abc

news

小林よしのりの正論 自分にブレナイという勇気をもっこと 

2017-10-23 | Weblog

BEFORE:

山尾志桜里が必要な戦いが来る

2017/10/20

立憲民主党はもう完全に波に乗った状態なので安心しているが、問題は愛知7区である。
今日は午後3時に自宅を出て、山尾志桜里氏の応援に向かう。

なにしろあの地域、タクシーも通ってないんだ。
コンビニもないから週刊文春なんて買って読んでる人はほとんどいない。
不倫の決定的な写真なんて一枚もないということを知らない住民が圧倒的多数なのだ。

偏見を植えつけたのはテレビのワイドショーである。
本当にテレビは罪深い。
確実に日本のためになる政治家を潰してしまう。
週刊誌なども「お騒がせ議員」などと言って、暴言パワハラ議員なんかと一緒くたにしている。

立憲主義によって憲法改悪に歯止めをかけるためには、密談が必要なのは仕方がない。
わしもそうだが、山尾氏のような政治家は、何十時間でも、何百時間でも議論したくなるはずだ。
特に憲法の議論は難しい。

「ゴー宣道場」でやっても、一応倉持氏のプランを披露したところで終わったじゃないか。

この選挙後、自公で3分の2議席を取るだろうし、改憲の発議は確実になる。そのとき、ただ反対していれば、安倍の属国改憲案が国民投票にかけられる危機がやって来るだけなのだ。

山尾志桜里氏に「護憲的改憲案」でいいから、(わしは完全改憲を目指すが)とりあえずリベラル勢力も満足する権力統制の効く代替案で戦ってもらう必要がある。

ことは日本国の自主独立に関わる問題だ。

なのに、テレビが八つ墓村の土着因習を煽り立てる報道ばかりしたのは万死に値する。
テレビは姦通罪を復活させたいのだろうか?
だったらはっきり言って欲しい。姦通罪を復活せよ!と。 

愛知7区は姦通罪に負けてはならない。
山尾氏を決定的証拠もなしの疑惑のみで潰すのか?
愛知7区は独裁に加担するか、独裁と戦うか、二つに一つの選択しかない。
正義と自由を重んじる者は、山尾志桜里をもう一度国会に送り出せ!


AFTER:

すごくうまくいった選挙だった

2017/10/23

思った通りの選挙結果になった。
立憲民主党の大躍進、その風を受けた辻元清美の速めの当選、スキャンダルと無所属という圧倒的な不利を大逆転して辛勝した山尾志桜里、わしが直接応援演説に行って関わったのはこの3点だから100%成功した。

自民党が勝ちすぎたのは、今の野党の分裂状態から見て当然のことだ。
自民党を勝たせたのは小池百合子と前原誠司、この2名だ。
自民党はこの2名に大感謝しなければならない。 

多くの人々が枝野幸男をリベラルと思っているが、実は「真正保守」の核を持つ政治家だ。
保守とリベラルは対立概念ではない。
保守が守る伝統はバランス感覚であり、漸進的なシステムの改良を行うから、「改革」「革命」という言葉を嫌うはず。
自民党は「革命」という言葉まで使っているのだから左翼である。

立憲民主党はこの選挙で一度もこれらの言葉を使わなかった。
立憲民主党の「改革」「革命」の使用度がゼロというのは自覚的であるに違いない。
枝野幸男は保守の何たるかを知っている。 

いまだに護憲がリベラルと思っている馬鹿が多すぎる。
護憲か改憲かは消費税や原発と同じ政策の問題であって、保守とリベラルには何も関係がない。
保守の側に改憲がいても護憲がいても不思議じゃないし、リベラルだって改憲派はいくらでもいる。

今朝のモーニングショーを見ていたら、コメンテーターの玉川徹が「護憲」をイデオロギーとして信仰していて、政治状況の分析が無茶苦茶になっている。話にならん。

与党で3分の2を占めたら、たんなる「護憲」の連呼をしていても無駄だ。
改正案は発議され、国民投票にかけられる。
これが「改悪」にならぬためには、代案を示すしかない。
その能力が枝野幸男にはある。
リベラルも満足する「立憲主義」に基づく憲法改正案を出さねば、立憲民主党は社民党化して消滅する。

とりあえず民進党内の保守コンプレックスの政治家たちが希望の党に行って後悔したら、良い薬になるだろう。
自民党を保守と思っているような連中は馬鹿だ。
戻ってくるなら枝野幸男の伝統・常識・バランス感覚に根差した保守を学ばなければならない。

枝野氏は左に広げた翼に多くの宗教的護憲派を取りこんだがために、今後は苦労する局面が来るだろう。
だが、そこは熟議して突破するしかなかろう。
玉川徹のような宗教的護憲派は社民党か共産党を支持すればよろしい。
三浦瑠麗も護憲と一緒に日本のリベラルが終わるなどと屁みたいなことを言ってるようだが、なぜ枝野氏が新宿の集会に小林よしのりを呼んだのか、それを見抜けなければ政治を評論する資格もない。

しかし、山尾志桜里の当選会見で、いまだにプライベートな質問をする「八つ墓村」体質の馬鹿な記者に対して、山尾氏が毅然として「公」と「私」の切り分けを行なって、「私は公の政治家」だと宣言したのは立派だった。
これを言えるのは「公」の仕事の実績があるからだ。
他の不倫議員では説得力がなくなる。 

山尾志桜里は野蛮な偏見と罵倒を直接浴びながら、へこむこともなく、明るく元気に戦い抜いた。
本当にタフで知的な凄い政治家である。 

山尾志桜里を当選させた愛知7区の支援者や住民の皆さんには感謝する。ありがとう。


デーブ・スペクターの正論 選挙終わってから見せられてもどうしろと言うんですか?

2017-10-23 | Weblog

デーブ・スペクター、選挙特番に不満爆発「終わってから見せられてもどうしろと?」

10/23(月) 11:33配信

第48回衆院選の投開票が行われた2017年10月22日、テレビプロデューサーでタレントのデーブ・スペクターさんが「選挙特番」に不満をにじませた。

22日夜には各テレビ局が特別編成を組み、開票状況の速報や今後の政局について解説する番組を生放送。政治家に容赦なく迫ることで知られる「池上彰の総選挙ライブ」(テレビ東京)をはじめ、各局がさまざまな切り口で視聴率争いに臨んだ。

「全部アニメでいいです」とも

投票締め切りから約1時間後の21時前、デーブさんはツイッターで「600億円もかかった無駄な選挙して楽しそうに伝える特番に納得いかない」と投稿。特定の番組を指しているわけではないものの、伝え方に強い違和感を持ったようだ。

さらにデーブさんのテレビ局に対する不満は収まらず、今度は

「前に言いましたが、選挙終わってから候補や政党や支援団体のことを特番で見せられてもどうしろと言うんですか?遅いだろう!全く役に立たない」

とツイートし、

「メディアが公職選挙法の改正を大優先にしないなら開票特番やめて全部アニメでいいです」

と訴えた。

デーブさんといえばアメリカンジョークで政治に皮肉を飛ばすツイートでおなじみだが、今回に限っては最後に「オチはありません」と付け加えている。

なお「前に言いましたが」としているとおり、デーブさんは2016年の参院選の際にも一言一句同じ内容を投稿し、4万回以上リツイートされている。

今回においても同意する人々が多かったようで、ツイートは23日11時時点で3万回以上リツイートされ、大きな反響を呼んでいる。


開票結果 安倍よ、いい気になるなぁ モリ・カケはこれからだ(立憲民主党辻元清美氏 安倍を抜く爆速当確)

2017-10-23 | Weblog

辻元清美氏 爆速当確「森友、加計問題は終わらない」…引き続き安倍首相追及へ

第48回衆院選投開票が行われた22日、立憲民主党から出馬した辻元清美氏(57)=大阪10区=は、自身最速となる午後8時過ぎに、テレビ各局が当選確実を伝えた。

【写真】 ドヤ顔?満面の笑み?辻元清美氏に爆速当確

辻元氏は会見で「こんなに早く、初めて取らせていただいた。うれしいのと、責任が重いなという気持ちと両方」と思いをかみ締めた。

しかし一方で自民・公明両党が圧勝という開票経過について問われると「野党が分かれてしまったことで、少し(有権者の)気持ちが離れてしまった」と厳しい表情を浮かべた。ただ「(安倍晋三首相にまつわる)森友、加計学園問題はこれで終わりになるとは思っていない。引き続き追及する」と、7期目も引き続き“辻元節”で舌鋒(ぜっぽう)鋭く安倍首相に切り込んでいくことを宣言した。

これまでで最も早い当選確実にも「笑う気はしない。これからがより厳しい、しんどい道のりが待っている」と表情を引き締めた。

最後に「土井たか子さんに近づいたとは?」と問われると「まだまだ私は修行が足りません」と首を横に振った。


2017衆院選 安倍に告ぐ 新基地建設 「辺野古」是非(琉球新報)

2017-10-21 | Weblog

2016年の参院選沖縄選挙区は、辺野古新基地建設反対の候補が当選した。14年の知事選、衆院選に続き、名護市辺野古への移設計画に反対する民意が明確に示された。 しかし安倍晋三首相は、沖縄の民意を尊重せず「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を変えない。今回の衆院選は新基地建設の是非と同時に、沖縄の民意に耳を傾けず力で押し切る安倍首相の政治手法、政治姿勢も問われる。

 琉球新報は公示直前に県内8政党代表の座談会を実施した。辺野古の新基地建設について、自民党県連が「推移を見守る」、維新が「政治による解決が必要だ」としたのに対し、公明は「移設先は県外・国外」として辺野古移設に反対した。社民と共産、社大、自由の4党は「普天間飛行場の即時閉鎖」を掲げ、民進は「ゼロベースで見直すべきだ」と述べた。対立軸が浮き彫りになっている。

 共同通信が実施した衆院選立候補予定者の政策アンケート(948人)によると、普天間飛行場の名護市辺野古への移設については、賛成51・9%、反対41・5%と賛否が割れている。

 垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの県内配備の是非も問われる。

 普天間飛行場所属のオスプレイは、昨年12月に名護市安部、今年8月にオーストラリア東部の洋上で墜落した。伊江島、奄美、大分、石垣には緊急着陸している。オスプレイの事故は海兵隊の全航空機による事故の発生と比べて突出している。専門家が指摘するように、この機種は欠陥機である。

 琉球新報が9月に実施した世論調査で、68・7%が「配備をやめるべきだ」と答えた。オスプレイの安全性については72・7%が「危険だと思う」と回答した。8月のオーストラリア沖での墜落事故後、飛行自粛を求めた日本政府が短期間で飛行容認に転じた姿勢について8割が「評価しない」と回答している。

 政府が繰り返す沖縄の「負担軽減」は実態が伴わない。米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)のある地域で60デシベル以上の騒音回数の合計が、16年度は1万8934回に上ったことが沖縄防衛局と名護市の調査で分かった。14年度よりも約4割増えている。明白な負担増だ。

 今衆院選公示直後にCH53大型輸送ヘリコプターが東村の県道70号沿いの民間地に不時着し、炎上した。県民は危険と隣り合わせの生活を余儀なくされている。

 衆院選挙は「政権選択の選挙」といわれる。米軍の自由な訓練を容認し、不平等な地位協定の改定に積極的でない政権か、そうではない政権を選択するのかが問われる。


2017衆院選 安倍に告ぐ 日本は主権国家といえるのか? 米軍に「占領」されたヘリ墜落現場 (沖縄タイム)

2017-10-20 | Weblog

沖縄県東村高江で起きた海兵隊CH53大型輸送ヘリの不時着、炎上事故から見えてきたのは主権のひ弱さだった。

 周辺住民の不安をよそに同型機が住宅地上空を飛び、日本政府の自粛要請を米軍は無視した。沖縄県警は「航空危険行為処罰法」違反の疑いで現場検証を再三申し入れているが米軍は聞く耳を持たない。

 気の毒なのは地主だ。迷彩色のテントに海兵隊員が待機し、時折、残骸の周りを見回っている。何の法的根拠があって個人財産を米軍が期間未定のまま占拠できるのか。なぜ警察は現場検証さえ許されないのか。沖縄県も放射能汚染の調査をさせてほしいと申し入れているが、米軍は一顧だにしない。地主には損害賠償が支払われるかもしれないが、その請求書は日米地位協定に従い日本の納税者に回される。

 県警が捜査できない理由を外務省日米地位協定室に聞いてみた。日米地位協定に基づき設置されている日米合同委員会で合意した米軍機事故に対応するガイドランによるという。正式名称は「日本国内における合衆国軍の使用する施設・区域外での合衆国軍用航空機事故に関するガイドライン」。

 2005年4月に日米合同委員会で合意した。きっかけは04年8月に起きた沖縄国際大学でのヘリ墜落・炎上事故。普天間飛行場のフェンスを飛び越えて大学構内に押し寄せた海兵隊員が現場を占拠し、日本政府関係者の立ち入りを一切拒絶した。その対応が行き過ぎだと批判を集め、事故現場の保全・管理、情報交換など日米双方の役割分担をガイドラインで取り決めた。

 その結果が今回の高江の現場の軍事占領なので、ガイドラインはおそらく米軍に排他的な現場管理の根拠を与えたに過ぎないのだろう。合同委員会の構成は日本側が軍事に疎い官僚、米側は軍人たちなので、基本的に米側が同意しなければ何も決まらない仕組みだ。その中身は政治家にも知らされず、一切非公開の秘密会議で決められてしまった。

 ガイドラインによると、消火、救出などの初期対応が終了した後、現場は事故機を囲う内周規制線、周辺立ち入りを規制する外周規制線が設置される。事故機は米側が保全し、内周の管理は日米共同で行うこととした。立ち入りや交通規制を実施する外周規制は地元警察が担当する。内周規制の中に入るためには日米双方の責任者が合意すると定められており、日本側の立ち入り要請を米側は一方的に拒否することが可能な立て付けになっている。まさに沖国大の事故で批判された現場の米軍占領をルール化したような格好だ。

ただ今回は防衛省が自衛隊の専門家を現場に派遣している。おそらく米軍機事故の対応では初めての試みで、外務省もガイドラインによって日米共同の調査が実現したと評価する。自衛官の現場調査が事故現場の安全確認にとどまるだけなら、衆院選挙を意識した政治パフォーマンスに過ぎないとの不信を招く。自衛隊の関与が実効性のあるものなのか注視したい。

 現行の日米合意を駆使すれば日本側の事故機調査も可能なはずである。日米地位協定合意議事録(1960年1月19日)は航空機など米国所有財産の捜索、差し押さえ、検証は基地内外を問わず米側が行うこととしているが、米側が合意すれば日本も事故機などの捜索、差し押さえ、検証ができるとの規定がある。合意議事録、ガイドラインに明記された日本側の権利を行使するかどうかという単純な問題だ。

 関西大学の高作正博教授(憲法学)は「ガイドラインは現場封鎖の役割分担を決めているが、警察による現場検証を拒む根拠とするのは誤っているのではないか」と指摘する。日米地位協定には、犯罪について日米は証拠の収集、提出について、相互に援助しなければならない」と規定され、「相互援助」が求められている。県警は「航空危険行為処罰法」違反の容疑で捜査を行う必要がある。高作教授は「事故機の管理権が米国側にあるにせよ、日米間の合意上は日本の警察権についての制限はないと 解され、県警による検証を妨げる権限は米軍にはないはずだ」と今回の米側の対応に疑問を投げかける。

 おそらく欧州先進国は違った対応をとるだろう。米軍が駐留するイタリアは米軍機でも敢然と自国の警察権を行使する。

 1998年2月にアルプス山脈の渓谷で海兵隊の戦闘機が低空飛行訓練中にスキー場のケーブルを切断し、20人が死亡した事故で、イタリア軍警察は戦闘機を証拠物件として差し押さえた。米側は「合衆国の所有財産である」として返還を求めたがイタリアは「証拠物件だ」と主張し譲らなかった。地元の地方検察官はパイロットを事故翌日に事情聴取、イタリア軍警察はコックピットも調べ、事故発生時の飛行映像記録をパイロットが消去した事実を突き止めた。

 当時のイタリアのランベルト・ディーニ外務大臣は事故直後にマデレーン・オルブライト米国務長官に電話し、「あれは事故ではない。パイロットによる殺人事件だ。裁判権はイタリアが行使する」と激しく抗議した。そして外務省職員に自国で裁判するよう指示していたという。

 検察は米軍機のパイロットを20人の殺人、証拠隠滅の容疑で起訴した。しかし北大西洋条約機構(NATO)地位協定により、裁判権は米側にあるされ裁判所は訴えを受理しなかった。イタリアは自国で裁くことはできなかったにしても主権国家として法治主義を貫いた。

 イタリアも日本も同じ敗戦国だが、何が違うのだろうか。集団的自衛権を行使し、米軍とともに血を流して戦える対等な立場かどうかによる、と論じる専門家が多い。しかし安倍政権が従来の憲法解釈を曲げて集団的自衛権を行使できるよう閣議決定し、安保関連法制も整備したはずだが、米軍の態度は相変わらずで、日本政府の要求に耳を貸さない状態が続いている。

嘉手納飛行場でのパラシュート降下訓練、海外でのオスプレイ墜落事故後に飛行自粛を求める日本側の申し入れを米軍はことごとく無視している。そんな状況をみると、集団的自衛権といった同盟の中身と基地運用は別次元の問題だろうと考える。一般的に自衛隊はイタリア軍よりも戦闘能力は上だと評価されるので軍事力の問題でもない。おそらく両国の違いは外国軍基地を自国の管理下に置くという主権意識ではなかろうか。

 理論的には統治の全能である主権が先にあって国家が出現するといわれる。戦後日本は占領終了と同時に日米安保に組み込まれてしまったため、主権の一部が欠けた状態で戦後の歩みが始まった。それはよく指摘される日本人の依存的な性格にぴったり合致したのかもしれない。

 外国軍を受け入れるときに締結する地位協定は主権のぶつかり合いだ。日本のように領土・領空・領海の一部を排他的に外国軍へ提供する状態は占領下と紙一重だが、東京の上空にはいまも広大な米空軍管制空域が存在することでさえ日本人に屈辱感はないようだ。そして米軍基地と主権の問題に無頓着でいられるのは、国民の多くが基地問題に無関心でいられるのは遠い沖縄の問題だと考えているからではないだろうか。

 オスプレイが本土で低空飛行訓練する頻度が増えており、いつ何時、誰もが事故に巻き込まれるかもしれない。海兵隊員があなたの所有地を占拠し、警察さえ手出しできない状態を果たして容認できるだろうか。主権意識の弱さという戦後日本の病理が「オキナワ」という症状に現れている。病原根絶が先ではないか。
 


2017衆院選 安倍に告ぐ 東京一極集中是正/手詰まり感 かすむ地方再生(河北新報)

2017-10-20 | Weblog

安倍政権が「地方創生」を掲げて3年がたった。

 東京一極集中の是正、人口減少の克服を目指す看板政策に位置付けられてきたが、目立った成果は上がっていない。そればかりか、手詰まり感さえ漂う。

 もちろん、衆院選の各党公約には地方活性化策が並ぶ。与党は省庁地方移転の実証実験、地方が自由に使える一般財源の総額確保などを掲げる。野党も憲法改正で地方分権の考え方を明記することや、正社員を増やす企業への支援強化を打ち出した。

 だが、人口減少に歯止めを掛け、地方再生につながる処方箋は判然としない。地方の有権者がもどかしさを募らせる選択機会にしてはならない。各党の地方戦略の視点が問われている。

 地方の未来を展望するとき、政治がまず手を付けるべきは、東京一極集中の是正に尽きることは言うまでもない。現状を確認しておきたい。

 安倍政権は2014年、転入者の数が転出者を大幅に上回る東京圏(東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県)の「転入超過」を20年に解消する戦略を決定した。

 13年の東京圏への転入者は約46万6千人。転出者は約37万人で約9万6千人の転入超過だった。戦略はこれを起点に転入者を6万人減らし、転出者を4万人増やすと明記。20年に転出入とも41万人で均衡させることを掲げた。

 現実は目標に遠く及ばない。16年の転入超過は約11万7868人。15年より約1489人減ったものの、転入超過は21年連続となった。

 湾岸部では20年東京五輪・パラリンピック関連の再開発が進んでおり、転入超過が再び拡大すると予測されている。目標は修正が避けられず、「絵に描いた餅」と指摘されても仕方あるまい。

 起爆剤として期待された政府機関の地方移転も、掛け声倒れに終わった感が否めない。地方側は観光庁や中小企業庁、気象庁などの移転を要望したが、決まったのは京都に全面的に移る文化庁だけ。背景に官僚らの「東京中心主義」があるのは明らかだ。

 全国知事会は公示前、与野党8党の選挙公約を採点した。地方税財源の充実、地方創生の推進、人口減少局面の打開など知事会が要望した10項目の政策が、どの程度反映されたかを評価した。

 安倍政権の重点政策に関する項目もあり、与党への評価が高い傾向がみられたが、人口減少対策や働き方改革では与野党の評価が拮抗(きっこう)した。ただ、各党が地方創生で論戦を交わす場面は少なく、他の争点の陰でかすみがちだ。

 選挙戦は最終盤に入る。東北の候補者一人一人に望みたい。党の地方政策をリードする気概を持ち、東京一極集中の打破と地域再生の道筋を示してほしい。政治の力が発揮されなければ、「地方創生」はうつろに響くだけだ。


2017衆院選 安倍に告ぐ 北方領土問題 帰属協議の道筋を語れ (北海道新聞)

2017-10-20 | Weblog

衆院選の論戦で、外交の大きな懸案を巡る議論が低調だ。北方領土問題と、その進展に向けた対ロ外交のあり方である。

 安倍晋三首相はプーチン大統領と19回もの会談を重ねてきたが、肝心の島の帰属の問題で目立った進展はない。

 四島での共同経済活動の前提となる日本の法的立場を害さない「特別な制度」も実像が見えない。

 交渉を「島の帰属の確認」という本道に、どう引き戻すのか。

 日ロ両国はきのう、1956年の日ソ共同宣言による国交回復から61年を迎えた。交渉を前進に導く道筋を、各党に問いたい。

 「北方領土、竹島、尖閣諸島の領土・主権に係る第三者機関を設置し(略)客観的事実を世界に広く示します」。自民党の公約は、こう記すにとどめた。

 昨年の参院選では、公約集の4ページ目に日ロ首脳会談の写真を掲げ「ロシアとの平和条約締結交渉を本格化」とうたっていた。

 当時、膨らんでいた交渉進展への期待はその後、ロシア側の態度硬化で一気にしぼんだ。公約の変化はこの後退を反映したものだ。

 首相が強調してきた「首脳間の信頼関係」が、領土交渉に結びつかないのはなぜなのか。選挙戦で納得いく説明が求められる。

 主要野党の公約も、この問題の記述は限定的だ。希望の党は「北方領土返還を目指し」と触れるにとどめた。立憲民主党の公約には北方領土問題への言及はない。

 政権を目指す以上、党としての見解が問われる論点だ。

 北方領土問題と対ロ外交は、選挙戦の焦点となっている北朝鮮情勢とも無縁ではない。

 各党の公約には、北朝鮮の脅威の抑制に向け、ロシアなど各国との連携をうたう文言が目立つ。経済制裁で足並みをそろえ、外交的な手段で北朝鮮を対話の場に引き出す方向ならば、理解できる。

 だが、日本政府の対応はこれまで、米軍との共同演習など、圧力の強化に傾斜してきた。

 一方、ロシアにとって北朝鮮は米国との間の軍事的な緩衝地帯としての意味を持つ。北朝鮮を口では非難しても、日米主導の包囲網に同調しないのはそのためだ。

 日米が軍事的一体化を強めれば中ロとの対立が先鋭化し、外交的解決は遠のくだろう。それは北方領土交渉にも悪影響を与えよう。

 その意味でも私たち有権者は、各党の外交姿勢を、冷静に見極めねばならない。


2017衆院選 安倍に告ぐ 対北朝鮮政策 衝突させない外交を(東京新聞)

2017-10-20 | Weblog

安倍晋三首相は今回の衆院選挙で、対北朝鮮政策を主要な争点として挙げたが、圧力強化を前面に押し出す姿勢が目立つ。緊張が高まっている時期だからこそ、衝突させない外交が求められる。

 安倍首相は各地で行っている応援演説の中で、最初に北朝鮮を巡る情勢に触れ、一定の時間を割いている。

 「この選挙は北朝鮮の脅威に対して、いかにして国民の命と幸せな暮らしを守り抜くのか、それを問う選挙です」「北朝鮮は、話し合いを時間稼ぎに使っている」「脅しに屈してはならない」とも述べた。自らの北朝鮮政策に対して、国民の信を問いたい、という意気込みの表れなのだろう。

 もちろん北朝鮮による弾道ミサイルの発射や核実験は、日本への直接の脅威だ。国連安全保障理事会の制裁決議に対する明白な違反でもあり、許されない。

 しかし、こういった状況が「国難」(安倍首相)というのなら、なぜ解散に踏み切って、わざわざ政治的空白を生んだのか。この疑問は、投票日を目前にしている今も、消えていない。

 もうひとつは、首相が危機を繰り返し強調する、本当の狙いだ。米国との太いパイプや、二〇一五年に成立させた安全保障関連法の必要性をアピールしたいのではないか。

 集団的自衛権の行使容認や米軍支援拡大を盛り込んだ安保法には、「違憲立法」との批判が強い。

 各党は北朝鮮問題について、「国際社会と連携し、制裁の厳密な実施」(希望の党)、「国際社会と連携して圧力強化」(立憲民主党)、「対話による平和解決」(共産党)と、それぞれ求めているが、大きな争点になっているとは言い難い。

 安倍首相の土俵に乗って選挙戦を進めたくないという、各党の警戒感も影響しているようだ。

 一方、安倍首相の発言には「危機をあおっている」という批判が絶えない。このためか首相は最近、「紛争などは決して望んでいない。圧力は北朝鮮の政策を変えさせるためで、勤勉な労働力や地下資源を生かせば明るい未来がある」とも説明している。

 北朝鮮への対応は、選挙後も続く課題だ。十一月に行われるトランプ米大統領の来日時にも、最優先で話し合われるだろう。首相が言うとおり、誰も衝突は望んでいない。外交的な打開策を、今後も粘り強く探るべきだ。


2017衆院選 安倍に告ぐ 加計・森友学園問題 解明せねば政治の信頼失われる(愛媛新聞)

2017-10-20 | Weblog

約束を守る政治家か政党かどうかを見極めなければならない

今回の衆院解散には、多くの国民が今も疑問を感じているはずだ。加計・森友学園問題で、安倍晋三首相は「真摯(しんし)に説明責任を果たす」と言ったにもかかわらず、臨時国会で審議もせず冒頭解散した。問題の核心は、首相や周辺の人々と近しい人物が優遇され、公平公正な行政がゆがめられたのではないかという点にある。民主主義の根幹が問われており、疑惑は必ず解明されなければならない。

 今治市への獣医学部新設の事業者に決まった加計学園は、首相の「腹心の友」が理事長を務める。新設を巡る省庁の文書に「総理の意向」「官邸の最高レベルが言っている」との記載があり、官邸や官僚が首相の意向を忖度(そんたく)し「『加計ありき』で手続きが進んだのではないか」との疑いが噴出した。

 疑惑は、獣医師確保や新学部の必要性とは分けて考える必要がある。首相は、事業者決定に「私が関与したという人は一人もいない」と強調するが、関与が疑われる議員や官僚は「記録も、記憶もない」を繰り返すだけ。記録を示さないことには、説得力を持ち得ない。関係記録を残す今治市や愛媛県も、疑惑を抱えたままの開学を避けるために、また行政の透明化を図る観点からも、自ら記録を公開する責務がある。

 首相は「選挙はまさに民主主義における最大の論戦の場だ」と言いつつ、選挙戦では問題にほとんど触れていない。本紙の県内候補14人へのアンケートでは、獣医学部新設決定のプロセスに関して「透明」「不透明」「その他」から回答を求めたところ、「透明」はゼロ。自民党は4人とも「その他」とし「政府説明が国民の誤解や不信を招いた」「丁寧に説明を尽くすべきだ」などと指摘した。身内からすら出る疑問や注文を、首相は重く受け止める必要がある。

 野党は「獣医学部設置に関する情報は全て公開」「国政調査権を使った真相究明を求める」と公約に掲げる。政府が隠す疑惑の解明に、全力を挙げなければならない。野党の存在意義も問われている。

 国有地が格安で売却された森友学園問題では、財務省局長は「売却価格は適正」と強弁し、交渉記録の文書を求められると「破棄した」と突っぱねた。学園が開設する予定だった小学校名誉校長には、首相夫人が一時就任しており、加計学園と同様に政治の強い関与が疑われる。首相がなすべきは、行政府のトップとして、関連資料を財務省に出させることだ。

 首相は、疑惑に「信なくば立たず」「李下に冠を正さず」との言葉を引き反省の意を示したが、実行しているとは到底言えない。9月の共同通信世論調査でも、79%が政府の説明に納得していないと答えた。信頼は、全ての政治家が最も重視すべき資質である。有権者は聞こえのいい訴えだけではなく、約束を守る政治家か、政党かどうかを見極めなければならない。


2017衆院選 18歳の政権選択 棄権は何も変えられない(高知新聞)

2017-10-20 | Weblog

 明治時代から数えて48回目の今回衆院選は、18、19歳の未成年が初めて政権を選ぶ選挙になる。
 どういう国になってほしいか。将来の暮らしや地域の安心、安全をどう描くか。それぞれ考えを巡らせ、1票を投じてほしい。

 昨年6月、選挙権年齢が「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げられた。70年ぶりに参政権を拡大する歴史的改正だった。有権者の広がりは政治への民意の反映を豊かにし、民主主義を前進させる。

 18歳選挙権は昨年夏の参院選から適用され、全国で約240万人が有権者に加わった。現役高校生も投票できるとあって話題にもなったが、その結果は、20代をはじめ常態化して久しい若者の政治離れの現実をあらわにした。

 18、19歳の合計の選挙区投票率は全国平均で46・78%と50%を割り込み、全体の投票率54・70%を下回った。高知県はさらに低い30・93%にとどまり、県全体の投票率45・52%とともに全国最下位に沈んだ。

 地方より都市部の投票率が高い傾向が見られたことから、地方に住民票を残し、都市圏に進学や就職で転居した若者が投票しなかったケースなどが要因に挙げられた。本県は徳島と初の「合区」選挙で、県出身候補がいなかったことも重なり、関心の低迷を招いたようだ。

 だが、若者を遠ざけているのは、政治への日常的な関心や期待の低さが根底にあるとみるべきだ。投票率の低落傾向が続く大人たちが範を示せていない状況もある。

 防災から高校・大学の授業料、医療費、年金・介護さらに外交・防衛まで、その在り方や予算の配分、個人の負担をどうするか―。衆院選は有権者がその役割を託す政党、候補者を選び、多数派が国の針路づくりを担う政権に就く。主権者が政権の形を決める選挙である。

 自分たちのことは自分たちで決めるという、民主主義の意義を広く将来世代にどう根付かせていくか。18歳選挙権の導入は「主権者とは」を学校現場で学ぶ機会を広げた。政治課題を巡る討論や模擬投票など、主権者教育が活発に取り入れられるようになった。

 昨年参院選では18歳の投票率が19歳より高い傾向が見られた。本県でも主権者育成の研究指定校で学んだ高校3年生の6~7割が投票したという。主権者教育の成果といえ、幅広い浸透を期待したい。

 国会では国民の多くが不安を抱く法律や制度を政権が押し切り、強引に成立させる場面が目立つ。政権を監視し、歯止め役を託された野党の存在価値も問われる。

 政治への不信もあろう。かといって選挙権を放棄しては何も変えられない。考えられる限り、ベストの投票先が見当たらなければベターでいい。選挙後に選択を誤ったと思ったら、次の選挙で修正できる。選挙権は幸福探しの権利でもある。


山口4区 黒川敦彦は男でござる 訴状を掲げてチンコロ安倍の牙城に切り込む(県民の良識が試される) 

2017-10-19 | Weblog

山口4区にモリカケ告訴の候補者、安倍首相ヒヤヒヤ

 安倍晋三首相が立候補する山口4区が「乱戦」模様

 

加計学園問題の真相解明を求める市民団体代表の黒川敦彦氏(39)が無所属で立候補。

街頭では「真相究明の大切さを訴えたい」とマイクを握る。

黒川氏は16日、新設を目指す獣医学部へ補助金を今治市に申請する際、建築費を水増しして約148億円としていた疑いがあると、安倍首相を詐欺幇助(ほうじょ)罪で山口地検に刑事告発した。

安倍首相のお膝元、山口4区。

全国を遊説で飛び回る首相に代わり、妻の昭恵氏がマイクを握る。

集会などでは「厳しい選挙だが、ご理解いただき、当選を果たさせていただきたい」と訴える。

この日は長門市などで支援を呼びかけた。

安倍首相が臨時国会冒頭で衆院を解散したのは、国会で森友&加計学園問題の追及を避ける「モリカケ隠し」だったのではないかとの批判もある。

昭恵氏は選挙戦では自身も疑惑の目を向けられた森友学園問題には触れていない。

同選挙区に「今治加計獣医学部問題を考える会」共同代表の黒川氏が急きょ、立候補。

選挙戦に入り、自らのツイッターに森友問題などを昭恵氏に説明してもらうために「囲みましょう」と書き込み波紋を広げた。

安倍首相の地元事務所(下関市)は昭恵氏の安全の確保などを理由に、地元で開かれる個人演説会の取材を拒否する方針を下関市政記者クラブに伝え、16日現在も続いている。

この日、黒川氏は安倍首相を詐欺幇助罪で刑事告発した。

山口地検に告発状を提出した黒川氏は「獣医学部の建設費は少なくとも50億円水増しされている」と主張。

友人で学園の加計孝太郎理事長については詐欺容疑での告発を検討しているとし、「計画の責任者は安倍首相にある」と強調した。

同じ選挙区内の候補者が対立候補を刑事告発する異例の展開に「選挙妨害では」の声もある。

黒川氏とともに告発状を提出した森友問題を追及する木村真豊中市議は「(黒川氏から)相談を受けたとき、このタイミングでどうなんだろうと思った」と、違和感を持ったことを明かした上で「首相はモリカケ問題を選挙戦で説明すると言ったのに避けている。逃げ回っている相手に対し、これを争点にしたいと明確に示すためには刑事告発も1つの方法」と後押ししたという。

首相の地元事務所は告発状の提出に「コメントすることはありません」とした。

山口4区には、いずれも新顔で希望の藤田時雄氏、共産の西岡広伸氏、無所属の郡昭浩氏も立候補している。藤田陣営は「安倍さんへの批判票が割れる」。安倍首相が圧勝を続ける“無風区”が乱戦模様だ。

 

黒川敦彦候補予定者。「96億円もアベ友にくれてやるよりも、それをもっと市民生活向上のため使うべき」が持論だ。=9日、下関市 撮影:筆者=

黒川敦彦候補「96億円もアベ友にくれてやるよりも、それをもっと市民生活向上のため使うべき」http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016767

 

黒川敦彦@モリカケ共同追及プロジェクト

https://twitter.com/democracymonst


黒川氏「安倍昭恵を取り囲もう」とツイッターで呼びかける

管理人の一言

安倍の地元、山口4区。公示日となった10月10日、安倍の代理として、バカ亭主に代わって昭恵が「第一声」を上げた。しかし、公示日直前に黒川氏が、「とにかく初日一人でも多く山口4区に来て、安倍昭恵を取り囲みましょう!10日が盛り上がれば本当に安倍総理に選挙で勝てる!」などとTwitterで呼びかけたという。

すると、安倍の御用紙産経はすかさず、「安倍首相の陣営は、昭恵さんに危険が及びかねないとして、警察に相談した」と、まるで黒川氏がストーカー行為を働いているかのように報道し、安倍を落選させる目的で遊説中の昭恵さんを取り囲むように呼びかけた、などと事をさらに歪めている。

すると、例によって例のごとく、この産経報道に煽られて、おきまりのネトウヨが登場し、黒川氏の呼びかけ行為は落選運動だと騒ぎだした。

では、実際、黒川氏の呼びかけ行為は落選運動に当たるのだろうか、弁護士ドット・コムが解説している


公示日前に、Twitterで特定の立候補予定者に対する落選運動を展開することは、対立候補予定者であっても問題ないのか?

「公職選挙法142条の5は、『当選を得させないための活動』として落選運動をすることを認めており、そのためには、電子メールアドレス等が表示されていればよいとされ、主体に制限があるわけでもありません。したがって、対立候補予定者であっても、落選運動をすることは可能です。

なお、そもそも、どのようなものが『当選を得させないための活動』に当たるかですが、選挙運動とは、一般に、『特定の候補者の当選を目的として投票を得又は得させるために必要かつ有利な行為』とされており、ある候補者の落選を目的とする行為であっても、それが他の候補者の当選を図ることを目的とするのであれば、選挙運動となると解釈されています。

そのため、『当選を得させないための活動』とは、単に特定の候補者の落選のみを図る活動を念頭に置いているとされます。

本件では、安部首相を当選させないためという側面があるものの、自身が立候補していることからして、自身の当選を目的にしていると言い得るため、厳密に言えば、『当選を得させないための活動』、つまり落選運動には当たらないように思われます」

他に法的な問題はあるのだろうか?

「ただ、いずれにしてもどんなことを言ってもよいというものではなく、発言内容によっては公職選挙法とは別に問題になる場合があるでしょう。

立候補者やその家族を取り囲もうと呼びかける行為は、論戦をしているものではなく、一定の有形力の行使を伴うことを想起させます。取り囲むだけで直接触れるのでなくても、自由が制限され、言われた側からすれば一定の恐怖を感じることが予想できます。その意味で、(警察が取り合ってくれるかどうはさておき)脅迫罪に該当する余地があります。

そして、実際に取り囲んだ場合は、監禁罪に当たる余地があります。監禁というと、閉鎖された場所に閉じこめないと成立しないように思うかもしれませんが、一定の場所から脱出できなくなればよいとされます。また、脱出が不可能である必要まではなく、著しく困難であればよいとされます」

 


新事実 安倍が過去に不正関与か 神戸製鋼所のデータ改竄問題

2017-10-19 | Weblog

安倍首相もコネ入社時代に不正に関与? 国策企業・神戸製鋼と安倍首相のただならぬ関係

次から次へと偽装や捏造の事実が発覚している神戸製鋼所のデータ改竄問題。

グループ会社も含め、主力の鉄鋼製品やアルミなどで強度や寸法などを偽って出荷、数十年前から偽装を続けていたケースもあり、組織ぐるみの隠蔽が行われていたという。

今朝の毎日新聞朝刊でも、元社員が少なくとも40年前から「トクサイ(特別採用)」なる言葉が常態化し、基準から外れたアルミ板を「顧客の了解を得ないまま出荷していた」と証言している。

しかも、今回の偽装で問題なのは、データ等を改竄した部品が、自動車や航空機、鉄道、宇宙開発事業、さらには防衛(軍事)産業などに使われているからだ。問題の製品を出荷したのは国内外で500社以上に及ぶとみられているが、いずれも、人々の安全に直結する重大な不祥事だ。なかでも気になるのが原子力関係だ。

現時点で東京電力福島第二原発に納入されたアルミ・銅合金製の配管をめぐって寸法の記録が改竄されていたことがわかっている。同社の川崎博也会長兼社長は連日のように会見を行なっているが、この様子だとまだまだ隠された不正や問題が浮上してくるだろう。

神戸製鋼といえば、安倍晋三首相の出身企業として有名だ。

神戸製鉄は山口県下関に長府製造所を持っており、安倍家の選挙区で有数の大企業である。安倍はいまから40年前の1977年に成蹊大学法学部政治学科を卒業後、アメリカに“語学留学”(なお、その時に加計学園の加計孝太郎理事長と知り合ったといわれる)し、79年春に帰国してすぐ神戸製鉄所に入社した。

安倍の神戸製鋼入りは、まさしく“コネと政略”だったらしい。祖父・寛、父・晋太郎、そして晋三の系譜を丹念な取材で探ったノンフィクション『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)のなかで、神戸製鋼で晋三の直属の上司となり、のちに元副社長に就いた人物が、「(安倍は)みんなに好かれていましたよ」としながらも、こう当時を振り返っている。

「ただ、率直に言って“政略入社”ですからね。当時の製鉄会社は、神戸製鋼に限らず、政治関係の“政略入社”が多かったんですよ」

この“政略入社”の背景には、晋太郎が中選挙区でのライバル・林義郎(元大蔵相)に対抗して選挙基盤を広げようとの思惑があったとされるが、入社した晋三は、まずニューヨークに赴任したと思ったら、兵庫県の加古川製鉄所、東京本社の鋼板輸出課と短期間で異動。わずか3年ほどで退職し、晋太郎の秘書官として政治の道へ進むことになった。

安倍首相が自ら告白した神戸製鋼社員時代の「寸法違い発注事件」

その神戸製鋼社員時代の安倍をめぐり、いま、ちょっと話題になっているエピソードがある。2016年3月30日放送の自民党のインターネット番組「カフェスタ」で、安倍首相が新社会人に向けて送ったメッセージだ。安倍首相は神戸製鋼加古川製鉄所で工程管理を担当した際の話を振り返りながら、山本一太参院議員とこんな興味深いやりとりをしている。

安倍「新入社員っていうのは失敗するんですよね。私もね、最初、長さを間違って入力してね。それ(間違った製品が)、できちゃったもんですからね! 大変なことになってしまったんですが(笑)。まあ、ギリギリ誤差の範囲内でね」
山本「国会だったら完全に追及されているとこですね〜」
安倍「(笑)。ギリギリ範囲内で。ラインパイプだったんですが、今も覚えてますけど。これもう『クビになるかな』と思いましたねえ。結構大量に製品ができあがってですね、みんな集まって『どうしようか』って。まあ、しかし、事なきをえて、あの……。だから、あー、えー、多少の失敗にもめげずにがんばってもらいたいと思います」

ようするに、神戸製鋼・ヤング安倍晋三は、本来の長さと異なるパイプを大量に作ってしまうという大失態を犯したらしい。しかも、気になるのは、「クビ」を覚悟したほどのとりかえしのつかないミスであったにもかかわらず、なぜかその後「事なきを得た」ことだ。

これが約40年前のこと。前述の通り、神戸製鋼の不正は元社員の証言で少なくとも40年以上前から行われていたことが明らかになっているが、安倍首相のつくりだした寸法違いのパイプももしかしたら「誤差の範囲内」あるいは「トクサイ」などという理屈で、そのまま偽装されて出荷されたのではないのか。

まあ、いまとなってはたしかめようもないが、しかし、社員時代の失態とは別次元で、神戸製鋼グループの今回の不祥事は安倍首相とけっして無関係ではない。

神戸製鋼は以前から同様のデータ改竄をはじめ、様々な不祥事を連発し、長年の組織的隠蔽体質が問題視されてきた。1999年には総会屋への利益供与で元役員が有罪判決を受け、2006年には測定データを改竄して環境基準を超える煤煙を排出、09年には山口県の地方議員に違法な寄付をし、昨年にも試験値の改竄が発覚したばかり。しかし、神戸製鋼はこうした不祥事が表沙汰になっても、企業としての責任を深く追及されることもなければ、マスコミに徹底的に叩かれることもなかった。

その理由は、神戸製鋼が“国策企業”だからにほかならない。安倍首相がコネ入社したことからもわかるように、神戸製鋼は政治権力とがっつり癒着し、さまざまな公共事業に食い込み、その力で批判報道や不祥事の発覚をおさえ込んできた。その結果、不正体質は温存され、日本だけでなく世界全体の安全に影響を与えかねないところまで不祥事は拡大してしまったのだ。当然、神戸製鋼を庇護してきた政治にも責任は大いにある。

神戸製鋼は安倍政権の軍拡、武器輸出・原発推進政策で甘い汁

そして、歴代の政権のなかでも、神戸製鋼ともっとも癒着し、利益誘導を行ってきたのが“元社員”の安倍晋三首相率いる安倍政権だった。

たとえば、安倍政権が進めてきた軍拡・武器輸出政策。武器輸出というと、戦闘機や戦車、重火器、ミサイル防衛システム等の分野が注目され、三菱重工や川崎重工、IHI、富士通などのイメージが強いが、神戸製鋼はこうした企業に製品を出荷しており、すでにマスコミ報道で一部の改竄製品が使用されていたとも報じられている。また、防衛省も自衛隊の航空機や誘導兵器、魚雷など一部での神戸製鋼のアルミ製品の使用を確認したと発表しているが、「週刊東洋経済」(東洋経済新報社)2012年1月21月号によれば、神戸製鋼は自衛隊で配備・使用される「需品、科学関連、衛生機材など」も受注している。

周知の通り、第二次安倍政権では防衛予算が過去最大を記録し続けているほか、「武器輸出三原則」を撤廃し、新たに防衛装備庁を発足するなど、武器の輸出入ビジネスを国策化してきた。そして、神戸製鋼もまた、軍需産業の一翼として、こうした政策を後押ししてきたのだ。

実際、安倍政権の武器輸出3原則の見直しは、防衛省よりも、経産省と経団連の要請が大きかったといわれているが、実はその経産省の安全保障貿易に関する制度改革ワーキンググループに、当時の神戸製鋼の専務取締役が参加していたこともある。また防衛省の記録を調べてみると、複数の自衛隊陸将の神戸製鋼への再就職を認める議決文書が存在している他、近年の退官自衛官の再就職先を記す書類にも、やはり一等海佐や一等陸佐が神戸製鋼へ「顧問」として迎えられた事実が記されていた。

神戸製鋼は安倍政権の進める原子力ビジネスの利権にもがっつり食い込んでいる。たとえば2013年、神戸製鋼は福島第一原発をめぐって、使用済み核燃料の貯蔵容器(キャスク)や汚染された備品等の焼却施設の建設を東電から受注している。公表されていないが、受注額はあわせて100億円以上とも報じられた。

とりわけ神戸製鋼グループは、キャスクなどの中間貯蔵施設では世界トップの出荷実績があるとPRしており、原子炉、核再処理、放射性廃棄物処分の分野等と合わせて、公開しているパンフレットでは「原子力産業に貢献する神戸製鋼グループの『オンリーワン』」などと謳いながら、国内外で原子力関連の事業を展開しているのだ。

神戸製鋼幹部と頻繁に会っている安倍首相、「政治とカネ」疑惑も

いずれにしても、神戸製鋼は安倍政権による武器輸出・原発推進政策で甘い汁を吸ってきたことは間違いない。そして、一方で、安倍首相と神戸製鋼は一国の首相と企業の関係をはるかに超えた付き合いを築いてきた。

それは首相動静を調べてみても、明らかだ。安倍首相と神戸製鋼幹部との面会の数は歴代総理と比べて突出している。

たとえば、安倍首相は第一次政権の07年3月10日に神戸製鋼所加古川製鉄所を視察、当時の犬伏泰夫社長らが同行したが、視察は首相たっての希望であり、現場では「工程課厚板係の安倍晋三です」と社員時代の肩書きで挨拶したという(日本鉄鋼連盟ホームページより)。第二次政権では13年8月23日に佐藤広士会長(現相談役)および川崎社長と、14年7月1日にやはり川崎社長らと会食している。今年6月23日にも、神戸市の神戸製鉄所・石炭火力発電所を視察後、川崎社長と食事を行なっていた。

誰がどうみても、“特別扱い”は明らかだろう。しかも、こうした関係は表のものだけではない。

たとえば、2000年以降、神戸製鋼は下関市のゴミ処理施設関の焼却炉施設とリサイクル施設を次々に高額(それぞれ約110億円と約60億円)で受注。焼却炉の維持管理事業も神戸製鋼と関連会社が担っており、当時の江島潔・下関市長(現自民党参院議員)と安倍首相がつながる官製談合疑惑が浮上した。

また2003年には、福岡県の苅田港沖で見つかった遺棄毒ガス弾の処理事業を神戸製鋼が約80億円で落札し、その後、数百億単位の税金が投入されたが、そこでも2007年の防衛省汚職事件(いわゆる山田洋行事件)で収監されたフィクサーのA氏の関与と、A氏が仕切る社団法人の理事を務めていた安倍、そして神戸製鋼のラインが疑われた。さらに07年には、安倍首相の事務所の大家が神戸製鋼の関連不動産会社であり、敷金を免除していたとの疑惑が持ち上がったこともある(安倍事務所は一部報道後に政治資金収支報告書を訂正)。

こうした数々の疑惑はおそらく氷山の一角にすぎない。「自民党が圧勝」「安倍政権は盤石」との情勢が伝えられる解散総選挙だが、もしかすると、選挙後、神戸製鋼問題は安倍政権にとって大きな火種になるかもしれない。

 参考:

神鋼の国内取引6千社超 中小が過半

神鋼、新たな不正次々と 事態収拾見通しなく

神鋼改ざん問題 海外拡大「想定以上」

米司法当局、データ改ざん問題で神鋼に書類要求

 


加計政治問題 さぁ どうする有権者 これでも 安倍自民に投票するのか(認可1年間延長が23日にも設置許可)

2017-10-17 | Weblog

加計学園獣医学部、23日にも認可 同日に孝太郎理事長が記者会見

加計孝太郎理事長。安倍首相にとっては森友学園の籠池前理事長のように逮捕させるわけにはいかない事情があった。 =撮影:筆者=

加計孝太郎理事長。安倍首相にとっては森友学園の籠池前理事長のように逮捕させるわけにはいかない事情があった。 =撮影:筆者=

2017/10/16  田中龍作ジャーナルが政府関係者から入手した情報によると、文科省の大学設置審は衆院選投票日翌日の23日にも加計学園・岡山理科大学獣医学部の設置を認可する方向で最終調整に入った。
 
同日中に加計孝太郎理事長が記者会見を開く。

23日に認可を発表するのは世論が安倍自民大勝に沸く翌日だ。国民が安倍政権を支持したのだから異論は言わせない、という官邸の高圧的な姿勢が はっきりと 表れている。

獣医学部をめぐっては、建設費の水増し請求やバイオハザードの危険性が指摘されているが、衆院選の圧勝を受けて安倍官邸が力でウヤムヤにすることになる。

加計学園は経営悪化で極度の自転車操業となっており、もし獣医学部が認可されなければ倒産するものと見られている。

加計学園を倒産させれば、加計理事長から真相を洗いざらいしゃべられる。それを恐れた安倍官邸が文科省に圧力をかけて設置を認可させた、との見方がある。

文科省高等教育局大学設置室は田中龍作ジャーナルの電話取材に「設置審の開催日程は非公表につきお答えできない。答申があればその日に公表する」と答えた。

建設が進む加計学園・岡山理科大学獣医学部キャンパス。=9月、今治市いこいの丘 撮影:筆者=

建設が進む加計学園・岡山理科大学獣医学部キャンパス。=9月、今治市いこいの丘 撮影:筆者=

http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016799


もうアイドルだって黙っていない! ”若者は保守化していません” ”私達が安倍自民を倒します”

2017-10-16 | Weblog

「安倍は政治を私物化、退陣しろ」「昭恵夫人は無責任」物言う10代アイドルグループ「制服向上委員会」が森友学園問題をぶった斬る!(インタビュー)

 

SKI_1.jpg

制服向上委員会(左:りあん、中央:野見山杏里、右:レイ)

次から次に疑惑が噴出する森友学園問題。小学校の認可申請は取り下げられ、籠池泰典理事長は辞任することになったが、資金の流れや政治家との癒着疑惑に関しては依然として明らかにされていない。


■募る安倍政権への怒り、もうアイドルだって黙っていない!

このような政治の不透明さに対し、ついに市民の怒りが爆発した。さまざまな市民団体が連携して「森友10万人デモ」を緊急結成、3月5日と12日に国会議事堂前で安倍政権の退陣を訴えたのだ。

デモは今後、19日(日)の11~13時にも行われる予定だ。なお、それ以外にも平日には各政党の議員や活動家を招いた集会が開かれており、森ゆうこ議員(自由党)、福島みずほ議員(社民党)、うえにし小百合議員(無所属)、マック赤坂氏(スマイル党)、増山れな氏(芸術家)らもスピーチを行っている。

SKI_6.jpg

デモでスピーチする制服向上委員会の3人

そして一連のデモには、あの人気アイドルグループも参画していた。そう、1992年に結成され、現存する女子アイドルグループとしては最長の歴史を誇り、日本で唯一、アイドルグループとして公式に平和活動に取り組むとともに脱原発を訴えている「制服向上委員会」である!

制服向上委員会は、かねてより自らの公式ブログで森友学園について「子供の心もちゃんと守ってあげる教育が大切なのでは……?」と訴えてきた。もちろん、12日のデモで彼女らは、国粋主義者の街宣車による妨害を受けながらも、議員や市民活動家らとともにラップのリズムにのせてスピーチを成し遂げている。今回筆者は、デモを終えたばかりの制服向上委員会の3人(野見山杏里氏・19歳、りあん氏・15歳、レイ氏・14歳)にインタビューを敢行。安倍政権に対する怒りをぶちまけてもらった。


■アイドルが安倍昭恵に噛み付いた!

――よろしくお願いします。早速ですが、森友学園問題についてのお考えをお聞かせくださいますか?

野見山杏里氏(以下、野見山)  ニュースで、おもらししたら園内放送で怒られ、おしおき部屋もあると聞きました。自分の恥ずかしい話をみんなに暴露されてしまうなんて、どう考えてもやり過ぎです。社会には、心の傷が原因で不登校になる子どももいます。もっと子どもの心を大切にした方が良いのではないでしょうか」

――子どもがどう捉えるかによるでしょうが、確かに物心ついた児童ならば、このような「教育」は精神的虐待になりかねませんね。安倍昭恵夫人についてはどうですか?

野見山  昭恵夫人の対応にしても、「どうして注目されているかわからない」とか、一国のファーストレディにしては、無責任すぎると思います!


■アイドル「安倍は政治を私物化、退陣すべき」

――昭恵夫人の態度・発言も問題ですが、何といっても安倍政権についてはどう思いますか?

野見山  私たちは脱原発、安保法反対を各地で訴えてきました。色んな団体と連携しながら活動して思ったのは、これだけ訴えているのに、なぜ聞く耳を持たないのか?ということです。安倍政権はどれだけ国民の意見に耳を傾けているか、疑問に思います。消費増税にしても、それを社会保障費に使って、透明性があるクリーンな財政なら納得がいきますが、今のままでは税金がどこに使われているのか、不透明な部分が多すぎます。

さらに、安倍首相は自民党総裁の任期を勝手に「連続3期9年」に延ばし、政治を私物化しているのは大きな問題かと思います。

SKI_4.jpg

デモでスピーチする制服向上委員会の3人

ただし、たとえ首相が変わったとしても、今のように大企業と政治の癒着がある限り、体制は良くならないと思います。そして、マスコミにしても、どこかが一つの大きなニュースを報道すると、他の局もずっとそればかり報道し続ける。もっと伝えなきゃならない事がたくさんあるはずなのに、と思います。

りあん氏(以下、りあん)  安倍首相は自分が森友学園と関係した証拠が出たら、責任をとって退陣すると明言していました。週刊誌で森友学園に実際に足を運んでいた事実が報道されましたが、しっかり約束を守っていただきたいです。

――堂々と公権力に対してメッセージを発するアイドルは貴重です。公権力やメディア、右翼団体などからの妨害や嫌がらせはないのでしょうか?

SKI_2.jpg

デモに参加した制服向上委員会の3人

野見山  私たちの活動は市民運動関係のイベントが中心で、普通のアイドルイベントにはあまり呼ばれません。ただ、市民運動関係のイベントとはいえ、もちろん妨害はありますね。

SKI_5.jpg

イベントに突っ込んできた街宣車

2015年に神奈川県大和市で、護憲団体「憲法九条やまとの会」のイベントに参加させていただいたのですが、とある自民党若手市議が私たちに批判的なコメントをしたようで、それから大和市からの後援がなくなりました。

それから、私たちの歌で『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』という曲があるのですが、「脱原発」という言葉がNGワードのようで、駅張り用のポスターが意見広告と見なされて掲示できなかったり、ショッピングセンターでもCD発売キャンペーンを中止に追い込まれました。それに、今日のデモでも妨害がありました。右翼の街宣車がイベントに突っ込んだり。

*************

ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会【PV】

 

■オカルト体験「血まみれの老婆」

――みなさんアイドルだというのに、とても骨太な精神をお持ちなのですね。ところで、トカナとしては、やはり心霊・オカルト体験が気になります。みなさん、今までに不思議な体験をされたことはありますか?

りあん  お母さんから聞いた話なのですが、私が保育園に通っていた頃に「下駄箱の中に(小人のような)血だらけのおばあちゃんがいる」と訴えてきたそうです。自分は覚えていないのですが、物心つくまでは“見えていた”のかもしれません。

――下駄箱の中に血まみれの老婆! 想像しただけでも恐ろしい光景です。では、最後に読者へのメッセージをお願いできますか?

SKI_7.jpg

左:深月ユリア、右:制服向上委員会の3人

野見山  私たち一人ひとりには政治を変える力があります。去年から選挙権が引き下げられ、18歳から認められましたので、私は同世代の若い人達に「選挙に行こう」と訴えたいです。大企業と癒着しない、クリーンな候補者を国会に送り込みましょう!

りあん  政治の話題は日本ではタブーになりやすく、クラスでも話しにくい雰囲気があると思います。もっとオープンに、色んなことを話せる社会になれば、と願います。

レイ氏  プロテストソングや社会へのメッセージを込めた私たちの最新アルバム『嘆きの詩人』が5月にリリースされます。私たちと同じ想いをもつ女の子がいましたら、ご紹介、ご連絡お待ちしています。一緒に活動しましょう!


制服向上委員会
【公式サイト】http://www.idol-japan-records.net/ski/


2017ノーベル文学賞 英作家カズオ・イシグロ氏に ”これが人生 ロックスターを夢見ながら職を転々とした日々”

2017-10-07 | Weblog

2017年ノーベル文学賞の受賞が決定した英作家カズオ・イシグロ氏(62)は、ロックスターになることを夢見た時代を経て、その後にソーシャルワーカーとなり、作家として活躍を始めたのはその後だった。

日本に生まれ英イングランドで育ったイシグロ氏は、家では両親と日本語で会話していたとされる。彼の作品では常にこの二重性が探索され、それが作品に魅力を添えていると本人は語っている。

ロンドン北部にある自宅の庭で開いた5日の記者会見でイシグロ氏は、「私が世界を見るときはいつも、部分的に両親の目を通して見ていた。だから、私には常に日本人としての一面がある」と述べ、「当時それは作家として執筆していた私にとって、とても好都合だった。なぜなら、文学が非常に国際的になり始めていた時期だったからだ」と語った。

1980年代初頭から傑出した作家として活動し続けるイシグロ氏は、8作品を執筆し、さらに映画やテレビの台本も手がけてきた。同氏の作品は世界数十の言語に翻訳され、数多くの賞を受賞している。

だが、同氏は一部の現代作家と比べ、表に出ることはそう多くなかった。

同氏の最も良く知られている作品「日の名残り(The Remains of the Day)」は1989年、英語で書かれた小説を対象とした文学賞としては世界で最も権威がある英「ブッカー賞(Man Booker Prize for Fiction)」に輝いた。同作品は映画化され、アンソニー・ ホプキンスさんやエマ・トンプソンさんらが出演し、オスカーにもノミネートされた。

イシグロ氏は後に、同作品をわずか4週間で書き上げたと語っている。

より最近の作品では、「私を離さないで(Never Let Me Go)」(2005年)と「わたしたちが孤児だったころ(When We Were Orphans)」(2000年)がよく知られている。

■「私は発想があまり豊かでない人間」

ノーベル委員会は5日の授賞発表で、イシグロ氏が一番取り組んでいるテーマは記憶、時間、自己欺瞞(ぎまん)だと述べた。

人もうらやむほどの成功にもかかわらず、インタビューでの姿勢は控えめだ。英紙フィナンシャル・タイムズとの1995年のインタビューでは「私は発想があまり豊かでない人間」「たくさんのアイデアがあるわけではない」と語っている。

また、不安定になりがちな職業にもかかわらず、どうして小説家たちはこれをわざわざ選択するのかとの質問に対しては、「作家が頭のおかしい人たちだとは言いません。私は固定観念が嫌いなので。でも、人という構造体として、何かがずれているのでしょう」と話した。

■執筆の世界に

1954年に長崎で生まれたイシグロ氏は、父親が英国立海洋研究所で研究を始めるにあたり5歳のときに英国に移住した。一時的な滞在の予定だったが、最終的に家族はロンドンから50キロ南西のギルドフォードに移住することになった。

地元の学校を終えた後、カンタベリーのケント大学に入学し、ここで英文学と哲学書を読んだ。

ピアノとギターを弾くイシグロ氏は、ロックスターになることを以前は目指していたが、後にその対象が小説家へと変化していったのだという。

「すごく無関心に聞こえるかもしれないけれど…(執筆は)必ずしもやりたかったことではなかった」とフィナンシャル・タイムズとのインタビューでは語っている。

バルモラル城のライチョウ追い出し係

実際、イシグロ氏は作家になる前にいくつかの職に就いている。例えば、スコットランドのバルモラル城でエリザベス皇太后の催す狩猟会でのライチョウを追い出す係や、グラスゴーとロンドンでのソーシャルワーカーなどだ。

作家としての活動を始めたのは、ソーシャルワーカーとして働いていた時期に休職し、イースト・アングリア大学に入学したことがきっかけとなった。大学院創作学科で学び、その才能が出版社の目にとまったことから契約書にサインするに至ったのだという。

同氏は1982年から作家活動に専念。評論家からの好評価を得ながら商業的にも成功を収めた。

イシグロ氏は5日の記者会見で、日本人としてのルーツを生かし続けることを模索していると述べ、それがおそらくグラフィックノベルといった意外な形になると話した。

「これは自分にとって新しく、日本で漫画を読んでいた子ども時代と再会させてくれることでもあるため、とても興奮している」と語った。AFPBB News

長編小説 出版年
遠い山なみの光英語版 A Pale View of Hills 1982年
浮世の画家英語版 An Artist of the Floating World 1986年
日の名残り The Remains of the Day 1989年
充たされざる者英語版 The Unconsoled 1995年
わたしたちが孤児だったころ英語版 When We Were Orphans 2000年
わたしを離さないで Never Let Me Go 2005年
忘れられた巨人 The Buried Giant 2015年

 

https://twitter.com/hashtag/kazuoishiguro?f=videos&vertical=default&src=hash

 

イシグロ氏、ノーベル文学賞「間違いかと思った」

 

 


作詞家としての活動


 ステイシー・ケント、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞に歓喜

カズオ・イシグロと女性ジャズ・シンガー、ステイシー・ケント、そして彼女の夫でサックス奏者のジム・トムリンソンは約10年前からコラボレーションを続けており、『Breakfast on the Morning Tram』に収録されたトムリンソン/イシグロ楽曲「The Ice Hotel」は2008年にインターナショナル・ソングライティング・コンペティションのジャズ部門で最優秀楽曲賞を受賞している。https://www.barks.jp/news/?id=1000147620

 

The Ice Hotel

 


インタビュー


 月刊文学界 2006年8月号

第6作『わたしを離さないで Never Let Me Go

一種のミステリーとも読める最新作の意図とは?

- 最初に、最近邦訳が出た『わたしを離さないで』について、お聞きしたいと思います。ご存知かもしれませんが、この前来日されたときにあなたにインタビューした、翻訳家の柴田元幸氏が、この作品についてこう書いておられます。「その達成度において、個人的には、現時点でのイシグロの最高傑作だと思う」。これについてどう思われますか。

イシグロ 翻訳本を見ていないので、そのことは知りませんでしたが、お褒めの言葉をいただいて、とても気分がいいですね。ありがたく思います。私は51歳になりますが、とりわけこの年になると、最新作が、少なくとも以前の作品よりも劣っていないという評価を受けていると思うことは、いつも嬉しいものです。小説家が、作品を発表し続けるということは、時には難しいことがありますから、これを励みにしたいと思います。


- これは一切予備知識なしに読んだ方がいい小説だと思いますが、その上であえてお聞きします。『わたしを離さないで』にはクローン技術や臓器移植が主要なモチーフとして埋め込まれています。この作品を読んで、テキサス州にある、ヒヒの養殖場を思い出しました。そこでは臓器移植のためだけに、無薗状態でヒヒが養殖されていますが、昔、ピッツバーグ大学医学部で、ヒヒの肝臓が人間に移植される手術を観察して、長い記事を書いたことがあります。13時間にもわたってずっと観察しましたが、もしその養殖場のヒヒが、人間に置き換えられたら、主人公たちが育つ施設ヘールシャムと同じような場所になりますね。

イシグロ その養殖場のことは知りませんが、へールシャムと同じような場所ではないかもしれません。へールシャムはかなり特殊な場所で、昔ながらの自然農法に相当するようなやり方で営まれていると思います。クローンたちはとても大事に扱われます。ですから、同じようなセンターと比べても、まったく違います。そこで子供たちは、我々が言うところの最高の教育を受けて育てられます。しかも、特定の理由があっての教育です。彼らは自分の運命を知らない上に、自分がクローンであることが何を意味するのかもよくわかっていません。牧歌的な子供時代に近いと言ってもいい。

- この小説のために、特別な世界を作らなければならなかったのですね。

イシグロ そうです。

- 言わば、それ自体で閉ざされた世界ですね。

イシグロ ある程度はそうです。私はこの世界を子供時代のメタファーにしたかったのです。つまり、中にいる人は、外界が十分理解できないということです。子供が生きている、言うならばバブル(気泡)の中に流れ込む情報を、大人たちがかなり慎重にコントロールできる場所です。我々は、もちろんいろいろな点からみても、このような施設の中で成長するわけではありませんが、大人の中で生きていても、子供時代というのは、こういうものだと思います。精神的な面からみると、予供というのは言わばこのようなバブルの中に入れられて、それはまったく正しいことなのです。予供を人生の厳しい現実から守るためです。成長するにつれて自分たちを待ち受けていることについて情報を拾い集め、子供同士でいろいろ話し合うのです。ですからある意味で、物理的に外界から分けられているこのような施設を設定することで私は、子供時代がどういうものであるかを象徴させたかったのです。読者は(子供の気持ちになり)外で何が起こっているのか、と想像するでしょう。それで、へールシャムという場所を作ることに関心を持ったのです。

- これを読むと、外で何が起こっているかわからない、特殊なカルトを思い出します。

イシグロ そうですね。でも私がこの作品で言おうとしたことは、子供時代というのはすべてこういうものだということです。もちろんこれはかなり特殊な状況です。でも、あるレベルで言うと、それは我々の子供時代と同じです。外界で起きていることの多くのことが理解できないのです。言葉だけを聞いても実際にはそれがどういうことを意味するのかわからないのです。あまり経験がないからです。

- ある年齢まではそうですね。

イシグロ ある年齢に達すると、外で起きていることにわくわくし始め、怖くなったりもするのです。大人は非常に慎重に、そのバブルの中に入れるべき情報と入れてはいけない情報をコントロールします。ですから、本の最初の部分では読者に、奇怪なクローンの子供が育てられるとても特異な世界であると感じてほしいのです。そして、徐々にその世界が、我々が予供として経験することにとても似ていることに気づいてほしいのです。子供から大人に向かう、すべてのプロセスがそうです。もちろん本の最後の方では、そういう予供たちも大人になり、年を取ることを受け入れ、死は不可避であり、身体も弱くなり、死んでいくことを受け入れるようになることを言おうとしています。本のどの局面でも、このようなクローンの子供について、奇怪な話があります。私はそれが、普通の人間の人生を生きていく過程の反映になるように、かなり入念に書きました。


これはミステリー小脱ではない

- 読者がどんでん返しを感じたり、物語の先が待ち遠しくなったりするよう全編にしかけをしたのですか。そのことで読者の好奇心を刺激したり、満足させようとしたりしたのでしょうか。

イシグロ 本全体にわたって、奇怪さが絶えず少し存在するようにしましたが、読者を刺激しようとしたわけではありません。読者に、子供と同じ立場に立ってほしかったのです。普通、子供についての本を読む読者は大人で、子供を待ち受ける世界についてすでにわかっています。つまり子供を上から見下ろすところにいるのです。我々は子供がかわいいと思ったり、見下したりします。子供がわかっていないことを、我々はわかっているからです。ですから、この本では、違った効果を作り出したかったのです。大人の読者でさえも、社会のルールが何なのか、皆目見当もつかないほど、変わった世界を作り出したかったのです。

- とても現実離れした世界ですね。

イシグロ その通りです。わかってくれますか?大人の読者にも同じ奇怪さや恐怖のプロセスを経験してほしかったのです。子供や若い読者が経験するのと同じようなことが、徐々に分かっていく過程です。どの局面でも、子供が知る以上に読者に知って欲しくなかったのです。だから、ミステリー感がつきまとうのです。決して読者を刺激しようとはしていません。予供が大人になっていくときに、どのように感じていくのかを読者に再度味わってほしかったのです。そして人生の後になって、大きな疑間が出てくるのです。

- 「わたしの名前はキャシー・H。」と、映画のナレーションの始まりのように、かなり抑制されたトーンで始まりますね。特にはっきりした姓がないので、どういう展開になるか、最初から謎めいた印象を受けます。途中で、読者に種明かしをしますが、いつそれをするかが、かなり重要だと思います。いつ種明かしするかについてどれほど熟考しましたか。

イシグロ いえ、私はそれほど意識的にそのことを考えませんでしたね。自分にとってはそれほど重要ではなかったからです。これは、慎重に隠さなければいけない決定的な情報がある、殺人ミステリーではありません。本を出版して初めて、多くの読者がこの本はとてもミステリアスだと思ったことに気づいたのです。特に書評家が、書評を書くときに、どれだけ明かしたらいいのか、悩んだことに気づいたのです。このことが問題になっていると気づいたのは本当に最近になってからです。私が書いたときは、読者は徐々にわかってくれると思っていたのです。軽いタッチで書けば、読者はこの世界を理解してくれると思ったのです。クローンの話もすぐにわかってくれると思っていました。この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは、重要ではないと思います。一旦答えを知ってしまうと、話がうまく続かなくなるというようなミステリー小説ではないからです。(ミステリー小説のように読もうとすると)あまりにもミステリーの部分が大きすぎて、最初に読んだときは、出てくる人物はどんな種類の人問か、この世界はどのように動いているのか、という問題にはまってしまうでしょう。それで、読者は他の面にそれほど注意を払わなくなります。サスペンス性がそれほど大きな問題になることがわかっていたら、もっと最初の方で事実の部分を明かしていたかもしれません。そうすると読者は他の面やテーマにもっと留意することができたかもしれません。

- 読者にとっても、書評家にとってもその方がよかったかもしれませんね。

イシグロ その問題で自分自身悩んだことがありませんから、気づきませんでした。

- いつ種明かしをするか、読者にできるだけ知らせないようにしたと邪推してしまいました。

イシグロ 読者をひっかけようとしたわけではありません。後になって、初めて、いろいろな人が「そうだ、我々がやっと気づいたのはこの辺だ」と言っているのに気づいたのです。あくまで、子供たちが何が起こっているのか十分に理解していない状態で、大人になるにつれルールがわかってくる世界を描きたかったのです。


「死」とどう向き合うか

- ご存知かもしれませんが、自分の運命や役割に対する、登場人物のどうしようもないほど消極的な生き方に疑間を抱く読者もいます。しかし我々がもし登場人物のような状況に置かれたら、他人の運命のように感じてしまうのではないでしょうか。きっと何も出来ないでしょう。例えば第二次世界大戦の日本の特攻隊やイラクの自爆犯も、自分の運命に疑問を感じません。ここに出てくる子供たちも自問しません。

イシグロ 小説家として、テーマをいろいろな角度から掘り下げていくことができます。この話を書くときに最初に思いついたことの一つは、話の中に“逃亡”を入れることでした。それは誰でも最初に思いつくことです。例えば、搾取されたカーストのメタファー、人間の精神についての話にもできるだろうということに気づいたのです。奴隷と反乱の話です。でもそういう話は書きたくなかった。

私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。こういう極端なケースを例に挙げましたが、歴史をみても、いろいろな国の市民はずっとありとあらゆることを受け入れてきたのです。自分や家族に対する、ぞっとするような艱難辛苦を受け入れてきました。なぜなら、そうした方がもっと大きな意義にかなうだろうと思っているからです。そのような極端な状況にいなくても、人はどれほど自分のことについ.て消極的か、そういうことに私は興味をそそられます。自分の仕事、地位を人は受け入れているのです。そこから脱出しようとしません。実際のところ、自分たちの小さな仕事をうまくやり遂げたり、小さな役割を非常にうまく果たしたりすることで、尊厳を得ようとします。時にはこれはとても悲しく、悲劇的になることがあります。時にはそれが、テロリズムや勇気の源になることがありますが、私にとっては、その世界観の方がはるかに興味をそそります。別にこれが決定的な世界観だと言っているのではありませんが、このような歪んだ世界観を描くならば、『日の名残り』でも、この作品でもやったように、常にその方向に行く方を選びたいのです。『日の名残り』は、執事であることを超える視点を持ちようがない執事についての話です。我々はこれと変わらない生き方をしていると思います。我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。

- 現実に逆らって逃げることはできませんね。それも自分の一部ですから。

イシグロ もちろんそうです。究極的な言い方をすれば、私は我々が住む人間の状況の、一種のメタファーを書こうとしていたのです。幸運であれば、70歳、80歳、恐らく90歳まで生きることができますが、200歳まで生きることはできません。つまり現実には、我々の時間は限られているのです。いずれ老化と死に直面しなければなりません。確かに私は、このストーリーの中で、若い人がかなり早く年を取る状況を人工的に作りました。つまり、彼らが30代になると、もう老人のようになるのです。でもこれは、我々がすでにわかっていることを、別の新しい観点から認識させてくれる方法に過ぎません。人生についての疑問や希望を、我々が実際に直面するものと同じようにしたかったのです。

こういう理由で、登場人物たちを状況から“逃亡”させることには魅力を感じませんでした。奇妙な科学的な操作をして、老化プロセスを逆行させようとしたがっている少数のクレージーな人はさておいて、我々の体がいずれは動かなくなるという事実から逃げることはできません。概して我々はそれぞれ違った方法で死をのがれようとします。死後の世界を信じたり、もっとささいな方法としては、作品を残したり、我々自身の記憶や、人生で達成したものを残したり、我々を愛してくれた人や友人の思い出を残すようなことをするのです。何とかして、ある程度は死を克服することができます。私はこの本の登場人物がそういう観点からしか、死について考えないようにしたかったのです。特にこの本の中心に、真の愛を非常にロマンチックな方法で見つけることができるという希望を置きたかったのです。こういうふうにしても死を打ち負かすことができる、これは、世界中のどの文化をみても存在する、一種の深い神話です。心中する恋人同士などについて、本当にロマンチックな話がたくさんあります。どういうわけか、愛は、死を相殺できるほど強力な力になります。愛があるからと言って、永遠に生きることはできませんが、どういうわけか、愛があると、死がどうでもよくなるのです。私はそれに相当するものがほしかったのです。それゆえ、実際の逃亡、物理的な逃亡には関心がありませんでした。

- 私はこの本は、「人間とは何か」という非常に基本的な問題を提示していると思いました。

イシグロ そうですね。クローンをあつかった効果の一つがそれです。例えば、トルストイやドストエフスキーなど、20世紀初期までの古い文学をみると、「人間とは何か」とか「人間と神との関係とは何か」とか「魂とは何か」について、カフェで議論させるのに、二、三十ページ割いても許されますが、現代文学でそのような会話にそれだけ割けば、読者を当惑させてしまいます。もったいぶった感じや頗る気取った感じがしてしまう。でもクローンを使えば、あるいは、ロボットや、『ターミネーター』に出てくるシュワルツェネッガーのようなサイボーグを使えば、そういう議論をしなくても、読者の頭の中にすぐに同じような問いが出てきます。人間同士とかかわるような方法で、このような創造物にどのように自分を結びつけたらいいのか、と考えるからです。結局のところ、人間とは何かということを考え始めることになります。魂とは何か。このコンピュータには魂があるか。こういう仕掛けは、サイエンス・フィクションから来たものだと言えますが、私のような小説家が、文学の中でずっと音から投げかけられてきた古くからある問いに戻ることに役に立つのです。


二度の執筆中断

- 物語の時間設定を未来ではなく、非常に近い過去に置いたのは、サイエンス・フィクションというレッテルを貼られるのを避けるためですか。

イシグロ サイエンス・フィクションというレッテルを貼られても気にしませんが、この作品を何かの予言であると誤解してほしくありません。「おー、これはこのまま幹細胞研究を続けると、50年後には社会でこういうことが起こるんだというような警告だ」と読者に言われたくありません。その誤解は避けたい。さっきも言いましたが、メタファー的な面をより強調したかっただけです。これは、我々がこういうふうに生きているという形の歪んだ鏡であることをここで明確にしておきます。もちろん好みの問題でもありますが。将来、車がどういう形になっているとか、カップ.ホルダーやカフェがどういう形になっているか、というようなことを想像することに関心もなければ、気力もありません。こういうことに興味をそそられる人もいますが、私にはまったく関心がないことです。これが、未来に時間設定するのを避けた、もう一つの理由です。

- イギリスが、世界初の哺乳類の体細胞クローン羊であるドリーを誕生させ、世界を仰天させた事実は、あなたのインスピレーションと関係あるのですか。

イシグロ ほんの偶然にすぎません。というのも最初に書き始めたのは1990年ですから。この本を書くのに3回の試みをしています。最初は書き始めて、結構早くに中断しました。私が「学生」と呼ぶ著者についての話が頭に浮かんで書き始めたのです。「学生」と呼んだものの、大学もなければ、教授もいませんが。彼らは『わたしを離さないで』の半ばに出てくるような、イギリスの田舎の農家に住んでいました。でもクローンではなかった。当時はクローンを仕掛けとして使うことを思いつかなかった。この著者たちが、核兵器や原予力に接触することになるのです。これで彼らの運命が翻弄されるのですが、そこからうまく話が続かなくなりました。いろいろな筋を考えたのですが、ひどく稚拙で、あきらめました。二回目の試みは、90年代の半ばですが、うまく行かず断念しました。2000年になって初めて、核兵器の方向を完全に捨てることを決意して、三度目の挑戦をしたのです。当時イギリスでは確かにクローンや幹綱胞研究について、侃々講々の議論が起こっていました。ウィルムット教授がドリーというクローン羊を作ったからでしょう。私はこういう議論に普通は興味をそそられません。科学の最新の発展もフォローしていません。でも当時、これこそジグソーパズルの最後のピースだと突然頭にひらめいたのです。冷戦時代に育った私の世代の典型的な発想である核兵器のアイデアをいっそのことやめて、クローンなど、科学上の発展の観点から考え始めれば、自分が言いたいテーマがきちんと伝えられる話が書けると思ったのです。本当にちょっとしたブレークスルーだった。それで、三度目にクローン人間という発想が浮かんだのです。施設の外で生きている他の人が長生きするのに役に立つように、施設の人がただ医学的な理由だけでクローンを作るという考えが浮かび、すべてがすんなり行きました。

- ということは、何年間も熟考して完遂したのですから、今達成感を味わっていますね。

イシグロ それは別に珍しいことではありません、他の作家も同じような経験があると思います。作家や映画制作者に聞けば、わかりますが、彼らは、あるプロジェクトが終わってから、新しいプロジェクトをゼロから始めるというのではありません。長年の間、アイデアがずっと頭に浮かんでいて、あることがきっかけで、その瞬間にすべてが収斂することがあるのです。それはよく起こることです。それで完成するのです。私も何年も漫然と頭に浮かんでいる、いろいろなアイデアがたくさんあります。生煮えのアイデアや小さなアイデアです。まだうまくまとまりません。ですから、必死に集中してやり抜いたというのではありません。私が今まで書いた本は、ほとんどどの本も長年脳裏にあった要素やアイデアが入っています。ですから、ある意味では、書き始めて中断しても落胆しません。15~20年経てば、無駄になっていないことがあるからです。半年間書き続けて中断しても、無駄にならないからです、今までやったほとんどのことが、後になって役に立つことが.わかっています。

- アイデアを孵化させるのに時間が必要だということですか。

イシグロ 時間的な問題だけではありません。時代や変化する世界とも関係があると思います。あるアイデアがあっても、そのアイデアとそのとき生きている世界との関係とか、一体自分は誰なのか、という問題がうまくかみ合わないとだめですね。あるとき、そのアイデアを今こそ使うときだとひらめき、さらに豊潤なものへと開花するのです。この作品と同じようなものがもっと前に書けたと思いますが、人間として未熟であった私には意味があったようには思えません。もう少し年を取って、時間の経過に意識的になる必要があったと思います、またある意味では、若い人のことを書けるようになるには、年を取る必要があったのです。まだ若いときは、年を取った人の観点から書くことを楽しんでいました。それと同じことだと思いますね、それは人生について新たなる視野を持つ一つの方法です。若い人について書くには、年を取る必要があると思います。


小説作法について

それでは、小説作法についてお伺いしたいと思います。ポール・オースターにインタビューしたときに、彼は、同じく作家である妻のシリ・ハストヴェットの言葉を引用して、こう言っていました。「小説を書くということは、実際に起こらなかったことを思い出すようなものだ。その意味で、小説を書く方がノンフィクションを書くよりもはるかに難しい」。このコメントに同意されますか。

イシグロ 「実際に起こらなかったことを思い出す」というのは本当に興味深いコメントだと思います。まさにその意味で小説を書き始めたからです。若いときは、作家になる野心はまったくありませんでした。ミュージシャンになりたかったのです。実際に小説を書き始めたときは、自分でも驚いたほどです。自分がどうして小説を書くようになったのかと振り返ってみると、最初に書き始めたときの主な動機がまさにそうであることに気づくのです。つまり自分にない記憶を何とかして書き留めることです。

私は日本で生まれましたが、5歳のときに日本を離れたので、イギリスで育ったのと同じです。幼い時の日本の思い出しかありまぜんが、その思い出が私にとっての日本を象徴するのです。もちろんイギリスで育っているとき、ずっと日本社会はどういうものか、とか日本はどんな国かというのを想像していたと思います。ですから、20代の半ばにはもう、日本に対するイメージが完全に出来上がったと思います。それは、ある程度は記憶に基づくと思っていたのですが、実際は違いました。小説家が経験するように、架空のプロセスをすでに経ていたのです。それで日本に対するイメージを完全に作りあげていたのです。しかし、私がそれをやったのは、小説を書こうとしたからではなく、単純に、西欧で育ちながら、感情は日本とつながって魅せられたままでいるという子供のときの状況があったからです。今まで小説を書いたときも、「私の日本」を書こうとしたのです。それは常に自分がやっていないことを思い出そうとするようなものでした。それは記憶と想像の奇妙な混合です。小説家が実際にすることにかなり近いと思います。彼らは架空の世界を想像します。たとえ、リアリズムのモードで書いていてもそうです。自分の世界を創っているのです。自分の中の宇宙を、現実的な世界に押し付けているのです。もちろんポール・.オースターのように、現実からはっきり切り取られた世界を作り出す作家もいます。それでもかなり現実的に見えます。本当に小説としてうまく行くのは、現実の世界に、作家自身の世界が重なっているからだと思います。だからそういう小説を我々は高く評価するのです。

- イシグロさんは想像力を羽ばたかせて書くのでしょうか。

イシグロ それほど羽ばたかせませんね。私は、かなり抑制の利いた作家です。私が小説を書くときは、何に想像力を使うかということについてはかなり慎重です。常に最初にテーマを思いつき、それから登場人物の関係を考えます。自分の想像力には、かなり明確な仕事を与えます。「ほら、このページは空白だ。自分の想像から何かクレージーでワイルドなことが出てくるか試してみよう」とは言いません。多くの作家がこうやってすばらしい小説を書き上げているのはわかっていますが、私の場含は一そろいのテーマが先にあって、それをかなり集中したやり方で探求します。一つや二つのテ-マを完膚なきまで探求するのです。それで、自分の想像力を稼動させて、「これがきみの仕事だ。どうだ、何かできるかね」と想像力に聞くのです。常に大枠があって、その中で、「これをいかにして表現するか、どのようなシーンがこのことを表すことができるか、いかにしてまとめるか」を絶えず考えます。即興的に「次はどこに行けるか」と考えることはしません。

- あなたは小説もノンフィクションも読みますか。

イシグロ 両方読みますね。ノンフィクションもたくさん読みますが、リサーチのために読むことが多い。といっても直接自分が書いている小説のためではないことが多い。今は、最近イギリスとアメリカで出版されたPostwar(戦後)という、歴史家のトニー・ジュットが書いた本を読んでいます。戦後の時代についての歴史書として非常におもしろい本です。小説を書き始めたのはもう25年も前になりますが、その頃同時代的に体験したことがまさに第二次世界大戦の余波であったと気づいたのです。大事件がたくさん起こりました。第一次世界大戦、第二次世界大戦、その後も小さな戦争がずっと起こっています。第二次世界大戦から半世紀以上経って、歴史的事件が数多く起きたことを再認識しています。私の世代の多くの人もそうだと思いますが、まだ世界をみるときに、戦後の歴史の観点からみることが多い。最近になってようやく、第二次世界大戦の影としてではなく、最近起こったことを単独で理解しようとしています。その形やパターンを実際に見ることは非常に重要だと思うからです。もちろん第二次世界大戦はものすごく重要ですが、現在起こっていることを第二次世界大戦に関係なく、理解し始めないといけないと思います。それで、現代史に関する本をたくさん読むようにしています。

(中略)


舞台設定をどう決めるか

- 先ほど、『わたしを離さないで』のテーマについて説明されましたが、読者には、前の作品からみるとかなり次元的飛躍をしているように思えます。かなりのギャップですね。そうではないのですか。

イシグロ 私はそのようには感じません。外側から見ると、話の表面があまりにも異なっているので、かなりのギャップを感じるかもしれません。多くの点で、その表面だけをみると、人は、日本に舞台を設定した本と比べてかなり飛躍したと主張するでしょう。『日の名残り』は舞台をイギリスにしましたが、それを飛躍と考えた人もいました。The Unconsoled (邦訳『充たされざる者』)という変わった作品を書きましたが、それはすべてのことが夢のロジックに合わせて作用するのです。読んだ人の中には、『日の名残り』から、かなり大きな飛躍だと思った人もいます。表面的にみると、私は、常に同じ舞台設定を使うタイプの作家ではありません。他の作家で同じ舞台設定を使いながら、磨きに磨きをかける人もいますが、私にとっては、言わば舞台設定は、単なる技術の一部であり、たいした決意でもありません。まずテーマと主人公の関係を抽象的に決めて、ある感情が特定のことを表すようにしますが、そういう話をもっともよく表に出すにはどういう舞台設定がいいかを決めるのです。ナポレオンの時代に設定した方がうまく行くのか、キューバ革命の間に起こったとした方がうまく行くのか、まともじゃないように聞こえるかもしれませんが、実際にそのように考えるのです。ロケハンに行くかのように、ある舞台設定で小説を書き始めて、途中でまったく違う設定に変えたこともあります。逆に私の二作目と三作目(『浮世の画家』と『日の名残り』)はほとんど同じだ、舞台設定が日本かイギリスかの違いだけだと言った人もいます。その言い方はいささか辛辣かもしれませんが、そこにある程度真実があることも確かです。

私に関して言えば、舞台設定との関わりは、他の多くの作家と異なっています。小説技法上の理由で、かなり大きな飛躍をするのです。『わたしを離さないで』の場合、歴史上でふさわしい時点を見つけることができずに、サイエンス・フィクションのような設定になったのです。歴史上で、場所や時間の点から見て、現実的な設定を見つけることができませんでした。だから、それとは違う、いささか幻想的な設定になったのです。クローンや臓器提供のプログラムの世界がうまくテーマに合ったのです。底流にあるテーマは、今までの作品ととても類似しています。先ほども話しましたが、我々が自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとするといったテーマは同じです。『わたしを離さないで』では、寿命が想像以上に短いという背景に、友情や愛について人々が抱く希望などについてもテーマに入れています。こういうことに私は本当に関心を持っています。人生はとてもはやく過ぎていく。さっと手元から抜けるほどはやく過ぎていく。もっともいい機会を簡単にムダにしてしまう。こういうことも常に私の作品の中に見られるテーマです。舞台設定が異なってもそうです。

- その設定の変化を、自分自身のためにも読者のためにも楽しんでおられるようですね。

イシグロ まあ、心の奥底では、表面はそれほど重要ではないと思っています。表面は装飾の一部です。私に激しく反論する人もいるでしょうが、私にとっては、そうであるからこそ、小説は、表面について事実を報道することが非常に重要な、ノンフィクションの作品や歴史書やジャーナリズムの作品と異なるのです。私の場含は小説という手段に訴えます。表面の下にあるメタファーや神話が言いたいからです。表面の下に隠れている普遍的なストーリーが言いたいからです。カウボーイの話になるかもしれないし、17世紀のフランスに舞台が設定されるかもしれません。舞台設定は私にとってそれほど重大ではないのです。私が問うのは、底流にあるヒューマン・ストーリーです。だから小説や映画が大好きなのです。そこに事実や歴史上の詳しい解説を求めているのではありません。そういう事実が知りたい場合は、歴史本や立派なジャーナリストが書いた本を読みます。小説を書いているときは、舞台設定は重大ではありませんが、テーマを十分に伝えるものである必要があります。もちろん設定する舞台は読者を惹きつける、魅力的なものにしたいと思っています。読者には、舞台の雰囲気やムードを十分味わってほしいと思っていますが、それが小説を書く理由ではありません。
.

日本への思い

- イシグロさん自身のことについて、おききしたいと思いますが、国籍は日本と二重国籍を持っておられるのでしょうか。

イシグロ 残念ながら、日本は二重国籍を許しません。イギリスは許しますが、もし日本のパスポートを持とうとすれば、だめですね。少なくとも私がイギリス国民になったときは、100パーセント日本人になるか、日本のパスポートを捨てるかどちらかでした。今でもそうだと思います。人生のある時点で決意しなければなりませんでした。最終的には感情的には日本ですが、すべての実用的な理由から、私はイギリス国籍を選びました。もしアフリカで困ったことになれば、日本大使館ではなく、英国大使館に行かねばなりません。日本大使館に行っても、理解してもらえませんが(笑)。

- 両親から離れたのはいつですか。ある年までは両親と住んでいたのですね。

イシグロ 大学までです。それが普通みんな親から離れるときです。もちろんそれ以降も長い間、親のところに戻って、一緒にいた時期もありましたが、基本的には大学から親と離れて、しばらくスコットランドに住んでいました。親と同居しているときも、一人で長い間旅をしたこともあります。

- ご両親と話すときは、日本語を使うのですか。

イシグロ 今でもそうです。電話で話すときも、とても下手な日本語で話しますね。5歳の予供の日本語です(笑)。私がしゃべる日本語は、日本語であることがわからない日本語です(笑)。かなり古臭い、子供の日本語です。5歳のときから凍結した日本語で、それに英単語がたくさん混じります。

- ご両親はまだイギリスに住んでいるのですか。

イシグロ サーリーに住んでいます。

- イシグロさんは35歳になった1989年まで日本にもどりませんでしたね。

イシグロ その通りです。

- どうしてですか。自分の運命を変えることはできなかったのでしょうか。

イシグロ 当時は今と比べて旅行するのが非常に難しかったと言わざるを得ません。今ほどは簡単ではありませんでした。私が10代になるまでに、日本はとても物価の高い国になり、若造が日本まで行くのに十分なお金を貯めることは非常に難しかったのです。また18歳、19歳になったときに、旅に出るのに十分なお金を貯めたのですが、私はアメリカに行きました、当時の私の夢は常にカリフォルニアに行くことでした。というのもその頃サンフランシスコは若者にとって、流行の場所でした。私の世代の若者はみんなそうでしたが、あちこちに旅しました。アムステルダムや他のヨーロッパの場所にも行きました。ヨーロッパ中ヒッチハイクをし、さらにアメリカとカナダの西海岸を3ヶ月間もヒッチハイクしました。当時は日本に行きたいという気持ちになったことはありません。もっと後になって、23、24歳くらいだったと思いますが、その頃になって初めて、日本にとても関心を持つようになりました。それで、自分の小説で日本について書くプロジェクトを始めたのです。私は日本についての小説を書き終わるまで、日本に戻らないという決意を意識的にしました。本当の日本が、自分の脳裏にある日本に干渉をすると思ったからです。私のプロジェクトは、自分の日本が脳裏から消える前に、小説に安定的に書き留めておくというものでした。ですから、本当の日本に行くということは、それを混乱させることになるでしょう。だから日本に行かなかったのです。自分版の日本を温存したかったのです。小説家として、日本を書き終えて初めて、日本に行きたくなりました。それで戻ったのです。それはすばらしい経験でした。でもそれは脳裏にあった日本とは異なっていました。

- 失望したのですか?

イシグロ 失望したのではありません。私が日本だと思っていたものは、あくまで長崎のことだと気づきました。それは日本の他の部分と全く違っていました。長崎の記憶は私にとっては子供の世界であり、それに「日本」という名前を与えたのです。5歳のときに離れて以来初めて長崎に着いたときは、ずっと想像していたものに近かった、すべての丘を思い出すことができたし、昔いた古い家にも行きました。近所も昔のままでした。近所の人もみんな子供のときの私のことを覚えていてくれました。私もいろいろな場所を覚えていました。幼稚園への行き方も覚えていました。幼稚園の昔の先生にも会い、近所の年寄りの人にも会いました、そうして初めて、本当の記憶が蘇ってきたのです。でももちろんほとんどの時間は京都か東京にいました。そこはまったく異国でしたね。

- もしずっと日本で育っていたら、小説家になっていたと思いますか。

イシグロ そうは思いませんね。家族の誰も作家になっていませんし、叔父は京都大学の教授で、国際弁護士でした。父親は科学者で、もう一人の叙父は住友のビジネスマンです。私の家族には作家のような仕事をした人は誰もいません。私が作家になったのは、私が日本からの「亡命者」であることに大いにかかわっています。そして、常に、日本人である両親の目を通してイギリスという国を見たので、自分の周りの社会とも距離を置いて育ったことにも関係があります。友人のすべてが正邪として考えていたことを、私はイギリスのネイティブの変わった風習であるとみていたのです、距離を置いて、イギリスをみていたということです。そういうことも作家になる上でプラスに働いたと思います。

- 外国に住んでいる日本人の両親は、子供にバイリンガルを維持してほしいがために、日本語の学習を強要しますが、ご両親はそういうことはなかったのですか。

イシグロ 両親は決して強要しませんでしたね。恐らく当時はそれがほとんど不可能だったからだと思います。私の家族がイギリスに来たのは、1960年であることを考慮しなければなりません。我々以外に日本人はいなかったのです。日本人コミュニティがなかったのです。今日本からイギリスに来ると、日本人は日本人学校に入れるので、日本語を勉強することは可能です。でも昔は非常に難しかったのです。母親はある程度日本語を教えてくれましたが、あるとき両親は、それはよくないと決意したのでしょう。もし私が漢字やカタカナを覚えるための教育を受けていたら、歪んだものになっていたと思います。それで両親は日本語を私に押し付けなかったのです。多くの点から考えると、そのことに私は感謝しています。特に日本語の読み書きをやるとなると大変な苦労ですから。

- 今日は長いインタビューに応じていただき本当にありがとうございました。

(2006年5月10日、ロンドン、ヒルトンホテルにて)