惜しむらくは「異文化への理解が不足」だったかも:
赤沢亮正大臣のこの「格下の格下」との表現はトランプ大統領の面前で謙ったのかどうかに対する不明だが、聞いていて我が国の感覚では立派だったと言えるが、同時に大いなる違和感を覚えた。「謙遜」というか「謙り」は無用だったと思う。立憲民主党の野田佳彦代表が不要と批判したのは「矜恃を持て」という視点からだったが、尤もだと言える。
それは、アメリカの文化には日本式の「謙遜する習慣というか風習はないのだから。彼等は相手に対して「自分が何者であるか、何処が優れているか」を売り込むような言い方をするのが一般的である。言うなれば、自分から宣伝をするのだ。我が国の文化/習慣というか礼儀作法とは大きく異なっている。
赤沢亮正氏の「格下の格下」の発言はその奥床しさの発露であり、否定するものではない。だが、もしもトランプ大統領に向かって謙ったのであれば、必要はなかったのではないかと思う次第だ。
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