新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2024年2月の新宿区の人口

2024-05-28 07:43:25 | コラム
2024年4月の東京都新宿区の人口は2,507人の増加で351,825人に達していた:

この対前月比では2,507人で0.7%の増加には少なからず驚かされた。そこで、早速その内訳はと見れば、外国人が2,104人の増加で45,795人、比率にして4.8%と急増していた。この結果で、外国人が区全体の人口に占める比率が3月の12.5%から13.0%へと、私の記憶では初めて12%を超えていたのだった。「なる程。新大久保駅付近で見かける無数の異邦人たちは単なる旅人ではなく定着していたのだ」と、認識を新たにさせられた。

増えたのは外国人たちだけではなく、日本人も前月の434人に続いて403人増えて306,030人となり、全体の87%を占めるようになっていた。この急激とも言いたくなる外国人の増加は何処から来たのかと考えてみれば、ここ百人町界隈に無数にあるのかと思わせられる日本語学校が新学期を迎えたからという気もする。だが、今月から最古と認識していた学校が老朽化したのだろう建物を解体していた。

このように見てくると、昼日中の新大久保駅周辺での通行を困難にする程集まってくる無数のトローリーケース族たちは、住み込む為にやってくるのかと思わざるを得ないのだ。しかも、新大久保駅では山手線外側の所謂Korean townを訪れようとする老若女も、大混雑に一役も二役も買っている始末なのだ。しかも、大久保通りにはどう見ても某国人の為の白タクとしか思えない大型のワンボックス車の路上駐車も増加傾向だ。

先月も取り上げた話題である、新大久保駅前の「回らない回転寿司店」を売りにしている店などには、今や若き白人たちが殺到して、経済的な価格の寿司を楽しんでいる所を頻繁に見かけるようになった。それはそうだろうと思う。何しろ今や1皿が殆ど$1以下になってしまったのだから。このように言えることは、我が夫妻もこの回らない寿司店を贔屓にしているからだ。

先月から開店した読めない中国式(なのだろう)の簡易体の文字の看板を掛けた「エッグミートバーガー」のスタンドなども大繁盛である。彼等は増加した中国人客を当て込んで開店したのだろうと疑っているが、中国人だけを当て込んだのだろう店舗も明らかに増えた。新大久保駅の新宿方向に進む路地には、本場物の餃子の店が繁盛しているとかだ。「やれやれ」という気がしないでもない。

何しろ、インバウンド様たちがこんな都心の繁栄からは置き去りにされた感が濃厚な街にも押しかけて来るので、我々原住民にとっては有り難迷惑ではなく、単なる「迷惑」でしかないと言いたくなる。新宿駅付近にも確かに多くの外国人を見かけるが、ここ百人町/大久保界隈とは多少客種の質が高い感がある。高田馬場駅の付近でもインバウンド様たちは増加傾向にあるが、未だ未だ地元民と比較すれば少数派である。

我が国程訪日客に過剰なまでに気を遣って親切にしている国はないと思う。アメリカなどでは外国人を特別扱いしている様子は感じられない。それもそのはずで、街を行き交う人たちの人種の見分けは付かない程種々雑多の国から来た者たちが暮らしているのだから。アメリカ国内で英語以外の言語の標識や看板の類いを見た記憶は殆どなかった。「お出でになりたいのならばご随意に」と言っているのかと思って受け止めてきた。
今回も同じ事を言って締めくくろうと思う。我が国の政府は我が国の外国人に対する温情的な扱いを悪用して、食い物にしようとしてやってきたとしか見えない国の連中に観光ヴィザを無審査で発給して良いものかなどを再検討願いたいのだ。岸田政権には「実情をとくと調査の上で、インバウンド歓迎策を見直して欲しい」のである。

行政には我々市民が、何処の国から来たのかも解らない者たちに交通を妨げられ、大混雑に巻き込まれて「ここは何処か余所の国か」あるいは「何でこのような状態になってしまったのか」と不満に思っている状態を具に調査・観察願って「何とかしなければなるまい」と真剣に考えるようになって貰いたいと思う。「現状を知った上で、政策の再検討を希望する」と言っておきたいのだ。

参考資料:新宿区広報24年5月25日号

「揚げ足取り」と批判されることを覚悟で

2024-05-27 08:02:15 | コラム
その気になって言ってみれば:

一寸ばかりイヤらしい言い方になるのだが、気になったことを取り上げていこう。

鈴木康友氏が静岡県知事選に勝利:
補欠選挙の不戦敗を含む三連敗の後だっただけに、自民党は頑張るかと思いきや、確か総理/総裁は応援には入らず、上川洋子外相が出向かれてその演説をマスコミの常套手段である「切り取り報道」をされた為に、何の助けにもならなかったようだ。自民党内部では「折り込み済み」という負け惜しみの声が上がっているとも報じられた。でも、何となく「岸田さんじゃ駄目だ」という声なき声が大音量で聞こえてくる気がする。マスコミはそう見ているのではないのか。そうだったのならば・・・。

大の里が7場所目で初優勝の偉業という新記録:
立派な優勝だったことは間違いないと思う。これについて、NHKも他のメディアも絶対に言わないだろうと思う事がある。それは「この場所には横綱・照ノ富士、大関・貴景勝と霧島が休場という、大の里に取っては良い条件が揃っていたこと」なのである。だが、昨日見ていたNHKでは解説者もアナウンサーも、この点には触れていなかった。何を怖れたのだろう。私は「仮に言ったとしても、事実を言っただけのことだ」と思うのだが。矢張り協会に気兼ねしているのかな。

それは、昔から「勝敗は時の運」と言われていたように「勝てる人には、そういう運の方から向かってきてくれるもの」なのである。私は長年「(運が)ついているのもいないのも腕のうち」と「ツキと運を腕で消すな」と言ってきた。大の里には運を掴むだけの腕(力)とツキがあったのだろう。

東京BLが優勝した:
昨日のラグビーのこと。BLが埼玉に24対20で勝った試合だ。ジャイアンツ対タイガースの野球と掛け持ちで見ていた。実に微妙な形でTMOだとかの判定で、最後の最後に埼玉のトライが取り消されたのだった。トライが認められれば、5点取れた時点で埼玉の勝利だった。微妙だという点は「幻となったトライを組み立てたパス回しの中に、この試合を最後に引退する堀江の『スローフォワード』があったと判定され、トライが取り消された。

実は、私の目には非常に有効だった堀江のパスは「スローフォワードだ」と見えたからだ。だが、ラグビーという競技の性質では時々「反則があった」と見える瞬間でも審判にも線審にも見えない場合はお咎め無しで進んでしまう。だが、TMO(ビデオ判定のことか)が導入されて以来、昨日のように埼玉が喜んでいる間中、無情にも審判はTMOと話し続け、遂に「トライ不成立」を宣告して試合が終わったのだった。

意図的な揚げ足はここから。東洋経済によると、箱田勝良というメンタルトレーナーの形が「(「スローフォワード」(=throw forward)だと英語では“前に向けて投げろ”という意味になってしまう。正しくは”forward pass”である)と指摘されていた。箱田氏は「ラグビーにも(筆者注:野球と同様に)和製英語が多い」とも指摘しておられた。私は文法的には“throwing forward“とすべきだと思っている。

箱田氏は更に「誠に尤もです」と同意したい別の指摘をされていた。それは下記に引用する「ノットリリースザボール」についてだ。

>引用開始
「Not release the ball!と言うと、Don’t release the ball(ボールを離してはいけません)みたいに聞こえなくもないですよね。先ほどのThrow forwardと同様に反対の意味になってしまいそうです。和製英語では、プレーヤーが行なっている行為を英語にしているのだと思われますが、これが命令形のように聞こえてしまうと「その反則をしなさい」という意味になってしまうのが厄介ですね。
<引用終わる

これらの他にも、私は既にアナウンサーたちが如何に「ラグビーが紳士的な競技であるか」を示している表現として使う「ノーサイド」という試合終了を意味する言い方を批判してあった。箱田氏も「これは古い言い方(古語)で、最早英連邦でも「試合が終了し、対戦した双方が分け隔てなくお互いの健闘を称え合う」という意味の言葉は遣われていない」事も挙げておられた。

放送局(乃至は報道機関)は動もすると大正時代(もしかすると明治時代か?)の先人が苦心して作り上げられた用語を墨守していると思わせてくれる用語が多い。野球でも戦後間もなく「左投げ」の投手を「『サウスポー』(=southpaw)と言って南部から出てきた投手に左利きが多い事から言われ始めた」と解説して使い始めて今に及んでいるし、左投げの代名詞の如きだ。

ところが、アメリカに行って仲間とMLBの野球を見に行って何気なくsouthpawといった途端に、彼等が「君は随分古い言葉を知っているな。今じゃー誰もそんな言葉は遣っていないよ」と笑われてしまった。決して豊富な英語の知識を褒められた訳ではなかったのが残念だった。言いたかった事は「揚げ足を取れば『古き良き習慣を守るのも時によっては考え物』だった」となるか。

思い付くままに

2024-05-26 07:24:55 | コラム
最近の話題から:

小池百合子都知事が三期目を目指す:
何処の何方か、あるいは何処かのテレビ局が取り上げたことか記憶が定かではないが、小池百合子氏の立候補の可能性の報道に「何もしなかったという実績を提げて・・・」と皮肉っていたのが非常に印象的だった。「確かにその通りだ」と思わせてしまうのは宜しくないと言いたい。

だが、良く考えれば「閣僚でもない一介の知事が国を差し置いて何らかの行政面での業績を挙げられるものか」という問題ではないのか。故石原慎太郎都知事も「東京から烏を減らしただけはないのか」とまで言われていた記憶がある。

大谷翔平が15億ドルの自宅を購入か:
この件は何を差し置いても大谷賞賛の報道を続けるテレビ局にとっての、絶好の話題になっていた。確かに素晴らしい豪邸だが、こういうことを取り上げるのならば「アメリカの住宅事情が我が国とは全く条件も何も全て異なる事」から解説せねば意味があるまい。先ず土地が非常に広いと言うか(我が国とは比較にならない程)安く、何処に行っても余っているのではないかと思わせられる国だということ。

カリフォルニア州のように年中暖かければ、一寸した住宅地帯に入ればプール付きの広い庭がある家など珍しくないと思う。それにアメリカ人にとっては家を買うことは一生の大事業ではないと言うこと。現に大谷が買うと噂されている豪邸は、言わば中古物件ではないか。アメリカでは職の流動性があるので転職の度に現在の家を売って新たな職場とした州で新規に買うのだ。そして、また売ってしまうことの繰り返しになる。

大谷は超高額年俸だから豪邸を買える資金力(余力?)があるのは間違いない。我が社の工場の事務課長級だったFがリタイア後に買った家は6,000坪の丘の上に建つ110坪のこじんまりした物件だった。技術サービス部長だったL氏の家の敷地は僅か1,200坪だった。ここから先は詳細に触れないまでも、住宅と土地の供給の事情が違うことくらい解説すべきだろうと思って、大谷の新居のニュースを聞いていた。

なお、やや脇道に逸れるが、真美子夫人はこれから先に高級住宅地帯に住んで、近所付き合いを経験して行かざるを得なくなっていくだろうと思う。これは慣れるまでは結構な負担になるだろう。それは、所謂「ホームパーティー」などを催すか招待される場合のこと。準備とか衣装も難物だが、最もややこしいのが大勢集まった場合に(native speakerたちの)談笑の輪の中にどうやって入っていくかと、どういう話題を選べば適切かという辺り。

経験から言えば「英語が話せれば良いという事にはならないのだ。それは慣れない異文化の中にどのようにして入っていけば良いのかという問題だ」という事。

片手落ちではないのかな:
ICJ(国際司法裁判所)がイスラエルに「ガザのラファへの攻撃を即時停止せよ」との仮処分を発表したが、ナタニエフ首相は一向に聞く耳など持たないようだ。報道では、そのイスラエルの姿勢が悪であるとしているように聞こえる。何が国際的か知らないが、輿論(とマスコミ報道の流れ)では「イスラエルの攻撃によってガザの無辜の多くの民が犠牲になっているのは気の毒で宜しくない」との報道というか、見方が圧倒的である。

一方では、「イスラエル側がテロ集団と位置づけているハマスに人質に取られたイスラエル人たちを擁護する言い方は少ない」のは何故だろう。マスコミ報道には、偶にはこういう論調もあるが、偏っているのではないかと思わせられることが多いのは何故だろう。このガザでの出来事を取り上げて論じたければ、あの地域の2,000年の歴史にも触れておかないと、一般の方々が実態を正しく認識出来なくなると危惧しているのは当方だけか。

「閃き」が当たってしまった

2024-05-25 09:54:28 | コラム
戸郷翔征がノーヒットノーランを達成:

本日も肩が凝らないような話題を持ちだして、冷静なる評論家としての能書きを言っていこうと思う。

昨24日夜のタイガース対ジャイアンツの試合を藤川球児が説明者だったことも手伝って「ジャイアンツが勝つのではないか」という負の期待を持って観戦していた。先ず驚かされたのは、タイガースが先発に及川雅貴を起用していた点だった。「岡田監督は捨て試合にする気だ」と疑った。ジャイアンツは今や躱していくだけの投手に成り下がった菅野智之に代わって「エース」となった戸郷翔征だった。

冷静なる評論家は戸郷が初めて出てきた頃から「将来有望な素材だが、肘が下がった投げ方は疑問だな」と評価していた。その後順調とは言えない成長ぶりだったが「菅野智之がフラついている以上、何れは戸郷の時代になるのではないか」と思わせられていた。

特に昨年のWBCではアメリカの強打者(誰だったか覚えていないが)から三振を取った気迫に溢れたsplit-finger fast ball(和製語は「フォークボール」)などは素晴らしく「戸郷は漸く本物になった」と思わせてくれた。だが、昨シーズンの出来は未だ言わば「もう一つだな」と言いたくなるような「あのWBCでの真剣さは何処に行った?」と非難したくなる調子だった。

昨夜の戸郷の出来は「あれ、技巧派に変わったのか」と思わせられた程「スプリット」(今やこれが「フォークボール」を表すようになっているようだ)を中心に、カットボールに加えるに150kmに近いファストボールを巧みに混ぜた組み立てで、タイガースの貧打線を抑え込んでいた。そこで「もしかして」とばかりに捕手の背番号を見取れば岸田行倫だったので「なる程」と理解出来た。

既に取り上げたことで、ジャイアンツが原監督の下で何年も優勝出来なかった頃の捕手は、鮮やかな振りでホームランを打つ大城卓三だった。大城のリードというか配球の不味さは、誰だったか説明者(彼等は解説ではなく説明するだけしか出来ない)が指摘していた通りで、暇さえあればアウトサイドに投げさせているだけで不出来だった。今シーズンになって阿部新監督は小林誠司を主体にして岸田と併用したら強くなってしまった。大城は二軍に落ちたそうだ。

思うに、岸田行倫は「戸郷翔征を活かす為にはどのような配球にしたら良いのか」を研究し、タイガースの近本光司(0.282)、中野拓夢(0.269)以外は規定打席数の打者の低位に沈んでいる者ばかりの打線を抑え込む配球も頭に入れてきたのだろうと疑っていた。「そう言えば、タイガースは誰もヒットを打っていないな」と感じた時に、アナウンサーもその点を指摘した。その瞬間に来た「閃き」が「ノーヒットノーランになるのでは」だった。

何れにせよ、岡田監督が及川雅貴を先発させ、しかも1点を取られ、アナウンサーが回の途中でむざむざと引っ込んでしまった理由を言えなかったようでは「遺憾ながらこの試合はジャイアンツのもので、タイガースの勝ちはない」と見切って観戦するのを止めてしまった。今朝になってネットのニュースで閃き通りに戸郷が「ノーヒットノーラン」を達成していたと知って「我が閃きも満更ではない」と確認出来たが、芳しいことでもなかった。

反省すべき点はあったと思う。NPBの世界でも滅多に出来ることではない「ノーヒットノーラン」を最後まで見届けられなかったことだ。当方は佐々木朗希が完全試合を完成した試合を観ていたような曖昧な記憶があるが、その次の試合でも途中まで完全だったのも見ていた。山本由伸のノーヒットノーランは最後まで見た。古い話では、中日の山井大介が日本シリーズで8回までパーフェクトだったのを、落合監督が岩瀬に代えてしまった場面も見ていた。

という具合で「勿体ないことをしてしまった」と反省はしている。だが、矢張り冷静に言っておきたいことは「タイガースでは打線が何時かは奮起するかもしれないが、佐藤輝明が二軍に落ちても立ち上がれる確率は高くないと読んでいるし、真面目だけが特徴では困る大山悠輔は期待薄だし、投手陣でも村上頌樹には昨年程切れ味がなく、伊藤将司が低調なのも深刻な不安材料。

一方のジャイアンツでは阿部新監督の思いきったかのような数名の新人と、長野・丸・梶谷・坂本等の「伸びしろ」を見込めない年長者を混合した布陣で何処までタイガースを追いかけていけるかに懸かっていると思う。間違いないと思う点は大卒だろうと社会人からだろうと、新人が夏場を疲労せずに乗り越えられるかが鍵になると思う。昨年は門脇誠が上手く行っていたが、2年目の今年はやや冴えがない。阿部新監督が腕を見せられるかが鍵になるだろう。

お仕舞いに「戸郷翔征に大天晴れを」と賞賛し「岡田彰布監督とタイガースに大喝を」と言って終わりたい。

5月24日 その2 本日の小さな驚き

2024-05-24 15:55:12 | コラム
日本カスタマーハラスメント対応協会:

第一部
知らぬ事とは言え、こういう目的の協会が既に存在していたと見せられた時には、知らなかった事を恥じる前に衝撃を受けた。それはジムから帰って何気なく見ていたTBSの「ひるおび」にその協会の女性の理事が出演されて「何処までの悪さがハラスメントに該当するか」を種々解説しておられたのだった。つい昨日「“customer harassment”では意味を為していない」と批判したばかりだったのに、対応の組織が既に創立されていたのだ。

確かに顧客や依頼主等の側には(弱い立場にあることがある)先方に不条理というか筋の通っていない悪口雑言を浴びせるとか、タクシーの運転手さんに非道な行為をするとか、我が国の国民の中にはこれほど品性下劣というか、礼儀作法を弁えずに、当然の権利の如くに悪辣な行為をするような者たちが沢山いたのかと思わせられて、大いに落胆させられた。

協会の理事の方は何処までの言動であれば「正統」で、何処までが「グレー」で、そこまでやってしまえば「黒になるか」という範囲を解説されていた。さらに言葉を継いで「我が国には『お客様は神様』と言って耐え忍ぶ美徳があるが、如何に神様扱いをされたかと言って、カスタマー側にも振る舞うべき作法がある」とも言われていた。

私は日本とアメリカの両方の異文化の中で20年以上も営業活動をしてきたので、「お客様は神様」と敬って丁重に扱うのは我が国独特の美しい文化であるとは認識している。だが、その神様扱いを悪用して威張り散らすとか、暴言を吐くとか、暴力を振るうに至っては、限度を超えている許されざる所業だと思う。「そのような輩に何処までやり返すのが許容範囲か」は協会の名称にある「対応」の仕方が示していると思う。

アメリカの企業にいて痛感したことは「アメリカでは買い手(お客様)と売り手はほぼ対等に近い関係にあり、買い手側が「我は神様なり。汝ら神の子は我が方に無条件に従うべし」のような態度には出ていかないものだった。彼等に言わせれば「お客様は精々王様の地位にあるのであり、神格化までして扱っていることはしない」とのこと。

大体からして、英語には日本語のような明らかな敬語はなく、表現の仕方で敬意を示すようになっているのだ。私には協会の方がカスハラとやらの悪い例として挙げておられた輩の振る舞いからは「我が国の国民の民度も情けない低水準にまで下落したものだ。これは品性の問題でもあるが、教育にも原因がありはしないか」と痛感させられたのだった。

第二部:
カタカナ語排斥論者兼英語評論家としては理事さんが平然として、私が長年「間違っている」という批判の対象の一つに挙げてきたカタカナ語を遣われたのが「またか」とげんなりさせられた事にも触れておこう。それは、今日までに繰り返して「テレビに登場される大学教授、有識者、評論家、国会議員等々の方々が(アナウンサーも含めて良いだろうが)用いられる『フリップ』」なのだった。

あのような教養と知的水準が高いはずの方々がテレビ局に指示されたのか、もしかしてご存じなかったのか、私には「フリップは言葉の誤用」であるとはご存じないとは考えられない。マスコミ人は“flip“という単語の意味を調べたことがないようなのだ。これは、恐らくflip chartというジーニアス英和には「講演や講義の時にめくりながら話が出来るように上端を綴じた図表・図解」と出ている熟語から、flipだけ切り取ったのだろうと察している。

こんな彼等の得意技の「切り取り作戦」で、英語の熟語を誤用して恬として恥じない厚顔無恥(無知でも良いが)が心の底から情けないのだ。私が12年間パーソナリティーを務めていたSBSラジオのGプロデューサーは「安心して下さい。我が局ではチャンとキャスターさんたちがチャートと言うように出来ていますから」と胸を張って告げられた。マスコミがカタカナ語を使わせるのは勝手だが、用語集に載せるのならば、せめて事前に辞書くらい引いたら如何か。

「何だ、これが言いたかったのだろう」と指摘されれば「はい。そうです」とお答えする