新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

成人の日とその式典に思う

2014-01-14 08:53:09 | コラム
私は成人式があったとは知らなかった:

昨13日は休日でジムの開業が午前10時だったのでゆっくり出かけた。すると、この時刻には既に成人式用なのだろうが、半数以上がレンタルと報じられた振り袖姿にお定まりの白いフワフワの襟巻きをした若い女性と何人かすれ違った。

私は明治38年生まれの母親に育てられていたり、周囲には和服を当たり前のように着ている女性が多かったし、花柳小菊や山田五十鈴のような和服の女優を数多く見て成長してきたので、和服の優雅さとその着こなしの美しさを見慣れていた。だが、現代の成人式用に着飾っている振り袖姿には和服風の洋装をしているかの如くに感じられて、あの独特の美しさを感じないのだ。簡単に割り切れば、時代の違いだろう。

さて、成人の日だが、昭和20年に旧制中学に進んだ者としては全く馴染みがないし、当時住んでいた藤沢市でそういう式典があって成人を招待し下さったという記憶もない。そこで、Wikipediaに縋って「成人の日」なるものを検索してみた。それは昭和23年7月に制定された「国民の祝日に関する法律」で1月15日に定められたようだった。成人式を催せとは定められていないようだが。

20歳で成人と規定されるならば、当方が成人となったのは1953年の大学在学中で、多くの神父が厳格に規則を守らせる大学で懸命に授業に出ようとしていながら、当時としては未だ珍しい学費を稼ぎ出すためのアルバイトにも精を出していた。それだけではなくサッカー部の一員で練習にも出たしリーグ戦もあった。それにあの堅苦しい大学では少数派の麻雀にも没頭して不謹慎な学生だった頃だった。

藤沢市が昭和23年に成人式を催して我々の成人を祝って下さったかどうかの記憶は全くない。だが、もしそのような通知を戴いても、上記のような多忙振りでは到底出席出来る時間の余裕はなかったと思う。また同期の連中で式典に出席したという者がいたという話を聞いた記憶もない。これは嘆いたり悲しんだりしているのではなく、それほど成人の日とその式典に関心が低かったと言いたいのだ。

実は話は変わるが、私の世代では中学1年の時に軍事教練もあれば勤労動員で農家の手伝いにも行けば、鵠沼と辻堂の海岸の防風林で飛行機の燃料にするための松根油(ショウコンユ)掘りもした。だが、戦後の物不足の時代だったせいか修学旅行はなかった。勿論、学校給食など知らない。だが、昭和23年に福岡国体に出場した際には、全員が家からなけなしのお米を持ち出して遠征したものだった。

こういう時代を経て今日に至っている昭和一桁生まれの我々から見れば、あの成人式のお祭りが主催者の意図を何処まで正確に反映しているのか、我が国の好ましい経済成長と発展ないしは単なる時代の変化なのか、はたまた若者のための虚飾の祭典なのかを容易に判定しきれない気がしてならない。


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