9月4日、五個荘『ハクモクレン』の帰途、安土の信長の館に寄った。周囲は安土城考古博物館や文芸の郷で、文化施設が集まっている。
1992年スペイン南部のセビリアで開催された万博に、安土城の天守5-6階部分が復元展示されていた。ここ信長の館は、それを移設展示している。全体像をうまく写せなかったので、下の写真は公式HPより拝借したものである。
安土の城は、1579(天正7)年に築城され、1582(天正10)年明智光秀の謀反後謎の焼失をとげている。
これが信長の館で、この中に天守が移設展示されている。内部に入った感想であるが、狭すぎて天守の全貌をうまく見渡せない。もっと余裕をもった覆屋にして欲しかった。
信長は叡山の焼き討ちで多くの坊主を焼死させたり、討ち死にさせた。その信長が狩野永徳とその一門に仏画を描かせたのは笑止千万であるが、皮肉と云わざるを得ない。
5階床は朱漆で、6階の床は黒漆で仕上げられている。信長の美的感覚であろうが、見方によっては支離滅裂であるが、色の比較と云うかコントラストは見事なものである。
この天守に家康を招き饗応した。その膳がレプリカ展示されている。五月十五日おちつき膳と呼ぶようだ。
家康と同盟を結ぶにあたり、最上客待遇で饗応したもので、これでもかと山川海の幸が調理されている。とても食べきれたものではない。
1992年スペイン南部のセビリアで開催された万博に、安土城の天守5-6階部分が復元展示されていた。ここ信長の館は、それを移設展示している。全体像をうまく写せなかったので、下の写真は公式HPより拝借したものである。
安土の城は、1579(天正7)年に築城され、1582(天正10)年明智光秀の謀反後謎の焼失をとげている。
これが信長の館で、この中に天守が移設展示されている。内部に入った感想であるが、狭すぎて天守の全貌をうまく見渡せない。もっと余裕をもった覆屋にして欲しかった。
信長は叡山の焼き討ちで多くの坊主を焼死させたり、討ち死にさせた。その信長が狩野永徳とその一門に仏画を描かせたのは笑止千万であるが、皮肉と云わざるを得ない。
5階床は朱漆で、6階の床は黒漆で仕上げられている。信長の美的感覚であろうが、見方によっては支離滅裂であるが、色の比較と云うかコントラストは見事なものである。
この天守に家康を招き饗応した。その膳がレプリカ展示されている。五月十五日おちつき膳と呼ぶようだ。
家康と同盟を結ぶにあたり、最上客待遇で饗応したもので、これでもかと山川海の幸が調理されている。とても食べきれたものではない。
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