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イスラム国人質事件検証 ”出し子”にされた安倍政権(あげくに同胞を見殺しに) 

2015-02-12 | Weblog

人質事件「日本政府に恥辱が目的」…IS機関誌

毎日新聞 2/12/2015

イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)のウェブ版英字機関誌「ダビク」の最新号が公開された。

ISは「安倍晋三(首相)は『イスラム国』と戦うために2億ドル(約240億円)の資金提供を表明した」と従来の一方的主張を展開した。

日本人の人質殺害について「傲慢な日本政府に恥をかかせるのが目的だった」などと述べた。

ダビク最新号は巻頭の2ページで日本人人質事件を特集し、殺害された千葉市出身の会社経営、湯川遥菜さん(42)と、仙台市出身のフリージャーナリストの後藤健二さん(47)の写真も掲載した。

IS活動地域の周辺国に対する非軍事分野での2億ドルの支援について、同誌は「ISとの戦いに使われるのは明白だ。思慮が浅く、傲慢な判断だ」との見解を示した。また「(支援表明前は)日本の標的としての優先順は低かったが、今や、あらゆる場所で標的になる」と脅した。

当初2億ドルの身代金を要求した点は「金には困っていないし、日本政府が2億ドルを支払わないことも分かっていた。第二次大戦後、西洋の奴隷になった日本政府に恥をかかせるのが目的だった」と説明した。

一方、ヨルダンに収監されていたIS前身組織メンバーと後藤さんとの交換交渉では、ヨルダンのイスラム教指導者、アブムハンマド・アルマクディーシ師が仲介役を務めたと明かし「ヨルダン政府が(ISに拘束されていた)ヨルダン軍パイロットを交換に含めようとして事態を複雑化させた」と指摘した。

アルマクディーシ師は当時ヨルダンで収監されていたが、事件後の今月5日に釈放された。師の側近は毎日新聞の取材に、交渉を仲介したことを認めていた。


参考:

読売世論調査:危険地域のテロ被害「責任は本人にある」83%l

安倍は人質救出に失敗し日本人同胞を見殺した。だが自らの責任を明らかにしようとはせずに、今となっては反論できない屍に責任を負わせる工作にでている。読売やフジ産経といった御用紙を使って、でっち上げた世論調査を公表させ、あたかも一般世論は人質の自己責任で一致しているかのように吹聴している。安倍は最低の人間だ。次の記事はよく書けているので一読されたい。管理人

「自己責任論」で中世に退行する日本

・吹き荒れる自己責任論

イスラム国(ISIS)が、ジャーナリストの後藤健二さんと湯川遥菜さんの二人を拘束し、法外な身代金を要求するという事態は、日本のみならず世界中に衝撃を与えている。

さらに1月25日、イスラム国が湯川春奈さんを殺害した事を仄めかす画像を、ネット上に公開した。

人命に関わる微妙な問題なので、書くべきか書かざるべきか、これまでギリギリに悩んでいたが、風雲急を告げる事件の性質上、やはり書かずにはいられない。

事件発生以来、やはりというべきか、2004年のイラク日本人人質事件の時と同様、拘束された二人に対し、主にネット上で「自己責任論」が沸き上がっているのは、ご承知のとおりだ。

簡単にいえばこの「自己責任論」というのは、「(人質となった二人は)危ない地域と承知で行ったのだから、何をされても自分が悪い」というもの。「身勝手な二人のために、例え身代金以外に掛かる諸々の費用であっても、税金の無駄ではないのか」という意見すら、ネットの中では散見される。正直言ってこんな風潮は世も末だと思う。

こういった「自己責任論」には、綺麗なまでに「同胞」という意識が欠如している。「同じ日本人同胞が、海外で危険に晒されている。同じ日本人なら、彼ら助けたい、と思うはずだ」という認識に従って、イスラム国の誘拐犯らは、動画の中で「君たち(日本人)が同胞を救助するために政府に圧力をかけるための残された時間は、72時間だ」と言った。

しかし、当の日本人から返ってきた少なくない反応は、「同胞」という意識を全く欠如した「自己責任論」。この反応は、イスラム国側も想定の範囲外だったのかもしれない。

・「動機が不純」は関係がない

遡ること、2004年のイラク日本人人質事件の際には、人質になった3人は、既に外務省から出されていた渡航自粛勧告を無視する形でイラクに入国し、拘束された。今回拘束された湯川さんも、内戦状態のシリアの深刻な状況を認識した上で、語学能力にも事欠く状況で渡航した、とされる。後藤さんは拘束前、「何が起こっても、自分の責任」というメッセージを残している。

今回、「危険を承知で」あえてイスラム国の近傍に渡航した二人に、全く何の落ち度もないのか、というと、特に湯川さんの方には、経験や知識という意味で問題がありそうだ。更に、渡航の動機も、「一旗揚げたい」「冒険したい」みたいな想いが、もしかするとあったのかもしれない。が、その「落ち度」と、「海外で生命の危険に晒されている同胞を国家が救助する」というのは、全く別の問題だ。

「動機が不純だから」とか「当人が危険性を予め承知していたから」などという理由で、「国外で危険に晒されている同胞を助ける必要はない」という結論に達するならば、これはもう「近代国家」の根底が崩壊することになる。

・近代国家と同胞意識

1871年(明治4年)、琉球・宮古島の船員69名を載せた輸送船が暴風雨で遭難し、台湾に漂着した。ところが漂着した台湾で、乗組員たちは台湾の原住民によってその内、54名が殺害されるという事件が起こった。激怒した明治政府は、西郷従道を総司令官として台湾に3,000名の討伐軍を送った。世に言う、「台湾出兵」である。

勿論、今回の誘拐事件は殺害を示唆する内容のもの(2015年1月24日現在、人質殺害の事実は公式に確定していない)で、明治4年の事件とは異なる。が、当時の明治国家が、宮古島の島民を「同胞」として見做し、これに対する危害は武力を以って報復する、という決意を示した出来事であった。

明治国家が台湾への野心を、偶然起こった遭難事件にかこつけて利用した事は明白である。私は「台湾出兵」を正当化するつもりは毛頭ないが、明治維新を経て「近代国家」としてその歩みを進める以上、国民国家=近代国家として、当時の日本政府が「同胞」をどう観ていたのか、その世界観の一端を示す事例に成るのではないか。

今風に言えば、「台風の危険性を予期できなかった宮古島の島民の自己責任」とでも言おうか。だが、明治時代にはそんな醜悪な「自己責任論」なんてものは存在しなかったのは、言うまでもない。

・中世のレベルに退行する同胞意識

「台湾出兵」から100年以上たった現在、近代国家の根本である「同胞」という価値観が全く欠如した「自己責任」を問う世論が、今回の事件を契機に特にインターネット界隈で盛んだ。

「(シリアに渡航した)動機が不純だから、国家は彼らを助ける必要がない」という自己責任論がまかり通るのなら、それはもう「鎖国という祖法を破って、海外に渡航する領民については、何をやっても幕府は捨て置く」という、江戸時代の日本の、中世の世界観と瓜二つである。

実際には、江戸幕府は、「祖法」を破って海外に渡航する日本人については、抜荷(密貿易)の事実がない限りはおおよそ黙認していたが、それと合わせて「出国」した日本人については、当地でどんな目にあおうが原則「黙殺」の態度を貫いていた。「国民国家」という意識の薄い、前近代の中世の国家にあっては、同胞意識は限りなく薄弱だった。「同じ日本人」という概念は限りなく薄いのが「国民国家」が形成される以前の、中世に於ける同胞意識だ。

だから例えば、戊辰戦争で薩摩の藩兵が会津で暴行陵虐の限りを尽くす、という悲劇が平気で起こる。「国民国家」以前の世界には、「同じ同胞の日本人」という意識がきわめて希薄なのだ。

「動機が不純だから、国家が保護する必要はない」という、今回の事件を契機にまたも沸き起こった「自己責任論」は、このような前近代の中世の世界観を彷彿とさせるものだ。

・なぜ同胞意識がなくなったのか

今回の誘拐事件で、「自己責任論」を高らかに言うのは、所謂「保守系」と目されるネット上の勢力が根強い。彼らの言い分は、「国家の税金によって、身勝手な連中を助ける必要はない」という意見に集約されている。

どれほど身勝手で不純な動機だろうと、同胞であるかぎり死力を尽くして助けるのが国民国家の原則であるのは、明治冒頭の台湾出兵の事実で明らかだっただろう。

「自分たちは働いて、まじめに納税しているのだから、”海外で無茶をする連中”を助ける必要など無い」

というのが、彼らの意見である。「納税者でないものは、人に非ず」とでも言いたげな、典型的な「強者」の理屈である。

国家に貢献しないものは、庇護する必要はない―。この考え方を突き詰めれば、例えば生活保護の受給者そのものを蔑視したり、社会的弱者を嘲笑する、という昨今のネット上の風習に行き着く。

ネット上で保守的な見解を表明するクラスタは、大都市部に住む中産階級が多い、というのは、私が実施した独自の調査によって明らかになりつつある。彼らは経済的にも社会的にも「強者」であるがゆえに、「自己責任論」を振りかざして憚りないが、自分がいつでも、不慮の事故や病気で「庇護される側」に回る可能性がある、という想像力を欠いている。

・「自己責任論」で中世に退行する日本

「自己責任論」で中世に退行する日本には、ネット上の保守派が最も重視するはずの「強い日本」とか「強固な国家」という「理想としての美しい日本」が、どんどんと遠ざかっているような気がするのは、気のせいだろうか。当然のことだが、「強い日本」とか「美しい日本」は、彼ら言う「家族のような同胞」の連帯を基礎としているからだ。「自己責任論」はそれに反し、同胞を同胞とも思わない、醜悪な前近代の世界観が支配しているように思える。

「動機が不純だから」という理由で、かけがえのない同胞の生命の危険を、ヘラヘラと見ているだけの日本人に、良心はあるのだろうか。いつから日本は、「国民国家」という近代国家の根本を排除した、「異形の近代国家」に変質してしまったのだろうか。

涙がでるほど、情けない。

 (文)古谷経衡 評論家/著述家 1982年北海道札幌市生まれ。著述家。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。立命館大学文学部史学科卒。インターネットと保守、マスコミ、アニメ評論などの分野で執筆活動、番組出演、講演会などを行なっている。主な著書に『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)、『ネット右翼の逆襲』(総和社)、『クールジャパンの嘘』(総和社)、『ヘイトスピーチとネット右翼』(オークラ出版・共著)など。