「アベノミクスの興奮」と「東北被災地の現状」の悲しき乖離
東日本大震災が発生から3年目を迎えた今年3月11日、筆者は最大の被災地となった石巻市の門脇町にいた。津波と大火の後、今も土色の荒れ野が広がる門脇町の浄土宗西光寺。喪服の遺族たちが本堂から次の間にあふれるほど参集し(およそ500人か)、「南無阿弥陀仏」の終わりない唱和、堂内がかすむほどの線香の中で、犠牲となった家族への祈りを捧げ続けた。「1年前は人が寺に入りきらず、本堂前の庭もいっぱいになった。それぞれに三回忌の法要をする遺族が増えたから、今年はこれでも減った方です」と、追悼の法要を終えた副住職は語った。
進む人口流出
大火で焼けこげたまま残る門脇小の校舎、今なお多くの墓石が倒れた境内など、あの日を生々しく伝える風景の中にも、灯りのともる家々が目立ってきた。門脇町の山寄りの一部地域は居住地域に色分けされ、半壊で残った家屋を直して住む人が増えたためだ。そこにも二重ローンなどの問題はある。移転先を模索する避難者は宮城、岩手、福島の被災3県で約30万人に上る。時が経つごとに選択に厳しさが増す3年目を迎えた。
「古里、去るか残るか 暮らし再建、見通せず」。震災から2年の現状と課題をまとめた河北新報1面の連載初回(3月1日)の見出しだ。その記事は、震災から2年を経た被災地の様々な側面を伝える。再建が進まぬ町での商売を断念し仙台に移った宮城県南三陸町の釣具店経営者は、「仙台なら新たな展望が開けるような気がする。一生懸命働き、仙台に家を買うのが夢」と語る。仮設住宅の夜の灯りが少しずつ減り、仮設商店街での再起を誓った仲間さえも他の土地に移っていくという宮古市の商店主の話。仮設住宅の住民を対象に最近、宮古市が行なった意向調査では48%が「住居は地区外に希望する」と答えた。宅地造成や災害公営住宅の完成は3-4年後。復興が進まない現状にしびれを切らし、地区を離れる人が増えているのだという。
被災地からの人口流出は進み、今年1月の被災3県の推計人口は、2011年3月と比べ、合わせて約11万人も減った。人口減少の大きい市町村を見ると、岩手県大槌町が20.00%減、陸前高田市が15.39%減、宮城県女川町が22.08%減、同県山元町が17.96%減、南三陸町が14.93%減など。一方で、宮城県の大和町、富谷町、利府町、そして仙台市青葉区・泉区など仙台都市圏は2-4%前後の人口増となった。
なぜ公示地価が上昇するのか
「公示地価 上昇率10位に被災県8地点」「宮城 宅地伸び率1位」。こんな意外な印象の記事が河北新報の1面、社会面に載ったのは3月22日。国土交通省が発表した全国の公示地価(調査・約2万6000地点)をめぐるニュースだった。8地点があるのは、石巻市、大槌町、いわき市。上記のような人口流出に悩む被災地の自治体で、なぜこうした現象が起きたのか。
全国トップの上昇率を記録したのが、石巻市の須江しらさぎ台。同3位が広渕町南一、4位が新栄、9位が蛇田新谷地前。いずれも、津波の浸水を免れた同市内の住宅地だ。須江しらさぎ台は12年3月の公示地価でも全国トップとなり、震災前まであった約150区画の8割が飛ぶように売れたという。それまで不振の販売状況が一変した住宅地が、市内に続出した。その流れは1年後も続き、人口減だけでなく会社、工場、小売店など事業所数も震災前から72.5%減となった大槌町でも、2地点が地価上昇率10位以内に入った(2位と5位)。
12年10月21日の河北新報の記事「東日本大震災 焦点/古里に戻らない」は、大槌町の状況をこう伝えている。「震災で1200人余りが死亡・行方不明となった大槌町の人口は、9月末現在で1万3101人。震災直前より2906人減り、人口減少率は18パーセントと県内で最も高い。震災後からことし9月末までの転出者は1967人に上る。住民票を移さずに町外へ移った人もいるとみられ、町を出た人はさらに膨らむ」。
その状況での地価上昇は、壊滅した中心部以外に平地が乏しい町で、津波を逃れた遊休地や農地に住宅新築や数戸規模の宅地化をする「ミニ開発」が活発になったため。高齢化が進む過疎の町で、それまで取引の動きもなかった土地が「あれば、すぐに売れる状態」(3月22日の記事中の不動産業者)となった。町は、土が流出した中心部の住宅地を大規模にかさ上げ(盛り土)する土地区画整理事業(人口1800人を見込む)に取り組むが、完了予定は4年後。同じ記事では「高齢者を抱える家庭ほど、仮設住宅ではなく自宅でみとりたいと考えている。もう待てないという人が多い」との事情を、農地を宅地開発に手放した農家の話が伝える。
いわき市では、いずれもニュータウンの泉もえぎ台が全国の6位、中央台鹿島が8位に入った。福島第1原発の事故によって被災地の福島県双葉郡などから計約2万5000人が市内に避難しており、住宅需要がにわかにひっ迫したことが理由と言えそうだ。
ミニバブルで資材・人件費が高騰
3月の公示地価では、東京、名古屋、大阪の3大都市圏で住宅地、商業地とも下げ止まりが鮮明になった。安倍新政権が打ち出した「アベノミクス」など世界的な金融緩和が大量の投資マネーを生み、不動産市場をも活性化させている――との解説記事が、やはり3月22日の河北新報に載った。石巻市で3度目の「3.11」を過ごした筆者はその翌日、講演を依頼されて名古屋経済界関係者の大きな催しを訪ね、大手不動産会社トップを話者に招いたセッションの盛況を目の当たりにした。その感想を正直に打ち明ければ、参加者たちが口々に景気回復とアベノミクスへの期待を語る渦中で、東北の被災地とのあまりの現実感の違い(別の世界のような)に愕然となった。
石巻市や気仙沼市、陸前高田市など多くの自治体では、高台などへの集団移転や大規模盛り土による土地区画整理事業が13年度に本格的に始まる。まちの再建手法や居住の可否の線引きをめぐる役所、住民の協議や対立、合意づくりの遅れなどでこれまでほぼ2年間を費やし、法律上は本来2年までが限度の仮設住宅の入居期限も、政府が窮余の策で2年間延長した。被災者たちが「待つ」間にも、移転候補地の地価が上がれば、被災した家の敷地を自治体に買い上げてもらう方法で資金を作るほかない被災者の元手は苦しくなり、また自治体の復興計画そのものにも影響は出てくる。
皮肉にも、金融緩和によるミニバブルの影響で建築・建設の資材、人件費が高騰し、労働力も被災地の外に吸い上げられ、筆者の取材先である南相馬市の被災農家は「家の新築を知り合いの大工に相談したら、2、3年先だな、と言われた」と語った。
宮城県では、入札不調も相次いでいる。県が発注した12年度の建設工事の一般競争入札で、落札者が決まらず不調に終わった割合は29%に達した。人手不足や資材単価高騰で受注できない建設業者が増えたためだ。被災地では、気仙沼地区が38%、石巻地区が32%に上った。
民間の工事でも同様だ。石巻市渡波の寺が被災地域の育児環境を再生しようと保育所建設を計画しているが、設計の段階から入札までの間に約3000万円も建設コストが増えた。「建設バブルが、復興の足を引っ張っている」と住職は嘆く。
仮設住宅で暮らす被災者の多くは年配者だ。新たな住宅新築のローンを組む余裕もない人は「公営住宅に入りたい」と希望する。自宅の自力再建が難しい被災者に自治体が安価で賃貸する災害公営住宅を15年度末までに約2万戸整備する――との工程表を、政府は3月にまとめた。それでも必要な戸数(3県で2万4400戸)には満たない。仮設住宅から移れず「待つ」時間は続き、都市機能や商圏、生活環境が戻らない古里にとどまる理由、帰還する理由も時間とともに薄れる。時間との闘いが続く。
(文)寺島英弥、河北新報編集委員。1957年福島県生れ。早稲田大学法学部卒。東北の人と暮らし、文化、歴史などをテーマに連載や地域キャンペーン企画に長く携わる。「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)、「時よ語れ 東北の20世紀」など。フルブライト奨学生として2002-03年、米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)。3.11以降、被災地における「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を更新中。