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[改憲] 反対の声 続々!!元特攻隊員 

2013-05-09 | Weblog

92歳、元特攻隊員 改憲の動き危惧

MAINICHI

 
「戦時中の日本は国家が国民を使い捨てにしていた」。元特攻隊員の岩井忠正さんは憲法改正で政府の力が再び強まるのを危惧する

 「96条を変えては、憲法の意味がなくなってしまう」。東京都小平市の岩井忠正さんは改憲の動きに憤りの声を上げる。92歳。戦時中は特攻隊員だった。

 父は元陸軍少将。しかし岩井さんが学生になるころには「軍人主義」「大和魂」といった精神論を「非合理的」と感じていたという。だが慶応大在学中の1943(昭和18)年に学徒出陣し、特攻隊を志願した。「どうせ死ぬなら美しく、と考えていました」

 今では考えられない、戦死を前提とした特攻兵器の訓練を受けた。人間が魚雷に乗って突撃する「回天」。潜水服を着て機雷付きの棒で敵船を突く「伏龍」。他の特攻隊員に「戦争は物理力のぶつかり合い。精神なんかで勝てるわけがない」と漏らしたことがある。「そんな話をするな」とたしなめた同僚も、数日後に「俺もそう思っているんだ」と告白した。4カ月後、彼は訓練中に事故死した。

 岩井さんは戦後、復学。新憲法の施行前、他の学生たちと「天皇制は残すべきか」「国民が主権者になるべきか」と議論した。その中で「戦前、戦中の経験を繰り返さないため、国民が憲法で国家権力を縛らないといけない」と学んだ。

 あれから65年以上。自由や民主主義は当たり前のものとなったようにみえる。だが、そもそも憲法はだれのためにあるのか、という国民の意識は希薄になっていないか。安倍内閣の憲法改正主導に危うさを感じる。「国民にとって一番嫌なことは戦争でしょう。96条が改正されれば、戦争放棄をうたった憲法を、権力者が都合よく変えることができるようになる。それは愚かなことじゃないですか」

参考

特攻隊戦没者慰霊祭:平和への誓い新たに 370人参列−都城 /宮崎

4/7 地方版

 第二次大戦末期に都城市の西、東の両陸軍飛行場から出撃した特攻隊員を追悼する戦没者慰霊祭が6日、同市都島町の慰霊碑前であった。遺族や市民ら約370人が参列し、白菊を供えて平和への誓いを新たにした。

 1945年4〜7月に特攻隊員85人、援護飛行隊員64人が飛び立ち、帰らぬ人となった。77年の慰霊碑建立以来、毎年、第1陣が出撃した6日に慰霊祭を営んでいる。

 奉賛会長の池田宜永市長が「戦争を二度と繰り返さないよう、平和への誓いを語り継ぎたい」とあいさつ。市立西中3年、池田真乃花(まのか)さん(14)が「『平和の花』を枯らさぬよう、世界中に広げていけるよう、戦争の悲しみと平和への感謝を伝え続ける」と「平和へのメッセージ」を述べた。

 生後6カ月で父を亡くした遺族代表、福岡市の宮田信之さん(68)が「アルバムでしか(父を)知らない。戦争は尊い人命を奪い、深い悲しみしか残さない。戦争のない世界をつくるべきだ」と訴えた。

宮崎特攻基地資料展:特攻隊員の史実知って 30回目の慰霊祭前に−−宮崎 /宮崎

3/25 地方版

 太平洋戦争末期、多くの若者が特攻隊員として宮崎市から出撃した史実を知ってもらおうと「宮崎特攻基地資料展」(宮崎特攻基地慰霊祭実行委主催)が24日、同市月見ケ丘の赤江公民館であった。

 特攻基地は現在の宮崎空港にあった「赤江飛行場宮崎海軍航空隊」。実行委によると、基地では1944年に特攻隊が編成され、陸海軍合わせて387人の隊員が飛び立った。

 毎年4月に営む慰霊祭が今年で30回目を迎えるため、資料展を企画した。出撃前の特攻隊員の集合写真や、遺書の写しなど約100点の資料を見ていた同市本郷南方の今井種郎さん(80)は「戦争を二度と起こさないため、特に子供たちに関心を持ってもらいたい」と話していた。

 慰霊祭は4月7日午前11時、空港ビル西の特攻基地慰霊碑前である。問い合わせは実行委0985・21・1754。

 


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