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[改憲] 反対の声 続々!!自民内部からも 頬っ被りの安倍踊りに「脱げ、顔を見せろ」 のブーイング

2013-05-13 | Weblog

衆院憲法審、討議開始 96条先行、自民にも異論

MAINICHI  

 衆院憲法審査会は9日、憲法の改正要件を定めた96条に関し議論を行った。憲法は衆参各院の3分の2以上の賛成で改正を発議できるとしているが、発議要件の引き下げに賛成か反対かで各党の主張は大きく分かれた。引き下げのあり方でもばらつきがあり、議論は深まっていない。ただ、参院選で改憲派が大きく議席を伸ばせば、改正が現実味を帯びることになりそうだ。

 ◇「ためにする改正」批判を懸念

 安倍晋三首相が意欲を示す96条の改正。ところが、憲法審でお膝元の自民党から異論が飛び出した。「国民は『改正のための改正』と受け止めるきらいがある」。船田元(はじめ)氏は「個人的見解」と断ったうえで、96条だけを先行して改正することに疑問を呈した。

 首相は7月の参院選で先行改正の争点化をもくろむが、それにも異論が出ている。鴻池祥肇(よしただ)元防災担当相は9日の麻生派の総会で、「連休中にいろんな会合に出た。(戦争の放棄を定めた)9条改正は賛成だが、96条改正には反対という人が意外といた」と指摘、「96条を盾にして参院選を戦うのは不利」と強調した。

 菅義偉(よしひで)官房長官も同日の記者会見で「96条についてまだ国民的理解を得られている段階でない」と認めた。同時に「環境権の話とか、理解を得られるものから(発議する)というのも一つの考え方だ。これからいろんなことがあり得る」と言及したように、自民党内の議論が煮詰まっているとは言い難い。

 審査会では、民主党の武正公一氏が「憲法のどこを変えて、どこを変えないか中身の議論が欠かせない」と主張。公明党の斉藤鉄夫氏も「中身の議論をすべきだ」と、先行改正に反対の姿勢を明確にした。

 みんなの党は96条改正に賛成だが、畠中光成氏は「目的が9条改正ならば明確に国民に示すべきだ。後出しジャンケンは許されない」と先行論については批判し、先行改正派は自民と日本維新の会の2党のみになった。

 発議要件の引き下げ方法も議論になった。発議には衆参総議員の「3分の2以上の賛成」が必要。自民党は「過半数」に引き下げる改憲案をまとめており、船田氏は「3分の1の議員の反対で発議が行われず国民の意思が反映されない」と主張した。

 これに対し、公明党の斉藤氏は基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の「三原則」に関する条文での要件引き下げに反対姿勢を示し、「どのようなものにすべきか議論はまだ行われていない」と、時間をかけて議論する必要性を強調した。共産、生活両党は、96条の改定そのものに反対した

衆院憲法調査会長を務めた中山太郎元外相は審議を傍聴後、「96条改正は非常に大事な問題。好きな者だけが集まって議論してはいけない。もっと突っ込んだ議論が必要だ」と指摘、拙速な議論を戒めた。

 ◇カギは公明 参院選後、改憲派4党で100議席厳しく

 「手続きだけの改正はどこをどう変えるのか、国民には不透明だ」。公明党の斉藤氏は憲法審で96条の先行改正にクギを刺した。96条改正が実現すれば、保守色の強い首相率いる自民党で9条改正論が台頭することを懸念するためだ。公明党は「平和」が党是で、幹部は「与党の立場も支持者の思いもある。96条改正は参院選後、連立をどうするかも含めた重い課題となる」と警戒感を募らせる。

 改憲派が改正に必要な3分の2以上の議席を参院で確保できるかは、公明党の動向がカギを握る。96条改正に積極的な自民、日本維新の会、みんな、新党改革の4党の参院での非改選議席数は62。改憲勢力(162以上)を4党で確保するには、参院選で100議席以上を確保しなければならず現実的ではない。

 一方、4党に公明党(非改選9議席)が加わり、同党が目標の10議席程度を獲得すれば、4党の必要議席は81議席以上と低くなり、改憲が視野に入る。首相が「公明党の姿勢も尊重する」と語るのはこのためだ。憲法審では、船田氏が「(公明党が主張する)環境権を加えるなど改正項目とセットでの発議が望ましい」と発言し、同党に配慮を示した。

 同じく苦しい立場が浮き彫りになっているのが民主党だ。武正氏は「96条のみの改正には慎重な立場だ」と表明。党内には改憲と護憲の両派が混在しており、「反対」よりもトーンを弱めたのは党内対立を回避するためだ。参院選後に96条改正への賛否を突き付けられれば、党分裂の危機も浮上しかねない。細野豪志幹事長は9日の記者会見で「憲法のあり方の具体的な姿をこれからしっかり議論したい」と述べるにとどめた。

 一方、みんなの畠中氏は「憲法改正の前に官僚制度改革などやることがある」と96条改正に向けた協力に期待する首相を突き放した。自民党と接近する維新が「補完勢力」との批判を浴びており、歩調を合わせればみんなも同様の批判を受けかねないとの懸念があるとみられる。

 

 憲法96条改正についての賛否

衆院憲法審査会で意見表明する自民党の船田元氏(左から2人目)=国会内で2013年5月9日午前9時27分、須賀川理撮影
衆院憲法審査会で意見表明する自民党の船田元氏(左から2人目)
 

再稼動を急ぐ安倍に 富士は怒りの警告(天変地異の前兆)

2013-05-13 | Weblog

富士山で異変!巨大地震の予兆か 林道陥没、周辺ではアサリ激減、アユ大量死

2013.05.11

 

富士山の南東斜面にポッカリと開く火口は宝永噴火でできた

 世界文化遺産の登録が確実になった富士山の周辺で、異変が相次いでいる。3合目付近の林道が約300メートルにわたって陥没したほか、北側に位置する河口湖では湖水が大きく減少。海でもアサリの漁獲量が激減するなど、不可解な現象が多発している。江戸時代には南海トラフを震源とするM9級地震の49日後、富士山が噴火した。山と海での奇妙な動きは大災害の前触れなのか。

 富士山をめぐって熱くなっているのは、世界遺産の登録を喜ぶ人ばかりではない。山の地中では1000度のマグマが不気味にうごめいている。

 3合目付近の滝沢林道では先月、300メートルにわたる大規模陥没がみつかった。亀裂の深さは最大1メートル超。林道を管理する山梨県は「大量の雪解け水が舗装した路面の下の石を流失させたのが原因ではないか」とみている。ただ、林業関係者は「こんなことは過去に例がなく、気味が悪い」と不安がっている。

 富士五湖の1つ、河口湖(山梨県富士河口湖町)では水位の低下により、「六角堂」の立つ浮島が地続きに。出現した珍名所には、ゴールデンウイーク中に多くの観光客が訪れた。

 異変は山の周囲だけではない。直線距離で約160キロの浜名湖(静岡県浜松市、湖西市)ではここ数年、アサリの漁獲量が激減。2009年の6000トン超から12年は2000トン台に急減し、今年は観光客向けの有料潮干狩りが中止に追い込まれた。浜名湖には昨年春、イルカやアザラシとも判別できない謎の生物が出現して騒動になった。また、浜松市の天竜川流域では先月、1万匹以上ものアユの死骸がみつかっている。浜名湖や天竜川は、巨大地震の震源となる南海トラフに面した地域だけに不気味だ。

 一連の兆候について、武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)は、「長期的にみれば明らかに何らかのサイン」と警告する。

「噴火を繰り返してきた富士山に300年も動きがないのは、異常な状態といえる。動きが活発になる時期は近づいていると思う。1707年には南海トラフを震源とする宝永地震(M8・4-8・7)の49日後、富士山の宝永大噴火が起きている。さまざまな異変は今後の噴火、大地震に関連している可能性がある」

 富士山では864年から866年にかけ、貞観(じょうがん)大噴火が発生。終息から約3年後の869年、「前回の東日本大震災」ともいわれる貞観地震(M8・3-8・6)が起きた。噴火と地震の順序はともかく、東日本沖の太平洋、富士山、そして南海トラフが密接に関係している危険性は高い。

 日本人は筆まめな性格のため、地震後の状況を記録した文献を多数残している。ところが、「前兆に関する記録は貞観地震、宝永地震を含め、残念ながら皆無」(地震学者)と、大災害発生の手がかりとなる史料はないという。

 地割れなど兆候の特徴を分析して、どのような噴火が起きるのか予測するのも難しい。富士山は地震学者の間で「噴火のデパート」といわれるほど、さまざまなタイプの噴火が発生した。貞観大噴火ではドロドロした溶岩が流れ出た一方、宝永大噴火では大量の火山灰を噴き出し、灰は江戸市中でも降り積もった。

 地震の専門家が危惧するのは、富士山をいまだに死火山、休火山と認識している人が多いことだ。

 「1979年、死火山と思われてきた長野県と岐阜県にまたがる御嶽山(おんたけさん)で大規模な水蒸気爆発があった。この噴火がきっかけで死火山、休火山、活火山という定義が見直された。火山はすべて活火山で、当然、過去に噴火を繰り返した富士山も活火山である」(島村氏)

 木曽の御嶽山は約5000年の沈黙を破って噴火した。富士山が静かにしている300年など、自然界ではほんの一瞬にすぎない。

 

参考

富士山噴火なら避難75万人に 静岡・山梨両県で

NIKKEI

 静岡、山梨、神奈川の3県と国などで組織する富士山火山防災対策協議会は3月22日に開いた会議で、富士山噴火による溶岩流や土石流被害を防ぐための避難対象者が静岡、山梨両県で約75万人に上ることを明らかにした。噴石や降灰被害は神奈川県まで及ぶため、避難対象者はさらに増える見通し。

 同協議会は気象庁などが進める降灰シミュレーションの結果を踏まえ、今秋をめどに広域避難計画をまとめる。

 溶岩流などからの避難は、火口が想定される地域に近いほうから4つのゾーンに区分し、噴火警戒レベルに応じて火口に近接するゾーンから順次、避難する。山麓を東麓、西麓、北麓に分け、噴火状況に応じて相互に避難者を受け入れるほか、避難者数が増えた場合は周辺の自治体に受け入れてもらう方向で検討する。

 また、土石流や降灰から一時的に避難するための「火山災害避難ビル」を各自治体で指定する方向で検討する。

 どの程度の強度が必要かを検討したうえで「津波避難ビル」のように民間ビルを含めて指定する方針だ。


対安倍の原発政策 貝になったマスコミ(唯一赤旗くん奮闘中)

2013-05-13 | Weblog

首相、東欧で原発セールス…4国首脳と会談へ

5/13 YOMIURI

  安倍首相は6月16日にポーランドを訪問し、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの4か国(ビシェグラード4=V4)と初の「V4+日本」首脳会談に出席する意向を固めた。

 民主主義や市場経済など共通の価値観を持つ国々との関係を強化する「価値観外交」の一環であるほか、V4で新増設が計画されている原子力発電所を日本企業が受注できるよう、首相が「トップセールス」で働きかける狙いがある。

 安倍首相は6月17、18両日に英国で開かれる主要8か国(G8)首脳会議に出席する前に、ポーランドを訪れる。日本の首相のポーランド訪問は2003年の小泉首相以来10年ぶり。V4と日本は外相レベルの協議は行われてきたが、首脳レベルでは初の会談となる。

 日本側が期待を寄せているのが、原発の輸出だ。V4では2020年代に稼働を開始する予定の原発開発計画が数多くある。具体的にはチェコで3基、ポーランドとハンガリーで各2基の新増設が予定されている。

 チェコでは、日本は東欧諸国に強い影響力を持つロシアとすでに激しい受注合戦を繰り広げている。今年3月の1次入札審査では、東芝と、その子会社である米原子力大手ウェスチングハウス(WH)が最も高い評価を獲得し、日本勢が優位との見方もある。

 

 参考

安倍政権は財界番頭

原発・インフラ売り込み 歴訪に112社200人ゾロゾロ

5/13 共産党しんぶん「赤旗」
 
 安倍晋三首相を先頭に閣僚らがロシアや東南アジア、中東、南米など世界各地に出かけて、大企業が求める原発や産業、インフラの売り込みをはかっています。連休を利用して売り込みなどに出かけた閣僚は19人中13人(別表)。しかも商社、メーカー、銀行など受注をねらう大企業の幹部を連れだって出かけており、財界・大企業との露骨な癒着ぶりを示しています。

 ロシアをはじめ中東諸国へ出かけた首相の目的は「日本ブランドを積極的にトップセールスするとの観点から、企業関係者を同行した総理の訪問は必要不可欠」(内閣官房文書)とあからさまです。

 首相には、日本経団連を筆頭に、名だたる大企業112社から200人(4月24日集計)が同行するという異例の“集団トップセールス”となりました。

 アラブ首長国連邦では、世界を震撼(しんかん)させた福島原発事故後、初めてとなる原子力協定の締結で合意。福島原発事故の「収束」もできていないのに、首相は「今後、原子力の高い技術を提供していきたい」と述べ、新たな“安全神話”をふりまきました。

 トルコでも原子力協定に調印。首相は「日本は地震に強い、世界で最も高い安全基準を満たす技術で協力したい」と語り、三菱重工業などによる原発受注を後押ししました。

 ロシアではプーチン大統領との首脳会談でシベリア鉄道や石油・ガス開発などで協力を確認すると、三井物産や国際協力銀行など同行した企業関係者らがその場でロシア側と石油化学プラント建設、シベリア鉄道建設、資金援助など九つもの協定・覚書を締結するという例のない光景が繰り広げられました。

 閣僚らが各国に出かけてトップセールスを行うことは、財界が強く求めてきたもの。

 4月に出した提言では「総理をはじめ閣僚の海外訪問に民間企業人が同行し、トップセールスを展開することが有益である」と主張していました。

日本経団連の提起うけ

 茂木敏充経産相は、原発建設や海底油田開発に日本企業を参入させようとブラジル、コロンビアなどを訪問しました。

 経産相は「ブラジルの原発計画に積極的に貢献したい。日本企業は高い関心を持っている」とアピール。日本政府主催で「投資セミナー」まで開き、日本から三菱重工業、日立製作所、東芝などの原発企業30社の幹部がこぞって参加し、原発事故に反省もなく売り込みをはかりました。地元紙では「日本からのもう1人の“原発セールスマン”」と報じられました。

 インドを訪問した麻生太郎副総理もシン首相にインフラ輸出への支援を要請。福島事故後中断している原子力協定交渉を進めていくことを確認しました。

 ペルーでは岸田文雄外相が、14億円の政府開発援助(ODA)事業に署名。日本企業が鉱山開発などに投資していることから外相は「太平洋を挟んだ重要なパートナーだ」と述べ、税制改革など日本企業が参加しやすい環境整備を求めました。

 政府あげてのトップセールスは、日本経団連が2008年「今後の国際協力のあり方」で「官民連携の強化」を提起して以来、強く求めてきました。

 安倍内閣は、財界の海外売り込みを支援するため「経協インフラ戦略会議」を3月に発足。首相は「わが国企業の海外展開を支援し、最先端のインフラシステム輸出を後押しすることは、3本の矢の一つである成長戦略の重要な柱です。閣僚が一体となって具体的な戦略作りに取り組む」と表明しました。

 海外展開の支援は、民主党政権時代にもベトナムへの原発輸出をはじめとして進められてきましたが、自民党が政権復帰すると、より露骨に大規模に展開されています。

同行した経済団体と主な企業

 経団連 国際協力銀行 東芝 三菱電機 川崎重工業 日立製作所 ジェイパワー 伊藤忠商事 三井物産 出光興産 コスモ石油 住友化学 大林組 大成建設 トヨタ自動車 三菱東京UFJ銀行 三井住友銀行 東レ 味の素 大塚製薬 野村総研

表:財界の番頭―安倍内閣「トップセールス」の内容

[母の日] 日本を愛したベアテ 彼女の贈りもの(個人の尊厳 両性の平等)

2013-05-12 | Weblog

 

 

昨年12月30日、米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)さんが膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。

第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた女性だ。このときまだ20代前半だった。

娘のニコルさんは31日、共同通信に「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。憲法改正に総じて反対だった。(改憲派自民党が衆院選で大勝し)変更や削除を特に懸念していた」と語った。

 

憲法草案作成における役割

 

ベアテは、ダグラス・マッカーサー元帥の率いるGHQ民政局で政党課に配属され、女性団体やミニ政党、女性運動家などの公職追放の調査を任されている。

それも若手ながら一人前のスタッフとして待遇されており、ベアテがそれまで勤務していた米タイム誌で培ってきたリサーチャーとしての能力が高く評価されてのことだ。

3名で構成された人権小委員会で、草案作成の命令を受けたベアテが担当したのは、「社会保障」と「女性の権利」についての条項であった。

とりわけ「女性の権利」については、当時の世界の憲法において最先端ともいえる内容の人権保護規定をベアテが書いた。

アメリカ合衆国憲法ですら、60年経過した現在も「両性の本質的平等」にあたる規定が存在せず、いかに彼女の草案が人権の平等精紳に根ざした画期的のものであり、やがて到来するであろう男女平等の時代を先覚した急進的なものであったかがうかがえる。

ベアテが先覚した人権規定の精神は、現行憲法では第24条、第25条、第27条に生かされることになった。ベアテの草案の一部は、次の通り。

第19条

妊婦と幼児を持つ母親は国から保護される。必要な場合は、既婚未婚を問わず、国から援助を受けられる。非嫡出子は法的に差別を受けず、法的に認められた嫡出子同様に身体的、知的、社会的に成長することにおいて権利を持つ。

第20条

養子にする場合には、その夫と妻の合意なしで家族にすることはできない。養子になった子どもによって、家族の他の者たちが不利な立場になるような特別扱いをしてはならない。長子の権利は廃止する。

第21条

すべての子供は、生まれた環境にかかわらず均等にチャンスが与えられる。そのために、無料で万人共通の義務教育を、八年制の公立小学校を通じて与えられる。中級、それ以上の教育は、資格に合格した生徒は無料で受けることができる。学用品は無料である。国は才能ある生徒に対して援助することができる。

第24条

公立・私立を問わず、児童には、医療・歯科・眼科の治療を無料で受けられる。成長のために休暇と娯楽および適当な運動の機会が与えられる。

第25条

学齢の児童、並びに子供は、賃金のためにフルタイムの雇用をすることはできない。児童の搾取は、いかなる形であれ、これを禁止する。国際連合ならびに国際労働機関の基準によって、日本は最低賃金を満たさなければならない。

第26条

すべての日本の成人は、生活のために仕事につく権利がある。その人にあった仕事がなければ、その人の生活に必要な最低の生活保護が与えられる。女性はどのような職業にもつく権利を持つ。その権利には、政治的な地位につくことも含まれる。同じ仕事に対して、男性と同じ賃金を受ける権利がある。

 

また、現行憲法第24条の下敷きとなった草案全文は次のようになっていた。

第18条 家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統はよきにつけ悪しきにつけ、国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは法の保護を受ける。婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然である。このような考えに基礎をおき、親の強制ではなく相互の合意にもとづき、かつ男性の支配ではなく両性の協力にもとづくべきことをここに定める。これらの原理に反する法律は廃止され、それにかわって配偶者の選択、財産権、相続、住居の選択、離婚並びに婚姻及び家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定されるべきである。

また、憲法第14条一項(法の下の平等)草案もベアテが起草している。ベアテが参考にした各国の憲法条文は、次の通り。

ワイマール憲法・第109条(法律の前の平等)、第119条(婚姻、家庭、母性の保護)、第122条(児童の保護)

アメリカ合衆国憲法・第1修正(信教、言論、出版、集会の自由、請願権)、第19修正(婦人参政権)

フィンランド憲法(養子縁組法)

ソビエト社会主義共和国連邦憲法第10章・第122条(男女平等、女性と母性の保護)

ロシア語も堪能なベアテがいたために、最終的にはカットされた「土地国有化」の条項がソ連憲法から草案に取り入れられた、と考えられる。

3月4日から始まったGHQ案を日本語に翻訳する作業でも、ベアテの日本語の能力は、アメリカ側にも日本側にも印象づけられる結果となる。

ベアテは制約が多く意味が深い日本語(「輔弼」など)のニュアンスをアメリカ側に伝え、時々は当時の日本の習慣について説明し日本側の見解を擁護したことで、日本政府の代表にも好感を持たれていた。

 

おいたち

 

ベアテ・シロタは1923年10月25日、ウィーンのヴェーリンガー通り58番地で、ロシア(現ウクライナ)キエフ出身のユダヤ人でピアニストとして有名な父レオ・シロタと、同じくキエフ出身でユダヤ人貿易商の娘として育った母オーギュスティーヌ(Augustine Sirota、旧姓ホレンシュタイン Horenstein、1893年7月28日 - 1985年7月20日)の間に生まれた。

叔父に指揮者ヤッシャ・ホーレンシュタインがいる。 名前は母親が敬愛するウィーンの作家シュテファン・ツヴァイクの作品に登場する人物「ベアテ夫人」から命名。 父も母も1917年のロシア革命のユダヤ人排斥によって国に帰れなくなっておりオーストリア国籍を取得していたため、ベアテの国籍はオーストリアとなった。

当時、フェルッチョ・ブゾーニに師事した父のレオ・シロタは「リストの再来」と呼ばれ、すでに国際的に著名なピアニストで、ベルリン、パリ、ブリュッセル、フランクフルト、ザルツブルク、ロンドン、あるいは、極東のウラジオストックにまで遠征公演に明け暮れていた。

ハルビン公演で演奏を聞いた山田耕筰(歌曲・野薔薇や童謡・赤とんぼの作曲家)が1928年5月18日、ホテルを訪れ、日本での公演を依頼。レオはその年に訪日して一カ月で16回の公演を行ない、訪日中、山田耕筰はレオを東京音楽学校(現・東京芸術大学)教授に招聘する。

そのころのヨーロッパは経済が不安定で、公演の中止がたびたびあり、そのうえドイツを中心として反ユダヤ主義が台頭してきたため、一家三人は半年間の演奏旅行のつもりで1929年の夏、シベリア鉄道でウラジオストックへ、そして海路で横浜入りし、父レオは東京音楽学校ピアノ科教授に赴任。

同僚には、作曲家のクラウス・プリングスハイムなど錚々たる音楽家が名を連ね、当時の東京音楽学校は欧米の一流音楽大学に比べても遜色のない世界最高水準の教授陣を擁していた。この年1929年10月24日、ウォール街の株価大暴落に端を発した世界恐慌が起きている。

五歳半で初来日。シロタ家は東京市(現、東京都)赤坂区(現、港区)檜町十番地、いまの乃木坂近辺に居を構え、ベアテは日本での生活を開始。9月にはドイツのナショナル・スクール東京大森ドイツ学園(現、東京横浜ドイツ学園DSTY: Deutsche Schule Tokyo Yokohama)に入学。

6歳のころから、ピアノとダンスを習い、さまざまなコンサート、オペラ、日本の伝統芸能を含む芝居などに馴染み、成長期に日本の文化を積極的に吸収して育つた。

また、一家とともに暮らしたのは、父母のほかに、江の浦(静岡県沼津市)出身で網元の娘の小柴美代らお手伝いさんと、エストニア人の英語教師だった。

小柴美代は、とりわけ身近に接した日本人女性だったため、ベアテの精神形成に大きな影響を与えたとする指摘は多い。 日本女性の地位の低さを、小柴美代から「子守歌のように」聞かされていた経験が、のちに憲法24条草案を積極的に書かせる動機になった、といわれる(『日本国憲法を書いた密室の九日間』)。

またベアテ自身も後年、小柴美代との出会いを折に触れ述懐しているうえ、1966年にはニューヨークに呼び寄せてもいる。

1936年2月26日、二・二六事件の際、ベアテは自宅の門に憲兵が歩哨に立つのを目撃。このころ通っていた東京大森ドイツ学園にナチス党員の教師が派遣され、毎朝「ハイル・ヒトラー」のあいさつや「ホルスト・ヴェッセル・リート」(ナチス党歌)の斉唱を強いられ、またベアテは危険思想をもつ問題児と白眼視されたため、目黒区(元千代田生命本社、現・目黒区役所)にあるアメリカンスクール・イン・ジャパン に転校し、卒業までの残り二年間を過ごした。

日本での10年弱の生活で、ベアテはすでにロシア語(両親の母語)、ドイツ語(幼少時代とドイツ学園)、フランス語(家庭教師)、英語(家庭教師)、ラテン語(ドイツ学園とアメリカン・スクール)、さらに日本語を習得していた。

1939年5月、アメリカン・スクールを卒業した15歳のベアテは、ソルボンヌ大学を志望したが、当時フランスとドイツが開戦直前の情勢だったため、両親はカリフォルニア州サンフランシスコ近郊の全寮制女子大学ミルズ・カレッジMills College)へ留学させることを決める。

そして留学前の三週間を父母とともに北京、上海などを中心に中国旅行に出かけ、ベアテはこのときに、日本と中国の違いを知ることになった。

父母同伴で渡米しサンフランシスコに着いたベアテは、とんぼ返りで日本に戻る父母を見送った後、ミルズ・カレッジに入学。 専攻は文学とし、フランス語の研究会や演劇部に所属した。

ミルズカレッジはカリフォルニア州オークランドに立地した4年制の女子大学で、1852年女性教育のための高等機関として設立された名門私立女子大学である。

当時の米国の勤労女性は貧困階級であることが常識だったが、ミルズ・カレッジの学長オーレリア・ヘンリー・ラインハート(Aurelia Henry Reinhardt)は、女性の社会への進出と自立を積極的に唱える進歩的な女性で、女子学生に対しても職業を持ち政治に参加する必要性を説いていた。ここで女性の権利と女性差別の現実を学んだベアテはフェミニストとしての自覚を持つようになっていた。

また留学中ベアテは、自分が「愛国者の日本人」となっていることに気付く。 日本から来たことを知った学友らは日本のことを尋ねてくるが、あまいにも無知で無理解な質問ばかりだったため、そのたびに苛立たしい思いに駆られては両親の住む日本への郷愁を抱き、「自分が半分以上日本人」となっていることを意識するようになった。 翌1940年の5月、学年末の試験後のバカンスで、日本に帰国したときの思いを「まさに自分の国への“帰国”だった」と述懐している(『1945年のクリスマス』)。まさにベアテにとって米国留学はカルチャーショックの経験でもあった。

1941年夏、渡米した両親と過ごす。日米間の緊張の激化を心配した米国の友人たちの忠告から、母オーギュスティーヌは「このままアメリカに残ろう」と主張。しかし、これまで家族の主張に反発したことがなかった父レオが、この時に限って東京音楽学校に対する契約履行義務を盾に「私を待っている生徒たちがいるのだから戻らないといけない」と反論し、両親は一ヶ月の滞在の後、9月になって日本に向かう船に乗ってしまった。

帰国途上のホノルルで、米国政府は日本入国許可を渋ったため、両親はホノルルに足止めされた。 父はハワイ各地で演奏会を開いてしのいだ。 米国政府の許可が11月に下り、11月末に両親は日本に帰国した。両親が乗った船は、日米開戦前の日本行きの最後の便だった。帰国10日後に日本軍は真珠湾攻撃を敢行。両親の住む日本と、ベアテの住む米国の開戦(太平洋戦争)により、これ以後戦争終結までの期間、両親との連絡が途絶えることとなった。

ベアテは、親からの仕送りがなくなったためサンフランシスコの「CBS リスニング・ポスト(CBS Listening Post)」で、日本からの短波放送の内容を英語に翻訳するアルバイトをして経済的自立を果たす。 この仕事を通じ、ベアテはそれまで日本語の知識として身につけていなかった文語体と敬語を学び、同時に当時日本からの報道で頻出していた軍事用語を習得。 米国に滞在していた父の弟子から譲り受けた露日辞典を用い、英語からロシア語に訳した軍事用語を、日本語に翻訳するという作業で軍事用語に馴染むという方法を用いた。 日系二世でも聞き取れない用語を聞き取ることができたため、上司の信頼を得、週給も上がった。

戦争のおかげで自活力をつけたベアテは、アルバイトで生活を支えながら大学生活を継続した。まもなくアルバイト先の会社が、米国連邦通信委員会(FCC)の外国放送サービス部(Foreign Broadcast Information Service)に改組となり、合衆国政府の管轄下に置かれる。

ベアテは、このFCCの仕事を通じて日本からの情報を凝視し、両親の消息を探った。FCCが入手する情報から、父が東京音楽学校を罷免されたことなど、一部の情報を得ていたが、両親の消息まではわからなかった。このころ(1945年1月)米国籍を取得している。

ベアテはミルズ・カレッジを最優秀(Phi Beta Kappa Society)の成績で卒業した後、FCCから戦争情報局(USOWI: US Office of War Information)に移り、日本人に降伏を呼びかける対日プロパガンダ放送番組の台本作りの仕事に二年ほど従事。 その後(1945年3月)サンフランシスコから叔母(母の妹)の住むニューヨークに移り住んだ。

ニューヨークでの仕事はタイム誌のリサーチャー(editorial researcher)であった。当時のタイム誌では、女性は記者になれず、リサーチャーとしての採用に限られていた。このため、男性の記者は女性のリサーチャーが収集した情報素材で原稿を書き、女性のリサーチャーが原稿の校正を行なうことになっていた。 そこで記事に誤りがあっても、記者の責任は問われず、リサーチャーが責任を問われて減俸の対象となった。 「自由」と「民主主義」の先進国だったはずの米国で女性を差別する現実に直面し、ベアテは初めて屈辱と挫折感を味わう。 しかしタイム誌でのリサーチャーとして培った能力は、後の日本国憲法起草の際に十二分に発揮されることとなった。

そのころ、両親は軽井沢の別荘(旧有島武郎別荘「浄月庵」 )に強制疎開させられており、終戦直前に官憲から出頭を命じられていた。ところが8月6日の広島原爆投下で日本政府が無条件降伏したために官憲の追及を免れていた。

ベアテは日本政府の降伏を知ると、タイム誌の日本特派員に両親の安否確認を依頼。 そして特派員から両親無事との吉報を受けると、日本に帰国できる職を探す。 当時の米国には、日本語を話せる白人は60人ほどしかおらず、FCC、USOWI、タイム誌での経歴に加え、6ヶ国語の言語能力(大学ではスペイン語を履修した)を買われ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民間人要員(リサーチャー・調査専門官)として採用されて、空路で日本に帰国。12月24日に焦土となった日本の厚木飛行場(当時の神奈川県綾瀬町)に降り立った。そして千代田区有楽町の第一生命ビル(旧日本軍東部軍管区司令部)6階の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に赴任したのが12月25日だった。

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[話題] 口ずさむだけで メロディーを楽譜にしてくれるアプリ登場

2013-05-10 | Weblog

スマートフォンに向かってメロディーを口ずさむだけで楽譜にしてくれるアプリが登場。

楽譜にしたメロディーをクラウドで共有したり、デスクトップ版アプリケーションで編集したりすることも可能だ。どんどんマイ・ソングを作って楽しもう。

ScoreCleaner Notes」は、メロディーを「聴いて」、それを楽譜として書き出すアプリだ。これを使えば、楽譜を読んだり書いたりする方法を知らなくても、音楽を作曲し、ソーシャルメディアや電子メールで簡単に共有できる。

このアプリにはデスクトップ版があり、そちらは和音による曲も理解して楽譜にできる。MIDIシンセサイザーをコンピューターに接続して使うこのプログラムでは、音の高さと長さの値を割り出して、音楽を自動的に楽譜化する。アプリは99セント、約100円だ。

楽譜の読み書きがすでにできる人には、さまざまなアレンジを試すことができるシンプルなインターフェイスが用意されている。「これは、さまざまなアレンジの全体像をつかむのにとても役に立つ」と、開発者のひとりであるスヴェン・エンテルは説明する。それぞれのアレンジは出だしの数個の音符で表示される。

このアプリを開発したのは、DoReMIR Music Research社で、同社は現在「iOS」版を提供している。

同社を設立したのは、スウェーデン王立工科大学のコンピューター技術者、前述のエンテル氏とスヴェン・アルベックだ(アルベック氏はその後ストックホルム音楽大学に移り、同大学の教授に就任した)。

「ScoreCleaner Notes」の技術は、人が音楽を解釈する方法に関するスウェーデン王立工科大学での研究が元になっている。また音声分析機能は、発話や音楽や聴く能力を専門に研究しているアンデルス・フライベルクが開発した。

ScoreCleaner Notes - Straight from musical idea to music notation

 

ビデオ:シャワーを浴びながら、フト、口ずさむメロディー。音符は書けなくても大丈夫。スマフォが楽譜にしてくれる。あとは曲に詩をつけるだけ。

 

 


[母の日] お母さん泣かないで ねぇお願い(日本の首相安倍って最低 !!)   

2013-05-10 | Weblog

お母さんに優しい国 日本は世界で31番目-先進国で最低

5/8 NHK

記事タイトル

世界で子どものための活動を行なっているNGOの「セーブ・ザ・チルドレン」は「お母さんに優しい国ランキング」を作りました。

このNGOは世界176の国を調査して、政治で活躍する女性の割合など5つの点からランキングを決めました。

その結果日本は子どもをときに女性が亡くなる割合など4つの点では「お母さんに優しい国」になりました。

しかし、国会の女性議員の割合は10%で、8つの先進国の中なかで最も低くなりました。

そして、「お母さんに優しい国のランキング」で日本は31番でした。

1番はフィンランド、2番はスウェーデン、3番はノルウェーで、北欧の国が1番から3番になりました。

調査をした「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」の堀江由美子さんは「日本は女性が政治に参加する機会がとても少ないと言われています。

女性や子どものための政治をもっとめる必要があります」と話しています。

 

ありがとう、お母さん

 

 

 

 


[衆議院憲法審査会] 各七党、96条改正巡り 賛否の意見表明

2013-05-10 | Weblog

衆院憲法審 96条改正巡り議論

5月9日 NHK
衆院憲法審 96条改正巡り議論

衆議院の憲法審査会で、国会が憲法改正を発議する要件などを定めた96条の改正を巡って7党が意見を表明し、自民党と日本維新の会が、ほかの条文より先行して改正することに積極的な姿勢を示した一方、民主党と公明党などは、憲法のほかのどの部分を改正するのかと併せて議論すべきだと主張しました。

衆議院の憲法審査会は9日、国会が憲法改正を発議するためには、衆参両院それぞれで、すべての議員の「3分の2以上の賛成」が必要だなどと定めている憲法96条を巡って、憲法審査会に委員がいる7党が意見を表明しました。

自民党

このうち、自民党は「衆参両院のどちらかの3分の1以上の議員が反対することで発議が行われず、国民の意思が最高法規に反映されないので、要件を過半数とすることが妥当だ。政権を取った勢力によって憲法が簡単に変えられるという懸念も出されているが、国民投票のチェックもあり、心配には及ばない。今後、改正手続きを繰り返すためには、あらかじめハードルを下げておく必要がある」と述べました。

民主党

民主党は「『憲法とは、公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である』という近代立憲主義に立つことが基本的な考え方だ。決して、1つの内閣が目指すべき社会像をうたったり、国民に道徳や義務を課す規範ではない。憲法の中身の議論が欠かせず、わが党は96条のみの改正には慎重な立場だ」と述べました。

日本維新の会

日本維新の会は「96条をまず改正し、統治機構を規定している憲法のゆがみを正す方針だ。発議要件が3分の2以上とされている現状では、発議することはほとんどなく、憲法について国民に判断を仰ぐことは困難だ。発議要件を過半数に引き下げ、国民が憲法をジャッジする機会を作りたい」と述べました。

公明党

公明党は「96条を先行して改正することには慎重であるべきだ。憲法の内容をどう改正するのかという中身の議論が行われる前に、手続きだけ改正するのは、国民から見て不透明になる。硬性憲法の性格は維持すべきだが、党内には発議要件を一定程度緩和することは否定しないという意見もあり、憲法の三原則にかかる条文以外では、3分の2から緩和するなど議論の余地もある」と述べました。

みんなの党

みんなの党は「96条の改正を主張しているが、統治機構の改革を同時に進める明確な意志がないと、安倍総理大臣が目指す改正に、おいそれと賛同することはできかねる。憲法改正の前に選挙制度改革や官僚制度改革をすべきで、われわれは『美しい国』や『強い日本』という衣の陰に、戦時下の国家体制を賛美するような勢力とは根本的に異なる」と述べました。

共産党

共産党は「国民を縛るのが憲法ではなく、国民が権力を縛るのが憲法だ。発議要件を過半数に引き下げ、一般の法律並みにハードルを下げるのは、憲法の根本精神を否定し、憲法が憲法でなくなる禁じ手であり、断じて許されない。ましてや安倍総理大臣のように、時の政権がこれを求めるのは本末転倒だ」と述べました。

生活の党

生活の党は「まず96条を改正すべきという意見には、明確に反対だ。憲法を改正しようとする場合は、中身の改正についての検討を先行すべきで、国会の発議要件を引き下げれば、政権や内閣が変わるたびに、時々の多数派の意思で憲法改正が行われることにつながり、あまりに乱暴な議論だ。憲法の最高法規たる性質が失われてしまうことにもなる」と述べました


[改憲] 反対の声 続々!!憲法の専門家ら

2013-05-10 | Weblog

東京大学・長谷部恭男教授

憲法学が専門の東京大学の長谷部恭男教授は、「特定の価値観に基づいた改憲の提案が実現することにつながる」などとして、改正に反対する見解を示しました。

長谷部教授は、NHKのインタビューに応え、まず、「きょうの衆議院の憲法審査会でも『発議の要件を緩和しても結論は国民投票で決まるのだから問題はない』という主帳があったが、それは単純に過ぎる見方だ」と指摘しました。

そのうえで、「憲法は、長期にわたって守るべき基本原則を定めており、子や孫の代のことまで見据えて考える必要がある。いまの有権者の判断に委ねればそれでおしまい、というものではない」と話しました。

そして、「社会には、さまざまな価値観や世界観を持つ人びとが暮らしている。3分の2という発議の要件を課しているのは、こうした人びとから幅広く合意を取れる原則だけを憲法に取り込むようにするためだ。

これが、過半数で発議できるということになると、特定の考え方や価値観に基づいた改憲の提案が実現することにつながり、それとは違う考えを持つ人たちとの間で、深刻な対立を生むことになりかねない」と話し、憲法96条の改正に反対する見解を示しました。

 

 参考

60数年を経て、基本的に改正に賛成する学者も少なくない。しかし安倍政権の性急な動きには慎重だ。大石京大教授もその一人だ。時間をかけ国民と議論しながら、なぜ過半数なのか、なぜ5分の3ではいけないのか、説明する必要があると語っている。

京都大学・大石眞教授

京都大学の大石眞教授は、「最初の発議要件のハードルを高くしたまま憲法改正の入り口を閉ざす必要はない」などと改正に賛成する見解を示しました。

大石教授はNHKのインタビューに応え、「憲法改正の手続きでは最終的には国民が決める国民投票が整備されているので、最初の発議要件のハードルを高くしたまま憲法改正の入り口を閉ざす必要はない」と述べました。

さらに、「憲法は60数年変わらないまま来た。96条の改正議論をきっかけに、もう少し憲法を身近なものとして、どこをどう変えれば何が変わるのかを具体的に検討するきっかけになるかもしれない」と指摘しました。

そのうえで、9日の衆議院の憲法審査会で96条の改正に賛成した政党に対しては「やや議論が性急な気がする。なぜ過半数なのか、例えば5分の3ではいけないのかなど国民に対する丁寧な説明が必要だ」と注文をつけました。

 


[改憲] 反対の声 続々!!元特攻隊員 

2013-05-09 | Weblog

92歳、元特攻隊員 改憲の動き危惧

MAINICHI

 
「戦時中の日本は国家が国民を使い捨てにしていた」。元特攻隊員の岩井忠正さんは憲法改正で政府の力が再び強まるのを危惧する

 「96条を変えては、憲法の意味がなくなってしまう」。東京都小平市の岩井忠正さんは改憲の動きに憤りの声を上げる。92歳。戦時中は特攻隊員だった。

 父は元陸軍少将。しかし岩井さんが学生になるころには「軍人主義」「大和魂」といった精神論を「非合理的」と感じていたという。だが慶応大在学中の1943(昭和18)年に学徒出陣し、特攻隊を志願した。「どうせ死ぬなら美しく、と考えていました」

 今では考えられない、戦死を前提とした特攻兵器の訓練を受けた。人間が魚雷に乗って突撃する「回天」。潜水服を着て機雷付きの棒で敵船を突く「伏龍」。他の特攻隊員に「戦争は物理力のぶつかり合い。精神なんかで勝てるわけがない」と漏らしたことがある。「そんな話をするな」とたしなめた同僚も、数日後に「俺もそう思っているんだ」と告白した。4カ月後、彼は訓練中に事故死した。

 岩井さんは戦後、復学。新憲法の施行前、他の学生たちと「天皇制は残すべきか」「国民が主権者になるべきか」と議論した。その中で「戦前、戦中の経験を繰り返さないため、国民が憲法で国家権力を縛らないといけない」と学んだ。

 あれから65年以上。自由や民主主義は当たり前のものとなったようにみえる。だが、そもそも憲法はだれのためにあるのか、という国民の意識は希薄になっていないか。安倍内閣の憲法改正主導に危うさを感じる。「国民にとって一番嫌なことは戦争でしょう。96条が改正されれば、戦争放棄をうたった憲法を、権力者が都合よく変えることができるようになる。それは愚かなことじゃないですか」

参考

特攻隊戦没者慰霊祭:平和への誓い新たに 370人参列−都城 /宮崎

4/7 地方版

 第二次大戦末期に都城市の西、東の両陸軍飛行場から出撃した特攻隊員を追悼する戦没者慰霊祭が6日、同市都島町の慰霊碑前であった。遺族や市民ら約370人が参列し、白菊を供えて平和への誓いを新たにした。

 1945年4〜7月に特攻隊員85人、援護飛行隊員64人が飛び立ち、帰らぬ人となった。77年の慰霊碑建立以来、毎年、第1陣が出撃した6日に慰霊祭を営んでいる。

 奉賛会長の池田宜永市長が「戦争を二度と繰り返さないよう、平和への誓いを語り継ぎたい」とあいさつ。市立西中3年、池田真乃花(まのか)さん(14)が「『平和の花』を枯らさぬよう、世界中に広げていけるよう、戦争の悲しみと平和への感謝を伝え続ける」と「平和へのメッセージ」を述べた。

 生後6カ月で父を亡くした遺族代表、福岡市の宮田信之さん(68)が「アルバムでしか(父を)知らない。戦争は尊い人命を奪い、深い悲しみしか残さない。戦争のない世界をつくるべきだ」と訴えた。

宮崎特攻基地資料展:特攻隊員の史実知って 30回目の慰霊祭前に−−宮崎 /宮崎

3/25 地方版

 太平洋戦争末期、多くの若者が特攻隊員として宮崎市から出撃した史実を知ってもらおうと「宮崎特攻基地資料展」(宮崎特攻基地慰霊祭実行委主催)が24日、同市月見ケ丘の赤江公民館であった。

 特攻基地は現在の宮崎空港にあった「赤江飛行場宮崎海軍航空隊」。実行委によると、基地では1944年に特攻隊が編成され、陸海軍合わせて387人の隊員が飛び立った。

 毎年4月に営む慰霊祭が今年で30回目を迎えるため、資料展を企画した。出撃前の特攻隊員の集合写真や、遺書の写しなど約100点の資料を見ていた同市本郷南方の今井種郎さん(80)は「戦争を二度と起こさないため、特に子供たちに関心を持ってもらいたい」と話していた。

 慰霊祭は4月7日午前11時、空港ビル西の特攻基地慰霊碑前である。問い合わせは実行委0985・21・1754。

 


安倍の歴史認識 北のミサイルよりも危険(米当局の報告書)

2013-05-09 | Weblog

首相の歴史認識「東アジアを混乱、米の国益損なう」と懸念

5/9 共同ニュース

 米議会調査局は8日までに、日米関係に関する報告書を発表し、安倍晋三首相の歴史認識やそれに関連する発言は「東アジアの国際関係を混乱させ、米国の国益を損なう可能性があるとの懸念を生じさせてきた」とする見解を掲載した。

 また、首相を「強固なナショナリストとして知られている」と指摘。第2次大戦中の従軍慰安婦や歴史教科書、靖国神社参拝に関する首相の言動は、韓国や中国だけでなく、米国からも「常に監視されている」と記した。

 従軍慰安婦問題については、戦時中の旧日本軍の関与や強制性を認めた1993年の「河野談話」を見直せば、「対韓関係は悪化するだろう」とした。

 閣僚の靖国神社参拝を受けて韓国外相が訪日をキャンセルしたことなど、両国関係がぎくしゃくした状況が続いていることも紹介した

5/9 東京新聞

 米議会調査局が日米関係の報告書をまとめ、旧日本軍慰安婦問題などをめぐる安倍晋三首相の歴史認識について「(東アジア)地域の国際関係を混乱させ、米国の国益を害する恐れがあるとの懸念を生じさせた」と指摘した。米有力紙にも首相の歴史認識を批判する社説が相次ぐなど、東アジアの不安定化要因として危惧する声が高まっている。

 米議会調査局は、上下両院議員の立法活動を補佐するためその時々の国政の重要課題について専門スタッフが調査し、詳細な情報を公式報告書にまとめて議員に提供。議論に影響を及ぼしている。

 今月一日付の日米関係の報告書は、首相が「強固な国粋主義者」として知られ、「帝国主義日本の侵略やアジアの犠牲を否定する歴史修正主義にくみしている」と指摘。慰安婦問題や靖国神社参拝をめぐる言動は、「米国や日本の近隣諸国から注意深く監視される」と強調した。

 報告書は、植民地支配と侵略を認めた一九九五年の村山富市首相(当時)の談話について、安倍首相が今年四月の国会答弁で「そのまま継承しているわけではない」「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と述べたことに触れ、米国が非公式に懸念を伝えたとの報道に言及した。

 慰安婦問題では、報告書は旧日本軍の関与を認めた九三年の河野洋平官房長官(当時)による「河野談話」の見直しが安倍首相の持論であり、仮に見直せば日韓関係を悪化させるとしている。米国内の反応として、クリントン前国務長官が「慰安婦」でなく「(強制された)性的奴隷」という用語を使うよう国務省高官に指示したとの報道も引用した。

 さらに「首相は熱心な国粋主義者を閣僚に選んだ」と指摘。複数の閣僚が靖国神社を参拝し、中韓両国が反発していると説明した。

 米有力紙も、安倍首相について「歴史を直視していない」(ワシントン・ポスト)、「不必要なナショナリズム」(ニューヨーク・タイムズ)とする社説を掲載している。

 

写真

◆首相 侵略の国連定義は「参考」 参院予算委

 安倍首相の歴史認識に関する発言が波紋を広げている。村山談話や河野談話といった過去の政府談話をそのまま踏襲したくない首相の本音が見え隠れするからだ。中国、韓国の反発だけでなく、首相が同盟関係を重視する米国からも懸念が示され、事態の沈静化は遠い。

 八日の参院予算委員会でも、過去の植民地支配と侵略を謝罪した村山談話が議論となった。首相は「侵略」を「他の国家の主権、領土保全、政治的独立に対する武力行使」などと定義した一九七四年の国連総会決議について「国連安全保障理事会が侵略行為を決定するためのいわば参考だ」と指摘。「学問的にさまざまな議論があり、絶対的な定義は決まっていないと(四月の国会で)申し上げた。政治家として立ち入ることはしない」と述べた。

 村山談話をめぐっては、戦後七十年の節目となる二〇一五年に「未来志向」の新たな談話を発表する意向を表明している。その際、村山談話でアジア諸国に「多大の損害と苦痛を与えた」とした部分は、安倍内閣でも同じ立場だと言っている。

 だが、村山談話の核心部分ともいえる日本の侵略を認めて謝罪した部分に関しては、内閣として引き継ぐとは明言しない。

 首相は従軍慰安婦に関する河野談話についても、〇七年の第一次安倍内閣当時に、日本軍による強制連行の証拠は見当たらないとした答弁書を踏襲する考えを表明。慰安婦に対しては「お見舞いを申し上げたい気持ちは歴代内閣と変わりはない」と国会で答弁する一方で、強制性に関する認識などについては「外交問題に発展する」として、対応を菅義偉官房長官に委ねる姿勢を通している。

 首相は八日の予算委で「日本は深刻な反省から戦後の歩みを始めた。安定的な平和を維持する努力もしてきた」と日本の立場に理解を求めていく考えを強調。菅氏も記者会見で「外交ルートを通じて理解をしてもらうに尽きる」と擁護するが、事態を好転させる打開策は何も示されていないのが現状だ。 

 

参考

従軍慰安婦巡る河野談話、見直し慎重…官房長官 

 菅官房長官は7日の記者会見で、いわゆる従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平官房長官による「河野談話」について、「見直しを含めて検討という内容を述べたことはなかった。安倍政権としては、政治問題、外交問題にさせるべきではないというのが基本的な考え方だ」と述べ、見直しに慎重な姿勢を表明した。

 歴史認識の見直しに意欲を見せる安倍首相の路線に対し、韓国や中国だけでなく米国にも懸念が広がっているため、事態の沈静化を図る狙いがある。

 首相は戦後70年の節目となる2015年に歴史認識に関する「安倍首相談話」を発表する考えだ。「過去の植民地支配と侵略」について謝罪した1995年の村山首相談話の見直しは、政権内で既定路線となりつつある。

 ただし、河野談話の見直しにも踏み込めば、日韓関係悪化は決定的になるため、河野談話を当面維持することでバランスを取る狙いがあるとみられる。(5/8  読売)


 

波紋呼ぶ首相の「侵略」定義発言、沈静化図る

 政府は、安倍首相の「侵略」の定義などを巡る一連の発言が国内外で波紋を呼んでいるため、早期に沈静化を図る方針を固めた。

 大型連休明けの参院予算委員会などで野党から質問があった場合は、発言の真意を丁寧に説明する。

 首相は4月23日の参院予算委員会で、1995年の村山首相談話に関連し、「侵略という定義は、学界的にも国際的にも定まっていない」と述べた。

 この発言に対し、中韓両国だけでなく米国内からも批判の声が上がっている。米紙ワシントン・ポストは4月27日、「首相は歴史を直視していない」と批判する社説を掲げた。

 首相発言を「村山談話を否定しようとするもの」と受け止めたとみられ、佐々江賢一郎駐米大使は今月1日付の同紙に「日本政府は、第2次世界大戦の全ての犠牲者に心からの哀悼の念を表明してきた。歴史に正面から謙虚に向き合うことがいつも重要だと考えている」とする反論文を掲載した。(5/4  読売)


 

首相の歴史認識への批判に駐米大使反論

5/2 NHK
 
アメリカの新聞「ワシントン・ポスト」が安倍総理大臣の歴史認識を巡る発言を批判する社説を掲載したことに対し、佐々江駐米大使が、日本は歴史に常に正面から向き合ってきたという内容の反論を投稿しました。

ワシントン・ポストは、先月27日付けの紙面に、「歴史を直視できない安倍総理大臣」というタイトルの社説を掲載し、安倍総理の歴史認識を巡る最近の発言について、「歴史を直視しなければ近隣諸国が納得できる決着は難しくなる」などと批判しました。

これに対し、佐々江駐米大使が1日付けのワシントン・ポストに投稿し、この中で、「日本政府は痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するとともに、第2次世界大戦の内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表明してきた」と反論しました。

そのうえで、「日本政府は、歴史に常に謙虚に正面から向き合うことが重要だと信じている」としたうえで、「過去から教訓を学んだからこそ、戦後の日本は、自由、民主主義などの価値観に基づく社会を築き、アジアの平和と繁栄に一貫して貢献してきた」として理解を求めています。

今回、佐々江大使が反論を投稿した理由について、ワシントンの日本大使館は、「日本政府の立場をアメリカの人々にしっかりと伝える必要があると考えた」と説明しています。


 

米紙 首相の歴史認識巡る発言を批判

4/27
 

アメリカの新聞「ワシントン・ポスト」は、安倍総理大臣の歴史認識を巡る発言を取り上げ、「歴史を直視していない」と批判するとともに、中国と韓国の憤りは理解できるとする社説を掲載しました。

これは、26日付の「ワシントン・ポスト」の電子版の社説が「歴史を直視できない安倍総理大臣」というタイトルで掲載したものです。

「ワシントン・ポスト」はこの中で、安倍総理大臣が就任以降、「活力を失っていた日本経済を再生させたり、自民党内の反対派を抑え、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉参加に道筋をつけたりするなど、日本の未来は前向きに見えた」としています。

しかし、安倍総理大臣の歴史認識を巡る最近の発言は、「すべての成果を台なしにしたいように見える」として、「中国や韓国の激しい憤りは理解できる」としています。

そのうえで、日本がかつて中国や韓国などのアジア諸国を侵略したことは事実だとして、「安倍総理大臣の主張する歴史の見直しは正当化できない。歴史を直視しなければ、互いが納得できる決着は難しくなる」と批判しています。

安倍総理大臣の歴史認識に関する発言を巡っては、アメリカ国務省のベントレル報道部長が25日、日本政府に対し、中国や韓国との関係改善を促していることを明らかにしています。


[改憲] 反対の声 続々!!安倍政権の元閣僚ら

2013-05-09 | Weblog

憲法改正手続き緩和の先行を疑問視 大村知事

 2013/5/8 

 大村秀章知事は七日の定例会見で、自民党が憲法改正手続きを緩和するために憲法九六条改正を目指していることに「憲法の何を変えるのかを置いたまま、(手続きを定めた)九六条だけ変えるのは、国民が望んでいることなのか」と疑問視した。現行憲法には「時代の流れに合わせて変えていく必要はある」と述べる一方、「果たしてきた役割は大きい」とも評価した。主なやりとりは次の通り。

 -憲法改正の国会発議には、衆参両院の三分の二以上の賛成が必要と定めた憲法九六条の改正を自民党が目指している。

 大いに議論すればいい。ただ「憲法の何を改正したいから、九六条の『三分の二』を『二分の一』に下げる」という議論をした方が、国民の理解は進むのではないか。九六条改正ありきで突っ走るのはどうなのか。

 安倍晋三首相は九条改正が本命なのでしょう。だとすれば、最初から九条改正などのメニューを示した上で、九六条も変えたいと言われた方がいい。

 -知事は現行憲法を変えるべきだと考えているのか。

 国会議員時代から、国会の憲法調査会などで発言してきた。戦後、日本国憲法が果たしてきた役割は意義深かったと評価する立場だ。国民主権や、憲法九条で平和国家日本をつくると高らかに宣言したことが、アジア太平洋の平和に寄与してきた。

 ただ、国民生活のあり方や国際社会は時代とともに変わってくる。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という根幹は堅持しながら憲法も変える必要がある。道州制で地方分権を強化したり、基本的人権に環境権などを加えてもいい。九条は(戦争放棄を定めた)一項は変えないで、二項は少し変え、自衛のための戦力保持は認めるべきだ。国際平和協力業務も憲法に位置付けるべきだろう。

 最後に申し上げると、日本維新の会が綱領に「憲法が日本を侮蔑の対象におとしめた」と書いたが、違和感がある。そういうふうに思っている国民はいます?

注)大村秀章愛知県知事、衆議院議員(5期)、厚生労働副大臣(麻生内閣)、内閣府副大臣(安倍内閣)等を歴任した。

参考:

首相、解釈変更へ意欲 集団的自衛権の行使 

 安倍晋三首相は8日午前の参院予算委員会で、憲法で禁じられているとされる集団的自衛権の行使容認に向けた議論を、安倍政権になって再開した意義を強調した。政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」について「安全保障環境が変わる中で、今までの解釈でいいのか」と、議論の進展に意欲を示した。

 懇談会が2008年にまとめた最終報告書で実施可能とした、公海上での自衛隊による米艦船防護など4類型に関し「新たな分類が必要かどうかを含め、懇談会でさまざまな議論がなされている」と説明した。民主党の川上義博氏への答弁。(5/8 共同)

首相、「進駐軍が作った」 改憲実現に意欲 

 安倍晋三首相は8日の参院予算委員会で、1946年に公布された現行憲法が連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基にしていることを踏まえ「制定過程で(見ると)、進駐軍が作った。時代にそぐわない内容もある」と述べ、改憲実現への意欲を重ねて示した。

 同時に「私たち自身の手で憲法を作るという精神こそが、新しい時代を切り開く」と訴えた。

 トルコとの原子力協定締結を含めた原発輸出政策に関し「相手国の事情や意向を踏まえ、高い安全水準技術を提供する」と推進していく考えを強調した。みんなの党の山田太郎、社民党の山内徳信両氏に対する答弁。(5/8 共同)

 


[改憲] 反対の声 続々!!東日本被災者たち

2013-05-09 | Weblog

「改憲より現状解決を」 不平等感じる被災者

福島民友新聞

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故以降、多くの県民が仮設住宅などでの不自由な避難生活を強いられている。さらに原子力災害や避難に伴い仕事を奪われ、居住地などの違いで賠償に差が生じるなど、憲法の3原則の一つ「基本的人権の尊重」が等しく保障されているかどうか、疑念を抱く被災者も少なくない。そうした中で高まる憲法改正をめぐる論議。県内被災者はどう受け止めているのだろうか。
 富岡町から郡山市の借り上げアパートに避難している女性(77)は「町の除染は進んでいないし、自分が現在置かれている不安だらけの現状を考えると、国は自分たちの基本的人権の尊重について、どう考えているのかと考えてしまう」と長引く避難生活に率直な気持ちを吐露した。会津若松市の仮設住宅で生活する大熊町の木幡ますみさん(57)も、「基本的人権の尊重」が保障されていないと感じている。

「またどこかで原発事故が起きれば多くの人が避難しなければいけない。私たちが何で逃げているのかということをもっと分かってほしい」と訴える。郡山市の富岡町富田仮設住宅自治会長の遠藤武さん(69)は「(憲法改正よりも)目の前のこの理不尽な状況の解決が先だ」と、国会での論議に疑問を呈する。


東日本大震災 改憲より復興を

毎日新聞

米軍ヘリが降りた公民館の庭を示す吉田忠雄さん。普段は高齢者がグラウンドゴルフを楽しんでいる=岩手県大船渡市赤崎町で、根本太一撮影

 3日は憲法記念日。2011年の東日本大震災以降では3度目の記念日となり、被災地からは「憲法改正論議より、復興に政治のエネルギーを注いでほしい」との声も上がる。東京電力福島第1原発事故で「居住移転の自由」など憲法で定める人権を奪われた被災者は「現行憲法さえ守られていない」と憤る。


 ◇生存権 

 進まぬ街の復興を見つめながら岩手県釜石市の中川淳さん(79)は憲法改正のハードルを下げようとする動きを憂慮する。

 大震災で死者・行方不明者1000人以上を出した釜石市は1945年7月と8月、太平洋戦争で艦砲射撃を受け、この時も1000人以上が犠牲になった。当時国内で2番目に大きい製鉄所が狙われ、街は焦土と化した。

 中川さんは爆音にうろたえた少年時代の経験も踏まえ、戦争放棄を定める9条や、生存権を保障する25条の大切さを訴える。自らは中学校で38年間、教師として憲法を社会科の授業で取り上げ、生徒が9条などについて書いた作文は大切に保管してきた。作文は自宅もろとも津波に流されたが「憲法の価値観は社会の中堅世代となった教え子たちに根付いている」と自負する。

 いまだに避難生活を送る中川さんは「被災者の生存権は十分に守られているだろうか」との疑問を持つ。憲法16条は損害の救済などを求める請願権を保障するが「遠慮やあきらめで口をつぐんでいる被災者も多い。憲法には被災地復興や被災者支援のための権利が詰まっている。国会議員は憲法改正論議の前に、住民は保護されるべき存在だということを再度、自覚する必要がある」と話した。

 ◇米軍支援

 岩手県大船渡市の赤崎地区公民館の前館長、吉田忠雄さん(72)は「あまりのうれしさに涙が出た」と「あの時」を振り返る。

 大震災直後、公民館には約340人が押し寄せた。交通網が遮断され、水が尽きた4日目の昼過ぎ、ごう音が聞こえてきた。米軍の「トモダチ作戦」の空母艦載ヘリだ。

 「窮地で救ってもらうありがたさ」が身に染みた。地区内ではそれ以来、自衛隊の他国での米軍支援を容認する若者が増えたと感じている。戸田公明市長も「時代の変化に応じた憲法は必要だ」と改憲論を容認する。

 「だが」と吉田さんは立ち止まる。日本は自衛目的以外で銃を構えて良いのだろうか。「トモダチ」に恩義は感じるが、米軍に対して自衛隊は医官派遣などの後方救護活動に専念する策もあるはずだ。「そもそも違憲判決が出た衆院選の当選者に、改憲への1票を国会で投じる資格があるのだろうか」。改憲論議よりも「政治のエネルギーを復興に」と願う。

 ◇財産権 

 東京電力福島第1原発事故で、福島県大熊町から会津若松市に避難している農業、渡部隆繁さん(63)、栄子さん(60)夫妻は、職業選択の自由や財産権など、憲法の保障する権利が侵害されていると憤る。

 大熊町の自宅は原発から約3キロ。昨年12月に帰還困難区域(年50ミリシーベルト超)に再編され、除染は当面始まらない。自宅と田畑は、政府が示した中間貯蔵施設の調査候補地内に入る可能性がある。このため埼玉や茨城などの農地を見に行き、移住の構想を練ってきた。

 しかし、移住の前提になる財物賠償基準は生活再建にほど遠い。所有していたトラクターや田植え機などは買い直せば約5000万円かかるが「減価償却に応じた価値」という基準では1500万円にしかならない。納得できる賠償を得るには訴訟しかないと考え始めているが「奪われた財産や生活を元に戻せない基準はおかしい」と思う。

 隆繁さんは大熊町で40年以上、農業を続けてきた。土作りには時間がかかる。一刻も早い再開を目指すが、借り上げ住宅で細々と暮らす日々が続き「働けないことがつらい」(栄子さん)。職業や財産が奪われたままの「中ぶらりんの人生」を余儀なくされ、夫妻にとって憲法改正論議は空疎に響く。「今の憲法が認める権利さえ守られない中、どんな新しい憲法を作るというのか。順番が逆ではないか」


 

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悪質な雲助議員石原宏高 血税で食わしてもらいながらウソの報告

2013-05-08 | Weblog

石原宏高議員:衆院選報酬 領収書住所にスカイツリー

 

石原宏高衆院議員=国会内で藤井太郎撮影
石原宏高衆院議員

 昨年の衆院選を巡り、自民党の石原宏高衆院議員(東京3区)陣営の選挙運動費用収支報告書に、実際には支出されていない9人分の人件費が記載されていた問題で、人件費を受け取ったとされた人の住所が東京スカイツリーの所在地になっているなど、報告書に添付された領収書に不自然な記載があることが分かった。専門家は正確な収支報告を義務付けた公職選挙法に抵触する可能性もあると指摘している。

 当初の報告書には、石原氏の陣営が選挙の事務員ら9人に人件費として85万5000円を支払ったとする記載があった。石原氏の事務所は先月23日付で「事務員でなく報酬のないボランティアだった」などとして報告書から削除。その際、添付されていた9人の領収書(計9枚)について「あらかじめ用意したひな型が誤って提出された」と説明した。

 しかし、毎日新聞が調べたところ、氏名や金額と共に手書きされた住所に、実在しない「大槻市春日町」や東京スカイツリーの所在地「墨田区押上1−1−2」の記載があった。支払額が「1万円」と記入される一方で、ただし書きに記された内訳の合計が3000円にしかならない領収書や、別に作成された支払者一覧表と名前の表記が異なる領収書もあった。

 領収書に名前の記載があり、事務員の報酬として11万円を受領したことになっていた男性は取材に「ボランティアで4〜5日ビラを配った。お金をもらっていないから領収書も書いていない」と証言した。

 石原氏の事務所は領収書の不自然な記載に対する質問に対して回答していない。

 政治資金オンブズマン共同代表の上脇博之・神戸学院大法科大学院教授は「最初からうその報告を書く前提で領収書を添付しているとみられ、悪質だ。報告書の虚偽記載に当たり、訂正しても責任を免れない」と話している。


[改憲パズル] 改憲よりも復興を 安倍の人権に対する差別意識(東日本被災地蝦夷)

2013-05-06 | Weblog

「改憲より現状解決を」 不平等感じる被災者

福島民友新聞

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故以降、多くの県民が仮設住宅などでの不自由な避難生活を強いられている。さらに原子力災害や避難に伴い仕事を奪われ、居住地などの違いで賠償に差が生じるなど、憲法の3原則の一つ「基本的人権の尊重」が等しく保障されているかどうか、疑念を抱く被災者も少なくない。そうした中で高まる憲法改正をめぐる論議。県内被災者はどう受け止めているのだろうか。

 富岡町から郡山市の借り上げアパートに避難している女性(77)は「町の除染は進んでいないし、自分が現在置かれている不安だらけの現状を考えると、国は自分たちの基本的人権の尊重について、どう考えているのかと考えてしまう」と長引く避難生活に率直な気持ちを吐露した。

 会津若松市の仮設住宅で生活する大熊町の木幡ますみさん(57)も、「基本的人権の尊重」が保障されていないと感じている。「またどこかで原発事故が起きれば多くの人が避難しなければいけない。私たちが何で逃げているのかということをもっと分かってほしい」と訴える。郡山市の富岡町富田仮設住宅自治会長の遠藤武さん(69)は「(憲法改正よりも)目の前のこの理不尽な状況の解決が先だ」と、国会での論議に疑問を呈する。

 

「東北論」 

神戸女学院大学教授内田樹ブログ

ご近所の灘校の文化祭で東北研究のパネル発表をするということで、インタビューを受けた。なかなか白熱したインタビューで、「東北とは」という切り口でものを考えたことがあまりなかったので、新鮮だった。インタビュアーは高校生。

まず先生は震災当時はどこにいらっしゃったのですか。
 
3月11日はスキーに信州に行った帰りで、電車が止まって、直江津で足止めを食らってました。よく事情が分からなくて、夜中も余震が凄かったし。阪神大震災以来だから恐怖心を感じました。翌日電車が動いて1日遅れでこっちに帰ってきました。

先生は阪神淡路大震災も経験なさってるわけですよね。その時と比べてみてどうですか。

何が違うかと言うと、天変地異のレベルの話じゃなく、それに対処するときの政治と社会の問題だと思います。今回の対応の悪さって、桁外れなんじゃないかな。日本の社会全体としての復興に対する、支援に対する態度っていうのがひどいんじゃないですか。

 阪神の時は、半年ぐらいで大体瓦礫の片もついて、日常生活は回復したわけでしょう。その時も行政の不手際にはずいぶん文句がつけられたけれど、被災した人間の実感としては、行政はそこそこよくやったんじゃないかと思います。

でも、今回は、まだ16万人ぐらいの人が家に帰れないでいる。東電からの補償もほとんどされてない。本当だったら革命が起こるくらいの怒りが住民の側にはたまっているはずなんだけど、じっと耐えてる。

その一方で、政府はTPPだとか改憲だ原発再稼働だとかいう話ばかりしている。被災地支援よりも、「まず経済成長」という話になっている。被災地は見捨てられているというのが僕の実感です。東北のことなんか、もう考えたくないというのが政府の本音なんじゃないかな。

1995年と2011年を比べると、政府と自治体の初動のまずさと、被災者に対する情の薄さが際だっていると思います。災害のスケールが違うから一律には論じられないけれど、それでもこの間に、日本の統治機構が激しく劣化したのは事実だと思います。政治家と官僚と財界人と、それとメディアですね、劣化したのは。

具体的に例えばどんなこととかを問題に思いますか。

津波や地震の被害の復興のような物質的な手当はたとえ緩慢ではあっても、やるべきことはやってはいると思うんです。一番遅れているのは、原発事故の被災者に対するケアですね。本気で支援しているのだろうかと思う。

 一番遅れているのは情報開示です。被害状況を包み隠さず開示していない。あのとき一体原発で何が起きたのか、今は何が起きつつあるのか、どんなリスクをわれわれは負っている、そのことをきちんと開示することが最優先だと思う。

第二に、なぜこんな事が起きたのかを問うこと。「想定外」では済まされません。十分な危機管理ができていなかったから、こんなことが起きた訳で、ではいったいなぜ十分な危機管理がなされなかったのか、その理由が問われなければいけない。

コストの問題なのか、政策判断の問題なのか、単なる怠業や責任放棄なのか。でも、その問いも棚上げされたままです。とりあえずは追求をかわして、あれこれ言い訳して、適当にごまかして、ほとぼりが冷めるのを待とうという態度が東電も経産省もあらわです。基本的な態度が「ごまかす。ほとぼりが冷めて、メディアや国民の関心が薄れるのを待つ」ということなんです。

特に自民党政権になってからは、原発は再稼働を前提にしていますから、どうやって原発のリスクを有権者に過小評価させるかが今は政策的に優先されている。 いまも福島第一原発は危険な状態にあるわけですけれど、そのことはもう報道しないで欲しいと政府は思っている。政府も忘れるから、国民のみんなも忘れてください、って。

被曝のリスクもそうですよね。甲状腺異常などがすでに報告されているけれど、政府はこれは原発事故には関係ない、誤差の範囲であるという判断に固執している。どんなリスクを日本人が負わされているのか公開しない。国民の健康のためには行政はある程度ナーバスになっていいと思います。国民の健康についてのリスクを過大評価したせいで失うものと、過小評価して失うものは桁が違うんですから。

でも、リスクを過剰にアナウンスすると、今度は被災地産の農産物とか水産物とか国内外で売れなくなってしまう。経済的にはたしかにダメージがあります。それでも、情報は全面的に開示すべきだと思う。

そのせいで被災地の生産物が売れなくなったのなら、その経済的な損失は一億三千万の国民で分かち合う、ということでいいと思うんです。だって、福島の農作物が売れなくなったのは、福島の農家の自己努力の不足とか、経営の失敗とかじゃなくて、原発事故という国策のせいなんだから。そして、その国策を黙って支持してきたんなら、国民全体の責任でもあるわけです。

でも、東北の被災地への復興支援は日本人全体が引き受けるべきことだという挙国一致的な支援体制ができるためには、福島で今何が起きているのかを全国民の前に明らかにしなければならない。被曝リスクがどれくらいの規模のものか、福島はどれほどの痛手を負ったのかを明らかにしなければならない。政府も東電も、それがしたくないのです。できるだけ被害を軽微なものだと思わせておきたい。そうじゃないと、原発再稼働の道筋が通りませんから。その結果、全国民的な被災地支援機運が盛り上がらない。

それどころか、アベノミクスとか言って、株価とか金融の話に話題が一気に振れて、もう震災のことも津波のことも原発事故のことも、はやく忘れたいという気分になっている。メディアでももうほとんど被災地の情報は奉じられない。そんな景気の悪い話ばかり取り上げていると売れないと思っているんでしょう。そして、どの銘柄の株を買えば濡れ手で粟の金儲けができるかとか、そういう「景気のいい話」に話題を移している。

本来であれば国を挙げてどうやって被災地を支援していくか、どうやって復興の手だてを考えるかということに集中すべき時期なのに、みんな考えたくない。問題を直視しようという意欲を日本人自身がなくしているということだと思います。安倍政権の支持率は70%ですよ。東北の問題をばっさり切り捨てている人を国民の70%が支持している。東北の復興が日本にとっての最優先のイシューであるという認識がもう国民にはないんだと思います。それよりもTPPと株価と改憲と尖閣問題とか優先してきている。

今回の東日本大震災と阪神淡路大震災では規模が全然違うと思うのですが、だからこそ、対応が遅くなったとかいうわけでもなく、根本的にレベルが下がったということですか。

日本の統治機構のレベルは下がってます。

今回、は自衛隊が際立っていました。95年も自衛隊は活動したけれど、今回は突出していた。練度が高いし、被災者救援のインターフェイスがやわらかい。多分こういうレベルの災害出動を想定した訓練を受けて来たんだろうなということがわかります。

有事を想定してふだんから訓練している行政組織って、今や自衛隊とか海上保安庁とか、そういうところしかなくなってしまった。それ以外の官僚機構は、「不測の事態にどう備えるか」という訓練をしていない。ライフラインが止まる、通信や交通が途絶する、情報が来ない、そういうときに手持ちの資源だけを使って何ができるか、そういう種類のシミュレーションを官僚たちは全くしていない。

総理官邸の危機管理室には電話が2回線しか通っていなかったとか、地下なので携帯の電波が届かなかったということが後から報道されましたけれど、そういう基本的なミスが起きるということは、「危機管理室を実際に使う場合」を設計した人間が想定していなかったということですよね。危機を想定していない危機管理って、何ですか。

じゃあ逆に行政のなかではそういうことは失敗と捉えきれてないということですか。

ないと思う。災害対応って、マニュアルなしでどう最適な判断をするかってことでしょう?そういう訓練を今の日本人は誰もやっていないから。

どうやったら鍛えられますか

だから武道やってるの(笑)。

どういうことですか、武道の意味みたいなのって。

武道というのは、危機的状況をどうやって生き延びるか、その能力を開発するためのプログラムですから。ルールがあるところでライバルと競争するためのものじゃない。危機を生き延びる力を養っている。

だからよく「どうして合気道では試合がないんですか?」って訊かれるけど、あるわけがない。試合があるのはスポーツでしょう? アリーナがあって、レフェリーがいて、ルールがあって、時間制限があって、何月何日何分試合開始って決まっていてやるのはスポーツ。

武道というのは、いつ、どこで何が起こるかわからないという条件で、そのときに生き延びるための心と体の使い方を学ぶものなんです。

今までの日本のどこに問題があると先生はお考えですか。

原発について言うと、戦後の原子力行政全体に問題があると思います。原子力テクノロジーって、はっきり言って、人間が完全にはコントロールすることが出来ないものなんですよ。現に、放射性の廃棄物については最終的な処理方法が確立してない。どんどん出てくる汚染物質をどう処理するか、そのテクノロジーが確立されていないうちに稼働を始めた。それがもたらす環境汚染のリスクや、廃棄物処理のコストを勘定に入れないで、「コストの安い発電機」としてと原発を導入していった。

原子力は人知を超えた、想定外のふるまいをするかもしれない危険なテクノロジーであるという覚悟を持った科学者もいたはずですけれど、その人たちの声は押しつぶされた。そして、原子力は人間が管理制御できる、安全な発電装置ですという宣伝で国民を洗脳してきたわけです。

原発がどうも危険だし、高コストのテクノロジーらしいということはときどき報道されてきましたけれど、こちらとしてももう原発が出来ちゃった以上は、「なるべく事故が起こらないで欲しい」という願望があるわけで、その願望のせいで、いきおい原発の安全性を過大評価するようになる。「安全に操業してほしい」という主観的な願望が「安全に操業されているはずだ」という客観的情勢判断と混同されてしまう。そういうすり替えが国民的規模で行われていたと思います。

非専門家は原発の現場がどういうふうになっているのかなんて知りようがない。だから、せめてフロントラインの人たちだけは原発の危険性を自覚しているべきだったと思います。仮に一般市民に対して「原発は安全ですよ」って嘘をついても、内部的には非常に危険な物を扱っていて、一度事故を起こしたら、その被害は計り知れないものになるという緊張感を維持すべきだったと思うんです。

でも、その緊張感が東電にあったようにはどうしても思えない。最大限の警戒心と恐怖心を持って原発を制御しようとしていたという覚悟がさっぱり伝わってこない。たぶん、一般市民に向かって「原発は安全ですよ」と言って騙しているうちに、自分たちも自分たちがついている嘘を信じ始めたからじゃないかと思います。嘘ってそうなんですよ。あまり習慣的に嘘をついていると、言っている本人が自分の嘘を信じ始めてしまう。たぶんそうやって、事故が起こらない時間が続けば続くほど、警戒心も恐怖心も鈍化していったんだと思います。

原発も初期の人たちは強い警戒心を持って仕事をしていたはずです。だって1945年の原爆を日本人はリアルに体験したわけですから。

原子爆弾というのは、広島長崎の以前から理論的には作れることがわかっていたんだけれど、実験ができなかった。核爆発が一箇所で起きたら、それが連鎖反応を起こして、地球全体が吹っ飛ぶかもしれないというリスクがあったから。それが怖くて原爆実験できなかった。だから、マンハッタン計画が成功したときにわかったのは「どうやって原爆を作るか」じゃなくて、「核爆発しても地球は吹っ飛ばない」ということだったんです。

原子力テクノロジーって、最初からそういうものだったんですよ。実験してみたら何とかなったから、使ってみようという。そういう自転車操業みたいなものなんです。原理はなんとかわかる。やってみたら、お湯は沸かせることがわかった。でも、条件が変わるとどんなふるまいをするか分からない。とりあえずお湯は沸かせる。じゃあ、沸かして、蒸気でタービン回して、発電してみよう、と。そういうテクノロジーなわけですよ。

だから、原子力第一世代のエンジニアたちは自分たちが扱っているテクノロジーについて、「自分たちもよくわかっていない」ということはわかっていた。でも、続く第2世代、第3代目になると、「原発って、ただのコストの安い発電機じゃないか」という緩んだ気分になってきた。それなら火力や水力と同じ程度の扱いでいいんじゃないか、と。年が経つにつれて、原発に対する扱いがぞんざいになっていった。その結果、福島の事故が起きたということだと思います。

こういうことがあった後にこれから原発政策という面ではどういう風に向き合っていけば良いんでしょうか。

今回、福島の原発事故でいったいどれぐらいの国富を失ったのかまだ試算してないですよね。国土の何分の一かが、これから向こう何百年間か居住不能になるんです。尖閣とか竹島とか言っているけど、そんなのただの岩礁でしょう? でも、福島って、そこに何十万も生活者がいて、そこを生活基盤にしていた国土なんですよ。それが原発一個で失われた。われわれは国土を失ったんです。

その被害を考えたら、原子力発電が火力発電に比べて多少発電コストが安いからと言って、そんなの桁違いじゃないですか。被災者にまともに補償しようとしたら、これまで火力との差額で原発が稼いだ分なて、全部吹っ飛んじゃう。経済的に考えても、原発はまったく間尺に合わないビジネスだったことが明らかになった。

とくに国土の喪失。これに関しては誰も何も言わない。尖閣とか竹島とかいう話になると「寸土も譲らず」とか息巻く人たちも、福島で失われた国土については何も言わない。でも、どう考えても福島で失われた国土の方が巨大な損失なわけでしょう? 

この損失は原子力行政がもたらした被害なわけですよ。愚かな原子力行政が国土喪失をもたらした。仮に今からもう一回大きな地震が福島を襲ったら、次は東京も居住不能になるかも知れない。原発再稼働派の人たちは「東京も住めなくなっても、まだ原発をやる」という覚悟があるんでしょうか。

原発再稼働って、巨大地震が起きないことを前提にした「幸運頼み」のプロジェクトなんです。地震が来て、原発がつぶれた後も、「再稼働それ自体は正しい政策判断でしたが、想定外の地震のせいで事故が起きました」って言い訳が通ると思っているんでしょうか?

原発続けたいって言ってるのは、グローバル企業なんですよ。彼らは先のことは考えてないから。彼らの政策適否の判断基準は四半期なんです。3ヶ月。とりあえず四半期の収益のことだけしか考えない。

ご存じじゃないと思うけれど、株式会社の平均寿命って7年なんです。アメリカの会社は5年。長期的に会社が継続することそれ自体は、グローバル資本主義では特に重要なことだと思われていない。投資家にしてみれば、株買って高値で売り抜けることが最優先なわけで、株を買った会社があと何年生き延びるかなんてどうでもいい。理想的には、一回の株取引で、一生かかっても使い切れないくらいの個人資産を手に入れたい。企業がいつまで存続するかなんて、投資家にしてみたら、どうでもいいことなんです。

長期的に考えてみた場合、原子力発電を使うと日本の国土が汚染されて、取り返しのつかない損害をこうむるおそれがある。これは間違いない。だから、長期的にみたら「割に合わない」と考える方が合理的なんです。

でも、グローバル資本主義者はそうは考えない。原発をいま再稼働すれば、今期の電力コストがこれだけ安くなる。それだけ今期の収益が出る。配当が増える。だったら、原発再稼働を要求するのが当然、というのが彼らの思考回路なんです。日本列島がどれほど汚染されようとも、個人資産が増えるなら、ぜんぜん問題ない。

クオーターベースで損得を考える投資家にしてみたら、向こう三ヶ月間に巨大な地震が起きないなら、原発動かした方が利益が出るんです。だから再稼働を要求する。それは彼らにしてみたら合理的な判断なんです。反対する人間の気が知れない。投資家たちは個人資産の増減だけを気にしていて、どこかの国の国土が汚染されようと、どこかの国の人たちが故郷を失おうと、そんなことはどうでもいいんです。

僕たち日本国民は日本列島から出られない。ここで生きていくしかないと思っている。だから、国土が汚染されたら困るし、国民の健康が損なわれたら困る。でも、グローバル企業には気づかうべき国土もないし、扶養しなければいけない国民もない。誰のことも気づかわなくていい。株価のことだけ考えていればいい。

それはそれでしかたがないんです。そういう商売なんだから。でも、問題なのは、そういう人たちが国民国家の政策決定に深く関与しているということです。「国民国家なんてどうなっても構わない」と思っている人たちが、国民国家の政策を決定している。これはちょっとひどい話でしょう? 

大飯の原発再稼働のときの財界のロジック覚えてますか? 原発を動かさないと、火力だと製造コストが高くなる。だったら、もう日本を出てゆくしかない、と言ったんですよ。こんなコストの高い国ではもう製造業なんかやってられない。生産拠点を中国とかインドネシアとかに移すぞって、政府を脅しをかけた。グローバル企業にしてみたら、どこの国で操業してもいいんですよ。どこでも生きていける。どこの国にも義理なんかない。

でも、「電力コストが高い」という程度の理由で、外国に出て行くと公言している企業が、「原発事故で環境が汚染された」というときに日本にとどまると思いますか? 

当然、真っ先に出てゆくでしょう。自分たちで環境汚染リスクの高いテクノロジーの稼働を要求しておきながら、いざ環境汚染が起きたら、「こんな汚いところでは操業できない」と言って出てゆく。出てゆくに決まっています。自分たちが原発再稼働を要求したんだから、原発事故が起きても、頼んだ義理がある以上、日本にとどまって操業するというようなけなげなグローバル企業があると思います?

グローバル企業には国土も国民もないんです。金儲けにしか興味がない。それは彼らの本性だから変えようがないけれど、そういうものが国民国家の重大な国策の決定に与ることに、僕は反対しているんです。

そういう状態っていうのを改善できるんでしょうか

できませんね。これがグローバル化ってことの実質だから。安倍自民党政権というのは「グローバル化推進政権」ですから、このあともどんどんグローバル化が進行するでしょう。守るべき国土、扶養すべき国民という概念が空洞化するだけじゃなくて、国富という概念も空洞化する。つまり、人々がいかにして国富を私財に移し替えるか夢中になるということです。どうやって自分たちの私的なビジネスを税金で支援させるか、どうやって私用のために公務員を使うか、そういうことを日本人全員が考えるようになる。

原発の話にもどるんですが、原発って、東京で消費する電力を、福島で作ってたわけですよね。東京の犠牲になっていたわけですよね。なんでそういうシステムが生まれてしまうのでしょう。

戊辰戦争ですよ!決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ。東北の出身者は中央に上がっていけなかったんですよ。政界でも官界でも財界でも・・・。

明治の藩閥政治の間は、東北出身者にはエリートへのキャリアパスは存在しなかったんです。だから、原敬は爵位を拒否したんです。あれは東北人の意地なんです。私は薩長藩閥が作った政府が出す勲章なんか要らないって。原敬の号は「一山」っていうんだけど、あれは「白河以北一山百文」、東北地方は地価ただ同然という明治の東北差別に対する原の抗議のしるしなんです。

僕は、四代前が庄内藩士、三代前が会津藩士という賊軍の系譜の直系ですから、東北人の悔しさはよくわかるんです。東北人の屈託は内田家の家風ですから。「われわれは日の当たらないところに置かれている」という。東北人である限り、いくら努力しても報われないっていう。

だって考えてみてくださいよ、東海道新幹線の開通が1964年でしょ。東北新幹線の開通は2010年ですよ。半世紀遅れてる。

福島も地元が原発を誘致したわけだけれど、それは地元に産業がないからでしょう。産業がないのは福島県人の自己努力が足りないからじゃなくて、戊辰戦争以来150年間の、東北に対する政治的・経済的な制裁の結果なんですよ。東北にはチャンスが与えられなかった。

六ヶ所村ってあるでしょ。あれは昔の斗南藩の領地なんです。会津藩が戊辰で負けた後に、改封されて極寒の下北半島の原野に移された。不毛の荒地に。吹雪が吹いて、食べるものもろくに採れないところに会津藩士たちは追いやられ、そこでずいぶん餓え死にした。

その斗南藩のところに今六ヶ所村の再処理施設があるわけですよ。産業が何もないところに。農作物も育たないし、自然資源もない。そこで生きていかなきゃいけない人たちがいる。だから、「よごれもの」を引き受けるという誘いに手を上げざるを得なかった。他に生きる道がないんだから。

そういうふうに、ある種政治的な意図をもって、政府のどんな要求に対しても断ることができないくらい貧しい地域が作り出されているんですよ。そこに嫌なことを全部押し付けられるように。

それは今の官僚であるとか政治家とかも、意識して政治を行ってるのですか。
 
いや、意識はしてないでしょう。むしろ無意識だからこそ、こんなひどいことができる。150年間、ずっと無意識なまま東北は抑圧されてきた。君たちも東北人の証言には耳を傾けるべきだと思う。ぜひ読んでおいて欲しい本がある。『ある明治人の記録』。旧会津藩士ではじめて陸軍大将に昇進した柴五郎の伝記。会津が明治政府にどんな目に遭わされたか、わかるよ。

ということはそのシステム自体は、たとえば自分たちがそのシステムを認知したとしても、そうそう変わらないということですか。
 
だって150年かかって作り込んでいるんだから。福島とか新潟とか福井とか、原発があるのは戊辰戦争で負けた藩のところばかりでしょう。

戊辰戦争で勝った側にあるのは・・・玄海が佐賀にあって、それから川内が鹿児島にある。佐賀も佐賀の乱で中央政府に反抗してるし、薩摩は西南戦争で反抗しているから。

だから、長州には原発がない。今、一つだけ上関に計画だけあるけれど、地元の反対運動で結局まだできていない。調べればわかるよ。戊辰で勝った側と負けた側の原発設置比率は。歴然とした差がある。要するに、賊軍にされた地域は貧しいままにとどめおかれたということですよ。

話がそれるけれど、元老山縣有朋と田中義一が死んだときに陸軍の長州閥が実質的に解体する。そのとき長州閥の重しがとれると同時に、東北出身の、陸士陸大出の人たちが陸軍内部で急激に大きな勢力を作り出す。彼らが中心になって皇道派・統制派が形成されるんだけれど、彼らの主要な関心事は軍略じゃなくて、実は陸軍内部のポスト争いなんだよ。長州閥が独占していた軍上層部のポストが空いたので、それを狙った。

陸海軍大臣・参謀総長・軍令部長・教育総監といういわゆる「帷幄上奏権」をもつポストを抑えれば、統帥権をコントロールできる。政府より官僚よりも上に立って、日本を支配できる。そのキャリアパスが1930年代の陸軍内部に奇跡的に出現した。そこに賊軍出身の秀才軍人たちが雪崩れ込んで行った。

真崎甚三郎は佐賀、相沢三郎は仙台、ポスト争いで相沢に斬殺された永田鉄山は信州、統制派の東条英機は岩手、満州事変を起こした石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手。藩閥の恩恵に浴する立場になかった軍人たちが1930年代から一気に陸軍の前面に出てくる。

だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、東北人のルサンチマンが多少は関係していたかもしれないと僕は思う。結果的に近代日本を全部壊したわけだから。ある意味で大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、あそこまではいかないよ。戦争指導部は愚鈍だったと言われるけれど、僕はここまで組織的に思考停止するのは、強い心理的抑圧があったからじゃないかと思う。

一人ひとりは普通に、合理的に生きているつもりでいても、長いスパンで見ると、そういうふうにふるまわざるをえないような集団心理的な方向づけって、あるんだと思う。人形つかいに操られる人形のように動かされてしまう。

福島に原発ができ、六カ所村に再処理施設ができるのは、個別的に見ると、そのつどの政治判断とか自治体の都合とかがあって選ばれたように見えるけれど、そういう個別の選択とは違うレベルでは、もっと大きな歴史的な流れが見えてくるんじゃないかな。

東北の人たちは第二次世界大戦の少し前に上り詰めていって、で、第二次世界大戦が起きた後、またそこで排除されたんですか。
 
2.26事件とか5.15事件の関係者には東北諸藩の出身者が多いでしょ。

農本主義的なテロリズムには東北の怨念に通じるものがあるんじゃないかな。現に、故郷では親族が飢えているとか、身内が娼婦に売られるとか、そういうことが青年将校たちの場合はあった。

だから、都市ブルジョワジーが政治を壟断するのは許せない、と。そういう怒りがあったんだと思う。

青年将校たちが求めた社会資源の再分配というのは、ブルジョワジーが独占している資源を貧しい国民に還流せよという、一種社会主義的な匂いがあるわけです。日本軍国主義って、アーシーなの。地面に近いんです。だから、戦前の右翼思想って、一筋縄ではゆかない。

軍国主義者を輩出したという事実がまた、東北が戦後社会で無意識のうちに差別される理由の一つにもなったんじゃないかと僕は思う。東北の問題って、根が深いんですよ。


 参考 差別意識の一考察

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 鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたという。

 注:鬼塚英昭、大分県別府市出身、1933年生、中央大学中退。作家。ウィキペディアによれば、櫻井よしこ、板垣英憲、田原総一朗らとともに日本の陰謀論者リストに挙げられている。

 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。

 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別を調査させている。『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。 

「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」

 益田勝実は長州の国家老一族である。だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。『日本のいちばん醜い日』では、

「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)

 注:益田 勝実、山口県下関市出身、2010年86歳没。東京大学卒業、同大学大学院修了。法政大学教授、国文学者(古代文学)。説話研究や民俗学の視点を導入した研究で知られる。

 明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。

 鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別が多い。そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。

 源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。

だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。

 それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別に追い込んだ。おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。

その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系を作ったのではないか。田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。権力者が寺院を使って被差別を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。

 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。ということは大室家が平家ではないことを意味している。平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。

鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。

 注:安倍家の出自安倍日本首相の父親 『私は朝鮮人だ』

「私は朝鮮(人)だ」。日本の安倍晋三新首相の父親、安倍晋太郎(1991年死亡)元外相が普段からこのように言ったと、世界(セゲ)日報が日本の「週刊朝日」を引用して報道した。この週刊誌は10月6日付カバーストーリーで「安倍晋三研究-家政婦が見た安倍、岸3代」という見出しで安倍首相家門の内側を特集報道した。

岸と安倍の家門で家政婦として40年を過ごした久保ウメさん(80)は、週間朝日とのインタビューで安倍首相の父親、安倍元外相が告白した家庭の内部を比較的詳しく伝えた。

久保さんは「パパ(安倍元外相)は誰にも言えないことを私には言ってくれた」とし「(安倍元外相死去直後)入棺のとき、この人の骨格を見ながら本当に日本人の物ではないと思った」と説明した。それとともに「頭からつま先までまっすぐに横になっていたが、完全に韓国人の体形だ。(安倍元外相)自らも『私は朝鮮(人)だ』と言っていたが、この人は朝鮮人だと思った」と回顧した。また「(政治家として周辺に)人気が高く、もう少し元気に活動する時間があれば、北朝鮮問題も解決したと思う。安倍元外相の死は国の損害だった」と惜しんだ。

この雑誌は安倍元外相は生前に安倍家の起源は10世紀くらいまで韓半島北で中国大陸にかけて存在した渤海(パルヘ)国に始まったという考えを持っていたが、日本での安倍家の起源は明らかではないと報道した。安倍家の起源について久保さんは「安倍家の本流は青森県だ。安倍元外相が朝鮮だと言ったが、これは今の北朝鮮ではなく、その北と吉林省の下側にあった渤海」と「11世紀平安時代の武将だった安倍が今の安倍家の祖先と一致する」と説明した。

安倍晋三首相の母方の父である岸信介元首相も安倍首相を非常に惜しんだと付け加えた。 久保さんは安倍首相が生まれる前から東京の岸元首相の自宅で家政婦として過ごし、今はそこを出て東京に住んでいる。 1924年生まれの安倍元外相は毎日新聞記者時代の1956年当時、外相だった岸元首相の個人秘書となり、その娘の洋子さんと結婚、1991年5月、首相(自民党総裁)を目前にして病気で死去している。

  -2-
 現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。

安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。

 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人出身である。本名は朴茂徳である。鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。

東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。

 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。

 さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。

 こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。権力者どもにとっては同族だからだ。わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。

 こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が「日」なのかもしれない。

 「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、だから何がなんでも政権を維持して、祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、必死なのかもしれない。安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。

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 さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。

 これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。

 先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。

 明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。それを鬼塚氏は詳細に検証していく。そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)

 鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。

 貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。

 貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。中国か朝鮮であろう。朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。

 貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。

 今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。

 いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。 

 


[改憲パズル] 改憲バスに乗る前に(車掌の名前にきをつけよう)

2013-05-03 | Weblog

改憲バスに乗る前に

安倍首相は、念願の憲法改正に向けてテンションが高まっているらしい。外遊先でも、改憲を夏の参院選の争点にする意向を改めて示し、「まず国民投票法の宿題をやる。その後に96条から始めたい」と述べた。

第96条は、憲法改正の手続きを定めた条文。改正の発議のために必要な「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」を「過半数以上の賛成」にして、改正を容易にしようというのが、今回の改正の狙い。ただ、「96条から」との発言からも明らかなように、これはほんのとば口に過ぎない。では、ゴールはどこにあるのか。

自民党は、昨年4月に「日本国憲法改正草案」を決定している。マスメディアでは、この問題となると、第9条を書き換えて軍隊である「国防軍」を設置することばかりがクローズアップされがち。確かに、それは重要なテーマではあるが、自民党が目指すゴールは、そういうレベルの(と敢えて言うが)ものではない。まさに「革命」に匹敵するほどの価値観の変容を、国民に迫るものとなっている。

「個人の尊重」が消えて…

まず注目すべきは、「個人の尊重」の消滅。

日本国憲法第13条は、まず最初にこう書かれている。

〈すべて国民は、個人として尊重される〉

一人ひとりの「個人」が等しい価値の存在として尊重される。一人ひとりが、自らの生存と自由を守り幸福を追求していく権利を有する。その権利もまた等しく尊重されなければならないーーこれは、憲法の土台であり出発点であり、憲法全体を貫く価値観と言えるだろう。

これによって、立法その他の国政は、個人の人権を最大限に尊重しなければならない。人権と人権がぶつかり合う場合などは、「公共の福祉」の観点から調整し一部の権利が制限されることはある。だが、それは「個人」より「国家」が優先される、という類の発想とは本質的に異なっている。

 

ところが、「草案」ではこうなっている。

〈全て国民は、人として尊重される〉

国民は、一人ひとりの違いを認め合う「個人」として扱われるのではなく、包括的な「人」というくくりの中に汲み入れられる。違いよりも「人グループ」としての同質性に重きが置かれる。しかも、その人権には、「公益及び公の秩序に反しない限り」という条件がついた。ここには、明らかに「人権」より「公益及び公の秩序」、「個人」より「国家」を優先する発想がある。

「公益」や「公の秩序」に反すると認定されれば、「個人」の言論や思想の自由も認められないことになる。ツイッターやフェイスブックなどが普及した今、表現の自由は、多くの人にとって、情報の受け手としての「知る権利」だけでなく、発信者としての「言論の自由」に関わってくる。

戦前の大日本国憲法は、表現の自由に「法律ノ範囲内ニ於テ」という条件をつけていた。この旧憲法下で、様々な言論が制約され、弾圧が行われた。曖昧な「公益」「公の秩序」は、国家の方針やその時の状況によって、いくらでも恣意的な規制や制約ができそうだ。

表現の自由に限らず、「個人」より「国家」を尊重する。「人権」は「公益及び公の秩序」の下に置かれる。これが、自民党「草案」の基本。日本国憲法と似た体裁をとっているが、まったく別物であり、その価値観は天と地ほども違うと言わなければならない。

 

憲法が国民を縛る

憲法の役割も、180度変えてしまおうとする。現行憲法は国民の権利を謳い、平和主義を宣言し、国の統治機構を定めた後、こう締めくくっている。

〈第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。〉

 
 
憲法が縛るものは…

天皇陛下が即位直後に、「日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と誓われたのは、この条文を意識されてのことだろう。

憲法は、この条文によって、政治家が法律を作ったり、公務員などがそれを執行する時に、憲法で定めた国民の権利を侵害するようなことがないよう、釘を刺しているのだ。つまり、憲法は、国民を縛るのではなく、政治家や公務員らの行動を縛るために存在していると、ここで念押している、といえる。

では、自民党「草案」はどうか。

これに当たる条文のまず最初に、こう書かれている。

全て国民は、この憲法を尊重しなければならない

憲法を「国民」の言動を律するものに変えよう、というのである。

ちなみに大日本国憲法は、「臣民」が「憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フ」としていた。自民党「草案」は、この点でも明治憲法に先祖返りしている。

戦争ができる国に

そして、平和主義と安全保障の問題。

「草案」によれば、「国防軍」の活動範囲は、自衛のための活動のみならず、相当に広い。一応、「武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」としているが、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」ならOK。これによって、国連が武力行使容認決議を行っていない多国籍軍に参加し、戦闘行為、すなわち殺傷行為を行うことも可能となる。

また、「軍人」の職務実施に伴う罪や「国防軍」の機密に関する罪についての裁判は、「軍」内部に置いた「審判所」で裁く、とされる。いわゆる軍法会議の復活だろう。これについての問題点は、軍事ジャーナリスト田岡俊二さんの論稿に詳しい。

もう1つ見過ごされがちなのが、「草案」の第9章として新しく設けられた「緊急事態」。「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律に定める緊急事態」が起きた時に、内閣総理大臣が「緊急事態の宣言」をすることができる、とする。

とってつけたように「自然災害」が加えられているが、東日本大震災のような大規模な(しかも、原発事故を伴う)災害が起きても、日本では「公の秩序」が破壊されるような暴動など起きていない。法律や災害時の対応策をきちんと整備しておけば、憲法でわざわざ「緊急事態」の規定を置く必要はない。また、そのような「内乱」や「武力革命」が起きることも、日本では想定し難い。

要するに、「緊急事態」は戦争を想定した規定なのだ。現行憲法に規定がないのは、戦争をしないのが前提だから。9条の改変に加え、「緊急事態」の規定を入れることで、日本は戦争ができる国へと変貌する。

ひとたび「宣言」が出ると、内閣は強大な権限を持つ。法律と同じ効力を持つ政令を発することができる。つまり、国会抜きで国民の権利を制限することが可能。この「宣言」が発せられると、「何人も…国その他公の機関の指示に従わなければならない」とある。

まさに、総動員態勢で国民が総力を挙げて戦争に協力する態勢を作るための基礎を固めるのが、この「緊急事態」の規定と言える。

バスに乗る前に必要なこと

第96条改正の問題を考える時には、その先に、このような国家観、憲法観、人権などについての価値観が広がっていることを、まずは知っておく必要があるだろう。それを知ったうえで、自分の意見をまとめたい。

マスコミも改憲ありきの雰囲気になっているし、よく分からないけど96条だけなら変えてもいいかも…という人がいるかもしれない。でもそれは、行き先も確かめずにバスに飛び乗るようなもの。

バスに乗る前に、切符を買う前に、行き先と停まる停留所は確かめよう。

(文)江川 紹子ジャーナリスト

早稲田大学政治経済学部卒。神奈川新聞社会部記者を経てフリーランス。司法、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々。著書『人を助ける仕事』(小学館文庫)、『勇気ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)など。