【掲載日:平成23年9月2日】
・・・千年寿き 寿き響もし
ゑらゑらに 仕へ奉るを 見るが貴さ
藤原仲麻呂
橘奈良麻呂
暗闘 暗々裏に進む中
仲麻呂の睨みを避け
奈良麻呂とは距離を置き
家持は
中立保身の政治信条を 持ち続けていた
(台閣首班は 依然橘諸兄様
上皇となられた 聖武の帝
病勝ちとは云え 孝謙女帝の後見
その権威 まだまだ 衰えあるまい)
家持は
機会ありせば
お召に応え 詠うべくの歌用意に 励む
あしひきの 八峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆること無く 青丹よし 奈良の都に 万代に 国知らさむと
《峰々に 生える栂の木 次々と 長い松の根 途切れんと 栄えの続く 奈良都で 万世までも 治めらる》
やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は
《天皇さんが 開かれた 豊の宴の このよき日》
物部の 八十伴の男の 島山に 明かる橘 髻華に刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へ奉るを 見るが貴さ
《仕えの人は 打ち揃い 庭に輝く 橘を 髪に飾って 寛いで 千年寿ぐ 祝いして 笑みを溢して 集いする なんと貴い この集まりよ》
―大伴家持―(巻十九・四二六六)
天皇の 御代万代に かくしこそ 見し明めめ 立つ毎年に
《天皇の 御代が栄えて こんな宴 開き寛ご 来る年毎に》
―大伴家持―(巻十九・四二六七)
家持思う お召元
聖武上皇なりや はたまた 孝謙天皇なりや