新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月26日 その2 一寸微妙な話題を取り上げてみよう

2022-10-26 15:13:41 | コラム
何故アメリカ人は我が国に関心がないのか:

つい先頃、小室圭氏のニューヨーク州の弁護士試験(bar exam)に合格の件で、アメリカの知人たちに照会したところ「知らなかった。アメリカのメデイアは殆ど日本関係の報道をしないので」という気落ちさせられるような答えが返ってきた。畏メル友のRS氏は「外務省の我が国が広く海外で認識されるような広報活動不足が主たる原因ではないか」と憤慨しておられた。

この点は私が何十年も前から取り上げてきたことで、外務省の全面的な責任問題か否かは別にして「我が国は何もアメリカ国内だけに限定しないでも、何処の国に行こうと『日本って何、何処にあるの』のように言われてしまうことは多い」のである。私はかかかる現象の責任は、海外に特派員とやらを出しておられる報道機関も負うべきではないかとも指摘して来た。

これまでにも何度か取り上げてきたことだが、故安倍晋三元総理が第一次内閣を総辞職されたときには、私は偶々“pleasure trip“でワシントン州シアトルにいた。その日のUSA TODAYがこの件を伝えた記事は、何と5~6cm四方のベタ記事だった。アメリカの重要な同盟国であるはずの日本の総理大臣が辞任しても、広く読まれていて地方紙ではないUSA TODAYでもこういう扱いだった。

また、私が敢えて確かめてみたところ、あれほど日本に頻繁に出張してきて、我が国の政治・経済・文化に馴染んでいたと思っていた我が社の元幹部たちでも「日米安保条約」があったなんて知らなかったのだ。

でも、アメリカでは州毎に法律があって独立国の如きだと承知していれば、驚くことでも憤慨することもないと思って受け止めた。各州に住む人たちは州内の日々の出来事には関心があるだけだし、州内から出るだけでも大仕事になる場合すらある。だから、何処にあるかも定かには知らない日本に関心がなくても、普通の現象だ。であれば、小室氏がbar examに合格した件などはニュースにはならなかったのだろう。

私は1970年夏に生まれて初めて海外出張をした際に、台北で台湾の内省人に「貴方の顔は世界中何処に行っても外省人で通用するだろう」と、妙な保証をされた。実際には全くその通りで、1972年からアメリカ本土に入ってみると何度も何度も中国人に見誤られたが、「日本人か」と指摘されたことは極めて希なのだった。

具体例を挙げてみよう。1975年1月にシアトルの有名なデパート、Nordstromの1階を三菱商事・シアトル支店に駐在していた従兄弟と2人で歩いていると、中2階にいた学齢前くらいの男児が大声で“Mammy! Look at that. Two Chinese are walking downstairs.”と叫んだのだった。母親は慌てて子供の口を塞いだが、衆人環視の中で中国人呼ばわりをされてしまった。

この経験をウエアーハウザー東京事務所に駐在していた日系人のJ氏に語ったところ「それは寧ろ光栄に思うべきかも知れない。と言うのは、アメリカ全土には無数とも言える華僑と中国系アメリカ人がいるのだ。だが、我々日系人は彼らと比べれば全く少数派(minorityで良いかも知れない)であり、その存在は広く認識されていない。だから、アメリカ人たちは東洋人を見れば中国人だと考えるのだ」と聞かせてくれた。

「何処に行っても中国人が多い」という現象は、何もアメリカに限ったことではない。1970年に台湾の後に回ったフィリピン(ズ)、シンガポール、香港では経済を握っているというか支配しているのは華僑であり、中国資本だった。それが今やアメリカでは韓国人が急増し、韓国系アメリカ人も多い。

簡単な例を挙げてみれば、アメリカの女子プロゴルフ界のトーナメントで成績が上位を占めているのは韓国の鍛え上げられた女子ゴルファーたちであるし、申智愛などは賞金女王にまでなっている。因みに、東京オリンピックで稲見萌寧と最後まで2位の座(銀メダルのこと)を争った強豪Lydia Ko(高寶璟)は韓国系ニュージーランド人である。

こういう事を論じるのならば、矢張り韓国人も取り上げねばなるまい。嘗てロスアンジェルスでアフリカ系アメリカ人とアメリカ系も含めた韓国人が銃撃戦まで展開して争ったことがあった。その原因の一つに挙げられていたのが、韓国系移民が勤勉で低次元の仕事も厭わないので、アフリカ系の職場を奪っていったことにあったとされた。ところが、2010年にLAの韓国人街のレストランで見た現象は「南アメリカからの移民たちが雑役夫として嬉々として働いていたこと」だった。

アメリカの有名私立大学4校のビジネススクールの教員を8年間勤めたYM氏は「成績の上位には中国からの留学生が多く、韓国人も増えている。その一方で我が国からは・・・」と述懐していた。その発言の裏の意味は「中国や韓国から来る院生たちは英語力が十分なので、討論会形式が多いアメリカのビジネススクールの授業にも対応できている。中国からの留学生は嘗てMBAを取得した後はアメリカに止まって就職していたが、今や帰国している」ということ。

この中国からの留学生が多く、アメリカ国内でMBAで就職していれば、中国人の存在が広くアメリカ国内で認識される訳だと思う。尤も、中国や韓国から多くの移民がアメリカに流れていく現象を「彼らは自分の国の為政者を信用していないので、アメリカやUKに機会を求めて出ていくのだし、下層にある労働者階級からも希望の国であり楽園だと聞くアメリカを目指していくのだ」と、説き聞かせる有識者もおられる。

この点を考えれば、と言うか、我が国と比較すれば「アメリカとは比べものにならないくらいほど平等で、貧富の格差が少ない我が国から、敢えてアメリカに機会を求めて出ていく必要があるのか」と言えるのだ。その他には「また、そういう事を言うのか」と言われそうなことで「我が国の英語教育で育った方々は『言葉の壁』に阻まれてしまうのだ」と指摘しても、強ち誤りでは無いと思っている。

現在の経済的な発展が停滞気味の我が国にあっては、国内に止まっていることが絶対的に得策かどうかは解らない。だが、国内に止まっている選択をする若者が多いのではないのかと思って見ている。アメリカの会社に20年以上も勤めた私が経験から言うことは「海外進出は、余程事前に『外国の会社とは』と『異文化の国とは』を十分に知り尽くしていないと、とんでもない向こう見ずだった」の結果に終わってしまうだろう。

終わりに、私が1972年にカナダのBC州ヴァンクーヴァーの表通りから外れたレストランでの経験談をあらためて紹介しておこう。そのうらぶれた食堂には「ライスカレーあり」との看板があったので、好奇心から入って見た。本当のインド系のカレーライスだった。

食べ終わって会計に行くと、レジにいた女性が“Are you a Chinese?”と訊くから“No.”と答えた。すると“Korean?”と言うから、これも当然“No, I am not.”だった。すると、彼女は突如日本語になって「なーに。貴方日本人だったの。珍しいわね。こんな裏通りに一人で入ってきて英語で注文したから、てっきり中国系のカナダ人かと思ったわよ。日本人が入ってきたのは本当に久しぶり」と言うのだった。これって褒められたのか、それとも日本人に対する自虐的な一言だったのか。



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