大坂なおみは2大会連続1位とはならなかった:
掲題とは無関係のようなことかも知れないが経験上も言えることで、第1位とか#1シェアーホールダーになろうと営々と努力し、日夜懸命に練習に励んでいる頃の方が、第1位の座を守ろうと努めていることよりも遙かに楽しく、狙い定めた目標に到達しようとしている苦労の方が遙かにやり甲斐があるものなのだ。それは私が1975年に転進したW社は日本市場最低のシェアーホールダーで、そこから15年近くをかけて#1に上り詰めたのだが、その苦労よりも首位の座を守る方が何十倍も辛く、且つ困難な活動を強いられたのだった。
憧れの座に着いてみては初めて解ったこととは「攻めるよりも守る方が遙かに難しく、且つまた精神的には慢心することなく余程しっかりしていないことには、何時追い落としてきた嘗ての#1サプライヤーに首位の座を奪い返されるか解らない」という防御の難しさをイヤというほど味合わされたのだった。相手だって然るもので、当方の弱点を研究しては攻めてくるので、守る方としては如何なる小さな欠陥でも生じないように常に八方に気を配っていなければならず、間違ってもつまらない品質問題など起こしてはならないのである。
テニスでは「ミス」というのを “unforced errors”と表現しているが、我々は小さな人為的品質問題を “workmanship problem”と呼んで、営業担当者から工場の組合員たちにまで徹底して注意し、如何なる細かな事故でも起こさないようにするように努めてきた。その気配りと注意を怠らない姿勢を採り続ける方が、首位の座にいる競争相手(competitor)を蹴落とそうとする努力の数倍は神経を使ったものだった。
何が言いたいのかと言えば、US Openを獲ってしまった大坂なおみは20歳にして他の世界中にいるプロのテニスプレーヤーの標的になってしまったのであり、彼女が獲得した首位の座を守らせておくものかと、世界の強豪が牙をむいて追いかけてくる事態に直面したのである。私には大坂なおみが最初から意図的に狙っていたUSOのチャンピオンの座を努力の結果として取れたか否かは知らない。だが、あのチャンピオンになった瞬間から彼女は追われる立場に立ったのだ、意識していたかいないかに拘わらず。
だからこそ、あの決勝戦の前にウイルス性の疾患に罹ったとか言うが、その守らねばならない座の重さと、目に物見せてくれようと迫ってくるプリスコバと真っ向勝負をしてチャンピオンの力を見せねばならなかったのだという重圧下にあったと、私は見ていた。それは勝負であるから常に優勝できるものではないが、USOのチャンピオンともなれば格好の標的となるし、彼女自身もそれなりの貫禄も見せねばならないという重圧とも戦っていたと思う。
その極めて難しい状況下で2位で終わった強さには敬意を表さねばなるまい。だが、大坂なおみはこれから先もUSOのチャンピオンという肩書きの下に試合に出なければならないのであるから、守るべき地位の重さを十分に認識して試合に望まねばならないのだろうと、私は見ている。換言すれば、上だけを見ているのではなく、下から追いかけてくる者たちとの戦いがのしかかってくるのだ。そういう試合を何処まで楽しみながらやっていけるかという問題だろう。追う身の方が楽しかったなどと言わないことだ。
掲題とは無関係のようなことかも知れないが経験上も言えることで、第1位とか#1シェアーホールダーになろうと営々と努力し、日夜懸命に練習に励んでいる頃の方が、第1位の座を守ろうと努めていることよりも遙かに楽しく、狙い定めた目標に到達しようとしている苦労の方が遙かにやり甲斐があるものなのだ。それは私が1975年に転進したW社は日本市場最低のシェアーホールダーで、そこから15年近くをかけて#1に上り詰めたのだが、その苦労よりも首位の座を守る方が何十倍も辛く、且つ困難な活動を強いられたのだった。
憧れの座に着いてみては初めて解ったこととは「攻めるよりも守る方が遙かに難しく、且つまた精神的には慢心することなく余程しっかりしていないことには、何時追い落としてきた嘗ての#1サプライヤーに首位の座を奪い返されるか解らない」という防御の難しさをイヤというほど味合わされたのだった。相手だって然るもので、当方の弱点を研究しては攻めてくるので、守る方としては如何なる小さな欠陥でも生じないように常に八方に気を配っていなければならず、間違ってもつまらない品質問題など起こしてはならないのである。
テニスでは「ミス」というのを “unforced errors”と表現しているが、我々は小さな人為的品質問題を “workmanship problem”と呼んで、営業担当者から工場の組合員たちにまで徹底して注意し、如何なる細かな事故でも起こさないようにするように努めてきた。その気配りと注意を怠らない姿勢を採り続ける方が、首位の座にいる競争相手(competitor)を蹴落とそうとする努力の数倍は神経を使ったものだった。
何が言いたいのかと言えば、US Openを獲ってしまった大坂なおみは20歳にして他の世界中にいるプロのテニスプレーヤーの標的になってしまったのであり、彼女が獲得した首位の座を守らせておくものかと、世界の強豪が牙をむいて追いかけてくる事態に直面したのである。私には大坂なおみが最初から意図的に狙っていたUSOのチャンピオンの座を努力の結果として取れたか否かは知らない。だが、あのチャンピオンになった瞬間から彼女は追われる立場に立ったのだ、意識していたかいないかに拘わらず。
だからこそ、あの決勝戦の前にウイルス性の疾患に罹ったとか言うが、その守らねばならない座の重さと、目に物見せてくれようと迫ってくるプリスコバと真っ向勝負をしてチャンピオンの力を見せねばならなかったのだという重圧下にあったと、私は見ていた。それは勝負であるから常に優勝できるものではないが、USOのチャンピオンともなれば格好の標的となるし、彼女自身もそれなりの貫禄も見せねばならないという重圧とも戦っていたと思う。
その極めて難しい状況下で2位で終わった強さには敬意を表さねばなるまい。だが、大坂なおみはこれから先もUSOのチャンピオンという肩書きの下に試合に出なければならないのであるから、守るべき地位の重さを十分に認識して試合に望まねばならないのだろうと、私は見ている。換言すれば、上だけを見ているのではなく、下から追いかけてくる者たちとの戦いがのしかかってくるのだ。そういう試合を何処まで楽しみながらやっていけるかという問題だろう。追う身の方が楽しかったなどと言わないことだ。