ここに掲げるのは、チェンマイ在住の友人のコレクションである、サンカンぺーン印花文双貝耳壺である。
これに似た壺を2012年12月ホノルル美術館で見た。それを下に掲げるが、印花文様が初見で、過去このようなサンカンぺーン文様を見たことがない。
ホノルル美術館のキャップションによると、印花文様や釉薬の掛け分けは、陶工の有能さを示しているが、どこの窯か不詳である・・・としている。
ここで注目したいのは、意味不詳の印花文様である。幅のある二重波線間の点文様と、それに接する稲穂のような模様(正体不明)は何であろうか?
一方2012年7月、堺市博物館で見たサンカンぺーン印花盤、その見込み中央は銅鼓と同じ光芒を放つ太陽文であるが、その外周の模様と似ているのではないのか・・・と思えてきた。
そのサンカンぺーン印花盤は、比較的大きい29.5cmで、口縁の輪花形状も変則的であり、重ね合わせた反対側の盤の口縁が、当該盤の釉薬によって部分的に剥ぎ取られ喰いついている。これは過去に見たサンカンぺーンの盤と景色が異なっている。その文様を写し取ったのが上のスケッチで、見込み中央文様は、東南アジアに分布する銅鼓の打撃点文様で13光芒である。その外側は日本で云う蕨手文、その外側が不鮮明で読み取りつらい。
尚、この盤はキャップションによると、サンカンぺーンと記載されているが、当該ブロガーの長い経験では初見である。あるいはサンカンぺーンではなく、別の北タイ陶磁の可能性も考えられる。
2013年、半年に渡ってハノイに滞在した際、銅鼓を数多く見た。銅鼓研究者によると、光芒の先端が尖らず、途切れているのは雌の銅鼓で、雄の銅鼓に対して若干小型だという。その探し求めていた銅鼓を探し当てた。それが下の写真である。確かに先端が途切れている。
従って、堺市博物館で見たサンカンぺーン印花盤と云われる見込み文様は、銅鼓の光芒文様であることがはっきりした。そして12光芒は多く見るが、13光芒はホノルル美術館で見ることができるが、数は少なく特殊な文様に思える。いずれにしても銅鼓文様に範を得たことは明確である・・・話が横道に反れたので戻す。
このサンカンぺーンと云われる盤の文様と、ホノルル美術館の壺の文様との比較は、これ以上の情報がなく困難である。しかしながら壺の形状、法螺貝と思われる肩4か所の耳及び釉薬の掛けわけなどの特徴から、サンカンぺーンと思えなくもない。
次回に続く
これに似た壺を2012年12月ホノルル美術館で見た。それを下に掲げるが、印花文様が初見で、過去このようなサンカンぺーン文様を見たことがない。
ホノルル美術館のキャップションによると、印花文様や釉薬の掛け分けは、陶工の有能さを示しているが、どこの窯か不詳である・・・としている。
ここで注目したいのは、意味不詳の印花文様である。幅のある二重波線間の点文様と、それに接する稲穂のような模様(正体不明)は何であろうか?
一方2012年7月、堺市博物館で見たサンカンぺーン印花盤、その見込み中央は銅鼓と同じ光芒を放つ太陽文であるが、その外周の模様と似ているのではないのか・・・と思えてきた。
そのサンカンぺーン印花盤は、比較的大きい29.5cmで、口縁の輪花形状も変則的であり、重ね合わせた反対側の盤の口縁が、当該盤の釉薬によって部分的に剥ぎ取られ喰いついている。これは過去に見たサンカンぺーンの盤と景色が異なっている。その文様を写し取ったのが上のスケッチで、見込み中央文様は、東南アジアに分布する銅鼓の打撃点文様で13光芒である。その外側は日本で云う蕨手文、その外側が不鮮明で読み取りつらい。
尚、この盤はキャップションによると、サンカンぺーンと記載されているが、当該ブロガーの長い経験では初見である。あるいはサンカンぺーンではなく、別の北タイ陶磁の可能性も考えられる。
2013年、半年に渡ってハノイに滞在した際、銅鼓を数多く見た。銅鼓研究者によると、光芒の先端が尖らず、途切れているのは雌の銅鼓で、雄の銅鼓に対して若干小型だという。その探し求めていた銅鼓を探し当てた。それが下の写真である。確かに先端が途切れている。
従って、堺市博物館で見たサンカンぺーン印花盤と云われる見込み文様は、銅鼓の光芒文様であることがはっきりした。そして12光芒は多く見るが、13光芒はホノルル美術館で見ることができるが、数は少なく特殊な文様に思える。いずれにしても銅鼓文様に範を得たことは明確である・・・話が横道に反れたので戻す。
このサンカンぺーンと云われる盤の文様と、ホノルル美術館の壺の文様との比較は、これ以上の情報がなく困難である。しかしながら壺の形状、法螺貝と思われる肩4か所の耳及び釉薬の掛けわけなどの特徴から、サンカンぺーンと思えなくもない。
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