新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

関東学連が日大フェニックスを処分

2018-05-30 08:11:29 | コラム
長年のフェニックスファンの思い:

30日は朝から薄曇りで、午後には雨が降ると予告されている陰気な天候。そういう日にも朝から各テレビ局は「日大フェニックスの悪質タックル問題」を採り上げて報じ、一層気分を盛り下げてくれる。29日の夜には関東学連が記者会見を10時過ぎまで開催し、この問題に終止符を打ってくれそうな日大フェニックスの処分を公表していた。NHKの9時からのニュースでは中継してくれたし、テレ朝も追いかけてくれたので、処分案を聞くことが出来た。

処分の内容は概ね想定の範囲内だったが、そこに至るまでの調査で「誰があの関学のQBを負傷させる指示を出し、どのように実行されたかについては、言わば初めて真相が公表されたようだ」と思って聞いていた。学連の調査委員会は概ね宮川君の記者会見での告白を真実と認定していたと聞こえた。そういう結果が出ていれば、内田前監督と井上前コーチに除名の決定が下されたのは不思議ではないというか順当だったかと思っている。

マスコミ報道では「もう一人のコーチも処分」とあったのが森ヘッドコーチだったのも、驚きでも何でもなかった。学連の処分案に至るまでの説明は、私がここに云々する必要はないと思う。新聞をお読み願えれば詳細が報じられているのだから。

長年のフェニックスのファンとしては何とも気が重いというか憂鬱というか情けない気分に陥り、滅入っていた3週間が漸く終わったか、ではなく終わりの始まりかも知れないなと思わせてくれた発表だった。長年にわたりフェニックスのフットボールの観戦を楽しんでいた身からすれば、悲しくも情けない結果になってしまったと思う。内田前監督については、それほどの知識はないが、ある古手のOBの方が「全ては監督とコーチの問題だったのではないか」と言われていたのも印象的だった。

家内も「何故この問題があそこまで大きく連日マスメデイアが採り上げるような社会問題のようになってしまったのか」と嘆いていた。私は既に何度か指摘してきたように「この件では如何に擁護しようにも明らかに日は日大側にあるので、仕方がないような事態にまで至ったのだ」とも考えている。だが、連日連夜各テレビ局が所謂専門家や体育会とな何かをご存じとは思えない有識者までを動員してご高見を賜ったので、事態は急速に「日大は悪」のような世論が形成されたかとすら考えさせられてきた。この傾向に対しても反論できる余地はほとんどないと、私は危惧している。

私は長年相撲界を評して「我々が住む一般社会とは異なる江戸時代から形成された歴史と伝統に輝く独自の文化、即ち言語・風俗・習慣・思考体系を有する世界であり、我々の常識に基づいて彼らを批判するのは適切ではない」と、唱えてきた。そして、21世紀の今、事態がここまでに至れば、体育会の文化も一般社会から途絶したところにあるのではないかと危惧させられる点が多々あると思うようになった。

即ち、「監督やコーチたちと部員の間にコミュニケーションが取れていないのが問題」などという論を唱える有識者までが現れる時代になってしまったのだ。既に回顧したが、私は旧姓中学・高校の6年間で蹴球部の監督と個人的な会話などした記憶がない。それでも戦後の第1回国体で優勝し、第3回大会では準優勝だった。そういう「上意下達」が絶対的な基準であった体育会の文化を変えねばならないという議論を巻き起こそうという世論の兆しも見えてきた。

そういう論調が出てきた時代に向かいつつある時に、何もフェニックスだけに限られて問題ではないと思うのだが、体育会の在り方を変えねばならないのか、試行錯誤で進化させていくのか、指導者たちは真剣に考えねばならぬ時代になったようだ。だが、50歳を過ぎたような監督やコーチが現代のデイジタル化されたICT化が進んだ時代の価値観が異なる若者たちの心をどれほど理解し認識できるのだろうか。問題はその辺りも含んでいるような気もするのだ。



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