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[社会] iPS臨床報道、詐欺師なりの不運

2012-11-29 | Weblog
いまだ事件から1カ月しか経過していないのに、すでに完全に旧聞に属する感のある「iPS細胞移植詐欺」事件。いまさらこの問題にここで触れるのは、詐欺を働いた森口さんなる人物を袋叩きにしたいがためではありません。

彼のここ数年の栄枯盛衰、そこから透けて見える大学や学術行政の体質的な病に目を向けねば、と思ったのは、こんな報道を目にしたからでした。 

東大「一件やった」に疑問 [産経新聞10月16日]森口氏「証拠出せない」帰国後、聴取
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の世界初の臨床応用をしたと虚偽の発表をした日本人研究者、森口尚史(ひさし)氏(48)が15日、米国から帰国した。 

その後、所属先の東大病院から事情聴取を受け、「(当初の説明の6件の治療のうち)1件はやった。証明できる人は出てきてくれない。証拠が出せない以上、やったと言えないことが残念」と述べた。病院側はこの1件について「素直にそうだなとは思っていない」と疑問があるとの見方を示した。 

同病院によると、森口氏は15日午後に成田空港に到着した際、上司の東大助教に電話し、同日付での特任研究員の辞意を伝えた。しかし、聴取では、進退について「調査にきちんと協力した上で身の処し方を考えたい」と後退させ、迷っているのかとの質問にうなずいたという(後略)。 


この記事の中で、もしかすると多くの人にはピンとこないかもしれないある部分、しかし大学に関係した人であればオヤと思う一語が気になるのです。それはどこか? 

上司の東大助教」という何気ない表現に、どうしても引っかからざるを得ないのです。


*制度変更に翻弄される研究者たち

上の記事には「同病院(東大病院)によると、森口氏は15日午後に成田空港に到着した際、上司の東大助教に電話し、同日付での特任研究員の辞意を伝えた」とあります。

まあ、プロジェクトベースの「特任研究員」なのだから、その上に上司として助教、つまり以前の表現でいえば助手さんがいたとしても、それ自体は何も不思議なことではありません。 

しかし、ちょっと考えてみてください。この森口さんなる人物、しばらく前までは、特任だ何だと言っても、曲がりなりにも東京大学で教授やら助教授やらを務めていた人です。まあ大いに曲がりなりだったわけですが。 

それが(今回のように明らかな失態を犯した、というのではなく、それ以前の段階で、平時に起きた人事異動の結果として)「教授」職から、その下位に属する「准教授」(助教授を改称したもの)よりもさらに下位の「講師」よりもこれまたさらに下の「助手」現在は「助教」と呼びますが。この「助教」の下の研究員になっていた。で上司に当たる助教に進退の電話をした、というわけですね。 

森口さんのしたとされることに、何一つ同情の余地はありませんが、それ以前に発生しているこういう人事のもろもろは、詐欺と別の問題を大いにはらんでいます。今回はそれに注目してみましょう。 

極めて乱暴な喩えですが大学の「教授」は企業なら「課長」に当たる、なんて言われます。准教授なら課長補佐、講師が係長で助手は主任といったところでしょうか。

これで考えるなら、ちょっと前まで「特任課長」として一課を率いていた人が、いつのまにやら係長より下の主任を「上司」とするヒラに格下げされていた、ということになるわけですね。

で、こういうことがまま起こるのが、現在の大学法人の1つの現実である、というあたりに焦点を当ててみたいのです。 


*森口氏の典型的な栄枯盛衰

 前々回、自民党政権で国立大学法人が掲げた「産学連携」の看板を、民主党の政権奪取以降、政策が変わって降ろしていった経緯の一部を年表式にご紹介しました。

読者の皆さんからはツイッターなどで「露骨すぎませんか?」などコメントいただいたのですが、実はあまりに露骨な部分はまだ書いておらず、あれでも十分ソフトな部分だけを纏めたのが以下のものでした。 

2009(平成21)年9月 鳩山民主党内閣成立、国立大学「産学連携」の看板を下ろす
2010(平成22)年 森口氏、東京大学先端科学技術研究所特任教授の年限終了。東京大学医学部付属病院客員研究員(非常勤)に
2012(平成24)年10月 森口氏、iPS細胞移植詐欺で東京大学医学部付属病院を懲戒解雇

これをもっと詳細に記してみましょう。 

2009(平成21)年9月 鳩山民主党内閣成立
2010(平成22)年、森口氏、東大先端研特任教授の年限終了。東京大学医学部付属病院客員研究員(非常勤)、同先端研には無給の「研究交流員」として出入り
2012(平成24)年3月、東京大学医学部付属病院形成外科・美容外科 技術補佐員(非常勤)
2012(平成24)年9月、形成外科・美容外科の有期契約特任研究員となる(常勤) 
2012(平成24)年10月8日、山中伸哉博士にノーベル医学生理学賞授賞決定
2012(平成24)年10月11日、読売新聞がiPS細胞移植手術成功と朝刊夕刊で報道。深夜のマサチューセッツ総合病院を皮切りに、関係機関が次々と「論文」内容に疑義を示す発表
2012(平成24)年10月13日、読売新聞が「お詫び」記事を掲載、内容を撤回。 
ニューヨークで森口氏記者会見「勢いでウソをついてしまった」
2012(平成24)年10月19日、東京大学医学部付属病院を懲戒解雇 

こんなふうに時系列で見てみると、はっきり分かることがいくつかありますね。


*特任人事残酷物語

2002年、博士号も持たず、つまりまともな研究をオリジナルにまとめ大学から学位を得るという、理系一般ではスタート段階の免許取得にも等しいステップをクリアすることなく「修士号を持つ看護師」森口さんは東京大学の特任助教授として常勤の待遇で研究職に就いてしまいました。 

この背景には、当時の第1次小泉純一郎政権下、とりわけ経済財政担当相であった竹中平蔵氏(現慶応大学教授)の旗振りで進められた大学の産学連携、とりわけ知財に関する雑務があったと思われます。 

実際この当時、私自身東大内で全学広報委員という立場で産学連携のプロモートに少し携わっていましたので、内情が透けて見える気がします。 

教授職に相当する決裁が必要な諸事を、研究で忙しい多くのスタッフの手を煩わせず、関連雑務を器用にこなしてくれる人がいれば、大学人は大いに助かったはずで、博士の学位を持たない森口さんの常勤助教授採用というセッカチな人事には、間違いなく何か、関連の背景があったと思われます。 

そうでなければ、いかに特任とはいえドクターも持っていない人にポストが来るわけがありません。関係者の事務省力化など、何かしらのメリットがあったはずです。 

で、医師でもなければ博士研究者でもない「ミスター・アソシエイトプロフェッサー」森口さんが誕生します。38歳、関係財団の調査部長という安定したポストを投げ打って、1つの賭けに出たと言えるかもしれません。 

4年後の2006年には、男森口氏42歳の厄年にして「特任教授」に昇進します。 

が相変わらず博士は取得していない「ミスター・プロフェッサー」というのは、いま日本社会に多数存在する、博士号を取得しながら研究職を得られないポスト・ドクトリアルの人々から見れば、なんとも不条理と映るに違いありません。 

果たして2007年、厄明けの43歳でようやく博士号を取得した森口さんでしたが、ラッキーだったのはあと3年だけ、2010年に年季が明け、男46歳、契約が切れました、の一言で裸一貫、常勤の職を解かれます。 

このあたりが、米国っぽいアカデミックシステムを拙速に導入しやすいネオ・リベラリズム学術行政のお粗末なところで、海外なら腕のある人が職場をどんどん渡り歩いてキャリアアップしていくライフプランがデザインできますが、日本は決してそのようにはなっていないわけです。 

で、どういう経緯か分かりませんが、さすがに困るだろうという経過措置でもあるのでしょうか、間が開くことなく2年間、東大病院の客員研究員として口に糊することになった森口さん。 

46歳から48歳という専門人としては脂の乗った年配ですから、仕事ができる人ならいくらでも業績が上がったと思うのですが、どうやらそうではなかったらしい。2年のモラトリアムの後は形成外科・美容外科の技術補佐員という名目で非常勤のペイを手にすることになります。 

看護師資格を持つ森口さんだから、こういう救済策となった可能性が考えられます。とはいえ美容外科の技術補佐員といっても、美容整形で手術助手のナースを森口さんがしていたとは考えられない。

これで命脈をつないでもらった半年の間に、移植手術で使うのでしょうか、臓器の冷凍保存技術開発の名目で、期限付きとはいえ形成外科・美容外科の常勤研究員に昇格し、助教(助手)の下のポストでひとまずの安定を見ることになりました。 
これが、この9月のことにほかなりません。 

特任とはいえ、博士も取らずに38で助教授、42で教授と46まで過ごしてきた1人の男性が、契約期限が切れた、としてポストから放り出されてしまった。 

元来研究能力に著しく乏しいのだからアウトプットなど出せるわけもなく、とはいえ微妙に温情もあるのかと察せられる、病院関連の研究廊下での棲息を許される2年ほどの間に、今回演じて見せたようなトンでもない詐欺狂言を思いついたということなのだと思います。 


*森口氏の災難?

まあもちろん、この森口さんの場合は業績を出す能力に問題があったと思われ、そもそもの人事が疑われますけれど、そういうこと以前に、ごくごくまじめに研究し、優れた成果を出していた大学・研究所のリサーチャーが、有期の期限が尽きて仕事ができなくなる、というのは、実はいくらでもあることなのです。 

例えば、素粒子実験でバリバリ仕事していたけれど、年季が明けてポストが切れ、仕方なく銀行系のシンクタンクでコンピューターの管理をしている、というような人、私自身の理学部物理学科時代の知己だけでも瞬時で数人思い浮かびます。 

ちなみに、ここで森口氏と並べて出すのも変な話ですが、ノーベル賞をもらった直後の山中氏の、やたら考え尽くされた作為的な発言の数々(と思います)は、ほとんどすべて「いま期限付きで雇ってる人たちが、もうすぐ年季が切れると食えなくなるので、何とかしてくれ」という、200人からの所帯を食わせる中小企業スケールのグループトップとしての悲痛な叫び、と理解するとよいと思います。 

さらに山中氏の受賞直後の発言に対する大学内の反応には、大変に冷たいものもあり「iPSであれだけ集めたのに、ノーベル賞貰ったのをいいことに、あんなところで延長アピールしている。少しはこっちの分野に予算を回せってんだ」と吐き捨てるように言ったバイオ関係者の声も聞きました。 

きれいごとでは済まない、研究者の生活を支えるリアルさがここにあります。 

ともあれ、森口氏と山中氏、ニセものと本物という違いはありますが、学術行政や予算措置で振り回されざるを得ないという一点については、共通していることもしっかり見ておく必要があると思います。 

森口さんに同情するところはほぼ一切ありません。が、詐欺師なりに1つ、彼が不運だったかなと思うのは、山中教授のノーベル医学生理学賞受賞ではないかと思います。 

森口氏はもう少し前から、今回の詐欺狂言を準備していた様子です。ひょっとすると、広い研究世界の端っこの方で「iPS細胞移植に成功した・・・かも?」とか、ナンチャッテ発表でお茶を濁しつつあたりを見回して、小さな安定ポストの1つでも手にできれば十分だったのかもしれません。 

それが変に(?)新聞の1面などにも出てしまい、騒ぎが大きくなって引くに引けない数日を過ごし、哀れに沈没して終わった、といった観もあろうと思います。 

個人のお粗末な仕業は、まあそれとしましょう。ただ、そういう行動に出てしまうような背景となる学術行政の右往左往があることは、もっと社会に知って頂いていいことなのではないかと思うのです。 

(文)伊東 乾 Ken ITO作曲家、指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督、1965年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。若くして音楽家として高い評価を受けるが、並行して演奏中の脳血流測定などを駆使する音楽の科学的基礎研究を創始、それらに基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進している。


参考記事(1):iPS臨床報道、修正相次ぐ メディア各社、2012/10/12asahi

iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った日本人研究者らによる「世界初の成果」に疑義が生じた。一部メディア(読売)が報じたものの、日本人研究者の所属先とされた米国の大学は事実関係を全面的に否定。この研究者が肩書を偽っていた疑いまで浮上した。

 「事実関係を調査します」。読売新聞(いずれも東京本社最終版)は12日付夕刊の1面に、森口尚史氏(48)の研究をめぐる報道について、「内容に間違いがあれば、正さなければなりません」という同紙の見解を掲載し、取材過程を検証する方針を示
した。

 同紙が、森口氏の肩書を「米ハーバード大客員講師」と紹介し、「iPS細胞を使った世界初の臨床応用を行った」と1面トップで報じたのは11日付朝刊。iPS細胞から作った心筋細胞を患者に移植したという内容で、「夢の治療として世界がしのぎを削る臨床応用への動きが予想以上に早く進んでいる実態が浮き彫りになった」と位置づけている。同日付夕刊1面では森口氏のインタビューも掲載した。

 だが、ハーバード大は同日、森口氏の「客員講師」という肩書や、大学の研究への関与を否定する声明を出し、報道を打ち消した。

 読売新聞広報部の文書回答によると、同紙の記者は「事前に森口氏から論文草稿や細胞移植手術の動画とされる資料などの提供を受け、数時間に及ぶ直接取材を行った上で記事にした」という。同紙はこうした経緯を調査し、結果を公表するという。

 この「ニュース」をどう扱うか、報道機関によって対応は分かれた。一部のメディアは、読売新聞の報道を追いかけた。

 共同通信社は11日午前、「iPS細胞を使った移植手術を実施」との記事を配信。この記事をブロック紙や地方紙は11日夕刊で大きく扱った。北海道や河北新報、中日、中国、西日本、東京、京都、神戸の各紙は「iPS初の臨床応用」などの見出しで1面トップに採用。新潟日報や信濃毎日、山陽なども1面や社会面に掲載した。

 テレビ朝日は11日夕方のニュースで、森口氏側の主張を速報。同社広報担当は、「世間の注目を集めるニュースだから」とする。同社は12日、森口氏へのインタビューを放映し、「治療を証明するものが示されず、治療そのものがなかった可能性もある」と報道を修正した。

 一方、毎日新聞や日経新聞は掲載しなかった。毎日は、記者が事前に森口氏に取材したものの、「説明があいまいだった」(編集編成局幹部)ため見送った。日経も「慎重に判断した」(広報グループ)という。ただ、両紙は森口氏の過去の研究を記事化しており、経緯を検証するという。

 森口氏の名前は1990年代半ばから全国紙などに度々登場していた。森口氏が東京大先端科学技術センターの特任教授でなく
なった09年以降、「米ハーバード大」の肩書で、iPS細胞に関する研究成果が、読売や日経、毎日などで紹介され始めた。

 今年7月にも、がん患者の卵巣の一部を凍結保存して4年後に解凍して体外受精で妊娠に成功したと、読売新聞が報じた。科学誌ネイチャー・プロトコルズに発表したとしているが、同誌には未掲載で、実際に載ったのは同誌に関連したネットの情報交換欄。第三者による審査(査読)がない欄だった。


参考記事(2):「iPS臨床」森口氏、資格は看護師 肩書き・職場転々、2012/10/13asahi

iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った日本人研究者らによる「世界初の成果」に疑義が生じた。

 日本時間の12日午前。森口尚史氏は滞在先のニューヨークのホテルで、テレビ局など報道各社に囲まれていた。
 「(移植手術に)立ち会いました」「(移植を)証明する書類は、日本に帰ったら家にありますので」

 臨床研究の「成果」を強調する一方、移植手術時に米国にいたことを確認するために旅券を見せてほしいと問われ、言葉を詰まらせる姿がテレビで何度も放映された。

 森口氏は1993年に東京医科歯科大を卒業し、看護師の資格を取得。同大学院で保健学修士を取得した後、医療系の財団法人や、東大先端科学技術研究センター、東大病院を転々とした。医師ではなく、肩書は常勤・非常勤、客員・特任などとめまぐるしく変わった。

 センターにいた99~2010年のうち、常勤だったのは知的財産法が専門の特任助教授の4年間だけ。最後の1年間は雇用関係がない無給の交流研究員だった。当時の同僚は「森口さんは医療統計の専門家。実験している姿は見たことがない」。

 今回、臨床研究の共同研究者として名前を使われていたのも、センターの同僚だった。井原茂男特任教授は「森口氏は一生懸命でいつも新しいことを追求するタイプ。彼の口から何も聞いていないので、早く説明してほしい」と苦笑いを浮かべた。

 東大病院では、形成・美容外科の実験を手伝う非常勤の技術補佐員から、現在は常勤の「特任研究員」。特定の研究のために雇われる研究員で、研究代表者の権限だけで決められる。森口氏の場合は形成・美容外科の助教が決め、同科の上司たちは「森口氏の存在を知らない」としていた。東大病院広報は「現在、特任研究員が何人いるか不明」という。

 千葉県市川市の住宅街にあるアパート。森口氏は家賃6万円あまり、築数十年の1Kに十数年来、1人で暮らしているという。大家の70代女性は「もしウソをついていたなら、なぜすぐ分かるようなことをしたんだろう」といぶかった。

 数年前には「東大教授になりました」と聞いていた。えらい先生でもこんなところに住むんだ、と不思議に思った。そして、今回の騒動。「何かウソをつく必要があったのか。いろいろ考えると心が痛みます」





[思った時が人生、遅いことはない] ジャズピアニストへの転身留学、大江千里 52歳

2012-11-15 | Weblog
第2章としてジャズをやっていこうと

「格好悪いふられ方」「十人十色」などのヒット曲で知られる大江千里が、海を渡り4年半の修行を経てジャズピアニストに転身。7月末にアルバム「Boys Mature Slow」で全米デビュー、日本でも9月6日の52歳の誕生日に日本盤を発売。一線で活躍したシンガー・ソングライターのキャリアに区切りを打ったのか。時事通信の独占インタビューで胸中を語った。

 ―なぜジャズピアニストに?
 10代の頃に何度か勉強しようとトライしたが途中でつまずいた。ジャズの謎を解く力がなかった。その分、作詞、作曲も好きでずっとやってきたところ、デビューする幸運に恵まれた。もともと目の前のことに全力投球するタイプ。その幸運が来てから26~27年やり続けていた。
 シンガー・ソングライターとしてマイペースでやれる時期を迎えたが、くすぶっていたジャズに対する好奇心、その謎を解いていないというの気持ちがずっとあった。50歳までやってそれから第2章として、ジャズをやっていこうとも思っていた。ある時、東京でショーウインドーに映る自分の姿を見た時、どうも目に覇気がない。何の文句もない、とても自分らしく音楽ができる状況になっているにもかかわらず、本当にやりたいことを後回しにしているのではないだろうかと思った。

 ―ジャズとの出会いは?
 ポップスの作詞、作曲を始めた14~15歳頃。ウィントン・ケリーのアルバムを古レコード屋で見つけてきたり、サラ・ボーンらスタンダードを歌っている歌手のレコードや、アントニオ・カルロス・ジョビンを聞き始めた。どうしたらこういう響きになるのか、その謎がなかなか解けなかった。参考書を買ってみたが、難しかった。


憧れのジャズピアノ科へ

 ―ニューヨーク行きを決断した理由は?
 ニューヨークに以前住んでいた時、いつかここで学べたらいいという憧れの学校があった。音楽大学のジャズピアノ科。日本で調べて、ブルース、3拍子、バラード、リズムチェンジのテーマの中から選んで録音し、TOEFLの得点を送ったところ、入学許可の返事が届いた。マネージャーや周囲に話した時、僕の決意をよく理解してくれた。そこで引き留められていたら、迷っていたかもしれないし、葛藤があったかもしれない。天の声を聞いて、周りの人に告白したら、絶対やった方がいいと、誰も止めなかった。道が割れて、そっちに行くタイミングが僕の人生にあった。それに自分が気付いて、素直に従った。

 ―学校生活は?
 当時はジャズをポップな曲に取り入れ、自分はセンスがあるんじゃないかと高をくくっていた。しかし、オリエンテーションの初日に全く弾けないことが分かった。ラッキーが重なって入り込めたと思うが、いざ学校に入ると、全くできていないことにがくぜんとした。そこからのスタートだった。集団生活は基本的に得意ではなかった。先生と一対一ならいいけど、自分のスピード、興味に従って授業が進んでいくわけではない。こんなことやりたくないと思うことがあった。自尊心がうちひしがれ、心も折れた。合ってないんじゃないかと混乱した時期もあった。落第はしていないが、同期生は45人くらいのうち45番目だったと思っている。少しずつカメのように進み、やっとのことで卒業できたと自分では思っている。

 今は本当に来て良かったと思う。あのタイミングじゃないと、今ならもっと逡巡(しゅんじゅん)してしまうだろう。現在は51歳だけれども、この4年半くらいで体力面や精神面も年齢的に変化している。真剣に練習したことで、肩を壊し、手足がしびれ、弾けなくなり、苦い経験をした。20歳のクラスメートのように日々うまくなっていく速度は、自分にはないと自覚できた。


大江ジャズという形を模索

 ―卒業してどう思いますか?
 高い高い山のふもとで、この山は思ったよりも高いことに気が付いた。ただ、自分がやってきたポップスを消さなくてもいい。それはフォルテ(強み)であって、自分が作る大江千里の音楽に役立てない手はない。きっと僕が作ろうとしているファーストアルバムは、4年半の間に学んだことをベースに作っているが、僕が一番得意としたものをジャズとミックスさせ、大江千里ジャズという形の模索の中から生まれたものだ。

 ―得意とするものとは?
 僕はシンガーソングライターで、詞と曲を一緒に作る。言葉がメロディーに乗っている。心が震えた時にそれがメロディーになる。つまり、メロディーが心を表す言葉を持っている。これが僕の強い部分だと思う。技術的にこういう理論で、ここでこうだから、こういうメロディーが来るということにプラスして、音楽として一番大事にしてきた部分、それは音楽の中にある心の部分。一番響いている音を言葉として発する。インストルメンタルの中にはそういう言葉があると思う。声は最大の楽器だとは思う。それをインストにできれば。実際に先達のビル・エバンスとかレッド・ガーランドとか、オスカー・ピーターソンとか、それを成し得ている巨匠がたくさんいる。


ジャズ初心者にも楽しんでもらいたい

 ―アルバムのセールスポイントは?
 これまでのポップスのアルバム作りでは、切り口はいくつかある。一つの側面だけでなくバラエティーに富んでいる。今回は、ヒッチコックの映画の音楽をやっていたバーナード・ハーマンが好きで、その影響を受けた旋律をあえてラテンのリズムに乗せた曲を入れた。10代の頃に影響を受けていたアントニオのインスピレーションを受けた曲やラテンボサノバのもある。5拍子とか8分の6拍子が入れ代わり立ち代わり、くるくる変わる万華鏡のような曲もある。音楽が好きな人が入ってきやすい。願わくば、ジャズが好きな人も、あまり聞いたことがない初心者にも楽しんでもらいたい。

 ポップスの大江千里のファンには、ジャズ過ぎて結構モーダルな曲もある。どうだろうかと思っていたが、人に聴いてもらうと、すごくポップに聴こえると言われたりする。自覚しているのと誤差があり、きっと僕自身の持ち味なんだろう。自分が一番美しい。これが僕の美学なんだと、売れようが売れまいが関係ない。無心で作ってみた。いろんな人がいろんなリアクションをしてくれる。「インパクトとキャッチ・アンド・リリース、ギュッとつかんで放す」という飽きさせない作りにした。


日本人の謙虚さや配慮、それがフォルテ

 ―アルバムに込めた気持ちは?
 普段の生活の中で喜怒哀楽、何かが増幅して自分がアンバランスになった時、自分がばらばらになった時、音楽によって助けられることがある。自分も助けられ、音楽の力は無限に感じる。音楽が好きだという気持ちで無心で作った。

 ―米国で変わった部分は?
 日本と米国の良いところと悪いところの両方見えてきた。両方の良いところを知ることができたのはラッキーだ。日本人である僕がジャズの言語、発音などをマスターし、その言語を通じて日本人としての美しさをアメリカ人に伝えていければいい。
 日本人の謙虚さや配慮、人の気持ちを考える。食文化にもあるように微妙な味付け、引き出しの多さ。それが僕らのフォルテだと思う。一方、ジャズはアメリカ人の音楽。僕らがたどり着けない細かい部分の引き出し、すごい文化がある。謎を解くのは一生掛かる。4年半かかってこんなに高い山だと分かったくらいだ。それと同時に、自分が持っている日本という文化で培っていた、良いものは捨てる必要は全くない。

 ―レコーディングは?
 米国で何回かレコーディングをやっていた。それはマネージャーやコーディネーターがやり、アルバムを完成させ、日本に持って帰った。今回は自分でネットを調べて、友達の友達にギャラ交渉、スタジオの値段を聞き、候補を絞り込んで、関わる人やスタッフを固めていく。初めての経験だったが、最終的に一緒にできたミュージシャンやエンジニア、プロデューサー、みんな良かった。慎重にやりつつ、早めに曲を上げてアレンジし、コンピューターの中で音を作って仕上げた。


自分の美学の追究に人生使い切る

 ―来年はデビュー30年ですね?
 誕生日を祝ってもらうのが恥ずかしい。いつもと同じように謙虚にいたいのが本当の願い。だから、デビュー30年で祭り上げられて、みこしに上げられるのが恥ずかしい。今の時点では30周年で全国を回るなど一切考えていない。それだったら、良いものを作り、こつこつと売っていく、伝えていく。それが何よりも自分の30周年になる。イベント的なことよりも、クオリティーで勝負。ポップスの大江千里が好きな人を説き伏せていくのは至難の業。だけど、「なかなか今いい感じだよね」というところに向かって矢印を持っていけるように日々頑張る。体を大切に生きていることと、しゃにむに時間に費やすことが僕の30周年だと思う。それを見過ごさず、丁寧にこぼさずに地道にやっていきたい。

 ―音楽の謎はどうなりましたか?
 ドアを開くと10のドアがあり、その先にはさらに100のドアがある。日々謙虚にならざるを得ない。片や、ほんの少しずつ心地の良い部分もあり、それがある限りはやめてはいけない。いったん開いたドアを戻ってはいけない。いつも足りないパズルが「合わない合わない」、それがモチベーションでしょうね。

 ポップスや大掛かりなツアーやっている時、「今回のツアーで血尿出るまで走りますから。最高のツアーをやりますから」と言っていた。今はちょっと飲み過ぎると血尿が出る。本当に元気で、高い跳び箱は飛べないことは分かった。低くてもきれいに跳んで、自分なりの着地ができれば、そういう音楽もある。限られた時間の中で自分ができることを組み合わせて「美しい一つの玉を作らないと」。そう考えると、本当に腕を大事に、時間を大事に、具体的な謎を一個一個解き、トレーニングをして、身に付けて、そこから広がる具体的な次の課題を少しずつ増やしていくことになる。それと同時に、気持ちをオープンにして、ジャズに向かっているものの、どんな音楽も、映画音楽のような音楽も書くし、ポップスだって書く。すべてが、ある意味でジャズであり、ある意味でポップス。自分の好きな美学を追究するために残りの人生を使い切りたい。

(JIJIインタビュー:2012年7月、ジャズバー「Tomi Jazz」in NY)
http://www.jiji.com/jc/v4?id=senri12070001

ref:

大江千里、52歳。関西学院大学経済学部卒業。1960年に東京都板橋区成増生まれの大阪府藤井寺市育ち。3歳からクラシックピアノを習い、中学生のころには作詞・作曲も始める。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。2007年末までに45枚のシングルと18枚のオリジナルアルバムを発表。「十人十色」「あいたい」「格好悪いふられ方」「ありがとう」など。作詞・作曲・編曲家としても、松田聖子・光GENJI・渡辺美里、優木まおみらのアーティストに数多くの楽曲を提供又はプロデュース。2008年以降、音楽活動を休業しジャズの勉強に渡米しニューヨークにある音楽大学に入学し、20代の学生に混じって4年半の留学生活。




[晩節] 橋下のパシリ、石原慎太郎(反原発集会の自由制限)

2012-11-10 | Weblog
11日の1万人規模デモ中止、都が公園使用厳格化
日比谷公園、都がデモ制限 市民「集会の自由に反する」

東京都が、官庁街に隣接する日比谷公園をデモ行進に利用することに制限を加え始めた。反発する市民団体が、これまで通りの利用を認めるよう裁判に訴えている。

都が、対応を変えたのは今年8月から。従来、デモ隊は公園の一角に集まり、出発してきたが、都はこれを禁止し、集まる会場として園内の日比谷公会堂や大音楽堂を有料で借りるよう求めるようになった。

突然の変更に、市民団体側は「集会の自由を侵害する」と反発する。首相官邸前で抗議行動を続ける市民団体「首都圏反原発連合」(反原連)のメンバーは先月30日、都が公園内の一時使用を認めるよう、東京地裁に行政訴訟の一環である「仮の義務付け」を申し立てた。仮の義務付けは、時間が迫り、早急な判断が必要な時などに用いる、行政事件訴訟法の制度だ。


記事:2012/11/6 共同

「公園使用、高裁も認めず 脱原発デモめぐり」
東京高裁は5日、脱原発抗議行動の主催団体「首都圏反原発連合」が11日に予定しているデモをめぐり、東京・日比谷公園の使用を認めなかった東京都に対し、許可を仮に義務付けるよう求めた申し立てに対して、使用を認めない決定をした。東京地裁が却下したため、団体側が即時抗告していた。

市村陽典裁判長は「組織化された団体のデモではなく、一般市民に広く参加を呼び掛けており、人数をあらかじめ把握することは困難」と指摘。公園管理上の支障を理由とした不許可はやむを得ないとした。

 



記事:2012/11/6 東京新聞

日比谷公園の反原発デモ「制限」

東京都心の憩いの場・日比谷公園(千代田区)は、日本の民主主義と縁深いところだ。デモの集合場所にも使われてきたが、都は「管理上の支障」を理由に使用を制限し始めた。このため、11日に行われる官邸前や国会周辺などを占拠する反原発抗議の先陣を切るデモが中止の瀬戸際に立たされている。草の根の民主主義は大丈夫か。

◆民主主義原点 危うく


「この通路の広さで、公園利用者への支障はないはず。デモが出る霞門も、ほかのイベントとほぼ重ならない。警備でリスクがゼロというのはない。それなら、東京マラソンもできなくなる」


「『デモ』とは何か」の著者で高千穂大学の五野井郁夫准教授(国際政治)は、日比谷公園内にある幅10メートルほどの通路で手を広げながら訴えた。


公園は南西にかけて霞が関の官庁街に接し、敷地面積は16.2ヘクタールと東京ドームの3.5個分と広い。日比谷公会堂や野外音楽堂、図書館などがあり、週末は広場でさまざまなイベントが開かれてにぎわう。


11日の日曜日、「11・11反原発 1000000人大占拠」と銘打った大規模な抗議活動が、官邸前や国会周辺、官庁街で行われる。主催は3月から金曜日夜に官邸前で再稼働反などを訴える「首都圏反原発連合(反原連)」だ。全国に参加を呼び掛けている。


デモは抗議活動に先立って計画。午後1時、公園北側の健康広場周辺に集合し、西側の霞門から出発して7カ所の抗議エリアを埋めつくし、同7時まで原発ゼロを訴える予定だった。


反原連が10月26日、参加予定人数を1万人として、都東部公園緑地事務所に霞門に続く通路の使用を申請したところ、事務所は31日、「公園管理上の支障」を理由に許可しなかった。


これを不服として反原連は東京地裁に、都が使用許可を出すよう申し立てたが、地裁は今月2日、都側の主張を認めた上で「公園内の施設は使用の予約がされていて、公園の収容能力を超えている」などと却下した。即時抗告したが、5日、東京高裁は棄却した。


当日は、公会堂や音楽堂での集会のほか、菊花大会がある。大きな集客が予想される農業イベントも開かれるが、会場は東南側で競合しない。


反原連は3月と7月にもデモを行い、使用が認められていた。なぜ、都の対応は変わったのか。


都の鹿田哲也公園課長は「もともと、日比谷公園は来園者やイベントが多いことから、公会堂や音楽堂以外の場所でのデモや集会は許可していなかった」と説明する。


これまでは、公園の管理を委託する都公園協会が、デモ主催者に「一時使用届出書」を提出させていたことから、使用許可と誤解されたという。この仕組みは2010年から、始めていた。


鹿田課長は「7月のデモで図書館から入館できないとの苦情があり、8月から協会に使用方法を徹底するよう指導した」。つまり4時間で最大26万円の公会堂や音楽堂の使用料を支払わないと公園でデモはできないことを確認したわけだ。


反原発を訴える団体が9月、近くの東京電力本店へのデモを企画したものの、日比谷公園を使用できずに断念するなど影響が出始めている。


◆集会の自由 有料なのか


日比谷公園は日本の民主主義に大きな役割を果たしてきた場という。


1903年に開園。大正デモクラシーの運動をはじめ、戦前は人々の生活の不満を訴える場だった。戦後も安保闘争や原水爆禁止など多くの集会やデモ出発の場となり、いわば言論や表現の自由を体現する戦後民主主義にかかわってきた。


五野井准教授は「政治的な局面で、人々が何かをしようという時の舞台になった。都はデモ=暴力と思い込んでいる節がある。脱原発デモは警察と衝突するというような悲壮感漂うものではない」と都の対応を批判。


公会堂や音楽堂を使わないデモについては「都が黙認してきた不作為を棚に上げて、急にやめろというのは恣意的な感じがする。都の実務者も知らなかったことを、素人が知れというのはおかしい」と疑問を呈す。


自治体が管理・運営する公園や公共施設は、市民のために開かれた場所だ。地方自治法244条は「地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」と規定。集会や言論などの自由を定めた憲法21条と合わせ、市民がデモや集会を開く権利は広く保障されている。


今回のケースで、都の言い分が「正当な理由」に当たるかどうかだ。都は不許可の理由を「公園管理上、支障がある」「公会堂や音楽堂以外でのデモや集会は許可していない」と説明する。


これに対し、申立代理人を務める小島延夫弁護士は「健康広場と通路などで計約6千~7千人は入れる。あくまで集合場所なので、どんどん人は出ていく。他の利用者に危険を生じさせる可能性はない」と主張。「有料施設を使えばいいというのもおかしい。表現の自由は、施設を借りるお金がないと保障されないことになってしまう。公共施設は使用させるのが原則」と唱える。


裁判所は過去に公共施設の使用を認める判決を何度も出している。


日比谷公園の音楽堂の使用許可を取り消された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と幹部が、都を相手に損害賠償を求めた訴訟の判決で東京地裁は2009年、都の不法行為を認定。「憲法に基づく法秩序を擁護する義務を負い、集会の妨害者を規制し、阻止すべきだったのに、平穏に開催するのを禁止するのは本末転倒」とし約70万円を支払うよう命じた。


最高裁は95年、関西空港建設の反対集会に大阪府泉佐野市が市民会館を使わせなかったのは憲法の「集会の自由」に違反するかをめぐる訴訟の判決で、「公共の集会場の使用を拒否できるのは、人命、身体、財産が侵害されるなどの明白な危険がある場合に限られる」との判断を示した。


96年にも、福祉会館の使用を認めなかった埼玉県上尾市を労働組合が訴えた裁判で、「憲法の保障する集会の自由の不当な制限につながる恐れがある」と結論づけた。


日比谷公園が使えなかった場合、デモはどうするのか。反原連の申立人になった小泉岳義さん(39)は「中止の方向で検討する。都に屈して、別の場所からスタートする実績はつくりたくない」。その際は金曜日の官邸前の抗議行動と同じ形式で開催する見通しだ。


五野井准教授は有料施設とデモを絡めることに危機感を訴える。「金持ちが公会堂や音楽堂を押さえ続けたらどうするのか。貧乏人は公園を使って、デモができないということになる。貧しい人が、反貧困を訴えるデモをするときも使用料を取るのか。これは、民主主義の死を意味する」




ブログ:2012/11/2 田中龍作ジャーナル
http://tanakaryusaku.jp/2012/11/0005499
都が日比谷公園からのデモ出発を許可せず 危機に晒される「集会の自由」

[みんなの政治] 第3極小沢オリーブの木、本当の改革

2012-11-10 | Weblog

維新全1区擁立、小沢氏「民・自を利するだけ」

 新党「国民の生活が第一」の小沢代表は8日、岩手県一関市で記者会見し、次期衆院選で全都道府県の1区に公認候補を擁立するとした新党「日本維新の会」の方針について、「各党がそれぞれ勝手に候補者を立てて争っていては、自民党や民主党を利するだけになってしまう。本当の改革を求めるならば、志を持った者たちが協力するべきだ」と述べ、不快感をあらわにした。

 衆院岩手1区は、小沢氏が党首を務めた政党が一度も負けたことがない選挙区で、危機感を募らせてもいるようだ。

小沢氏はこの日、衆院岩手3区に擁立する新党「生活」の新人の公認候補予定者を発表した。民主党の黄川田徹復興副大臣への「刺客」候補となる。(読売)

[晩節]橋下のパシリ、石原慎太郎(核武装論)

2012-11-10 | Weblog
橋下氏、石原氏の核武装論に「あってはならぬ」

 新党「日本維新の会」代表の橋下徹大阪市長は8日、次期衆院選での連携協議を進める石原慎太郎・前東京都知事が月刊「文芸春秋」11月号で、尖閣諸島を巡り緊張が高まる中国に対抗するために、「最低限核兵器のシミュレーションが必要だと考える。強い抑止力としてはたらくはずだ」などと言及した点に、「考えることは大いに結構だ。

核を日本が持つかどうかを前提とするのではなく、安全保障で核の役割を考えるのは政治家としてやらなければいけない」と理解を示した。

 市役所で記者団の質問に答えた。ただ、石原氏の持論の核武装論には、「日本が置かれた状況下で、核保有を目指すと公言することは日本維新の会では、あってはならない」と述べ、否定的な見解を示した。

(読売11/9)

[晩節] 橋下のパシリ、石原慎太郎(連携勧誘)

2012-11-10 | Weblog
 新党結成を目指している石原慎太郎前東京都知事が8日、国会内でみんなの党の渡辺代表、「日本維新の会」の松野頼久国会議員団代表と個別に会談し、衆院選に向けた「大同団結」を呼びかけた。

 しかし、みんなの党と維新の会は、「石原新党」の母体となるたちあがれ日本に冷ややかで、「第3極」結集の見通しは立っていない。

 石原氏は渡辺氏との会談で、「強いしたたかな日本を作ろう」と連携を提案した。渡辺氏は、国政レベルでの協力に関しては即答を避け、石原氏の辞職に伴う都知事選(12月16日投開票)で石原氏と共同歩調をとる考えを示すにとどめた。

 渡辺氏は、「石原新党」との衆院選での連携論議は、慎重に進めようと考えている。みんなの党内に「たちあがれ日本は自民党の補完勢力だ。組むなら石原氏だけと組みたい」(幹部)といった声があるためだ。

 松野氏との会談では、石原氏は、「中央集権打破だけでも一致できる」と説いた。たちあがれ日本は原発推進なのに対し、維新の会は脱原発を掲げている。政策の細部を詰めると、連携が困難になるためだ。維新の会内にも、石原氏とだけの連携を望む声が多い。(読売)


Japan times,Friday, Nov. 9, 2012
[Hashimoto mulls teaming up with Ishihara's new party]:

Despite fundamental differences in policy and continued doubts about how voters would react, Osaka Mayor and Nippon Ishin no Kai (Japan Restoration Party) head Toru Hashimoto has indicated a tieup with former Tokyo Gov. Shintaro Ishihara might occur.

"I can't exclude the possibility" of a tieup, he told reporters Wednesday. Top Ishin no Kai officials and those from Tachiagare Nippon (Sunrise Party), which will form the core of Ishihara's party, are scheduled to meet Friday in Tokyo to try to work out an agreement.

Hashimoto's decision to consider a tieup with Ishihara's new party came after intense arguments between him and top party leaders, party officials said. Hashimoto has long insisted Tachiagare Nippon's policies are too different from Ishin no Kai for a tieup to work, and that he preferred a personal alliance with Ishihara in order to take advantage of his popularity.

However, Osaka Gov. Ichiro Matsui, who is Ishin no Kai's secretary general, and other party members, many of them former Liberal Democratic Party members who knew Tachiagare Nippon head Takeo Hiranuma when he was in the LDP, are more willing to work with him.

In recent weeks, as Nippon Ishin no Kai's initial popularity has waned, Matsui has quietly assumed a more influential role in the decision-making process.

Friday's meeting is expected to focus on a number of areas, including nuclear power, the Trans-Pacific Partnership free-trade agreement, and revising the Constitution. While Ishin no Kai's stated policy platform is fundamentally different from the views expressed by Ishihara and Hiranuma, Matsui and other Ishin no Kai members have personal views on these and other issues more in line with Tachiagare Nippon, leaving open the possibility of some sort of agreement.

[みんなの政治] 第3極小沢オリーブの木、川上から川下へ

2012-11-10 | Weblog

新党「国民の生活が第一」の小沢代表は9日、人口約1300人の愛知県豊根村を訪れ、軽トラックの荷台の上でマイクを握った。

 次期衆院選に向けた同党への支持を訴えた。

 「地域は日本の原風景で、日本人の心のふるさとだ。地域の創意工夫で、村おこし、町おこしをすることができる社会にしなければならない」

 小沢氏は約300人の聴衆を前にこう力説し、衆院選に向けて支持を呼びかけた。郡部など人口の少ない「川上」から遊説を始め、「川下」の都市部で支持のうねりを作る、小沢氏流の「川上戦略」を始動させた格好だ。

 小沢氏が目指す第3極の政治勢力の結集は思うように進んでいないこともあり、衆院選に向けて、川上戦略は、存在感を高める狙いもありそうだ。

(読売)

[大学連携] より日本教育の国際化と人材の育成推進

2012-11-10 | Weblog

国際教養大学・国際基督教大学・上智大学・立命館アジア太平洋大学・早稲田大学

グローバル5大学連携協定締結

 早稲田大学は、国際教養大学・国際基督教大学・上智大学・立命館アジア太平洋大学の4大学と連携協定を締結し、日本の高等教育のグローバル化を一層推進するために、グローバル人材育成に関する教育方法や学生支援体制に関する情報共有、共同教育やファカルティ・ディベロップメント、スタッフ・ディベロップメントの共同運用などを目指し、相互に協力連携を図ることを発表した。

 同協定は、2010年4月に締結した、国際教養大学・国際基督教大学・立命館アジア太平洋大学・本学の4大学協定に、今回新たに上智大学が加わることとなったため、5大学協定として締結する。

この5大学は、それぞれが国際的人材育成に関して長年の経験と高い実績評価を受けている、名実ともにわが国の教育の国際化をリードする大学・学部です。

5大学を代表して国際教養大学の中嶋学長が「5大学の実績を日本全体の高等教育モデルにしていきたい」と述べたように、今後この5大学が共に強い協力関係を持って、教育環境の整備や教育の質の向上を推進することが期待されます。

[国際人]日本人の内向き傾向、米国留学生減 

2012-11-10 | Weblog
 アメリカで学ぶ外国人留学生の数が、2010~11年に72万人を突破し、過去最高を記録した。米国際教育研究所(本部・ニューヨーク)の発表によると、出身国別では、中国(約16万人)、インド(約10万人)、韓国(約7万人)の上位3か国が他国を大きく引き離しており、豊かになったアジアの勢いを示す形となった。

 そんな中、日本からの学生数は低迷している。ここ数年は毎年2桁の減少率が続き、10~11年は7位の2万1290人と、1位だった1997~98年の約4万7000人の半数以下に落ち込んだ。

 「人と人との交流は、強固な日米関係の礎。日本の留学生のこの減り方は、心配です」。米国務省で東アジア・太平洋地域の国際交流を担当するジェニファー・スタウト次官補代理は、こう語る。

 日本人の「内向き」傾向の表れとの指摘もあるが、スタウト氏は、「国際経験や英語力を必ずしも評価しない日本企業の文化も背景にあるのではないか」と指摘する。対照的に、中国やインド、韓国の企業は留学組を競って採用しており、それが留学生の急増につながっているという。

 日米両国政府は4月、日本人留学生減少の問題に関する合同作業部会を設置し、来年9月をメドに報告書をまとめることで合意した。日本企業への啓発活動や、日本の大学への秋入学の導入などの改善策が検討される見通しだという。

 スタウト氏は、「国際経験は、企業や社会全体の競争力の向上につながる。日本からの留学生増加のため、できることをすべてやります」と、強調する。留学生数の低迷が、アジアでの長期的な日本の地位低下につながるとの懸念もアメリカにはあるようだ。(読売)

[日中友好]中国で最も有名な日本人(2)

2012-11-07 | Weblog

 華中師範大学の彭暁輝教授がこのほど、日本の元AV女優・紅音ほたるさんを「性科学概論」の講義に招きたいと発言したことが微博(ミニブログ)上で広まり、話題となっている。「武漢晩報」、「楚天金報」などが報じた。

 ▽学校側の認可が下りれば来月にも実現

 彭教授は記者の質問に「今はまだ計画の段階。学校側に申請は出したが、まだ回答をもらっていない」と笑いながら答えた。もし認可が降りれば早くて来月1日には紅音さんを講義に招くことができるという。

 彭教授は半年前、微博上で紅音さんと知り合った。彭教授は20年のキャリアを持つ性科学研究者であり、一方の紅音さんはHIV予防大使。2人はある意味で「同業者」と言える。紅音さんは今年3月、彭教授のもとを訪れる予定になっている。そこで彭教授はこの機会に紅音さんを「性科学概論」の講義に招き、学生たちとの交流を実現しようと思いついたという。

 ▽学生たちは大喜び、保護者は反対

 このニュースに華中師範大学の学生らは大盛り上がり。「事前に席を取らなければ」と宣言する学生が続出し、他校の学生からは「傍聴したい」とのコメントが寄せられた。「109年前の大学創立以来、最も多くの聴講者が出るのでは」との予測まで出ている。

 一方で保護者の多くは理解を示していない。大学1年の娘を持つ張さんは「いかなる理由であれ、AV女優を大学の講義に招くのは『風紀を損なう』行為。子供に悪い影響が出るのでは」と心配する。また、「やはり中国の伝統的文化を尊重するべきだ。AV女優を講義に招くなど知識人としてあるまじき行為。何といっても教室は神聖な場所だ」とする保護者もいる。

 

[国内移住]分譲、地価1平米120円

2012-11-07 | Weblog
北海道で「白菜並み」地価 1平米120円で分譲
 
日本の北海道にある小さな町・由仁町で、白菜並みの価格で土地が売り出されているというニュース。

 北海道札幌市から車で小一時間ほど走ったところにある由仁町は、町役場の公式ウェブサイト上に土地分譲に関する公告を掲載した。これによると、公共住宅を建設する予定だった土地の一角が8区画に分けて売り出される。1区画の面積は330平方メートル、売価は1平方メートルあたり120円。公告によると、今年が開町120年にあたるため、1平米120円という破格の価格で売り出したという。町役場の担当者によると、土地購入の申し込みは8月末に締め切られ、9月に抽選が行われるという。

 由仁町の「白菜並みの地価」に関するニュースは、多くの人の注目を集めた。ロイター通信の報道によると、現地の1平米あたり評価額は約7千円、今回の販売価格120円は、この評価額のわずか2%という。つまり、一区画を購入するには、元来約230万円かかるが、今回は4万円で買うことができる。

 330平米の土地価格がわずか4万円。地価が高い日本では、まるでタダ同然の値段だ。首都・東京の平均地価は1平米あたり30万9千円。東京で最もにぎわう銀座の商業一等地なら、1平米2150万円する。

 由仁町の土地売り出しに対して、購入に関する問い合わせがネット上に殺到した。しかし、残念なことに、同町は、購入申込を希望する人に厳しい条件を設けている。具体的には、▽年齢20歳から60歳までの、由仁町の町民ではない日本人または日本に永住権を持つ外国人▽保証金60万円を由仁町に支払う▽土地購入後3年以内に住宅の建設を完了し、居住する---など。

ref.:
北海道夕張郡由仁町役場 http://www.town.yuni.lg.jp/

[日中比較]日本の女子大生

2012-11-07 | Weblog
日本の女子大生 性産業に従事してなぜ恥ずかしくないの か

 少し前にテレビ番組である人が、「中国人女性が日本でAV撮影に参加していないか厳しく調べるべきだ。もし参加しているのであれば、『国の尊厳を激しく損なう』ことだ」と力説していた。

 もしこの言葉を日本人に置き換えてみるとおかしなことになる。日本のAV女優はほとんどが日本人なので、日本の尊厳は彼女たちによってすでに非常に深刻に損なわれてしまったことになるからだ。

 これぞ、中日の文化の違いからくる見方の違いだ。もし日本人にこのことについて話しても、彼らは理解できないだろう。日本のタレント飯島愛さんはかつて有名なAV女優だった。彼女のビデオは今でも販売されている。しかし、かつて一世を風靡したAV女優である飯島さんは、都知事選で柿沢弘治氏の応援に駆けつけたこともある。

 日本人にとって、性産業と関わりを持つことは確かに光栄なことではないが、恥ずかしいことでは絶対にないのだ。

 日本は伝統的に性に対して開放的だった。中国のような伝統的な貞操観はなく、江戸時代には道端で女性が体を洗うこともあった。そして現在、日本の主婦は夫が風俗店に足を運ぶことについて、ほとんどが「可もなく不可もなく」といった態度を示し、「仕事が大変だから息抜きも必要」、「仕事上の付き合いだから、理解できる」などとしている。これは別の国の人からすれば、理解できない。

 大阪には3軒ストリップ劇場があるが、日本政府は毎年ランダムに1軒を選び閉鎖させる。しかし翌年にはその店が再びオープンし、今度は別の1軒が閉鎖されるという。事情に詳しい人によれば、このような劇場のロビーには、バスローブを羽織っただけの若い女性がいて、様々なサービスを提供しているという。理解できない点は、これらの女性の多くが女子大生で、授業の合間にアルバイトとして働いているというのだ。彼女たちは翌日には平然と授業に出席し、論文を書いている。ここからもポルノ産業に対して寛容な日本の社会的雰囲気がわかる。


世界の多くの国では、ポルノ業界は社会に大きな問題をもたらしている。中でも結婚、家庭への打撃が深刻だ。日本でもこのような例はあるが、最も深刻なのは結婚・家庭面ではなく、青少年の道徳観の崩壊だ。AV撮影に参加すれば短時間で相当の収入が得られる。日本の女性の多くはこのような収入を得ることを嫌がらず、中にはハードな普通の仕事に就きたくない人もいるという。

 日本では不況により競争が激しくなり、売上も落ちている。AV業界も近年、極端に暴力的だったり、より変態的な作品を出さざるを得なくなった。社会道徳の崩壊が伺える。さらに、このような激しい競争によりAV女優から抗議の声が上がっている。彼女達は生計を維持するため、これまで拒否してきた変態的な作品を撮影しており、中には撮影中に幻覚剤などの薬物を服用して精神が崩壊する人まで出ているのに、収入は以前に及ばないという。

 近年、日本のAV女優たちによる抗議活動が後を絶たない。また関連の学術機関の統計によると、性産業の普及により日本の青少年の性の低年齢化は隣国よりもはるかに進んでいるが、多くの人が結婚には興味がないという。これは日本の少子化に影響する大きな公害と言われている。(編集SN)


[醜聞】]中国で最も有名な日本人(1)

2012-11-07 | Weblog

加藤嘉一氏、「東大合格はウソ」と謝罪


 「中国で最も有名な日本人」といわれる加藤嘉一氏が、自身のオフィシャルサイトで、「お詫びとご報告」と題する文章を投稿、「私が東京大学に合格・入学した事実はなく、私の過去の言動から皆様に誤解を与えてしまいましたことに、心より深くお詫び申し上げます。今後は、より正確な表記・表現に努めて参ります。そのお詫びと汚名返上に向けて、情報発信者としての責務を果たせるよう、より一層の活動をして参りたいと思います」と謝罪した。環球時報が伝えた。

 若干28歳の加藤氏は、北京大学で学び、中日問題について積極的な発言を行い、中国では「中国通の日本人」と評判が高く、日本でも「最も中国を良く知る日本人」と評価されている。日本の週刊誌が加藤氏の「経歴詐称」の数々を暴露したことで、彼に「嘘つき」「ペテン師」というレッテルが新たに追加された。加藤氏が中国で開設している「微博」(ミニブログ=中国版ツイッター)には、約160万人のフォロワーがいる。氏は、日本のオフィシャルサイトに謝罪文を掲載したことに続き、同日夜には中国のミニブログにも謝罪の文章を投稿した。

 発売された「週刊文春」紙上に、「『中国で一番有名な日本人』加藤嘉一氏に経歴詐称疑惑」と題するスクープ記事が掲載された。記事では、3ページにわたり、加藤氏の学歴や経歴の詐称が暴露されている。加藤氏は中国で、「自分は東京大学に合格あるいは入学したが、東大を蹴って北京大学に留学した」とあちこちで語っていた。例えば、2009年、中国国内メディアの取材に対して、「東大法学部を中退して中国にやって来た」と語った。また、2010年3月にインターネット番組「両会三人行」に出演した時、「私は東大に合格した」と公言している。同番組は、今でもネット上で視聴できる。ある香港メディアは2011年5月、「加藤氏は自分で、スポーツ特待生として東大に合格したと語っていた」と報じた。

 しかし、「1980年代生まれ」の日本人ノンフィクション作家・安田峰俊氏が加藤氏の母校の進路担当教員を取材したところ、これらとは異なる事実が判明した。この担当教員は、「2003年に同校から東大に入学したのは、理系の生徒2人だけだった。加藤君は当時、特進文系クラスに在籍していた。東大には合格していない」と述べた。

 文春の報道によると、東大のほか、加藤氏は以下4点の経歴にまつわる偽称をしていた。

(1)中国語の著書において「自分は日本政府派遣留学生である」と記述している一方、日本語の著書では、「自分の留学費用は全額中国教育部が負担した」と記していた。

 (2)2011年以降、中国語・日本語いずれの著書にも、「北京大学朝鮮半島研究センター研究員」という肩書を入れていた。しかし、今年5月に深センテレビ系インターネット番組「中国時刻」は、「北京大学にはこのような名称の研究部門は存在しない」と報じた。また、北京大学朝鮮語学科も10月31日、環球時報記者に対し、「同学科の朝鮮半島研究センターが加藤氏と共同で研究を行ったことは、過去に一度もない」と実証した。

 (3)中国語の著書「中国的邏輯(中国のロジック)」において、「慶応大学SFC研究所上席研究員」という肩書が掲載されているが、実際には、ただの訪問研究員だった。

 (4)中国語による自伝「従伊豆到北京有多遠」 (伊豆から北京まで、どれだけ遠いか)」に、小学校3年生の時、柔道を3カ月間だけ練習して全国大会に出場、ベスト4入りを果たした」という記述がある。また、日本語の自伝では、この記述は「半年間練習して出場し、ベスト8入りした」に変えられていた。

 文春の記事によると、取材中、何度も加藤氏の携帯に伝言を残し、ショートメッセージを送って事実確認を求めたが、彼からは何の返答もなかったという。

 実は、加藤氏の中国での経歴偽称については、彼の故郷・静岡県ではかなり前から噂になっていた。静岡県庁地域外交課の職員は、環球時報記者に対し、「静岡県がかつて、北京で物産展を開催する準備をしていた時、加藤氏を『イメージ大使』に起用するという案が出た。しかし、すぐに、『彼の中国での評価はまちましだし、経歴を偽っているという疑いもある』と発言した人がいたため、その案はボツとなった」と語った。

 加藤氏は、今年8月から、米ハーバード大学行政大学院・ケネディスクールに短期留学している。また、日本の雑誌に連載を持ち、BS朝日「いま世界は」特派員や日本経済新聞「The Nikkei Asian Review」コラムニストを担当している。 (編集KM)



[不安社会]人気子役はるかぜちゃんにネット殺害予告

2012-11-05 | Weblog

はるかぜちゃん「警察に通報」を後悔、「殺されそうになるまでがまんすればよかった」:

ツイッター上で殺害予告を受けた人気子役の「はるかぜちゃん」こと春名風花(11)さんが警察に通報したことを後悔している。2012年11月5日、自身のツイッターで「怖くて通報したけど、後悔してます。いつもみたいにがまんしていればよかった」とつぶやいた。通報したことで、子どもがネットをすることに対して批判を受けたためだ。

「通報したら批判されるのわかってたのにな…」

11月1日、春名さんはツイッター上に「はるかぜちゃんをナイフで滅多刺しにしてドラム缶にセメント詰めて殺したい」という書き込みを発見。春名さんは子どものネット使用規制が進むことを避けたいと通報することをためらっていたが、家族と相談し、11月2日、神奈川県警へ通報した。

通報後、春名さんには「ガキがTwitterなんてやるからこんな事になるんだよ」など、子どもがネットをすることに対して批判が殺到した。

「通報したら、おとなに頼らないとじぶんの身も守れない子どものくせにネットなんかするなって言われちゃうの、わかってたのにな」

と自身が危惧した通りの結果になってしまったことを悔やんでいる。また殺害予告は単なる中傷で過剰反応ではないかという声に、春名さんは「本当に殺されそうになるまで、がまんすればよかった」とツイートしている。

春名さんは

「加害者の人権が守られて、被害にあった側の落ち度を叩くこの国で、被害にあったと声をあげ助けを乞うことは、もう自殺行為じゃないのかな」

とツイート、ネット社会のあり方に疑問を呈している。

はるかぜちゃんが警察に届けたために批判されたことについては、乙武洋匡さん(36)が2012年11日2日、「『だから小学生にネットなんかやらせるから…』という感想を漏らしている人が多いことに驚く」とつぶやき、「『退場すべきは、いじめられた側』というわけか。これでは、いじめがはびこるわけだ」と、「街の声」に対する違和感を語っていた。



乙武さん「いじめがはびこるわけだ」 はるかぜちゃん「殺人予告」ネット上の声に違和感:


「はるかぜちゃん」こと人気子役の春名風花さん(11)がツイッター上で「殺人予告」を受けて通報した一連の事件について、作家の乙武洋匡さん(36)が2012年11日2日、ツイッターでコメントした。ネット上のはるかぜちゃんに対する批判的な声に違和感を表明しており、話題となっている。

「だから小学生に…」論に反応

11月1日、「はるかぜちゃんをナイフで滅多刺しにしてドラム缶にセメント詰めて殺したい」というツイートを発見したはるかぜちゃんは、ツイートを引用した上で「お客様の中におまわりさんはいらっしゃいますか」と投稿。「殺人予告」のユーザーに向け、事務所に連絡をすれば通報はしないと呼びかけたが、その後音沙汰もなかったようで、翌日18時すぎには「神奈川県警に届けおわりました」と報告している。

乙武さんがツイートで取り上げたのは、はるかぜちゃんの親が通報したことに対するネット上の声だ。この対応についてはツイッター上でも賛否両論があがっていたが、乙武さんは「『だから小学生にネットなんかやらせるから…』という感想を漏らしている人が多いことに驚く」とつぶやいた。「『退場すべきは、いじめられた側』というわけか。これでは、いじめがはびこるわけだ」と、「街の声」に対する違和感を語った。

乙武さんのツイートに対しては、「いじめる側が悪い。明確」「小学生にそんなことしか言えないやつにネットやらせるからではと思いますよね」といった反応が寄せられていた。

[メディア] 野田首相アルコール依存症か

2012-11-04 | Weblog

ゲンダイネットに、「こりゃヤバイ 野田首相アルコール依存症か」と題した記事がでている。最近の野田首相の答弁は、「ろれつ」がまわらない事が目立ちはじめたからという。

しかし、野田は、公約破りの不人気な民主党総裁とはいえ、日本の首相として、一国の主(あるじ)の責務にある。メディアが世間うけを狙って、芸能紙のように、面白・おかしく書くことにも問題がある。

最近、任期途中で都知事の職務を投げたし夜逃げしたヨボヨボ老人石原慎太郎よりは、矢面にたち踏ん張るだけ、責任感も根性もある。

いまや、日本で起ったことが瞬時に、世界中に伝わるネット時代。日本のメディアの書き方一つで、世界中にそのまま発信され、誤解をうむこともある。いつまでもチョンマゲをつけた江戸瓦版的なゴシップ屋から脱皮してみてはどうだろうか。



記事:「こりゃヤバイ 野田首相アルコール依存症か」

「やっぱり体が悪いのではないか」――。野田首相の“体調悪化”を指摘する声が急速に広がっている。顔はむくみ、表情は乏しく、目は真っ赤に充血しているからだ。

 とうとう、1日は、衆院本会議で答弁する時、ロレツがまわらなくなり、自分で右頬を強く叩いて言い直すありさま。みんなの党の渡辺喜美から原発事故の処理について聞かれ「困難を伴うことから、こと、こと、ことから」と言いよどんだ。
 それでなくても、大新聞にまで「覇気に欠ける」「燃え尽き症候群ではないか」と批判されたばかりだけに、一気に“異変”説が強まっている。

「もともと覇気のない男ですが、それでも消費増税法案が成立するまでは“命をかける”などと気合が入っていた。ところが、増税法案が成立した途端、気が抜けたのか別人のようになっている。次の目標が見つかればいいのでしょうが、何もない。時間だけが過ぎている状態です」(官邸事情通)

 ヤバイのは、この1、2カ月、酒の量が急増していることだ。根っからの酒好き、酒豪だが、支持率が下落するにつれて量が増えているという。しかも、公邸にこもり一人で飲んでいる。7、8月は計10回の夜会合があったが、9月はゼロ。10月もわずかに2回。首相は「SPに悪いから外出しない。吉野家にも行けない」と口にしているが、家で一人で飲めば際限がない。足らなくなると、神棚の酒にまで手を出しているらしい。これでは体調がおかしくなるのも当たり前。

 アルコールと心身の関係について詳しい「すずき病院」理事長の坂本博子医師が言う。

「嫌なことを忘れるために飲むのは最悪です。ストレスを解消するにしても、仲間と愚痴を言い合いながら楽しく飲むのならいいのですが、一人はよくない。量も増え、うつ状態になりかねない。酒の弱い人は肝臓や膵臓が弱まりますが、心配なのは、酒の強い人は肝臓の数値は正常でも、集中力や判断力が鈍る場合があることです」

 もはや首相はアルコール依存症に陥り、心身を病み始めているのではないか。即刻、酒も首相もやめさせるべきだ。