ma_kunの徒然日記

日々の出来事を綴っていきます。

熊野街道を歩く(1)

2014年03月27日 | アウトドア


3月26日


昨年10月に熊野街道を住吉東~鳳駅を歩いての続きです。
熊野街道も都市化が進んでいるため今回も道標も少なく、
舗装道ばかりの歩きです。

『コース』南海難波駅=井原里駅→佐野王子跡→樫井王子跡→樫井古戦場→
塙団右衛門直之の墓→淡輪六朗兵衛重政の墓→海会寺跡→厩戸王子跡→
信達一ノ瀬王子跡→長岡王子跡→石の鳥居→地蔵王子跡→馬目王子跡→山中宿旧街道
→JR山中渓駅=大阪駅

(8:52)
南海電鉄井原里駅でリーダの挨拶とコース説明


(9:15)
佐野王子跡

昭和22年4月に大阪府の指定史跡になったとありました。






「ふどうみち、すぐ和歌山道」の石碑



意外な物を見つけました。
道ばたにヒヨドリが死んだふり?・・・死んでいました。



(9:47)
ようやくJR空港線と関空自動車道の高架下にたどりつく
りんくうゲートタワービルが見えます。

横浜ランドマークタワーにつぎ日本で2番目の高さを誇っていましたが
あべのハルカスが出来て日本第3位です。



しばらく進むと樫井の古い町並みに入る。


(10:30)
塙団右衛門の墓 

豊臣秀吉の家臣加藤嘉明に仕え功名をあげた武将
大坂夏の陣では大坂方に属し樫井合戦で
破れ討ち死にした。(説明書きより)

(10:33)
他人さんの家に入り込んでるのではないのですよ。
この庭の片隅に



籾井王子の碑(樫井王子) 

庭の土塀沿い奥に石碑が有ります。



往事の街道筋の面影をよく残しており、豪壮な家屋敷が続く


(10:42)
籾井王子の碑のあった住宅から少し行くと、
街道筋に「淡輪六郎兵衛重政の墓」がある。
 武将として、塙団右衛門らと名を轟かせていたが、
大阪夏の陣で塙団右衛門らと討ち死にしたという。



(10:54)
明治大橋手前に樫井古戦場跡 
1615年、徳川家と豊臣家の最後の決戦、
大坂夏の陣の緒戦が南下する大坂方と北上する徳川方(浅野軍)が、
樫井を中心に激戦を展開した。(説明書きより)


(11:10)
樫井川にかかる明治大橋をわたり
明治小橋を渡るとまもなく海会寺跡地

左に塔、右に金堂を配する「法隆寺式伽藍配置」を持つ
寺院として有名になったそうです。






塔基壇
朱色の柱は廻廊跡



この先は25名も昼食をする場所が無いそうで昼食と記念撮影



《続く》



 


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