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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

妻木晩田遺跡(1)

2019-11-05 09:29:49 | 因伯二州

今回から妻木晩田遺跡と遺跡に設けられている『弥生の館みきばんだ』及び『遺構展示館』を紹介する。初回は妻木晩田遺跡を紹介する。

尚、国指定遺跡のみでも152haに及び吉野ヶ里遺跡の約50haの3倍の広さである。従って広すぎるので、すべてを回っておらず、胴の原地区と妻木山地区のみの紹介となる。

(出典:カイトとリュウさんの遺跡行こう・大阪府立弥生文化博物館)

〇胴の原地区

胴の原地区の墳墓群には四隅突出墳丘墓が並んでいた。それらは下の写真のように、弓ヶ浜半島が眼下に広がる眺望のよい場所で倭国大乱の折に、敵の動きを手で掴むような位置であった。当日は天気が悪く、霞んだようにしか見えなかったが・・・。

竪穴式住居の屋根が草茫々である。これは何ぞや・・・、そう云えば『弥生の館むきばんだ』に、土屋根との表示があった。

葦か茅葺の上に土を載せているのである。成るほど納得感が高い想定復元である。写真のように眺望が良いと云うことは、裏を返せば日本海から寒風を防ぐ何物もない。土を被せれば保温効果相当なものである。半面夏場はどうするのか・・・との疑問が残るが、高床式建物を利用したのであろうか。

いずれにしても、土を屋根に被せた竪穴式住居は初めて見た。考古学的知見による想定復元であろうが、弥生の倭人やるではないか。

 

<続く>

 


鳥取砂の美術館・南アジア編#17:最終回

2019-06-13 08:09:23 | 因伯二州

<続き>

〇独立の父 マハトマ・ガンジー

以下リーフレットより、”イギリス留学を経て弁護士となった後、訪れた南アフリカではびこる人種差別に抗議や反対運動を始めます。第一次世界大戦中に帰国し、インドの植民地支配を強めるイギリスに対抗する国民会議派に加わり、独立運動を進めました。激しい弾圧や投獄に屈することなく、『非暴力・不服従』による徹底した反英運動を続け、塩の行進では全インド中に非暴力・不服従運動を及ぼし、ついに1948年にインド独立を果たします。しかしヒンズー教徒とイスラム教徒の国が分断して独立したためその後も対立が続きました。狂信的なヒンズー教徒によって暗殺されるまで、終生両教徒の融和につくしたガンジー。マハートマー(偉大な魂)と尊称がつくほどの多くの偉業を成し遂げた彼は、時代を越え世界中に影響を与えています。”

 

<了>

 


鳥取砂の美術館・南アジア編#16

2019-06-12 07:24:46 | 因伯二州

<続き>

〇シーギリアロックとフレスコ壁画

以下リーフレットより、”スリランカ中部のジャングルに忽然とそびえる世界遺産シーギリアロック。5世紀末にシンハラ王朝のカッサバ1世により建造されました。王宮への入口には石造りのライオンの巨大な前足があり、かつてはライオンが王宮を背負うようであったことからこの地は『シンハ・ギリ』(獅子の山)と呼ばれ、転じて現在の名になりました。高さ約195mの岩山の頂上には王宮や水路、庭園、貯蔵施設などの遺跡が見られ、中でも中腹の壁に描かれたフレスコ画の美女たちは『シーギリア・レディ』と呼ばれ有名です。1500年もの間風化に耐え鮮やかな色彩で優しい笑みを浮かべています。

20年前の1999年にシーギリア・ロックへ登った。そのシーギリア・レディー、手の届く距離より眺める豊満な美女たち。彼女たちから1500年もの歴史の隔たりを感じることはできない。この画風も仏教と共にインドからもたらされたものであろうか。どの女性も花と大粒の宝石で身を飾っている。日本でいえば高松塚古墳壁画より時代は古い。その壁画が顔前1mもないところに描かれている。悪戯書きや破損の心配はしないのであろうか。日本の文化財保存行政と180度異なる。日本ではカビが生え、24時間空調で特別室まで作って保存し、御蔵入のままである。何かがおかしい・・・。

 

<続く>


鳥取砂の美術館・南アジア編#15

2019-06-11 06:50:43 | 因伯二州

<続き>

〇インダス文明 モヘンジョダロ

以下リーフレットより、”世界四大文明の1つであるインダス文明。インダス川流域で紀元前2500年~紀元前1800年頃に発展したと云われる都市文明です。中でもパキスタンにある遺跡モヘンジョダロがよく知られ、東西南北に碁盤の目のように整然と区画された都市計画を有し、上下水道設備や沐浴場など、高度に整備された都市文明の名残りが当時の繁栄を伝えます。文明は紀元前1800年頃以降突如歴史から姿を消しましたが、その理由や文明の全容とあわせて未だいくつもの謎に包まれており解明が待たれていますウ。文化的価値の高さから1980年に世界遺産に登録されました。

いずれの造形作家も人物造形はリアルで、世界各国から参加したようである。

 

<続く>