新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月27日 その2 英語が話せない人が英語を教えてどうなるというのか

2019-03-27 14:48:38 | コラム
英語が話せない人が教えたって:

*遂に小学校の教科書が出来:

今朝のことだったか、テレ朝のゲストコメンテーターの宮家邦彦氏が小学校6年生用の英語の教科書が認可されたことについて感想を求められて「英語を話せいない人が英語を教えてどうなるというのか」と極めて断定的に非難しておられた。私に言わせて貰えば、誠に結構な言うべき事をズバリと言われたものだとなる。私は何十年も前から「日本語が未だ固まっていない小学校の頃から英語を教えるなどとは愚の骨頂。私の先例を挙げるまでもなく、中学1年からで十分間に合う」と主張してきた。だが、悲しいかなこの説に賛同された方は極めて少数派である。

そこで解らない方に申し上げておけば「現在までの(自由自在に話せるようにはならない)教え方を小学校の低学年までに引き下げて効果が挙がるのか」ということなのだ。しかも、間もなく大学入試にTOEICの点数を導入するなどと戯言をいっているようでは「百年河清を待つ」に等しいのだ。それほど試験での点数が重要だと言いたい方々に伺いたいが、「中学1年の教科書から音読・暗記・暗唱を続けてきた私が、アメリカの支配階層の中に入っても遜色がなかった事実をどう説明なさるのか」という点である。しかも、大学の同期には私と同じ方法で学んできて、私などが及びもつかない英語力を備えた故K君がいたのは何故かと説明してみろと問いかけたい。

*I’ll work with them.:
これはAppleのCEOであるTimothy D. Cook(テイム・クック)がテレビに進出するに当たって監督のSteven Spielberg(ステイーブン・スピルバーグ)等にも参加して貰う旨を、そのプリゼンテーションの中で使った表現である。即ち、スピルバーグにも協力して貰うという意味だ。この表現にカタカナ語を当て嵌めると”I’ll ask Steven to collaborate with us.“となってしまうだろう。カタカナ語の「コラボ」は既に何度か指摘したが「私はそういう言葉があると承知はしていたが、アメリカ人が使ったのを聞いたこともなく、自分自身で使おうと思ったこともない言葉なのである」のだ。故に、クック氏は”I’ll work with them.”とその知性を示す言葉で表現したのだと聞いた。「コラボレーション」に飽き足らず「コラボ」という略語まで作ったマスコミに敬意は評さない。

*ドラクエ:
これはつい最近までゲームのことだとは解っていたが、何を短く詰めたのかが解らなかった。だが、最近偶然に”Dragon Quest“のことらしい察しがついて、カタカナ語を創造する人たちの語彙の大きさと言うべきか、先ず日常的に使うことがない堅苦しい単語をチャンと承知していて、ゲームの名前にまで使ってしまったことには恐怖さえ感じていた。だが、questという単語は動詞でもあるので、ヒーローインタビューと同様に目的語が先に出てきている辺りの文法無視というか、日本語の語順で言葉を並べた感覚の酷さにも敬意は表したいとは思わない。

こういう出鱈目な言葉の並べ方しか出来ない英語教育を永年行ってきていながら、その教育を小学校からも始めようとは笑止千万だ。小学校で英語を誰に教えさせようという気か。まさか、英語が何たるかを知らない連中のように native speakerに敬意を表して連れてこようとでも言うのではないだろうな。以前にも指摘したが、外国人(の範疇にはnative speakerではない連中も屡々入っているようだが)には「日本人が英語を学ぶ時に如何なる点というか問題で苦しんでいるかは解らないのである」と知るべきだ。

この私でさえ(?)初めてアメリカに入った1972年に、コーヒーを貰う時に”How do you take it?“と尋ねられて「何を聞くのかな。コーヒーカップから飲むに決まっているじゃないか」と一瞬返事に窮したものだった。私はこういうことはnative speakerたちには先ず認識して貰えないと思っている。小学校で英語を教えようとする人は余程海外での経験が豊富で、アメリカでもUKでも支配階層の中で過ごした経歴の持ち主にでも再教育させたら如何かと思っている。なお、上記の質問の意味は「砂糖とクリームは要るか」なのである。

*パワースポット:
これはバイクの旅で全国を回っている出川哲朗が屡々使うので、「如何なる意味か」ということと「カタカナ語の中の造語では」と疑っていた。そこで遅まきながら検索してみると、矢張りカタカナ語だったと判明した。そして、その意味を示す解答の中に「このように言い換えられる」とあって”A place where you can get energy.“としたのがあり、「なるほど、そういうことだったか」と理解できた次第。

私はカタカナ語製造業者は「パワー」という言葉を重宝に使いすぎると思う。「パワハラ」だって同じ”power”が源だが、ジーニアス英和に真っ先に出てくるのは「・・・に対する権力、勢力」だ。では「アメリカ人の打者はパワーがある」とは一体何を示すのだろう。だからカタカナ語は止めとと言いたくもなるのだ。



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