<続き>
前回の続きである。下はシーサッチャナラーイの魚文盤で見込み中央の魚は、斜め上方からの姿が描かれている。前回の「タイ北部諸窯の魚文考#1」で紹介した、薄身で魚高の高い魚と異なり、身幅の広い魚である。何かボラを感じないでもないが、尾鰭は二股になっていない。それではこの魚文は想像上の魚であろうか?
下は、前回紹介した図書「プラー・ナームチッ(ト):淡水魚」の表紙である。そこで黄色丸枠で囲った魚を見て頂きたい。
写真が分かりにくいが幅広で、尾鰭は二股になっておらず、シーサッチャナラーイ魚文盤の魚と同じである。この魚はスネーク・ヘッドの魚を意味する<ルークプラーチョーン>と名付けられている。
スコータイやシーサッチャナラーイの陶工は、身近に存在する川魚を良く観察し、それを鉄絵に表現したと思われる。その絵付け盤に、同じを魚を調理して盛付けた姿を想像すると、悦にいった陶工の姿が浮かんでくるようである。
<続く>
前回の続きである。下はシーサッチャナラーイの魚文盤で見込み中央の魚は、斜め上方からの姿が描かれている。前回の「タイ北部諸窯の魚文考#1」で紹介した、薄身で魚高の高い魚と異なり、身幅の広い魚である。何かボラを感じないでもないが、尾鰭は二股になっていない。それではこの魚文は想像上の魚であろうか?
下は、前回紹介した図書「プラー・ナームチッ(ト):淡水魚」の表紙である。そこで黄色丸枠で囲った魚を見て頂きたい。
写真が分かりにくいが幅広で、尾鰭は二股になっておらず、シーサッチャナラーイ魚文盤の魚と同じである。この魚はスネーク・ヘッドの魚を意味する<ルークプラーチョーン>と名付けられている。
スコータイやシーサッチャナラーイの陶工は、身近に存在する川魚を良く観察し、それを鉄絵に表現したと思われる。その絵付け盤に、同じを魚を調理して盛付けた姿を想像すると、悦にいった陶工の姿が浮かんでくるようである。
<続く>