<続き>
今回は鉄絵魚文ではなく、印花魚文について考察する。以下、代表的なサンカンペーン印花双魚文盤である。サンカンペーン印花魚文の特徴は、写真を見ても分かるように、背側の鰭が2箇所腹側が1箇所で、その鰭は三角帆のような形である。また顎に相当する部分が緩やかな曲線を描くのも特徴の一つである。
下のスケッチはサンカンペーン印花魚文を写したもので、三角帆のような鰭と下顎の曲線は、サンカンペーンでは共通である。
それに対し、パヤオの魚文が下のスケッチである。サンカンペーンのそれと異なるのは背側の鰭が1箇所、腹側の鰭が2箇所である点である。腹側の鰭は三角帆であるが、背側も三角形であるものの、その角度は緩やかである。
下のスケッチもパヤオである。背側の鰭が1箇所腹側の鰭が2箇所という点は、パヤオの共通点であるが、その形は微妙に異なっている。
次はナーン・ボスアックの印花魚文である。ボスアックの印花文は僅か4事例しか、当該ブロガーは知らないが、そのうち背側の鰭1箇所・腹側の鰭1箇所が3例。背側1箇所・腹側2箇所が1例であり、何れも鰭の形状はサンカンペーンのような三角形状ではないが、やはり下顎は他窯と同じように膨らみをもっている。
これらは、どのような魚を写したのであろうか?下の魚は「プラー・ナムチッ(ト):淡水魚」なる図鑑に掲載されている。
プラー・ケームチャムと呼ぶ鯉科の魚である。見ると腹側の鰭が三角帆の形状である。#1でも紹介した「ランナー・タイの魚」には、下の魚が紹介されている。
このパソイと呼ぶ魚は、いずれの側の鰭も三角帆形状であり、下顎の膨らみもあることからサンカンペーン、パヤオ、ナーン・ボスアック共に、このパソイを参考に印花文にしたのであろうと推測する。
それにしてもなぜ窯によって鰭の数が異なるのであろうか? パソイと思われる魚を忠実に写しているのが、パヤオで背側、腹側の鰭の数が完全に一致している。それに対し鰭の三角帆形状が一致するのはサンカンペーンであるが、鰭の数が現物のパソイと一致しない。ナーン・ボスアックの魚文も鰭の数が一致しない。
これは何を物語るのか? 北タイ印花魚文のオリジンはパヤオであろう。サンカンペーンとナーンは後発であるが、ナーンと同じにはしなかった。陶工のプライドであろうか? 鰭の位置と数をパヤオと同じにはしなかったのである。
尚、パナペックと呼ぶ魚も存在する。イワシに似た淡水魚である。下顎が膨らむ様は、この魚を参考にした可能性も否定しきれない。
4回に渡って魚文の考察を試みた。北タイの地形は複雑でありサンカンペーンのダム湖で20年前に釣りをして、そこの魚種について確かめたことはあるがカロン、パヤオ、ナーンについては全くしらない。前記図鑑や「ランナータイの魚」なるHPを援用しての考察であり、齟齬があるやも知れないことをお断りしておく。
余談ではあるが、北タイの地形・水系は面白い。チェンマイ盆地から東をみただけでも以下の如くとなっている。
チェンマイ盆地を貫くピン川は南流し、チャオプラヤ川と合流してタイ湾に注ぐ。山塊を一つ東に越へ、カロン地区を流れるラオ川は北流してチェンセーンにてメコンに注ぐ。更に山塊を一つ東に越へ、ワンヌア地区を流れるワン川は南流し、タークでピン川と合流する。そのワンヌアの東の山塊を超えると、パヤオである。パヤオの古窯址が集まるウィアンブアの西を流れるメータム川は北上してメコンに合流する。
このように北タイは、山塊を越える毎に南流と北流を繰り返す。従ってそこに棲息する川魚の生態も異なることが考えられるが、そこが素人の良くわから無い点である。
<了>