新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

甲子園の野球に思うこと

2016-08-16 14:38:46 | コラム
実は好みではないことが多いので一寸一言:

とは言いながら、オリンピック中継の合間にずっと甲子園の野球中継は見ている。以前にも述べたことだが、元高野連会長だった脇村春夫君の就任を記念したクラス会で、彼に書面で「甲子園の野球を辞めなさい」と進言して困惑させたほど、この朝日新聞が主催し、時代遅れの高野連が推し進めるトーナメント制の大会には気に入らないことが多いのだ。

トーナメント制の全国大会を辞めよう:
これは私独特の偏見(と言われるだろうし)と独断的な表現で何も野球だけに限ったことではなく、高校の全国大会をトーナメント制で開催することを批判してきた。理由は簡単で、トーナメント制とは勝ち抜きで、その為にはその目的だけに限定したと断言しても良いような小技と技巧(現代用語では「スキル」)を教え込み、小さく纏めた高校生を、監督やコーチや熱心なOBたちが心血を注いで育て上げてしまうのだ。

即ち、その子供たちの将来と斯道奨励の為は二の次となって、上部の組織(大学やプロに行ってからという意味だ)で大きく伸びるような素材の育成に重きを置いていないような指導になっていると見ているし、考えているのだ。故に、往々にして甲子園で優勝したか、長い回数を投げる等の苛酷な連投を強いられた投手たちが大学やプロで伸び損なった例が見られたのだ。松坂大輔などは我が国のプロでもMLBでも相当な実績を残したが、現在の彼の状態を見る時、あれが最善の成功例だったのかとの疑問は湧く。

時代錯誤と精神論:
私が抱く次なる疑問点は「甲子園の野球」は21世紀の現在でも、何の国民的行事(敢えて娯楽という表現は避けるが)として温存する価値があるのかという点だ。戦後間もなくの頃にはその存在意義も価値もあったと思う。だが、我が国の人口が1億2千万を超え、経済の地区による跛行的成長で、選挙に言う「一票の格差」と同様な不平等が生じ、6回も7回も勝ち抜かねば県代表になれないところがあれば、数十校しか高校が存在しない県もあるのだ。それでも各県の代表を一堂に集める不合理さを未だに維持する主催者たちの見識を疑いたい。

換言すれば、朝日新聞社の販売促進の手段としての命脈はとっくに尽きているとしか思えないのだ。だが、もしかすると購読者数が減少の一途を辿る同社としては起死回生の手法としては捨てきれないのかも知れない。朝日新聞社は主催する経済的負担に耐えきれないのか、余りにも不合理な甲子園では18名の選手しか認めておらず、年々温暖化が進み我が国でも尤も酷暑な地区である兵庫県で開催し、高校生に尋常ではない身体的な負担をかけている。

それだけではない。ベンチには選手18名以外には部長先生、監督、記録員しか入ることを許さ内のは不合理だ。今時コーチなどはプロを見れば解ることで、ヘッド、投手、バッテリー、内野、外野、打撃、守備、走塁等々に細分化されているにも拘わらず、全知全能ではあり得ない監督にしか指揮を認めていないのは認識不足か時代錯誤と断じたい。尤も、高野連に言わせれば「高校野球は教育の一環」なのだそうで、不品行の部員が出た学校は出場させないようなことをやっている。

私は「精神力は技術水準が一定以上に達した者(または学校)同士が勝敗を争った時に初めてものを言うものであり、最初から精神力を優先した鍛え方は本末転倒である」と固く信じている。技術を磨くのであれば「大きな試合でも、通常の練習の時と同じ平常心でその場に臨み、難しい局面で何ら迷うことなく打った手が最上且つ最善のものになるような段階にまで鍛え上げよ。精神力の強さは初めてそこで効果を発揮する」と唱えてきた。

それにも拘わらず、野球の指導者は多くの識者が指摘する「一塁ベースを駆け抜ける方が早い」と科学的に立証されているにもかからず、そこに向かってヘッドスライデイング(「ヘッドファースト・スライデイング」が本当の英語だが)をすることが敢闘精神の表現である」と教え続けているようだ。それが証拠に未だに試合終了の最後の打者となった者は頭から一塁ベースに滑り込んで見せている。私は寡聞にしてイチロー君がスライディングで内野安打を稼ぎ出した事実を知らない。

このような精神主義が、負けた学校の者たちが涙とともに鳴尾浜の砂をかき集めさせるのだし、その場面をカメラマンたちが群がって写真を撮るような事態が続く原因になっていると思ってみている。私にはこの行事とグラウンドを去る時に全員が列を作って帽子を脱いで一礼する礼儀正しさが、同じ精神主義の範囲内にあるとは思えないのだ。高野連が推進する高校野球独特の仕来りが多過ぎるのではないか。未だに試合開始と終了時にサイレンを鳴らす習慣は何と言って評すべきか解らない。

NHKに:
NHKの中継放送にも言いたいことがある。高野連の方針か朝日新聞社のプロとアマチュアを峻別する思想の表れか知らないが、何故プロを経験した者に解説をさせないのだろうか。ここに登場する解説者は毒にも薬にもならぬ事は言うが、絶対に「悪いプレーだった」とか「指導法に誤りがある」といった批判的なことを言わない。あれでは建設的ではなさ過ぎないのか。それが教育の一環なのかな。

野球用語にも違和感がある。私は元々「野球用語はおかしなカタカナ語の宝庫だ」と指摘してきたので、今更批判する気力もない。だが、気になる例をいくつか挙げておく。最早日本語として戸籍を得てしまった用語が多過ぎるので今更ここで私が四の五の言っても仕方がないとは承知している。だが、「速球」か「直球」と言って欲しい、英語では”fast ball”しか聞いたことがないものを「ストレート」というカタカナ語でしか言わないのは矢張り気になる。また「インコーナー、アウトーコーナー」も単語を並べただけで意味不明だ。英語でどうなっているかへの言及は避ける。

更に、戦後間もなく使い始められた「適時打」を意味する「タイムリーヒット」はアメリカで使われたのを聞いたことがないのだ。それはそれで良いとして、それが何時の間にやら「タイムリー」(=timelyで、「時を得た」である)としか言わないようになったのも珍妙だ。「左利き」は矢張り戦後間もなく「サウスポー」(southpaw)が「アメリカ南部に左利きが多かったので、こう呼ばれるようになった」との解説付きで導入された記憶がある。私が30年ほど前に同僚たちとの会話の中でこの言葉を言ってみたところ「お前はずいぶん古い言葉を知っているな。今はそんな言葉は使わない」と褒められたのか貶されたのか解らなかった反応があった。故に、この言葉は英語とは思わずに「カタカナ語」の範疇に入れておくと良いだろうと思う。

何だか貶し続けてきたような論じ方になってしまったが、私は高校生たちが懸命になって野球をやっているのを見るのは決して嫌いではない。何時でも両方に勝たせてやりたいとすら思って見ている。同時に、何故これほど野球には優れた素材が集まるのだろうかと、サッカーOBとして羨望の眼差しで見ている。あの子供らの半分くらいがサッカーに来てくれれば、歴史が少しは変わったかも知れないと思う時もある。


1 コメント

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高校野球と反日 (日本大好き)
2016-08-17 01:13:40
暑い中、ブログを更新下さり誠にありがとうございます。

日本大好きです。

朝日新聞の高校野球の美化と賛美は見て、聴いて気恥ずかしいくらいです。

ブログ主の仰ることに全く意義なく、私ももう春夏の大会はやめるべきだと思います。
高校生の投手の肩の酷使による将来を奪ってきたこと。今大会でも140球近くを投げさせることに罪悪感ももたず。かえって美談に仕上げる。かつて天理高校が優勝した時の投手は決勝戦で肩を壊したため、巨人に入ったものの成績を残せず退団に追い込まれている。そうした惨劇が繰り返されているにめかかわらず、高野連も何ら抜本的対策をとらない。

また、朝日新聞が好きな一票格差を問題にしながら、各県一校という変な郷土愛を醸し出し、県により予選の試合数の格差を是正しない。
それにより、予選の試合数の少ない県への私学に野球留学が後を絶たない。
昭和40年代は私の記憶では鳥取と島根で代表一校。四国も不確かだが高知と徳島で代表一校だったと思う。
教育の場だと体裁のいいことをいっているが、煙草、飲酒、後輩への苛めによる出場停止は後を絶たない。
清原和博をはじめ、野球バカを産み出す土壌は選手の人生に暗い陰を落としている。

また、審判のレベルのばらつきがありすぎ、試合の勝敗に大きな影響を及ぼしている。真摯にプレーしている高校生に対し、ストライク、ボールの判定で明らかに首を傾げたくなる審判は出さないでもらいたいと強く思います。

朝日新聞及び毎日新聞が存続し、日本を卑しめ続けることができるのは、高校野球の放映から得る関係会社の利益と新聞の記事の題材になり、週刊朝日を含め収入源として新聞の部数減が顕著な中ではより欠かせないものになっているのだと思います。

高校野球は春夏の全国大会。選抜の予選会に成り下がった地区秋季大会となぜか行われる春季大会。
あまりにも投手を酷使するシステムはもう、それこそ戦後70年を過ぎた今、見直す時にきていると思います。

高校野球の全国大会がなくなれば、韓国の国会議員の竹島上陸や尖閣諸島への中共の侵犯行為をもっと報道せざるおえない状況であり、報道しない自由を謳歌しているマスコミの異常さに多くの国民が気づくことになったと思います。

後、今上天皇のお言葉を生前退位だけにスポットをあてて、報道する姿勢には腹立たく。
皇太子殿下、皇太子妃のご公務の状況と秋篠宮殿下と妃殿下のご公務に励まれておられるお姿を報道すれば、次の皇位を継承するのがどちらが相応しいか。

朝日を含め日本のマスコミが皇族のあり方にある思惑を達成するための生前退位にこだわり続けることに、不敬罪があればと思うこの頃です。

高校野球から脱線しましたが本当に日本行く末が今この瞬間瞬間の国民の選択が重要だと感じる日々です。
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