新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

通訳について

2019-12-20 14:09:16 | コラム
通訳は辛いぜ:

最早、30年以上も昔のことになってしまったが、我がW社が東京株式市場の外国部に上場すべく、幹事役の証券会社が顧客向けに説明会を開催した。我が方からはCEO兼社長が来日して会社の概要と上場の目論見についてスピーチをした。CEOは事前に同時通訳者と1時間ほど綿密に発言内容を打ち合わせしてあった。そして、同時通訳のブースが会場の最後部に設置された。我々社員はそのブースの前に着席して聞いていたのだった。

スピーチは打ち合わせ通りに進行して何の問題もなく終わった。だが、その後に質疑応答に入ってからは様相が一変してしまったのだった。即ち、多くの質問には同時通訳者の方々が知らなかっただろうと疑われる専門語が数多く含まれていたので難渋しておられたのだった。これは容易ならざる事で、我々にも彼ら専門家が苦悶の表情を浮かべていたのはブースのガラス越しに見えていた。我々にとっては何でもない紙パルプ産業と林産物業界のテクニカルタームスなのだが、業界人ではなかった通訳の方にとっては難問だったようだった。

この際に見えたことは、同時通訳の専門家でも如何なる言葉にでも通じてはおられなかったようという点。私は敢えて我が社に手落ちがあったとすれば、我が社の業界の専門語までを通訳と証券会社と事前に打ち合わせてくべ気だったのかも知れない。だが、専門家に「業界の専門語をご存じか」とまで幹事会社が質問できなかったのかも知れない。専門語というものはそれほど厄介な代物なのだと解る。

事実、その証券会社が来場された見込み客に配布した我が社の資料でも、我々の生命線である針葉樹=softwoodのことを「軟材」、闊葉樹または広葉樹=hardwoodは「硬材」と記載されていたのだった。我々から見れば思わず笑ってしまうような誤訳だったが、外部の方々にとっては扱いにくい専門語だったようだった。我々は「何でこんな間違いをしたのか。何故俺たちに尋ねなかったのか」と寧ろ嘆いていたようなこと。視点を変えれば「このような初歩的な誤訳は我が社の恥」なのだった。

私自身の苦い経験にも触れておこう。1972年に最初に転出したMead Corpの頃に、Packaging部門の担当者が出払っていた為に、食品の自動包装機の操作法の通訳を引き受けざるを得なくなって訪日中のフランス人の技術者と共に現場に出掛けたことがあった。勿論、当時はパルプ販売担当だった私の担当分野ではない。門外漢の私にはごく初歩的な機械の専門語はチンプンカンプン(因みに、英語では“It’s all Greek to me.”などと言うが)で、大恥かきの冷や汗ものだった。なお悪いことに、この機械はフランス製で生まれて初めて聞くフランス人の英語にも苦戦したのだった。

ここまでの教訓はと言えば、「初めての通訳を依頼する際には、敢えて失礼を顧みずに専門家にも『その業界の専門語にも通じておられるか否か』を事前に確認する必要がある」ということ。1988年の秋に2人の女性通訳者と共に某製紙会社の旗艦工場に30数名の他の事業部からの団体が訪れた際には、その工場までの1時間ほどの東北新幹線の車中で、私から十分に紙パルプ産業界の専門語を通訳に解説しておいたところ、全く淀みなく午後一杯をかけた工場見学と質疑応答を見事に裁いてくれたのだった。ここには、1972年の苦い経験が十分に活かされていたのだった。



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