阿部慎之助監督の野球に思う:
昨11日夜には「真相ニュース」、「報道1930」と掛け持ちで、広島対読売の野球も見ていた。テレビも新聞も大谷翔平の活躍が中心の話題だった所に、トランプ大統領の余りにも激烈な相互関税賦課作戦が世界中を震撼させている事態となり、折角シーズン入りしたNPBの野球の影が薄くなっていた感があった。
そこで、昨夜は森下暢仁対戸郷翔征という両エース投手の投げ合いに期待して、TBSのBSも忙しくチャンネルを変えて見ることにした。戸郷は7年前だったかに出てきた時から、ジャイアンツのファンではない当方は「将来に期待したくない優れた素材だ」と見ていた。その後順調に成長し、今年は菅野がいなくなったので、名実ともにエースとなり、年俸も3億円と選手名鑑に記載されていた。
だが、阿部慎之助監督は古き良き「選手には辛い練習を課した上できつく当たり、精神面を鍛える」という練習法の信奉者のようである。その指導法が功を奏したのか、監督就任1年目でリーグ優勝して見せた(正直に言えば「してしまった」と書きたかったのだが)。具体的には二軍監督を任せられた際には、選手たちに少しの過ちも許さず、直ちにグラウンド一周の罰走を課したと伝えられていた。
そこで戸郷だが、昨シーズン中にも打たれてしまうことが屡々あった。このような局面で、阿部監督は「代えるべきでは」と見えても放置して、打たれるが儘にしておいたのを何回か見た。打たれっぱなしにした理由を「自分で始末させねばならない」とか「こういう経験も必要で、そこを乗り越えてこそ」と言うのだった。これは、古き言い習わし「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」を想起させるものだった。
私は2023年にWBCで大谷翔平率いる日本代表が優勝した時の、戸郷が気迫溢れるスプリットだったと記憶するが三振を取った所を見ていたので「この投手も国際試合でのこういう投球が出来るまでの一流に成長したのだな」と印象深く感じていた。昨シーズンも確か菅野に次ぐ12勝したし、今季は開幕投手に起用されていた。
だが、昨夜のように1回で10点も取られ、全く迫力がなく、阿部監督に「打たれても、打たれても」放置され、言わば顔面蒼白のような状態を見せられると、あの23年のWBCの颯爽とした戸郷は何処に行ってしまったのかと嘆きたくもなった。想像を逞しくすれば「戸郷翔征選手は阿部慎之助監督風の精神主義のティーム運営の方針には合ってはいないのか」と思わせられた。事実、即二軍落ちだった。
私は戦時中から蹴球部に入ったが、我が蹴球部はその頃でもおよそ精神主義とは全く無縁の合理的な指導方針だったので、言う所の「厳しい精神主義の指導法」の実態は分かっていない。だが、我が国古来の武道にあるような厳しい精神訓練を否定するものではない。阿部慎之助監督はそう言う指導によって育ってきた選手に見えるので、監督になっても「自分が育てられた方式を採用したのだ」と見えるのだ。
その方式で昨年はリーグを制覇したが、CSシリーズでは敗退となった。今シーズンだってソフトバンクから甲斐拓哉捕手を、屋上屋を架して補強し、楽天が見放した田中将大に残る3勝をさせてやろうと採用するなど、連覇の準備おさおさ怠りない。だが、戸郷翔征だけを育て損なったか使い方が上手く行っていないようだ。これが精神主義の限界か、戸郷だけの問題だったかはシーズンが終われば解るのではないか。
余談になるが、バッファローズで大成長してDodgersに転出した山本由伸投手は、一切ウエイトトレーニングはしてこなかったとか。明らかに、アメリカのMLBに転じて体格が一変した大谷翔平と好対照を成している。ここにも合理主義対精神主義の練習法の対立が見える。だが、私は戸郷翔征が大谷派かどうかは知らない。ジャイアンツ嫌いでも、戸郷翔征には可及的速やかに一軍に復帰して貰いたいものだ。
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