昨9月13日に11日に封切られたMIDWAYを観た。シネマは1年ぶりであろうか。
CGを使っていたかどうか? 最後までそれと分かる稚拙なCG表現はなく、臨場感溢れる場面の連続で、久しぶりにシネマを観たとの印象。
南雲忠一中将の馬鹿さ加減が、敗戦につながった海戦であった。ミッドウェー基地攻撃隊の発信後、敵機動部隊に備えるよう山本五十六大将の指示を無視し、万一の敵襲に備え艦上待機を命じられていた、第二攻撃隊をミッドウェー基地攻撃に向けるとした、南雲中将の判断が命取りとなった。
海戦当日の昭和17年6月5日午前7時40分、偵察機より南雲中将に敵艦隊発見の報が届き、7時45分兵装転換の一時中止命令を下す。この敵艦隊発見の報を受け、空母・飛龍の山口多聞少将は、艦爆隊(陸用爆弾装備)で良いから発艦させるうよう意見具申したが、南雲中将はミッドウェー基地攻撃を終えた第一次攻撃隊100機の着艦を優先させ、第二次攻撃隊を雷装に転換させた。これが命取りとなったのである。
その兵装転換が終わる前に、米機動部隊の艦載機による急降下爆撃を受け、主力空母3隻(赤城、加賀、蒼龍)が炎上、残る飛龍も撃破され自沈(山口少将戦死)し大敗した。
ミッドウェー攻略が、事前に米軍に無線探知されていたこと、それにより米機動部隊が派遣されていたにも関わらず、南雲中将が四方に向けて十分な偵察機を飛ばさなかったことが、ここ一番での判断ミスを招いたことである。
この敗戦を機に日本は敗色を濃くしていく。それでも南雲中将はサイパンで自決した。最後は武士らしく振舞ったようである。それに引き換え牟田口廉也は酷い。藤原岩市参謀から敗戦の責任をとって自決するよううながされた拒否し、余生をまっとうした。晩年には敗戦の責任は部下にあると宣った御仁である。戦後、白骨街道で倒れた同胞兵士のことに想いをはせたことがあるだろうか。
<了>
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