新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

国会議員たちの倫理観を問う

2017-09-07 13:59:33 | コラム
議員には倫理観がないのか、欠如している者が議員になったのか:

7日は今週でただ一日病院通いがないので静養できるのかと言えば、必ずしもそうとはならなかった。生憎と小雨模様で降り籠められたのだが、29年間の酷使に耐えきれなくなったのか、水洗便器のタンクから水漏れするようになったので、昨日中にLIXILのサービスマンの来訪を依頼したので、午前中はじっと時が来るのを待っていた。

このサービスマンには以前にも一度シャワートイレ(LIXILの商標で、ウオッシュレットは東陶のそれである)に定期点検に来て貰ったことがあった。一時は便器そのものの総入れ替えを覚悟したが、彼は傷んだ部品の交換で当分は使えるとの診断でそれを選択して無事に修理を終えたので、目出度し目出度しだった。

彼の来訪を待っている間は徒然なるままにテレビを見ていたのだったが、結果として「国会議員の倫理観」を問いたくなってきた。何処の局も民進党の山尾志桜里議員の不倫疑惑で持ちきりだった。何れにせよ、彼らにとってはDPRK問題よりも何よりも、この話題の方が視聴率が取れるのだろうなと思いつつ聞くともなしに聞いていた。率直に感想を言えば、育休を取ると言った宮崎某や手を繋いだと騒がれた今井某女らよりは、知性も教養も倫理観があるのではないかと思わせられた山尾志桜里議員もあの疑惑で週刊文春の槍玉に挙がっていたのは、少しだけ意外だった。

その昔、「女優を妾にしたのではない。妾を女優にしたのだ」との名言(迷言?)を吐いた映画会社の経営者がいた。すると、この度の山尾の場合はこの迷言のどちらの範疇に入るかと暫く考えさせて貰えた。私は国会議員たる者聖人君子というのか、完璧な倫理観の持ち主ばかりで政治資金規正法を細部まで遵守するような人たちのみだとも思っていない。その昔にプロ野球の名監督・三原脩は「球場でチャンとやってくれれば、場外の品行は問わない」との名言で有名だった。

まさか、国会議員たちはこの三原の名言を肝に銘じており、「多少は身を持ち崩しても議場内でチャンと仕事をしていれば良いのだ」とでも考えているのかと疑いたくなった。だが、そんな程度の認識だったとすれば、あれほど多額の議員報酬を得て政務活動費まで支給されている身が、不品行で週刊誌のトップ記事になってしまってどうするのかと言いたくなる。

TBSだったかでは室井祐月という女性の漫画家は「能力があれば多少のことは許されないか」と言っていたが、私はそれは違うと思う。国家から報酬を得て国の為に身を粉にして働いてくれるとの大前提で選ばれた者が、本能の赴くままに勝手気ままな行動をすることは許されないと思う。ましてや、週刊誌に「不倫」などと書き立てられる危険性が高いことを人目を忍ばすにやってしまうなどは、常識を疑いたくなる。

恋だか不倫だか知らないが、それは分別も教養もあるはずの元検察官でも道を踏み外すものなのだろうか。マスコミは何かというと大臣候補者の「身体検査」などと形而上学的なことの審査を言うが、事がここまで来れば、形而下学的な事前調査(こんな難しいことを避ければ、倫理観のテストでも)をしてから立候補させねばならないのでないかと、出来そうにもないことを考えていた。

私はこれに懲りて、国会議員の方々が品行方正になろうと一層の努力をしてくれることを期待しようかとも考えている。だが、所詮は無い物ねだりに終わるかとも危惧している。八代という弁護士は「疑惑」とは言うが、法廷では「両名が(同じ場所に)投宿した事実」だけで有罪の判決の根拠になると言っていた。山尾さん、これくらいはご承知でしょうが、どうしますか。



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