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せっちゃんの毎日

せっちゃんの日々の記録

現実逃避

2009-11-16 20:46:54 | 昔話
最近の私は、今を生きていると言うより昔の事を思い出しています・・・

これって、現実逃避でしょうか…?
仕事をしていても、特別に面白みがある訳でもありませんし・・・?


若い頃のように毎日がドキドキする訳でもありませ。

携帯電話やパソコンなど通信機能が発達した世の中で、何とか付いて行こうと頑張っても分からない事だらけで、諦めてしまう自分がいます。

私は、18歳の時から(いいえ、物心着いた時から…?)商売が好きで、当時、出始めた『シャープペンシル』を実家の得意先の文房具屋と交渉して原価?で仕入れて、学校の友人に少しの値引きをして売って小遣いを稼いでいました。

勿論、今ではそんな事は出来る訳もないですが…
女学校時代は、編み物で注文を取り、随分稼いだものでした・・・ハハハ
物の無い時代の話ですが今ではそんな事は出来るはずもありませんよ…
自分の生きる(思い付き)場所も無いつまらない世の中になってしまったようです・・・ハハハ

浅草の大道香具師などは私が憧れの『商売人』です。

子供の頃の話ですが・・・
街角の四筋に夕暮れになると「とうきび売り」のおばさんが立ち、街の中には『運勢判断』の易者が立ち、屋台の『ラーメン屋』等がいた時代でした。
今みたいに保健所も公取も煩くなく、戦後の闇市よりはマシな取引がされていたように思います・・・?ハハハ

今の若い人に聞きますと「『趣味も夢も無い・・・?』と云うのです…?
何が楽しいのでしょうか?
そんな話を聞いた私が『夢も希望も無い!』ですよ・・・
『現実逃避』したくなるのを分かってください…

『トラック野郎』パートⅡ

2009-11-12 07:53:25 | 昔話
前回、長く書きますとまた消えてしまうかと出会いの記事だけにしました…

その『アサちゃん』は、私の家(店)から直ぐの処の運送会社に勤めていて、とても型破りな人でした・・・
格好と言ったら夏は、鉄火シャツにステテコかジーパン。
冬は、ジーパンに革ジャンを着て、年中変わらないのは手ぬぐいの鉢巻とピンクのラメ入りの腹巻でした。

すっかり仲良くなってからは、仕事が終ってから店に遊びに来るようになり、私の家族とも親しくなりました・・・ハハハ
私の店の二階は、アパートになっていて、そこを貸して欲しいと申し込みがありましたが本人だと思って(独身僚に入っていた)お断りしましたら同僚の人が嫁さんと一緒に住みたいと紹介して来たのです。
それではと若い同僚のご夫婦が入り、私もそのご夫婦と仲良くなり何時もそこがたまり場のようでした・・・

朝早くに『アサが来たのねぇ~と歌いながら母に挨拶するアサちゃん、
すっかり母はアサちゃんのファンになったようでようでした・・・

ところが彼には凄い癖があり、どんなに遅くなっても泊めてはいけない!と言われていました・・・?

ある日、二階のご夫婦と一緒に飲み会をする事になり、会社の連中も何人か呼ばれていました。
勿論、アサちゃんも来ていました。
呑みながら当時、流行っていたマージャンや花札などが始まりかなり遅い時間になり帰ろうとしましたら、ご夫婦の奥さんが『アサちゃんが帰るまで居てよ・・・』と云うのです。
私がアサちゃんを呼んだ手前、仕方なく付き合っていましたらアサちゃんが寝だしたのです…??
私は『泊めてあげればぁ…』と言ったらみんなして『それは、無理!!』と云うのです。
何故だろうと思っていましたら暫くしてその理由が分かりましたよ…ハハハ

それはそれは、凄い『鼾!イビキ!いびき!』なのです・・・
何とか起そうと皆でゆすったり叩いたりしましたが起きる気配なし…
仕方なく奥の部屋の押入れに布団でぐるぐる巻きにして隔離しましたが・・・??

次の日の朝、アパートのお隣の部屋(独身女性)から苦情が来ました…
話の内容ですと『お隣の家では、押入れに怪獣を飼っています、何とかしてください・・・!と云ってきたのです・・・ハハハ
仕方なく、その事をご夫婦に伝えましたら奥さんが謝りに行ったらしく、その後お食事にお呼びしたそうです。
何度か行き来している内にアサちゃんとも仲良くなりすっかり打ち解けた様子で独身同士で呑みに行ったりしていたようです・・・
処が二人で呑みに行って遅くなったある日、部屋に上げたのが間違いで大変な事になってしまいました・・・ハハハ

次の日、お隣のご夫婦から苦情の言葉が来たのは言う間でもありません。ハハハ
母は、何の事か分からず・・・『お隣に聞いてみて下さい。』といったのでした。

早速お隣の彼女の処に聞きに行ったら『私は、知りません!!何処かその辺で寝ていらしたのではありませんか?』と知らん振りをしていたらしいのです・・・アハハハ
それからと言うものお隣同士で仲が悪くなり独身女性は引っ越して行きました。

まだまだ、アサちゃんの面白いお話は一杯有りますがまた何時かの機会にでもお話しますよ・・・

『トラック野郎』

2009-11-11 20:15:10 | 昔話
何故か何度も記事にしている途中で消えてしまう・・・?
私が19歳の時のお話です。

その頃、私は電器屋でNと云うメーカーの看板が付いたトラックに乗って仕事をしていました。

当時では女の子の電器屋などは珍しく小さな商店街では目立っていたようです。

ある日、国道を札幌の方に向けて走っていましたら、度派手なダンプカーが近寄って来て『パララ~パララ~~』と可笑しなクラクションを鳴らして追い越して行きました。
「煩いなぁ~」と思いながら走っていましたらそのトラックが減速をして二車線で並び『彼女!何処行くの・・・?』と声を掛けてきました。
相手にせずに走っていましたら前に行ったり後ろに回ったりで何かと煩いのです。

当時は『トラック野郎』と云う度派手な絵を描いたトラックが流行で運送会社の運転手はそんな車に乗っている人が居たようです。

そんな『運ちゃん』のいでたちはと言ったら鉄火シャツに鉢巻をして何とも可笑しな格好でした…ハハハ
その『運ちゃん』が余りしつこいので『ブチッ!』と切れてそのトラックの後を札幌まで追っかけて付いて行きました・・・

札幌に入る少し前の交差点でトラックの前に斜めに停まりダンプカーのドアまでよじ登って『運ちゃん』に『ふざけるな!!降りて来い!』と胸倉を掴んで引きずり下ろしたのでした・・・アハハハ
驚いた『運ちゃん』は降りてきて開口一番「お前、Ⅰ市から追っかけて来たのか?」と驚いたようでした。
頭に来ていた私は1時間くらい掛かる処をずっと追いかけて来たのですから吃驚するのも無理はありませんよ・・・ハハハ

それでも運ちゃんはいい人で、「すまん、すまん」と謝っていましたよ・・・

少し冷静になった私は謝っているから許してやろうと心の中で思っていましたら、その運ちゃん、私の家の近くの運送会社の人で何時も私を見ていたそうです・・・

名前を「アサちゃん」と言いそれからすっかり仲良くなりました・・・ハハハ

彼に付いては、色々な面白いエピソードがありますが長くなりましので次回にします。
あっ!因みに彼は、私より10歳くらい年上です。

楽しみにしていて下さい・・・つづく





結婚記念日

2009-10-27 21:32:44 | 昔話
10月27日の今日、私たちの結婚記念日です。
別に取り立てておめでたいこともありませんがブログの仲間の白りんさんの結婚式を拝見して、ふと思い出してしまいました。

今から三十数年前ですが色々な事がありました。

私と主人は出会って9ヶ月でゴールインでしたので、デートらしいデートもしない内に主人が貰いにきたり、仲人を立てたり、両親の顔合わせをしたり、結納式をしたりで只只忙しい日々だったように思います。

今の若い人のような手作り結婚式と言う訳にはいかず、招待客の半分は両親の関係の人でしたので、緊張と疲れでふらふらでしたよ・・・(?)
と、云うのも・・・
結婚式の前日の夜、私の学生時代の悪友(男性ばかり3人)が私の結婚式の為に内地から帰省して『独身最後の夜だから出て来い!』と呼び出されたのです。
勿論、次の日は朝早くから花嫁衣裳を着なければならないので5時起きでしたし、家の中は親戚の人たちで前夜祭をやっていましたので断ったのですが許してもらえずこっそりと家を抜け出したのでした…ハハハ

行ったところは、行きつけのバーで、みんなすでに酔っ払い状態でした。

私は頭にカーラーを巻きつけてネットを被っていったものですからバーのママさんが『どうしたの…?』と聞くのです。
私が「明日、結婚式なの・・・」と云うと『お友達の?』と云うから「私の!」と云うと呆れた顔をしていましたよ…ハハハ

それでも、何とか12時くらいには返してもらいましたが皆に注がれて些か酩酊状態でしたよ・・・

次の日、本番は大変な二日酔い…
流石のせっちゃんも神妙な面持ちでいましたら主人が『どうしたの・・・?』と聞きますので、昨晩の事をそっと話しましたら笑っていましたよ…ハハハ
きっと、とんでもない嫁さんを貰ったなぁ~と思ったことでしょう。笑

披露宴は3時間も続き、宴会は収まる気配がなく私たちは、そのまま新婚旅行に出ますので両親に挨拶しようと思いましたら父がトイレで泣いて出てこないと兄が知らせに来ました。
仕方なく、車に乗って「さぁ~出発!」と思ったら後ろの座席に主人の家のご近所のおじさんが乗っていて『俺も一緒に連れてけ!』と降りようとしません。
みんなで降ろしてもらい、やっと二人だけの新婚旅行に旅立ちましたよ…ハハハ

前途多難な結婚式でしたがその後も色々なハプニングあり、泣いたり笑ったりの人生でした。

思い返せばあっ!と云う間の三十数年でした。
また、思い出話は追々に綴って行きましょう。

トイレ談義・・・?

2008-08-28 21:20:33 | 昔話

一鉢百円で買った『ダリア』です。
梅雨明けから雨続きの日本列島・・・いったいどうなってるの?
やっと少し気温が戻ってきましたが・・・気分は秋です。

先日、ブログ仲間の満天さんの記事に男性の洋式トイレの使い方について載っていましたが、私の場合、ブログの記事にするには余りにもお粗末な(品の無い?)お話があります・・・
今思い出してもお可笑しな話ばかりでして記事にするのはいかがなものでしょうか(お食事中の方ごめんなさい。)・・・笑

一つは満天さんのコメに書きましたので、主人の事ですので本の触りでお許し下さい・・・ハハハ

北海道の田舎で水洗トイレが普及されましたのは私が二十才くらいですから三十数年前だったと思います。

母の場合・・・
私の家も市から援助が出ると言うので新しい物好きの父が直ぐに水洗トイレ工事をしました・・・
只、今みたいな洋式便器ではありませんので水が溜まって居るのではなくて便器の真ん中にストレートに穴が開いていて使用後水を流すタイプでした・・・
ですので、水を流しても匂いが上がってくるのです・・・
匂いだけなら良いですがとんでもない物まで上がってきてしまい大変な事に・・・
ある日、母がトイレに入って暫くしますととんでもない悲鳴が聞こえてきました・・・私は何事かと思い行ってみましたら鍵が掛かっていてノックしても返事がありません・・・
慌てて父を呼びに行って二人で鍵を壊して開けてみましたらトイレの中で母が気絶していたのでした。
『トイレで倒れると助からない?』のジンクスがありますがそな深刻な感じじゃなく便座の上で壁に寄りかかり気絶していたのです・・・
そしてその便座の横に大きなドブネズミが母のお尻に押し潰されて生き絶えていました・・・
母は昔から死ぬほど鼠が嫌いで家のネコが鼠を取ってきて咥えてきただけで『ネコを捨てて来て!』と言う人でした・・・ハハハ
そんな母のお尻に挟まってしまった鼠も不幸といったら気の毒な限りです・・・ハハハ
気が付いてから聞いてみますと、用を足していると下から何か突く者が居て『んん・・・?』気のせいかな?と思ったそうですが思いっきり来ましたのでお尻を浮かして見ましたら鼠の顔があったそうです・・・それからどうしたかは分からないとの事で、そのまま座ってしまったのでしょう・・・ハハハ
母は自分のお尻で鼠が圧死した事は知りません。
父と私とで内緒にしてあります。知ったら思い出して気絶するかも・・・爆笑!!

その後、直ぐに今のタイプの便器に取り替えましたよ・・・ハハハ
(品のないお話ですが今は母も他界しましたので許してくれると思います。お食事中の方にはごめんなさい。)

他にも人様のお話ですがトイレ話は色々御座います・・・?
また、何かの折にお話しする機会があるかと思いますが?今日はこの辺で・・・

おまけ・・・
          

初物「いくらの醤油漬け」です。
まだ、お高いですねぇ~