無駄な税関検だ:
本日の渡部亮次郎氏主宰のメルマガ「頂門の一針」で、辛坊治郎氏がそのメルマガで「財務省はアホの集団と激怒するワケと、成田空港の無駄な税関検査に毎年いくらつぎ込んでいる?」と取り上げていたのを知った。
私は「物事の見方と受け止め方は人によって様々だ」と思っているが、この辛坊氏のように我が国の税関検査を否定的に見ている人がいるとは初めて知った。と言うのは、私にはそうとは思えなかったと経験から言えるのだから。
思い起こせば、1970年8月に生まれて初めて外国に出生する機会を与えられ、伊丹空港から先ず台湾の松山空港に降り立った。入国検査は何事もなく終わったが、税関検査では税関吏が私のスーツケースを取り上げて台上で上下に振った時には、膝がガクガク震えて辛うじて立っていたほどの恐怖だった。何も怪しい物は入っていないのだが、兎に角恐ろしかった。でも無事通過した。
翌71年には韓国ソウルに出張となった。ここでの税関検査は聞きしに勝る厳格さだった。スーツケースの中身だけではなく持ち物まで徹底的に調べられた。あの戒厳令下の韓国では当然だったのだろうと解釈したが、あれ以降あれほどの細かい検査を受けたことはなかった。
あの未だ旅慣れていなかった頃に、外国旅行慣れした人が教えてくれたことがあった。それは「税関の職員は検査台にくる前の目つきと言うか、人品骨柄と動作を見て怪しいか否かを判断しているのである。彼等は良く訓練されているので、挙動不審とみれば荷物検査をする」という事だった。
1972年8月から22年ほどは我が国とアメリカを50数回往復するようになった。余程人品骨柄が宜しいと判定して貰えたのか、一度も検査されたことがなく通過できた。特にシアトル空港では、荷物がcarousel(回転するコンベイヤーのこと)に出てくる前に、巡回している係員の質問に答えて「ウエアーハウザーの社員」と言うだけで通過できた。即ち、アメリカでは一度も検査されたことはなかった。
一度だけ例外はあった。それは1988年9月にカナダのサスカトゥーンからアメリカに入った時のことだった。アメリカとカナダが不仲だとは承知していたが、この時の検査は異常に苛烈だったと言いたいほどだった。長い時間をかけていたし、ポケットの中身まで調べた上に航空券を別な場所に返していたので、探し出すのに一苦労して乗り継ぎ便を逃していまいそうになった。
要するに、空港税関で厳しい検査を受けたのは、2011年までの41年間に3度だけだった。ヨーロッパの諸国での経験では「入国者を通さない」とか「別室ご案内」にするのは、先ず出入国検査の段階で篩にかけるようだと見ていた。言い方を変えれば、出入国管理と税関で二重の検査があるのだ。
私の感覚では「我が国の税関検査は係員が非常に職務に忠実な仕事をしておられるだけ」なのだ。20年近くの間、食品包装用の紙を我が国に輸出する仕事をしてきたので「我が国の税関では諸外国よりも遙かに厳格で細かい点まで揺るがせにしない検査をする」と経験して理解し認識していたのだ。その厳格さを辛坊氏は経験しておられなかったので、上記のように「無駄だ」と言われたのではなかろうか。
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