新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月31日 その2 「エドソン・アランテス・デ・ナシメント氏逝く」の訂正版です

2022-12-31 08:12:03 | コラム
サッカーの王様「ペレ」の訃報に思う事:

昨日からテレビにも新聞にも大きくこの「ペレ」(=Pele)事、Edson Arantes de Nascimento氏が亡くなったことを追悼する記事が出ている。私は恥ずかしながら、昭和20年に蹴球部員になった身でありながら、殆どペレ氏の全盛時代の凄さを見たこともなく、ただ単にブラジルにそういう名選手がいたくらいのことしか知らなかった。晩年にアメリカでプレーしたヴィデオも見たが、何となく「南アメリカ独得の軽業的でもある足技が優れた人だな」程度の印象しかなかった。

と言うよりも、当方よりも8歳も若くして亡くなった世代であれば、自分自信が諸々の個人的な事情があってサッカーとは疎遠にならざるを得なかった頃に世界的に大活躍されたのであれば、「ペレとは」を知らなかったのも仕方がないかと諦めている。見当違いの推測かも知れないが、我が国では丁度あの代表ティームがW杯で大活躍したので、サッカーの人気が嘗て無いほど盛り上がっている時期なので、ペレ氏が亡くなったことがあれほど大規模に追悼されたのかと考えている。

私にとってはどうしても馴染めないことがある。それは、彼ほどの大選手を我が国の報道機関は滅多なことでは本名である「エドソン・アランテス・デ・ナシメント氏」とは報じないことだ。Wikipediaに訊くまでもないことで「ペレ」はブラジル国内の渾名(ニックネーム)なのだ。同様な例にJリーグの創世記に鹿島アントラーズの基礎を築く大活躍をされた「白いペレ」こと「ジーコ氏」も本名で報じられたことはなかった気がする。彼はArthur Antenes Coinbra(アルトゥル・アンテネス・コインブラ氏なのだ。Zicoは矢張り渾名なのである。

コインブラ氏のサッカーは何と言ってもJリーグの発足時にブラジルから本当の名手が来たというので、テレビ中継されたアントラーズの試合を熱心に見た記憶はある。ジーコは94年の前半だったかで引退してしまったが、あのPKの判定が不服でボールに唾を吐いて退場になった場面は見ていた。

アントラーズの試合は一度だけ見たことがあった。その時は確かブラジルから来た名手レオナルドがいたように覚えている。あの頃は外国から招聘した有名・無名の選手たちが中心のティームが多かった我が国のサッカーが、Jリーグの活動開始から29年も経てばW杯でドイツとスペイン抑えて16強に名を連ねるまでに成長・発展したことは、どれだけ褒めても褒め足りない立派な成績だったと思う。

エドソン・アランテス・デ・ナシメント氏のご冥福を祈って終わる。


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