新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

高校サッカー観戦記

2017-12-31 08:57:17 | コラム
余り感心できないサッカーだった:

30日は「今年は何処も何とない日があったか」とあらためて家内に常に指摘されたほど、不調に悩まされた日が多い年だった。30日も例外たり得ず、朝から積もり積っていただろう自律神経失調症の疲労の蓄積が暴発したのか、朝からボンヤリと静養に努めていた。体の節々が痛むのだったが、思い悩んだ末に昼食後に痛み止めを服用して小康状態になった。

そこで見る気になってチャンネルを合わせたのが、高校サッカー選手権だった。以前から「今の高校のサッカー部に残っている者たちはJリーグの下部組織である「ユース」には入れないというか、将来有望と見做されていない者たちだけだ」と何処かで聞かされていた。現実には昨日の試合は遺憾ながら「なるほど、そうか」と思わせてくれた次元の低さだった。

これ以外には今月中だったかに全国大学選手権の決勝戦である流通経済大学対法政大学の試合も見ていた。この試合も「一体これが大学の決勝戦か」と疑いたくなるような乱暴な質のサッカーをやっていて、解りやすく言えば失望させられた記憶もある。それ以外には天皇杯に出て善戦していた筑波大がかなり質の高いサッカーをやっていたので、その筑波を退けて決勝戦に出てきた両校はさぞかしという期待があった。

昨日の東京代表の関東一高も勝ち上がった佐賀県の佐賀東高も、私の目には古き良き時代のWMフォーメーション時代のようにバックス(当時はFB、即ち「フルバック」と言ったが)がクリヤーするのではなく、唯々力任せに相手陣内まで蹴り込んでいく甚だ精密さを欠いたサッカーをやっていたのには驚かされた。このクリヤーではほとんど相手側にボールを献上する形になっていた。そういう蹴り合いの場面が多過ぎた。

要するに「前方に向かって力一杯蹴り出して、運が良ければ前線にいる味方の誰かへのパスになって攻撃が開始できる」というような雑な蹴り合いが多く、組織的にこういう形で攻め上がろうというような意図が一向に見えないキック力の勝負のような様相だった。テレビのニュースでは偶々佐賀東の綺麗な得点の場面が流されたが、あのような形は例外的だった。全体的には極論を言えば「見るべきものがなかった」サッカーだった。

そこで、私があらためて感じたことは、中継したテレビ局も大会主催者も宣伝広報活動には懸命なのは解るが、次の次辺りを担う若者を育成する為には高校サッカー選手権は最早無用の長物と化したのではないかと危惧しながら見ていた。現実に、先頃Jリーグのユースの大会も見たが、昨日の高校のサッカーとは明らかに一線を画していた上手さと強さがあった。

協会もこういう現実をご存じでないとは思えないので、時代の選手の育成法を考え直すか、私の数十年来の主張である「高校の全国大会の廃止」を、もうそろそろ本気で考えても遅くはない気がする。目下開催されている高校ラグビーでも100点試合が出ているではないか。蛇足だが、アメリカでは州単位の大会があっても全州大会なんてないと聞いている。



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