の地 記念碑」
の垂れ幕があり道標まであります。


 

現役の頃この辺りは彷徨いた所なんですが知らなかったです。
後で分かったことですが8年前に祈念碑が出来たそうです。

良く通った立ち飲み屋も健在でした。
 

第二次本店・工場跡
(1929年~1953年)
大開公園、大開幼稚園となり、記念碑が建立されていました。

大阪市福島区大開は、経営の神様と呼ばれ、
その名を世界に知られるようになった松下幸之助氏が
松下電器産業㈱(現パナソニック㈱)の礎を築かれた創業の地です。
松下幸之助生誕110年にあたる2004(平成16)年
11月27日の誕生日に執り行いました。



 


石碑の反対側には・・・

         ↑ 創業の家跡の筋向いに設置してある案内板  

   
創業の家跡地
1918年3月7日、「松下電気器具製作所」設立。
松下幸之助氏は大正7(1918)年3月7日に、大阪市北区西野田大開844番地
(現在の大阪市福島区大開2丁目)で現在のパナソニックの前身である
松下電気器具製作所を創立しました。




第一次本店・工場の跡地が分からず、店に入って聞くもサァ~よく分かりません。
電話を掛けて聞いてあげますと「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会の
会員さんに聞いてくれました。

6時を過ぎているのに(自転車を押している人)出向いてきて教えて戴きました。

話しでは写真のこの辺りが第一次本店・工場で
第一次本店前の今でもある風呂屋さんは
実際に幸之助さんも当時、入っておられたそうです。




第一次本店・工場跡地
(1922年~1936年)
創業の家が手狭になったことから、大正11年(1922)年、
大阪市北区西野田大開町896番地(当時)の

この地100坪余りの新工場を建設しました。
この工場では回転式アタッチメントプラグ、二灯用クラスター(二股ソケット)、
砲弾型電池式ランプなど10数種の製品を生産し、
従業員も50名を超す企業に発展しました。
                                               (説明文はパンフ参照)



前期は過去最悪となる7721億円の最終赤字に転落したパナソニック、
株価も低迷している中、
大坪文雄社長は株主総会で、
まず「深くおわびしたい。誠に申し訳ありません」と謝罪したそうですね。



 

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勝竜寺城公園へと

2012年05月06日 | 建物


先月29日の天王山から長岡天満宮の帰りにチョット足を伸ばして
天王山の戦いの舞台となった勝竜寺城公園へ

長岡天満宮から約2㎞30分の道程です。



 勝竜寺城公園(しょうりゅうじじょうこうえん)

暦応2年(1339)に細川頼春が築城したといわれ、
天正6年(1578)明智光秀の娘、

(後のガラシャ)が細川忠興に嫁いだ城で、
後年の山崎の合戦では光秀がここに本陣を構えました。



鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術を用いた城で、
わが国の城郭史上でも貴重なものであることが発掘調査で明らかになりました。

この跡地が管理棟(資料展示室)、櫓や庭園などを備えた
都市公園の姿で
復興しました。








2階の資料展示室にあった玉お輿入れの状況の絵



城内にある細川忠興・玉(ガラシャ)像


北東の多聞櫓、板塀
石垣の上に土塁が築かれ、さらにその上に石垣を築く鉢巻き石垣になっている。
 

北 門



隅櫓(すみやぐら)
公園の北東角にあります。
屋根付きの休憩スペースになっています。



外観はお城。1階は休憩室。2階は資料が展示してあります。無料です。




1階の休憩室からの庭




管理棟2階の展示の様子




休憩室に掲げられた忠興と玉の絵

玉(ガラシャ)は関ヶ原の戦いにおいて、忠興が徳川方についたため、
豊臣方から人質として大阪城入城を強要されたが、それを拒み自殺した。

 

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